第7話 錨星が初雪を連れてくる


十一月に入ったある朝 吐く息が白くなる

今日は ぼくの誕生日 そして日曜日


玻璃の音*書房で ミルクティーを飲んでいたら

クウヘンさんが ぼく宛の手紙を持って来た


封筒には「15才になったフウチに」と書かれている

差出人は、ぼくの父


クウヘンさんが 預かっていた手紙

15になったら渡してほしいと頼まれていたと

今まで隠していて悪かったと 謝るんだ


呆然として、手が震える

これが書かれてから 2年の月日が流れたことになる

最初から、やはりぼくを置いて旅立った事実に

今更ながら 苦い思いを噛み砕く


素直になんて喜べなくて

寧ろ裏切られたような、恨めしいような気持ちで溢れ返る

クウヘンさんが悪いわけじゃないのに

目の前の人を責めてしまいそうになるから

ぼくは黙って 書房から家に帰った



握りしめてくしゃくしゃになった手紙を 庭に放り投げ

ぼくはしばらく ベッドに潜り込んだ

眠れなくても目を閉じて 世界を見ないようにする


こんなものいらないよ 

雨でも降って、インクが全部消えてしまうといい


そう思ってたのに

いつのまにか その手紙は机の上に置かれていた

きっとコリスが心配して拾ってくれたんだろうな

きれいに広げてくれてある ありがとう


しばらく膝を抱えて、封筒を開けてみる

久しぶりに見る 紛れもない父の文字

ぼくはようやく 父からの手紙を読みはじめた


 許してくれとは言わない

 まさか自分が傷ついたことを

 そのまま息子にすることになるとは

 お前と同じ年頃の私は思いもしなかったからだ


 どれだけ我が父を恨んだろう

 あの日外国に出かけて行方がわからなくなった父を

 事件に巻き込まれたのかわからぬまま消息不明の時期が続き

 何年も経ってわかったのは

 別の国で暮らし画家として生きていた父の姿


 家族の心配などよそに、何も変わらぬような顔をして私を見た

 いつまでも許せずにわだかまったままのあの父に

 再び会いに行く日が来ようとは想像もできなかった

 しかもお前に何も告げずに、置いていくことを詫びたい


父は祖父に会いに行ったんだ

わかったのはそれだけで、そこに理由は書かれていなかった

そして、この先のことは何一つ 



ぼくは 訣別を強いられている 

いや、元から知っていたことに期限が訪れただけだ


大人の勝手な想いで、ぼくの人生は左右される

父が同じ思いをしてもなお、ぼくをこんな目に遭わせるのは何故だ


それは、ぼくにとって必要なことだから?

であるならば、ぼくに選択肢などあるのだろうか


人は、おおまかに言って、二つの道を選択する

ずっとそんな気はしていた

陽のあたる道を歩く人

或いは 反対方向に向かう人


太陽が背に当たる あたたかいここちよさ

でも、ぼくはわかっている それではだめなんだ

自ら、暗く陽も当たらず、どこに辿り着くかわからない

果てしない道を歩まなければ、何も掴めやしない


もっと言うなら、わざわざその道を選ぶべくして生まれた

自分で選んだようで、もう決まっていて、そして異論すらないのだ


それでも

生まれてきたことを少し呪ってしまうくらい、いいじゃないか

選ぶと分かっていて、ぼくは後戻りすらできない



ぼくは、森の奥へ奥へと向かっていく

思いの丈を思う存分 空に向けて叫びながら歩く


住んでいる動物たちに迷惑をかけて、心の中で謝りながら

それでも止められずに、この街に この森に向かって泣き叫ぶ


なぜ、ぼくは一人ぼっちになった

なぜ、ぼくは 決意する必要があるんだ

なぜ なぜ なぜだ



切り株の上に座って ぼくはひとしきり泣き続けた


ふと上から呼ばれたような気がして

ぽっかりと円く繰りぬかれた空に向かって手を伸ばしたら


雲のセーターの端をひっぱってしまったみたいで

するするとほどけて、ぼくの腕に巻きつく

その白い毛糸は、際限なく 糸車の仕事のように永遠に

美しい蜘蛛の巣に引っかかって 身動きができないように


ああ まだ ぼくは 存在している


父はよく暖炉のそばでチェロを弾いていた

画家の道を選び、音楽家にはならなくとも

時折奏でるその音楽も、想いをこめて弾く 宙を飛ぶメロディ

ゴーシュと違って 才能もあった父が選んだ道は いばらのようで


だから、本当はわかっている

ぼくを母から引き離してまで 一人にした意味を



気がつけば日も傾きかけ、一番星が見えてきた


今年もまもなく 初雪が降る

星空が冴えわたると ここはもう冬支度だ 

錨星いかりぼし 碇星いかりぼし 

カシオペア座のW形の五星を見たてた 和名の星たち


ひとひらの雪

がんじがらめのレース編みの結晶

ここにいる ぼくのてのひらに届く贈り物

冬が来る


暖炉のそばを通ると、ふと鳴りはしないかと思うチェロ

君も置いてきぼりだね 弦も使い物にならないだろう

そこに降り積もった 雪に似た埃をすっとなぞり

ぼくも習っておけばよかったなどと 昔を思い起こす 


そうだね

もう 随分と時が経ったんだ


ぼくは また一つ おとなになった






*今日の1本 映画『こうのとり、たちずさんで』

 テオ・アンゲロプロス監督の「国境三部作」の第2作目

 選ぶとは何だろう 何十年も考えても結論が出ないことを

 瞬時で答えを出さなければいけなくなる瞬間が来る





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