第29話 ノルトリを追え!



 なんだか久しぶりの気もするが、きっと気のせいだろう。いつの日か忘れたけれど、三年くらいコップを磨いていたこともあったし、誤差の範囲だ。


 さて、最近の僕はよく市場に行く。と言っても、うちの店は基本的に朝から夜までやっているので、それほど入り浸っているというわけではない。


 朝起きてから開店するまでのちょっとした時間に、近くの露店を見るとか。休日に散歩がてら回るとか、それくらいのものだ。

 いつもは店の大掃除や材料の整理や手配、新メニューの考案に忙しいのだが、今日はそんな気分でもない。ぶらっと街を歩きたくなった。


 異世界というだけあって、市場に並ぶものはどれも物珍しい。ここでの生活に慣れたとは言っても、知らない物の方が圧倒的に多いのだ。

 よくわからない形の果物や野菜はいくらでもあるし、怪しげな格好をしたおじさんが売る怪しげな雰囲気の道具には好奇心が唆られる。


 立ち並ぶ屋台で、サイコロ状に切った芋を揚げたものに、果物のジャムを掛けたものを買った。


 ポテトにジャム? 合うのか……?

 という、敗北を覚悟しての衝動的購入だったけれど、これが驚いた。

 紫芋のような色合いのそれは、食べてみるとシャリシャリとした楽しい触感で、爽やかな甘味がある。

 それに、飲み込んだ後には口にスーッとしたメンソールのような爽快感が残るのだ。そのまま食べても良し、濃厚なジャムをつけても良し。


 これは……うちの店でも出したいな……。

 この芋、どこで買えるんだろう。なんて芋なんだ?


 くそう、知識がなさ過ぎてこういう時に不便だ。誰かに訊くべきだろうか。

 謎の芋スイーツを屋台で販売していた熊の人にどう訊くかを悩んでいると、遠目に見慣れた顔があった。


 おや、と思って目をこらすが、それはやはりノルトリだった。


 お下げにした雨色の髪を揺らし、猫背のまま、足をちょっと引きずるように気だるげに歩いている。

 人込みの中でふらふらと歩くその姿に、僕はわずかばかりの感動を覚えた。


「ノルトリ……外に出るんだ……」


 いや、うちの店に来たり、学院に通ったりしているのだから、当然のことだ。しかし、いつもカウンターでぐったりと突っ伏し、二度と立ち上がりたくはないという表情を見せるノルトリである。

 その彼女が、こうして街の営みの中に混じって道を歩いている姿は、不思議と感慨深い。


 人込みの中でノルトリの姿は見えたり隠れたりを繰り返している。

 僕は少し迷って、それからノルトリの跡を追った。


 どこかのタイミングで話しかけて、驚かせよう。ふふふ。

 しかし想定外だったのは、行き交う人たちの密度だった。


 成人男性よりは小柄な僕といえど、なかなか思うように前には進めないのだ。

 比べてノルトリは小柄で、いかにやる気がないと言えども猫の血を引く獣人である。のったりゆったりしながらもその動きは的確で、まさに人の波を縫うようにして歩いていくのだ。


 小さな体は、だんだんと遠くなっていく。もうだめか、というところで、ノルトリが立ち止っているのが見えた。


 どうやら道端の露店のひとつに興味を持ったらしい。

 じっと睨むような顔に、僕は思わず道沿いに身を寄せて、遠目に観察。


 何を見ているのだろう。あんな真剣に。


 さすがに露店に並べられたものまでは見ることができない。

 ノルトリはしばらくそこで立ち止まっていたが、なにを買うわけでもなく、また歩き始めた。


 僕は再びノルトリの跡を追う。


 なにか探しているのだろうか。ノルトリがあんなに真剣に悩むとは、一体なんだろう。それが気になってしまうと、もう止まらない。


 ノルトリは謎の多い子なのである。

 気になる。


 ……いや、しかし。

 10歳の女の子を尾行する男って、これ犯罪だよな?

