第26話 野望への挑戦:クエスト編



 慣れというのは不思議なもので、初めて取り組んだ時には大変であったものを、いつの間にかなんてことのない日常のひとつにしてしまう。何もかもが分からない新鮮な気持ちだったのに、慣れてしまえば他と変わりのないものに思えてしまう。


 人間というのは慣れてしまう生き物で、それが良い方向にも、悪い方向にも影響を与えている。

 悪い影響として代表的なものに、日々のマンネリ化というやつがある。


 慣れた生活は、体力的にも精神的にも負担が少ない。最適化されていると言ってもいい。苦労が少ないから、その生活を続けてしまう。すると、苦労を乗り越えるための努力や、失敗による経験なんてものが得られなくなる。日々は安定するかもしれないけれど、新しい世界へ踏み出すこともできなくなるのだ。


 だからこそ、たまには新しいことへ挑戦するべきではないだろうか。

 経験したことのないものを経験し、見たことのないものを見る。その刺激が人生を豊かなものにしてくれるはずだ。


 最近の僕はずっと店にこもりきりで、やって来てくれるようになったお客さんたちをもてなす日々だった。非常にありがたい日常だ。けれど、そこで満足してしまっては、僕も、僕の店の成長も止まってしまうことになる。僕は常に新しいステージへ進んでいく男でいたいのである。


 だから、ある日の夜、僕はずっと前から考えていたことを実行に移すことを決意した。


 そうだ、ギルドへ行こう。



 φ



 僕の住む城塞都市アルベルタは、巨大な地下迷宮を囲むようにして作られている。多くの冒険者が迷宮へ挑み、貴重な魔物の素材や、迷宮内にだけ存在する植物やら香辛料なんかを持ち帰って生活の糧としている。

 そんな冒険者たちをまとめる存在が、ゲームや漫画でお馴染みのギルドという組織だ。


 実は今まで、僕はギルドに足を踏み入れたことがない。単純に用がなかったということもあるし、実は怖かったのだ。冒険者といえば、巨体に厳めしいおじさんのイメージだ。酒を飲み飯を食らい、争いと血に飢えながら日々を過ごす。そんな人たちが集まるギルドとは、危険地帯のど真ん中みたいなものに違いないと思っていた。


 朝になって、ギルドの前にやって来た僕は、深く息を吐く。

 4階建てほどの高さはあるだろう。かなり大きいし、人の出入りも激しい。しかし、思っていたよりも明るい雰囲気だ。子連れのおばちゃんや制服姿のカップル、小人族の一団などもいて、どうやら僕のイメージは偏りすぎていたらしい。安心。


 軽くなった足取りで、僕はギルドの中へ足を踏み入れた。

 途端、肌で感じられるほど賑やかな声の奔流に、僕はそこで呆然と立ち尽くした。

 信じられない光景だった。


 吹き抜けのショッピングモール、というのが第一印象だ。

 入ってすぐに円形のホールがあり、そこを中心として左右対称形となっている。ホールも、二階も三階も、見渡せる限りに何百人とも言える人たちが行き交っていながら、息苦しさも狭苦しさも感じさせないほど広い。


 鎧をまとったドワーフや、オークのような巨体の剣士、弓を抱えたエルフ、虎そのままの顔をした偉丈夫。あちこちのファンタジー世界の住人を引っ張ってきたかのような光景。一度にここまで揃っていると、壮観としか言えない。


 僕はぽかんと口をあけたまま、しばらく見入っていた。


 おかしいな。想像していたのと違う。荒くれ者たちで殺伐としたギルドはどこへ行ったのだろう。入った途端にガンをつけられて、難癖をつけられたりする場所だと思っていたんだけど。


