「だれかの願いが叶う場所」結



「あ」

 ふと思い出して、わたしはペンを止めた。すっかり自習に夢中になっていた。

 思ったよりも声が大きかったようで、自分に向けられるいくつもの視線を感じた。学院に入ってから、そういうものには敏感になっている。とっさに口を押さえた。

 おそるおそる店内を見渡した。綺麗なお姉さんも、白髭のお爺さんも、ドワーフのおじさんもいなくて、座っているお客さんはみんな初めて見る顔だった。

 目線だけでこちらの様子をうかがうユウさんに、わたしは小声で話しかける。

「あの、持ち帰りできるものってありますか。喫茶店の名物が良いんですけど」

「持ち帰り? あるけど、名物かどうかはわからないなあ」

「このカフェ・オ・レとか、持ち帰れません?」

 言うと、ユウさんは目を丸くして、それから眉間にしわを寄せた。

「コーヒーのテイクアウト……っ! 僕はこんな簡単なことにどうして気づかなかったんだろう! アルベルさんに何度も頼まれていたのに……! そうだ、それを正式に開始すればあるいは……っ!」

「あの、世紀の大発見をしたみたいな顔をしているところ、申し訳ないんですけど。持ち帰れます?」

 ひとしきりぶつぶつ言ったあとで、ユウさんは棚から小さな水筒を探し出した。

「たぶん大丈夫ですけど、早めに飲んでくださいね」

「よかった」

「学院に戻って飲みたいくらい気に入ってくれました?」

 にまぁとユウさんが口元に笑みを浮かべている。ちょっと気持ちわるい。

「いえ、友人に頼まれたんです。その子が喫茶店の噂も教えてくれたんですけど」

 ユウさんはなるほど、と頷くと、カフェ・オ・レの準備に取り掛かった。

 と、わたしはとても大事なことを訊いていなかったのを思い出した。そもそも、わたしはそれを知りたくて喫茶店を探していたのである。

「あの」

「うん?」

「ここ、リナリア先輩が通っていたって本当ですか?」

 あ、リナリア先輩っていうのは、学院の生徒で、わたしの先輩で、いえ、面識はないんですけど……続ける言葉を口の中で転がしていたのだけれど、すべては無駄になった。なぜならユウさんが顔を明るくして、

「あれ、リナリアのことを知ってるの?」

 と言ったからである。

 呼び捨て? リナリア先輩を呼び捨て!?

「お、お知り合いですか!?」

 カウンターに身を乗り出して訊く。ユウさんは「おおっ?」と身を引きながら、

「まあ、お知り合いというか、なんというか」

「え、ほ、本当にここに通ってらっしゃったんですか!」

「まあ、そうだね。というか、現在進行形かな」

「ひゃー!」

「ひゃー?」

 まさか、メディの言っていたことが本当だったとは!

 わたしは店内を見渡し、カウンター席を見下ろし、ユウさんに顔を向けた。

「あの、あの、リナリア先輩はいつもどの席に……!」

「どの席っていうか、そこだけど」

 ユウさんはわたしを指差した。わたしの、座っていた場所を。

「ひゃー!?」

「ひゃー?」

 わたしはすぐさま飛び退いた。

「な、なんて畏れ多いことを……」

「同じ席に座りたいとかじゃないんだ?」

「そんな失礼なこと、できません。お隣が良いんです」

「前にも同じような台詞を聞いた気がするな……」

 わたしは改めて隣の椅子に腰をおろして、じっくりとリナリア先輩が座っていたという椅子を眺めた。ここでリナリア先輩が勉強をしていたのか……。

「そんなにしみじみと見るものかなあ」

「尊敬しているので」

「尊敬?」

「はい。リナリア先輩は、平民ながらに学院で首席になって、ついにフォルトゥナに留学まですることになっているんです。同じ平民として、勝手に尊敬しているんです。学院が嫌になることは山のように、いえ山脈のようにありますけど、リナリア先輩のおかげで、わたしも頑張ろうって思えるんです」

 貴族の子女が通う学院の魔術学科に、平民が入学したのはリナリア先輩が初めてだった。アーリアル魔術学院は冒険者の育成も兼ねていて、平民が入学するのは冒険者学科が当然だった。魔術学科は貴族の城だ。権威と血筋が物を言うのだ。リナリア先輩という前例があったからこそ、わたしの苦労はこの程度で済んでいるとも言えた。

「わたし、いつかリナリア先輩にお会いして、お礼を言うことが夢なんです。あなたのおかげで、わたしは何とか踏ん張っています、って」

 そっか、とユウさんが言った。

「その夢、叶える気はある?」

 穏やかな表情に、わたしは首をかしげた。

 叶える気はあるか。わたしはもちろん頷いた。

 ユウさんは満足げに笑うと「ちょっと失礼」と言って、店の奥へ続く通路に入っていった。それから、誰かを呼ぶような声。

 わたしがぽけっと待っていると、やがてユウさんが戻ってきた。それから、その後ろに、え、いや……はい?

