「だれかの願いが叶う場所」3


 ミュラー教授と喫茶店、あたしは教授を選ぶ。

 と宣言して、メディは今日も今日とてミュラー教授の研究室に向かった。なんでも助手になるために猛烈にアピールしているらしかった。

 昨日、わたしが喫茶店を見つけたことを話すと、メディはとても満足そうに笑った。いいなあ、あたしも行きたいなあと言うので、もちろん誘ったのだけれど、今はミュラー教授の方が重要らしい。

 代わりに、お金を渡されて、おつかいを頼まれた。なにか喫茶店の名物を買ってきてほしい、と言われたのである。

 今日こそは図書館で勉強をするつもりだったのだけれど、メディが言うには、喫茶店は自習をしても良いところらしい。飲食店ではそういう、食事以外の目的で居座ることは歓迎されていないので、本当だろうかと疑わしい気持ちなのだけれど、鞄に勉強道具を詰めて、わたしはまた喫茶店の前にやってきていた。メディにはいつもお世話になっているので、彼女のお願いとあれば期待に応えたい気持ちもあった。

 昨日と同じ、鐘が六つ鳴るころ、ランタンの掲げられたドアを開いた。からんからん、とドアベルが響いた。

 空気の変わるような瞬間。まるで別の世界に入るみたいに、不思議な感覚があった。これは何でだろう?

 ユウさんはカウンターに座っていたお爺さんと話していたようだけれど、ついとこちらに顔を向けて、笑顔を浮かべた。

「いらっしゃいませーーあ、昨日ぶりですね」

 わたしより二つほど歳上だと分かったのだけれど、異国風の顔立ちは幼く見えて、どうにもお兄さんという感じはしない。

 こんばんは、と挨拶をしながら、昨日と同じカウンターの椅子に座った。

「やっぱり、そうなんですね?」

「はい?」

 わかりますよ、と頷いているユウさんだけれど、わたしはさっぱり意味がわからない。

「コーヒーの魅力にはまったんでしょう?」

「いえ、違いますけど」

 素直に答えると、ユウさんはがくりと肩を落とした。大げさな身振りをする人だなあと、わたしはそれを興味深く観察する。

「ここって、自習をしても良いんですか?」

 ユウさんは「おや」と眉をあげて、懐かしいものを見るような、優しい表情を浮かべた。

「もちろん、大歓迎ですよ」

「飲食店、ですよね。大丈夫なんですか?」

「それが喫茶店なので。ここにいる時間は好きに過ごしてください」

「はあ」

 何とも不思議なお店だなあ。

 でも、図書館や自室以外で勉強ができるというのはありがたい話だった。自室だとどうしても気が抜けてしまうし、図書館では貴族の視線やたまにされる嫌がらせが面倒なのである。しかし、ここならそんな心配はいらないのだ。

「……なかなか、魅力的に思えてきました」

「そうでしょう。喫茶店ですから」

「良いですね、喫茶店」

 ところで喫茶店って何なのか、わたしはいまだによくわからない。わかるのは、なかなかに居心地の良さそうな場所ということだけだ。けれど、大きな問題は相変わらず立ちはだかっている。

 わたしはメニューを見上げて、深くため息をついた。

「……どうかしました?」

「……いえ」

 飲食店で、タダで椅子に座っているわけにもいかない。何かを注文するのは当然のことだ。値段の高いコーヒーは論外として、果実のジュースとか、一般的なお値段のものはもちろんある。けれど、わたしは奨学金頼りの苦学生だ。ジュースの一杯だって、気軽に頼むのにはためらってしまう。

 ユウさんはぽんっと手を打ち鳴らした。

「そうだった、コルレオーネさんを覚えています? 昨日、隣に座っていた」

「それはもちろん、覚えていますけど」

 あんなに印象的な人を忘れろという方が無理な話だ。

「実は昨日、コルレオーネさんからお金を預かったんです。もし君がまた来たら、ご馳走してあげてくれって」

「え、そんな!」

 ご馳走……それはわたしが世界で五番目に好きな言葉……!

 けれど、昨日あったばかりの人に甘えるわけにはいかない。

「良いです、遠慮します。申し訳ないです」

「いえ、それが……」

 ユウさんはひどく深刻な顔をした。

「これが、コルレオーネさんの趣味なんです」

「しゅ、趣味……?」

「ええ。あの人は期待できそうな学生を見つけると、ご馳走せずにはいられないんです。それがもう、生きがいらしくて。もし断られたと知ったら、コルレオーネさんはすごく落ち込んでしまうかもしれません」

「そんなに!?」

 あ、あんなに渋い人が落ち込むなんて信じられない。

「どうかコルレオーネさんのために、ここは受け取ってもらえませんか。あの人の生きがいを奪わないであげてください」

 そこまで言われると、なんだか断る方が悪いことをしている気分になってきた。いや、でも……ううん。

「あ、ちなみに、コルレオーネさんはとても恥ずかしがり屋なので、直接お礼は言わないようにしてくださいね。もし見かけたらそっと微笑んで、ちょっと会釈をして欲しいそうです」

「なんだかすごく変わった趣味ですね、あの人……」

 わたしの思ったよりもずっと変人なのかもしれない。

「コーヒーでいいですか?」

「え、あれっ」

 いつの間にかご馳走になる方向で話が決まってしまっていた。

 そこまで言われると、お言葉に甘えようかなと心が傾いてしまった。次お会いしたら、ちゃんとお礼を言おう。あ、直接言ったらだめなんだっけ。難しいなあ、もう。

「……じゃあ、コーヒーで。甘くしてください」

「はい、すぐ用意しますね」

 なんだかユウさんにうまく言いくるめられた気もする……。

 昨日と同じように薬品器具で抽出の準備を始めたユウさんを前に、わたしはきょろきょろと店内を見る。奥の壁には一面の棚があって、たくさんの食器やグラス、瓶がならんでいて、香草やキノコが吊るされている。グラスは透明度の高いガラス製ばかりで、内心で「ひゃー」と感嘆した。透明度が高くて薄いほどガラスは高価になるのだ。このお店、もしかしてすごく儲かってるのかも。