 と、冷静に考える僕がいる。知り合いとはいえ、これはまずい。通報されたらどうしよう。


 歩きながらも悩んでいると、ふと視界の端に金色と銀色が見えた。


 ノルトリと僕の中間くらい。こそこそと建物の陰に隠れながら歩く二人組。

 僕は人込みをかき分けるようにして近づき、声をかけた。


「君たち、なにしてるの?」

「ひゃあ!?」

「――っ!」


 薄い金髪を右耳のあたりで結んだ女の子と、銀髪をお下げの三つ編みにしている女の子。

 以前、ノルトリにお弁当を作ってあげた時に出会った二人だ。


「ノルトリの友だちだよね?」


 二人は振り返って僕の顔を見上げた。銀髪の子は眠たげな目で、金髪の子は少し眉をひそめてから「ああっ」と声をあげた。


「あんたは! あの変な店の変な男!」

「シュイ、変な人に変な人って言っちゃだめだよ」

「いや、君も言ってるけどね」


 銀髪の子はきょとんと首を傾げた。


「あなた……だれ?」

「そこから!?」


 え、覚えてない?

 けっこう印象的な出来事だった気がするんですけど。


「ニニ、ほら、あれよ。ノルがジクのお弁当作ってきたことがあったでしょ?」

「……?」

「覚えてないの!? 美味しいって食べてたでしょ!?」

「あなた……だれ?」

「あたしも!? えっ、あ、あたしも!?」


 シュイと呼ばれた子がばたばたと慌てている。

 頭を抱えだしたシュイを傍目に、ニニは僕へと向き直り、ぺこりと頭を下げた。


「ユウちゃん、こんにちは」

「あれ、僕の名前知ってるの?」

「変なつるつる頭のおじいさんが呼んでた」


 ゴル爺か。


「それで、なにしてるの?」

「ノルちゃんをびこうしてる。珍しくお買い物するみたいだから」

「なんで尾行……? 一緒に行かないの?」

「断られた。だから気になって」


 なるほど。

 やはり友達からしても、ノルトリの今日の行動は珍しいらしい。


「だから、こうして立ち話なんてしてたら見失う。いこ?」

「え、あ、うん」


 ニニと呼ばれた子に手を引っ張られて歩き出す。

 なぜか流れで僕も行動を共にすることになってしまった。


「ええい、わかったわ! あたしのことを忘れたってかまわない! もう一度、友達になりましょ、ニニ! ……って、ちょっとどこ行くの!? 置いてかないでよ!?」


 シュイが駆け寄ってくる。僕の手を引くニニが、小さく笑った。



 /



 三人でノルトリを追う僕らの道は険しいものとなった。


「ノル、なにさがしてるのかしら。さっきから立ち止まってばっかり。お腹空いたわね」

「でもすごく真剣に探してるみたい。お腹空いた」

「ノルトリがこんなに出歩く姿を見れてちょっと感動してる。わかったよ、どれが食べたいんだ」


 手近な露店で食べ物やデザートを買わされる僕である。

 この街はいつでも祭りみたいに露店が出ているのだ。子どもからすれば楽園だろう。価格もお手頃だし、笑顔でお礼を言われるのは悪い気分ではない。


 ノルトリは歩き、足を止め、じっと商品を睨む。

 僕たちは歩き、足を止め、ノルトリを見つつ露店で買い食いをする。


「ねえ、あたし、飽きてきた。ノルに直接聞きましょうよ」

「だめ。飽きたなら帰るべき」

「ニニ、あたしに厳しくない!?」

「この任務に弱者は不要」

「うう……分かったわよ……」


 明白な力関係の分かる会話だった。

 二人ともが食べかけのクレープを持っているので、非常に和む光景だ。


 しかしシュイの言うこともよくわかる。ノルトリを見つけた時は朝と呼べる時間だったけれど、太陽はもう真上に昇っている。


 こんなにも長くノルトリは何を探しているのだろう。


 ますます興味が湧いてはくるのだが、さすがに疲れもたまってくる。人を尾行するというのがこんなにも大変なことだとは思わなかった。


 最初のうちはこそこそと隠れていたものの、今ではすっかり緊張感もなくなっている。

 シュイとニニは堂々と声を上げて会話しているし、僕も姿を隠すということもなくなっている。バレたらバレたでもういいかなという気持ちだ。


「あ」


 と、ニニが声をあげた。

 視線の先を見やると、ノルトリが露店で何かを購入したらしかった。

 ちょっと目を離した隙に……!