 愕然とするわたしに、ユウさんがにやにやしながら、

「紹介するね、これ、リナリア先輩」

 と言った。

「これとは何よ、これとは」

 と、リナリア先輩らしき人が言った。一度だけ、学院で、遠目に見たことのある姿とそっくりだった。すらりとして、顔はすごく整っていて、肌が白くて、夕日みたいに綺麗な長髪で。

「は、あの、え、り、リナリア先輩ですか。本物ですか?」

 あわわと戸惑うわたしに、リナリア先輩は優しく笑いかけてくれた。

「本物よ。まあ、落ち着いて。そんなにすごい人間じゃないんだから」

 え、優しい……こんな、平々凡々の村娘1に暖かい言葉をかけてくださるなんて……ううっ、尊い……うっうっ。

「……なんで、泣きながら私を拝んでるわけ?」

「尊敬してるんでしょ」

「尊敬って、こういうものだっけ?」

「ほら、表現の仕方は人それぞれだから」

 わたしが言葉を失ってただ感謝を伝える祈りを捧げている間に、ユウさんとリナリア先輩は小気味よく会話をしていた。あのリナリア先輩とこんなに気安く会話ができるなんて……!

「わたし、ユウさんを見くびっていました……ただの変な人じゃなかったんですね……」

「きみ、大丈夫だよ。それだけ言えるなら貴族なんて目じゃないって。図太い神経してるもん」

 ユウさんがジト目で言う横で、リナリア先輩が口元を隠しながら笑っていた。

「リナリアも笑いすぎでしょ」

「良かったじゃない、見直してもらえて」

「誰かさんのおかげですねえ」

「あ、あの! リナリア先輩!」

 とわたしは言った。声が裏返った。

「なに?」

 きょとんと、リナリア先輩がわたしを見る。

「あの、ありがとうございます! リナリア先輩のおかげで、わたし、頑張れてます。学院は大変ですけど、でも、何とか生きていけてます!」

 リナリア先輩は腰に手を当てて、小首をかしげた。

「よくわからないけど、どういたしまして。でもね、頑張ってるのはあなたでしょ。自分のことも褒めてあげて」

「こんな小市民にありがとうございますぅ……」

「……この子、変わってるわね」

「僕もそう思う」

 なんと言われようと構わない。わたしは満足である。ああ、リナリア先輩にお会いしてお礼を言える日が来るとは思わなかった。おまけに、こうして会話までできるなんて。

「噂は本当だった……」

「噂?」とリナリア先輩が言う。

「なんかね、うちに来ると夢が叶うって噂があるらしいよ」

「あら、間違ってないんじゃない?」

 リナリア先輩がユウさんに笑いかけた。それは、わたしが見惚れるくらい、とっても素敵な笑顔だった。

「あんまり期待されると困るんだけどなあ」

 ユウさんは苦笑しながら、水筒をわたしに差し出した。

「はい、お土産のカフェ・オ・レ」

「あ、どうも」

「かふぇおれが好きなの? 私もね、お気に入りなの」

「ありがとうございますっ! 大好きなんですっ!」

「きみさ、僕とリナリアで露骨に態度を変えてない?」

「気のせいです」

 おかしいな……とぼやくユウさんの背中を、リナリア先輩がぽんぽんと叩いた。

「まあまあ、元気をだしなさい」

「その勝ち誇った顔をやめてもらえますかねえ」

「これは生まれつきよ」

「勝ち誇った顔をしてる赤ん坊なんていてたまるか」

 二人の間には、なんだか、お互いに遠慮のない親密な空気があった。

「あの、ところで、どうしてリナリア先輩はこちらに……? 留学されているのでは……」

 訊くと、リナリア先輩は照れたように頰を掻いた。

「長期休暇を利用して帰って来てるのよ。もう学院の寮を使うわけにもいかないから、ここで寝泊まりしてるの。たまにお店も手伝ったりね」

「あっ、そうなんですね、なるほど、はい」

「その、ニチャァってした笑顔はなにかしら」

「いえ、いえ。大丈夫です。わたし、空気を読むのも、空気になるのも得意なので。はい」

 なるほど、そういうことなんですね。わかります。わかりますとも。

 わたしはユウさんにお会計をお願いして、そっと扉に向かった。空気のように退出するのも得意なので。

 けれどちょっと思い直して、わたしは振り返る。

 ユウさんとリナリア先輩が並んで立っている。その光景は、なんだかとってもしっくり来た。リナリア先輩が小首をかしげた。

 昔、学院でリナリア先輩を見たとき、表情は凛と引き締まっていた。まるで雪原に一輪で咲いて、雨にも雪にも風にも負けない花のような強い人だと思った。けれど、それは気を張っていたからなんだと、いま気づいた。周りに負けないように、弱さを見せないように、強さをまとっていたんだ。

 あの頃のリナリア先輩は、いまはもういない。代わりに、ユウさんの横でとっても暖かい表情を浮かべている。

「また、来ても良いですか?」

 訊くと、ふたりはきょとんとしてから、そっくりな笑みを浮かべた。リナリアさんが肘でユウさんを小突いた。

「もちろん、いつでもお待ちしています。なにしろここは、世界にひとつだけの喫茶店だからね」



 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る