第6巻発売&書籍版完結記念特別読切「だれかの願いが叶う場所」1
昼食が載ったプレートをテーブルに置きながら言ったメディに、わたしは聞き飽きたという表情を隠せなかった。
「またその話?」
「だって気になるじゃない。もし本当にそんなお店があるなら、あたし、行きたいもの。フィーだってそう思わない?」
「そりゃ、まあ」
「ほら!」
「本当にあるならね、そんなお店が」
メディは眉を寄せて上げ、口を開けて見せた。わたしがやれば間抜けそのものだろうけれど、彼女がやるとそんな表情まで魅力的に見えるのだから不思議なものだ。
「フィーったら、ほんとに夢がないんだから」
「おあいにくさま。夢を見るより日々の授業の方がわたしには大事なのです」
「だからって、そんなに急いで食べなくても良いでしょう? ちゃんと味わってる? すっごく美味しいのよ、この学院のご飯」
赤いソースの絡んだ魚の切り身をフォークに刺して、口に運ぶ。メディの所作は優雅で、やっぱり彼女は貴族なんだなと思わされる。
「んー、おいし! このフールフレードなんて絶品!」
「フールフレードってなに?」
空になった自分の皿を見下ろしてふと考える。どうやらあの甘酸っぱいタレは、フールフレードという名前があったらしい。しかしフールフレードが何なのかがわからない。
隣のテーブルで笑い声が聞こえた。堪えるふりだけはしているものの、明らかにこちらに聞こえるように笑っている。慣れたもので、わたしはもう視線を向けることもしない。
しがない平民のわたしは、貴族の常識を知らない。だから恥をかくことも、バカにされることだって多い。けれど、それは入学前から分かりきっていたことだった。アーリアル魔術学院は、特にその魔術学科は、貴族御用達の名門なのだ。平民であるわたしへの嫌がらせなんて日常のことだった。それに。
「その調子、その調子。ちなみにフールフレードは果物を混ぜて作ったソースのこと」
こうして隔てなく付き合ってくれる友人ができたのだから、わたしは幸運だ。
「それでね、さっきの話なんだけど」
「続くの? それ」
「この話がしたくてうずうずしてたんだもの。だって素敵でしょ、行くと夢が叶うお店なんて」
「うさんくさいだけだってば。誰も行ったことないんでしょ?」
「それがね、とある筋から新しい話を仕入れたわけですよ」
メディはフォークとナイフを置き、わざとらしく周囲を見回した。それから身を乗り出し、手を口元に寄せる。いかにも内緒話という態度に、わたしもついつい顔を寄せてしまう。
「そのお店はね、迷宮通りの近くにあるんですって」小声でメディが言う。「普段はね、ただのお店と見分けがつかないの。でも夜が近づいて、あたりが暗くなり始めて、夕日が街を斜めに照らすころに、通りのベンチに座るの。そして時計塔が六つの鐘を鳴らすと……」
「鳴らすと……?」
くそう、メディは話が上手なのだ。つい聴き入ってしまう。
「夕日の輝きの中で、一羽の鳥が導いてくれるんですって、そのお店に」
「謎めいてるなあ」
「それが良いんじゃない。ね、今日の放課後、一緒に行ってみない?」
メディは大きな瞳をどこかいたずらっぽく輝かせている。けれどわたしはあまり乗り気になれない。ただの噂に過ぎないし、手がかりも曖昧すぎるのだ。どうせ何も見つからずに帰ることになるのはわかっている。それなら勉強時間にあてたい。
「そんな表情しないの。もうひとつ良いことを教えてあげるから」
「よっぽどの良いことじゃないと、わたしの気持ちは動かないから」
メディはふふんと笑って、
「そのお店はね、あのリナリア先輩も通ってたんだって」
「ほんと? え、どこからの情報?」
「予想以上に食いつくわね……いや、わかってはいたけど」
リナリア先輩はわたしの目標であり憧れだった。平民でありながら魔術学科で学年主席を務めて、アーリアル学院在学中に超難関である治療魔術師の専門学院にも合格したという伝説の人なのだ。
そんな人が通っていたというのなら、ぜひともあやかりたい。
「……放課後、探しにいこう」