 気を取り直して、ホールの中央に進む。


 ギルド内は白を基調とした内装だし、天窓から採り入れられた陽光で心が和むほど明るい雰囲気だ。壁際には観葉植物が並び、どこもかしこも汚れなく清潔だった。


 円形のカウンターがあり、10人近い受付の人たちが訪問客の対応をしている。総合案内所のような役割らしい。


「すいません」

「はい、どうなされました?」


 銀髪の青年に声をかける。


「クエストの依頼をしたいんですけど」



 φ



 ファンタジーと言えばギルド。ギルドと言えば冒険者。冒険者と言えば、そう、クエストだ。

 町の人々から集まった依頼を達成し、お金やアイテムを手に入れるこのシステム。


 僕も一度は利用してみたいと思っていたのだ。

 もちろん、冒険者としてではなく、クエストを依頼する側として、である。


 初めてギルドに赴き、クエストを依頼するという大仕事を果たした僕は、店に帰ってきてゆっくりしている。大きな達成感が身を浸していて、とてもいい気分だった。


 ちょうど店にやってきたリナリアに自慢気に話してみると、「今時、ギルドなんて10歳児でも利用してるわよ」なんて苦笑された。しかし、僕の気分は全く変わらなかった。僕にとって、ギルドでクエストを依頼するという行為がいかに夢に溢れているか、この世界の住人には誰もわからないに違いないのだ。


「で、何を依頼してきたのよ」


 リナリアがにやにやして僕に言う。


「コーヒーの試飲さ」

「試飲?」


 首を傾げるリナリア。肩からさらりと流れ落ちる紅髪に、僕は思わずため息をつく。くっ、この美少女が! 美少女というだけでどんな行動も絵になるのだからすごいもんである。


 抽出の終わったコーヒーをカップに移して、僕はまず香りを確かめた。


「なんでこの世界ではこんなにコーヒーが嫌われているのか。それを確かめる必要があると思うんだ」

「この世界?」

「言い間違えた。そこは聞き流して。えーと、そう。僕としてはコーヒーの魅力をもっと多くの人に知ってほしいのだけど、とにかくコーヒーは嫌われている。それはなぜか!」

「不味いからでしょ」


 一言で言い切られてしまった。

 もちろん僕は無視をする。


「最近になってようやく、コーヒーを好んでくれる人も増えてきたけれど、その数はまだまだ少ない。もっと多くの人にコーヒーを美味しく飲んでもらうために、まずはどんなコーヒーが好まれるかを調べてみようと思ったんだ」

「どんなコーヒーでも一緒だと思うけど」

「ああ?」

「ごめんなさい何でもないです」


 美少女でも許されないものはあるのだ。

 僕は何も聞かなかったことにして、用意したカップに注いだコーヒーを一口飲む。ううむ、苦味は薄く、酸味が強い。浅煎りのお手本のような味わいだ。


 この日のために、僕は何種類かのコーヒーを用意していた。それぞれを飲み比べてもらい、どれが美味しいか、あるいは美味しくないか、その意見をもらおうと思っていたのだ。


「わざわざクエストで頼むほどなの……?」


 飽きれた視線を感じるが、僕はちっとも気にしない。

 しいて言うなら、本当に誰か来てくれるかが不安だった。お手軽なアルバイトみたいなものだし、受付の人もすぐに見つかるでしょうとは言ってくれてたんだけど。


 それから30分もした頃、ついに最初の一人がやってきた。


「すいませんにゃ、クエストの依頼で来たにゃ」


 黄色い猫耳が特徴的なお姉さんだ。ロングスカートと、鮮やかに染色されたポンチョ。冒険者ではなく、普通の街の住人のようだった。


 それでも僕にとって初のクエストということもあって、喜び勇んで席に案内した。


「初めまして、よく来てくれました。僕はユウといいます、よろしくお願いしますね!」

「に、にゃ? 初めましてにゃ。うちはココットというにゃ。コーヒーの試飲と聞いたにゃ」


 やや戸惑った様子のココットさんにかまわず、僕は5種類ほどのコーヒーをすぐさま準備する。


「これを飲んで、ひとつずつ味の意見を聞かせて欲しいんです」

「うちは味覚が鋭いというわけでもにゃいんだけど、大丈夫かにゃ……?」

「問題ありません、思った通りの意見を聞かせてください」


 わくわくしながら促す。ココットさんはまず、一番右のカップに手を伸ばした。


 そ、それはザッカ村から取り寄せてもらった豆をベースに、リンド地方産のやや苦味の強い豆をブレンドしたもの……口に含んだ瞬間は苦味が強いけれど、喉を通ると同時に鼻に抜ける風味の強さが特徴的な僕の自信作……!


