第2話 ミルと月兎


縁側に座って、夏の名残の空を見ていた

隣には柚子さんがいて 両手でカップを包みこんでいる

中に月が入り込んだような ミルクティ

月はつめたそうだけど、あなたの手の中のそれは温かい


月の色は秋の気配

そのやわらかい白さはもう、夏のものじゃなくなって

秋にそっと手渡された感触


さっき

夢だったのか、月うさぎが遊びに来た気がして

ぼくは『ミルと月兎』という

少年の日に書いた あの物語を思い出す


たまご色の下地に浮かぶ 白いシルエットのうさぎ

ミルという名の少年が、その月のうさぎと交信する話

兎という漢字を 幾度も練習して、タイトルを月に上乗せた


父さんは うさぎの絵を

ハンカチくらいのキャンバスに描いてくれて

母さんは うさぎのぬいぐるみを

片手に載るサイズに作ってくれた

物語通りに タータンチェックのコートを着た兎


うさぎは → 兎になると、少し襟を立てて 耳もぴんとする

今でも ぼくの机の棚には 絵とぬいぐるみと物語が

何も変わらぬように ぽつんと所在なくいる

いつでも動き出せるのに、まだその時じゃないと言い張るんだ


ぼくは、ミル、そのものだった



玻璃の音*書房のカフェで いつしか眠ってしまった時の

夢は淡くて、寝ぼけて 檸檬と月を 心の中で混同する

あなたへの気持ちも その中にきっと混ざっている

檸檬 → 月 → 柚子さん ただ → が繋ぐ 思考回路


柚子さんが なつかしそうに 遠くを見つめる

あれは 玻璃の音*書房 はじまって以来の事件だったね

嬉しくて 浮足立ってしまった あの日


カフェカウンターに 檸檬が9個 並べられる

初日に9冊も売れたんだ、ということに心底驚く

本日の聖歌、いや、成果

時折きまぐれな人が手にするくらいの ぼくの詩集が

何故か同じ日に 9人に引き取られていった


ぼくの本が売れると、柚子さんは代わりに檸檬を置く

いつのまにか決まりごとになった その意味を考える

ぼくよりも百倍嬉しそうな あなたの笑顔


ごろごろ檸檬と戯れるコリスが

いよいよその上で玉乗りをしようと狙っている

それを見たいような気も一瞬するけど

あわててひょいっと 首根っこをつかまえてしまった


また君は、転がってけがをするでしょ

あぶないから おとなしくしていなさい


コリスは ちょっぴり口を尖らしたけど

柚子さんに 檸檬ソーダを作ってもらって

小さなストローで吸っては 顔をきゅっとさせて

きっとね、もう忘れちゃってる

ソーダの泡がぷちぷちはじけて、まつげのまばたき


泡々した水の中のような夕方

お客さんのオーダーが ぼくらを現実に呼び戻す


クウヘンさんが 茹でたポテトに振る

黒胡椒のミルの音

そこから先に響くのは

コーヒーミルのガリガリする音


玻璃の音*書房は、こんな音を立てはじめて

もうどのくらい経ったのですか



ミル、月を見る 見られる 見つめる

エミルのミル 少女だったミル

いつしかエミルと見上げる、夜空の月


夜が更けてから、今夜も月を見る

ぼくは 『クラフティ・クララベル』の庭にいる

隣には カイルとノエルが座って 絵本を読んでいる


少し離れて エミルがいる

彼女は、月の灯りで梨の皮をくるくるとむく 

その横顔に半透明な光が当たって、そこだけ浮いているんだ


あれ、何だろう

森の奥に 光のスポットができている

新しい何かが 誕生したのだろうか

それとも 月のロケットが不時着したのかな

森のどうぶつたちの焚火だろうか


カイルがノエルを肩車して 見える?と聞く

お兄ちゃん、もっと高くって 甘えている

急に眠くなってしまった幼い妹を カイルが寝かしつけに行く


ノエルとエミルが交代して

隣でミル人が 君であることは

いつしか ぼくにとって 特別だと気づく

はちみつの香りのする 君の頬


揺れるススキに頬を撫でられ シャクシャク齧る梨の音

果汁が口いっぱいに広がっていく

甘く 淡く 儚く 空気中の秋に漂う 揺らぐ瞳


大切な誰かといることに 今夜も感謝して

ぼくは もう一度

右隣を ミル

 






*今日の1冊 『月に吠える』 萩原朔太郎著

 中でも特にすきなのは揺蕩うような「およぐひと」

「およぐひとのたましひは水のうへの月をみる」 揺れている





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