第一巻発売記念 WEB版限定特典 真ヒロイン編



「のうユウちゃんや」


 ゴル爺の呼びかけに、僕はチェスの盤面から顔をあげた。ゴル爺は頬杖をついて、窓の外を眺めている。

 つられるようにそちらを見ると、街には日暮れが近づいていた。太陽はほとんど姿を隠していて、波のように打ち寄せる赤い光が人通りを染めていた。


「思うんじゃが、最近、わしの影、薄くない?」

「いきなりどうしたんですか」

「いや、だってのう、昔はもっとほら、重要な役回りだったじゃろ? 実は秘めた力を持つ権力者みたいな風格あったじゃろ?」


 言われて、僕はぼんやりと思い出してみた。


「いや、そうでもなかったですよ」

「わしの扱いもひどくなってないかの」

「そんなまさか」


 あっはっは、なんて笑いながら、僕はルークを敵陣に食い込ませた。

 ふと考えてみると、こうしてゴル爺とチェスを打つのも、ずいぶんと久しぶりなように思えた。

 昔はそれこそ毎日のように、こうしていた。

 開店したばかりの喫茶店には、めったにお客さんなんて来なかった。

 朝から晩までゴル爺しかいない日もあったくらいだ。だから一日中ゴル爺とチェスをしたり、女とは……なんて、ゴル爺の講義に耳を傾けていた。

 そんな日は決まって、ゴル爺が帰る頃になって、「今日はわしの貸し切りじゃ」なんて言って金貨を置いて行くのだった。


「こうして毎日のようにチェスをしていた日が、ほんの少し前のように思えるのになあ。いろいろなことが変わったの」

「そうですねえ」


 ゴル爺が顎から伸びる髭を撫でている。


「この店にもちゃんと客が来るようになった。こうして貸し切りにできるのも、いつまでやら」

「言ってくれれば、いつでもしますよ」


 今さらお礼を言うのは気恥ずかしかった。けれど、ゴル爺は間違いなく、特別なお客さんなのだ。

 ゴル爺はひょっひょっと、いつものように奇怪な笑い声をあげた。


「言うてくれるの」


 ゴル爺は顔をくしゃくしゃにして、目を線のように細めて盤面を見ている。

 それから手を伸ばしてビショップを下げた。その手は予想していたので、僕はすぐさまナイトを進めた。


「ひょ……」


 とゴル爺は頭に手を当てた。


「ううむ。ユウちゃんのチェスの腕も上達しておるわい」

「そうでしょうそうでしょう」


 僕はドヤ顔を見せつけた。


「じゃがまだまだ若いのう」


 にやりと笑ったゴル爺は、僕の攻めをさておいて駒を進める。おや、と思ってよく見てみれば、僕の計画が崩れそうな不安を感じた。しばらく考え込んでみると、僕がゴル爺を詰ませるよりも先に、僕のキングが追い詰められることになりそうだった。一手だ。一手足りない。


「にゅっふっふ。これぞ年の功よ」

「むぐぐ」


 いらつくほどのにんまり顔で、ゴル爺が両手をひらひらさせてタコ踊りをしている。張り倒したい。

 ドアベルが鳴る。学院の授業が終わったのだろう。制服を着た女の子たちの集団が、店内をうかがうようにして顔をのぞかせていた。


「あ、すいません。今日は貸し切り――」

「やや! 可愛らしいお客さんたちじゃのう! さささ、汚いところじゃがまあ入りなさい。今日は良いゲラウルスの肉が入っておるぞ」


 なんで今日のうちの仕入れを知ってるんだよ。

 僕がジト目で見ていると、ゴル爺はぱちりとウインクをして見せた。


「この店はみんなで楽しむ方が良い。ひとり占めはできんわい」


 ……若い子と話したいだけじゃないのか?

 それでもついつい、笑ってしまう。この人は、ずっと変わらないのである。これまでも、それからきっと、これからも。



 おわり



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