秋のものがたり

第1章 ふと右隣を見る

第1話 花片を受け止める


秋は金木犀の香りではじまる

暦ではなく 記憶の中の引き出しを開け放すと


去年 ぎゅっと 濃密な甘さを握りしめて眠った香りが

今年 ゆっくり てのひらの上で自然解凍され

秋の風に乗って 何処までも さらさら立ち昇っていく


ところどころに繰り出す オレンジの水たまり

道に落ちている 小さな橙色の花を浮かべた水標みずしるべ

水滴が一粒 ぽたりとはねて 光の波紋が広がっていく

甘ったるさと共に 



ね、知ってる? 銀木犀もあるらしいの

金と銀ってメダルみたいね 銅木犀もあるかしら

隣りを歩いていたエミルが、ふとぼくに聞く


夏が終わって、都会の製菓学校に帰ったエミルだが

週末ごとにお店の手伝いに帰って来ていた


今日は ちいさな子たちのお誕生会があって

『クラフティ・クララベル』からの贈り物を届ける

そんな彼女を手伝った帰り道の夕方


両手に宝物のように箱を抱えた あの子の笑顔

無花果やクルミが入った、秋の庭のようなケーキは

きっと招待されたみんなを しあわせに包むこむよ



エミル、カイル、ノエル 姉兄妹のきょうだい

ぼくのお隣さんたち

カイルとノエルは 今日は お見舞いに行っている


銀木犀はもっと香りが強いんですって

ママが教えてくれたの でも見たことはないわ

写真で見たら、銀というより白みたいだった

最後の言葉は、なぜか小声になって消えていく


『クラフティ・クララベル』が この玻璃の森に移転してきたのは

三人のママが ここで療養しているからだ


週末は彼らはいつも 庭の花を抱えて ママのお見舞いに出かける

彼らのおじいちゃん(ぼくの本を買ってくれた人)の家で

静養していたが、時折深刻な状態になり、入退院を繰り返しているんだ


ぼくに三人を慰める言葉なんてなくて

ただできるだけ近くにいられたら

そして他愛ないことを言っては、君の笑顔を引き出したい


金木犀って、金星と木星を合わせたみたいだね

そんなことを言って、たくさんその色や形を想像してみよう



一片の花からは、あの香りはしない

何処から、集まったら、強い匂いを放つのだろう

近くで感じるより 遠くから漂ってくる方がわかる不思議


落ちてしまった花を見ると、ぼくは少し哀しくなる

できることならずっと この場所に立ったまま

両手を広げて 一花も逃さずにキャッチしたいんだ


そのシーンに呼応する エミルの声

そうね、この時期は 夜も寝ずに番をするの


いいね、ぼくも釣り人のように、時間を待てる人になってみたい

わかさぎ釣りたちが開けた氷の穴の隣に、金木犀がやってきて

そっと置いたバスケットに 勝手にオレンジ色が 集まっていくんだ


君なら ふぅわりとスカートを広げて

すべての花を受け止めるにちがいない


おしろい花のパラシュートのように地上に舞い降りて

その帆を広げ、余すところなく掬いあげるような仕草で


あざやかなオレンジ色

陽だまりが似合う君にお似合いの 光る風花





*今日の1冊 「路上の宝石」 松山猛著

 ポストカードサイズの写真の頁と、右隣に自筆で書かれた言葉

 作詞家の彼がライカでキリトル、街の景色の欠片

 彼にとっての「路上の宝石」とは雨の模様だったろうか




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