「ときどき、あなたの判断基準が心配になるわ、あたし。リナリア先輩が倒立を日課にしてたって言ってもやりそうだもの」
「日課にしてたの?」
「真顔で訊くのやめて。怖いから。嘘だからやるんじゃないわよ」
なんだ嘘か……。
予鈴の鐘が鳴り響いた。昼食休憩も終わりだ。食堂が途端に騒がしくなった。わたしとメディもプレートを持って立ち上がる。
「それじゃ、放課後に行きましょ」
「絶対に見つけてみせる」
「なんであたし以上にやる気だしてるかなこの子は……ああ、そうだ、そのお店ね」
とメディは思い出したように言う。
「喫茶店っていうらしいわよ」
/
「ごめん、ミュラーさまのお手伝いに誘われたから行けない!」
と頬を上気させながらメディに言われては、怒る気にもなれない。
ミュラーさまというのは学院一の変人かつ天才と名高い教授だ。実験中に学院の校舎を半壊させたこともあるらしい。メディはそのミュラー教授に夢中なのだ。何が彼女を焚きつけているのかはわからないけれど、メディも変わり者だから、何か通じるものがあるのかもしれなかった。
予定が崩れたのだから、わたしも図書館に行って自習をしようかと思った。けれど、今、わたしは迷宮通りのベンチに座っている。
なぜ来たのかといえば……なぜだろう。
そりゃ、リナリア先輩が本当に通っていたお店があるなら、ぜひとも行きたい。でも、噂話にすぎないそれを心底から信じているわけでは、もちろんない。出所が不明な話を信用するには、わたしは純情を捨て過ぎてしまった。夢物語に憧れるよりも、期末考査で好成績を残して特待生としての資格を更新することの方が重要なのだ。勉強はいくらでもしなければならないし、時間を無駄にすることは避けたい。
けれど、わたしは今、ベンチに座ってぼけっとしている。ああ、そろそろ夕暮れだなあ。
この街に来てから、めったに学院を出たことはなかった。迷宮通りに来たのも初めてだ。ここに座っていると、迷宮と街とを行き来する冒険者たちの姿がたくさん見ることができる。
辺りには酒場から響く笑い声に、通りに並ぶ屋台や露天商の客引きの声。それは人々の営みで、粗野で、底抜けに明るい。お上品な学院での生活より、わたしには馴染み深いものだった。なにしろわたし、辺鄙な村の雑貨屋の娘なもので。
喫茶店というお店を探しに来たはずなのだけれど、なんだかこの空気が心地よくて、ベンチに座ったまま時間が過ぎていく。
「お姉さん、お花はいかがですか?」
不意にかけられた声に顔を向けると、女の子がわたしに花を差しだしていた。
「綺麗な花だね」
「迷宮のお花なんですよ」
「どうりで。見たことがないと思った」
花弁は青空のように澄んだ色をしていた。ふと、花をじっくりと見るのが久しぶりな気がした。昔は花や草に囲まれた生活だった。けれどこの街に来てからは、花よりも貴族を見ることの方が多い生活だ。
「ひとつもらえるかな?」
「はい! どうぞ」
「ちょっと待ってね」
制服のポケットから財布を取り出して、硬貨を払う。代わりに花をもらう。それと、ささやかな癒しも。良いお金の使い方ができた気がした。
と。時計塔の鐘が響いた。
一回、二回……。
そこでふと、メディから聞いた話を思い出した。あたりを探すが、導いてくれそうな鳥の姿はもちろんない。
三回、四回……。
「なにかお探しですか?」
女の子が言う。わたしは苦笑して、
「うん、喫茶店っていうお店をね、探してるの」
五回、六回……。
「喫茶店ならあっちの通りですよ?」
少女が平然と指をさすものだから、ついぽかんとしてしまう。
「知ってるの?」
「はい! お兄さんとも知り合いです! ご飯もとっても美味しいんですよ!」
どうやら喫茶店というところにはお兄さんがいて、ご飯も美味しいらしい。
「良ければ案内しましょうか?」
女の子が笑顔で言う。ふと、胸元を飾るブローチに目が留まった。それは鳥の意匠をしている。
「……お願い、できるかな」
不覚にも胸が高鳴る自分がいたことは否めなかった。
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