 フラスコの中でお湯が沸く、こぽこぽとした音が耳に心地良い。実験中に何度も聞いたことはあるのに、それとはまるで違って聞こえる。

 ちらりと他のお客さんの様子をうかがうと、誰もが気ままに過ごして見えた。

 テーブル席ではエルフのお姉さんが座っていて、分厚い本を読んでいた。なんだか優しい表情をしているから、楽しい物語の本なのかもしれない。

 その横の席では、白銀の髪のお姉さんが、短剣の刃を指で弾くようにして何やら確かめていた。傍らには長剣が立てかけられている。冒険者の人だろうか。というか二人ともめちゃくちゃ美人なんですが。大人のお姉さますぎて直視できない。

 ふと話し声が聞こえて目を向けると、カウンターでユウさんとお爺さんがなにやら話していた。お爺さんがすごく厳しい顔をしているのが見える。怒られてるのかな……?

「ユウちゃんや、話は終わっとらんぞ。正直に言ってみい。どうやってその招待状を手に入れたんじゃ!」

「だから、ティセからもらったんですってば」

「じゃあどうしてわしの分はないんじゃ!?」

「だから、ゴル爺の分もありますってば。ろくでなし同盟の皆さんへ、って、団体席の招待状ですし」

「ユウちゃんだけ竜角席の招待状じゃろう! そこ、親族席じゃよ!? 貴賓席より希少なんじゃよ!? わしもそこが良いんじゃー!」

「まあ、諦めてくださいよ。ははっ」

「かーっ! 勝ち誇った顔が腹立たしいっ!」

 叫んで、お爺さんはカウンターに突っ伏して「おおんおおん」と泣き出してしまった。けれどユウさんはまったく気にした様子もなく、コーヒーの抽出に取り掛かっている。

 ……ティセって誰だろ。まさかあの歌姫さんじゃないだろうし。

 あまり見ているのも不躾だしと視線を奥の席に向けると、ドワーフのおじさんが座っているのが見えた。広げた布に鉱石を置いて、じっくりと鑑定しているらしい。原石の等級を調べているのだと思う。ドワーフは決して仕事の手を抜かない種族で、おまけに気難しくて、仕事場には絶対に他人を入れないと聞いたことがあった。そんな人がここで仕事をするなんて、このお店のことをどれほど信頼しているのだろう。ドワーフから信頼されるなんて、「ひゃー」である。

 わたしだって警戒心の強い方だとは思うけれど、さすがにドワーフほどではない。あのおじさんが堂々としているのに、わたしだけが緊張しているのもおかしく思えた。肩にぎゅっと力をいれた。それから、ふっと肩を落とす。脱力。そのまま、背もたれに体重を預けた。ふかっと、柔らかい感触に、思わず笑ってしまう。

「なにか良いことでもありました?」

 ユウさんが湯気の立つカップをカウンターに置いてくれた。

「学院だと、背もたれを使っちゃいけないっていう規則があるんです。貴族の子女たるもの、常に優雅たれって」

「それは恐ろしい規則ですね……」

「もしこんな風にもたれてるのを見られたらお説教です。でもここは学院ではないので、わたしは存分にもたれようと思います」

 背もたれに脱力しながら宣言すると、ユウさんは愉快そうに目を細めた。

「カフェ・オ・レを飲みながら、うちの背もたれを可愛がってやってくださいね」

「かふぇおれ……?」

 なんとも不思議な響きだった。

「コーヒーとホットミルクを混ぜて、砂糖を入れたんです。きっと美味しいですよ」

「本当ですかぁ?」

「そんなに人を疑う目で見られたのは久しぶりですね」

 なにしろ昨日はひどい目にあったのである。疑いは晴れないまま、カップを取る。昨日とはまるで違う色をしていた

「ユウさん……そんなにわたしのことを恨んでいたんですか……そりゃ、毒だなんて騒いで申し訳なかったですけど……」

「ちょっと何を言ってるかわからないんですけど」

「だってこれ、泥水じゃないですか! 雨上がりのあぜ道に溜まってるやつ!」

「違うよ! カフェ・オ・レだって言ってるだろ!」

「冗談です」

 がくーっとユウさんが大げさに肩を落とした。面白い人だなあ。

「きみ、良い性格してるって言われない……?」

「学院では猫をかぶっているので大丈夫です」

「胸を張って言うことかなあ」

 わたしはカップを取って、見た目は雨上がりの泥水であるそれを啜った。

 ん!?

「あまほろにがあまい……」

「複雑だね」

「これは……美味しいです」

「そんな愕然とした表情で言われたのも久しぶりだよ」

 てっきりまた毒のように苦酸っぱいかと思ったのだけれど、どっこい、泥水は美味しかった。ミルクが苦味を抑えていて、でもたしかにそこにあって、それが砂糖の甘さをほどよく際立たせてくれている。果実ジュースはごくごくと飲み干したいものだけれど、このかふぇおれはずっとちびちびと飲み続けたくなるような味わいだった。

「はっ」

「どうしました?」

「これが……依存性……?」

「だから違いますってば」

 ユウさんは言った。呆れたように笑っていて、その他愛もない会話が、なんだかとても楽しかった。

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