「苦いにゃ」


 一言!?


 それから水を一口。

 そしてその隣のカップへ手を伸ばす。


 そ、それはランバール商会から仕入れたばかりの深煎り豆をベースに、サンバラギア村でごく少量しか生産されていない酸味の強い豆をブレンドし、リンド地方産の豆を浅煎りにして少量だけ混ぜることで、すっきりとした飲み心地ながらコクの旨みが舌に残る僕の自信作……!


 ココットさんは一口飲むと同時に顔をしかめ、しばらく考えていた。


「苦いにゃ」


 一言!?


 それから水を一口。 

 そしてその隣のカップへ手を伸ばす。


 そ、それは一年中を雪に覆われた山でわずかな集落を築いているチャンフォルティウム族が先祖代々の秘薬として栽培している幻の豆をベースに、一年中太陽の光が絶えることのない光の村ゼルゼウストで栽培され、常にぬくもりを放つという性質を持ったもはや豆というか不可思議アイテムをブレンドし、さらに収穫してから66日間を聖域の奥地に存在する魔力泉の中に沈めることで豆に潜む悪しき魔力と苦味を抜き出したことで純粋な風味と甘味だけを残したとされるフォルフォディア豆を加えることで口の中で限りなく広がる風味を生み出した僕の自信作……!


 ココットさんは一口飲むと同時に顔をしかめ、しばらく考えていた。


「苦いにゃ」


 一言!?


 それから水を一口。

 そしてその隣のカップへ手を伸ばす。


 そ、それは特に何も考えずに普段通りに淹れたいつもの豆のいつものコーヒーでコクも酸味も平均的な僕の自信作!


 ココットさんは一口飲むと同時に顔をしかめ、しばらく考えていた。


「苦いにゃ」


 一言!?


 それから水を一口。 

 そしてその隣のカップへ手を伸ばす。


 そ、それはコーヒーに見せかけて実はただの僕の自信作のココア!


「!」


 そこで初めて。ココットさんは驚きの顔をした。


「甘くておいしいにゃ!」


 ……。


「ユウ? もしもーし。おーい」


 リナリアの声が、遠く聞こえた。



 φ



「苦いです」

「苦いぜこれ」

「苦いわ」

「うーん、苦いな」

「これは苦すぎますわ」

「ぽぽぽぽ、ぽぽ」

「人の飲み物じゃないよ」

「う、吐き気が……」

「エレガントで香り良し、後味が清々しくフルーティーな味わいね」

「うーん、匂いだけなら」

「めっちゃうまいよ! え? コーヒーじゃない? これはココア?」


 それから、やってきた人々の意見をまとめた僕は、椅子に座り込んで、天井を眺めていた。


 どうやら、この世界にとってのコーヒーの存在を、甘く見ていたらしい。ミルクや砂糖を入れた状態ならまだしも、ブラックのコーヒーから旨みを感じられる人は、限りなく少ないようだった。


 そうか、通りでコーヒーの売り上げがひどいわけだよ。よくよく考えたら、コーヒーの売り上げはアルベルさんとファルーバさんで大半を占めてたよ……。


 おいリナリアやめろ、そんな慈悲深い顔で僕の背中をぽんぽんするな。


 ちょっと泣けてきそうだけれど、僕の戦いはこれからだ。

 現実を知れて良かったと思おう。

 この喫茶店にくるお客さんに慣れてしまっていたんだ。新しい挑戦をして、新しい世界を知ることができた。僕は成長するチャンスをもらえたんだ。


 ギルドでクエスト依頼……まさか、こんなに奥深いものだとは思わなかった。


 また挑もうと思う。今度は、もっと良いコーヒーを用意して。


 僕の戦いはこれからだ――!





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