「あーっ! しまった! あたしを油断させたのね……っ!」

「そうだね、よしよし」


 ニニが表情を変えずにシュイの頭を撫でている。


「ちょ、ちょっと撫でないでよね! あたしの方がニニよりお姉さんなんだから!」

「うんうん、そうだね」

「もう! それより、いきましょ! なにを買ったのかノルに訊かなきゃ!」

「あ、ちょっと」


 僕が呼びかけた時には、二人は連れ立って走り出していた。

 せっかくここまで尾行してきたのに……とは思うが、そんな理屈は通じないのが子どもの良いところだろうか。


 いきなり現れた二人に驚き、なんやかんやと言い合う声がこっちにまで聞こえてくる。

 街を歩く人たちが「おや」と注目して、仲良しの三人組の姿に朗らかな笑みを浮かべて通り過ぎていく。


 シュイが僕に向かって、飛び跳ねながら両手をぶんぶんと振り回している。

 ノルトリは僕を見て、なぜか逃げ出そうとした。ニニがノルトリに抱き着くようにして引き留めている。


 なんとまあ、賑やかな休日になりそうだなと、僕も小走りで向かった。


 それから結局、僕たちは仲良く並んで歩きながら、露店でいろんなものを買い漁ったのだった。



 /



 次の日の夕方、ノルトリがのそのそとやってきた。

 そして僕の顔を見ないようにそっぽを向いて、「んっ」と拳を突き出してくる。


「ええと、くれるの?」

「……ん」


 僕の差し出した掌に、ノルトリが何かを押し付けるように渡してくれる。

 それは木彫りの、小さなマネークリップのような形をしている。

 どことなくやる気のない、だらりとくつろぐ猫のような生き物が丁寧に彫られて、色付けまでされている。


「これ、なんとなくノルトリに似てるよね?」

「……似てない……気のせい……」

「ありがとう、嬉しいよ」

「……ん」


 しゃがんで視線を合わせようとするが、ノルトリは唇を尖らせ、決して僕の方を見ようとはしない。

 けれど、その頬がうっすらと赤くなっているのが分かった。


「でも、どうして僕に?」


 誕生日でもないんだけどなあ。

 と、カウンターで頬杖をついてニヤニヤしていたゴル爺が、奇怪な笑い声をあげた。


「やれやれ、ユウちゃんは慣習に本当に無頓着じゃのう。今日は奉謝の日じゃぞ」

「なんですかそれ」

「つまりじゃな、日ごろから世話になっとる人に、小さな贈り物と一緒にありがとうやごめんなさいを伝える日じゃよ。ちなみに、ノルちゃんがくれたそれは、外套や服裾なんぞに付ける魔除けのお守りじゃ」


 ゴル爺の豆知識に、ほほう、と僕は頷いた。


 ノルトリは余計なことを教えやがってクソじじめという顔で睨んでいるが、やはり耳まで赤くなっているので、その迫力はほとんどない。ゴル爺がますますニヤニヤしただけだった。


 僕は立ち上がり、ノルトリからもらった魔除けのお守りを、腰に巻いたエプロンに差し込んだ。腰元で、どこかノルトリに似た猫のお守りがくつろいで見える。


「どう? 似合うかな?」

「……ん。似合う」


 僕の腰につけたお守りを確認して、ノルトリがこくりと頷いた。


「ありがとう。大事にするよ」


 笑顔で伝えると、ノルトリは耳と尻尾をびびびっと震わせ、それから僕のお腹をばすばすと殴った。


「はっはっは、効かないなあ」

「うーっ……!」


 ばすばすばすばすばす!


「はっはっは、けっこう痛いぞー?」

「ユウちゃん、ほれ、わしへの贈り物はないんかの? 結構、お世話しとるじゃろ?」

「聞こえませんね」


 ばすばすばすばすばすばすばすばす!


 照れ隠しの攻撃を受け止めるのも、立派な喫茶店のマスターの仕事である。

 いてててて。




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