第9話 パリンと割れた玻璃
ぼく宛の小包の中に、不思議なものが入っていた
ラピスラズリのように鮮やかな 青色の植物
「タビビトノキの種」というメモ書き
オクラのような鞘の中に、光る青い鉱物めいたものが並んでいる
およそ自然には似つかわしくない 着色したような派手な色
植物図鑑によると「旅人の木」は 葉に水を貯えているため
熱帯で 渇いた旅人が喉を潤す 救いの木
クジャクの羽のように広がって育つ
作り物めいて ふざけているような気すらする姿
別名「扇芭蕉」天狗の
極楽蝶花の親戚らしい ああ、わかる
赤の極楽、青の旅人木、いや、花は白か
エリマキキツネザルが 送粉者として有名だとか
庭に植えるには抵抗のある姿に、呆気にとられる
贈り物の主は、ずっと両親だと思っていたけど
もしかしたら、別の人間かもしれない
新巻鮭、箱いっぱいの林檎、そしてタビビトの木の種
何かの暗号のように ただの気紛れみたいに
少しふざけた 愉快犯の仕業にも思える
それとも、父が悪戯に 絵具代わりに送っているのだろうか
赤や、青や、自分の中の色彩の印象が深くなっていく
*
失踪した者を追いかける
喪失したものを探す
それについて 原稿用紙3枚で答えよ
自分に課してみた課題だけど
まったく筆が進まない そこにはまだ「無」しかない
クウヘンさんは、手紙のことをずっと黙っていて
本当に辛かっただろうな
いくら大人でも、平気な振りをしているのは
彼が話してくれた 柚子さんとの会話
フウチにとって何がいいか 二人で考えたこと
知ってて知らぬ振りをして 行方を一緒に探して
ずっと あの子に黙っているのは必要なことだろうか、と
でも、私たちに答えなんて見つかりはしない
俺たちが結婚した時、柚子に
フウチの家族との不思議な13才の差の話をしたんだ
そうしたら柚子が
じゃあ、もうそれは 私たちの代で断ち切りましょう
どう考えても 孤独の連鎖はいらないもの
そんな運命だとしたら 逆らいたいじゃない
その辛さをいちばん知ってる あなたと私で終わらせましょう
さみしい人がふえるなんて、やりきれないでしょ
私たちのこどもは フウチがサーティーンを通過してから
柚子さんはきっぱりと そう言ったんだって
さみしさが人を成長させる 尖る そんな勝手な思惑
確かにフウチの書くものには 前より凄みが出たかもしれない
でもやっぱり、こんな思いをさせるのは違うと思うの
フウチのお母さんのこと、私は許せないと思ってしまう
どうして置いて行ってしまったのかって
自分を重ねているのかもしれないけれど
柚子は 震災孤児だ
生まれてすぐの震災で両親を亡くているから、記憶にない
だから人一倍 親子の情に期待するところがある
俺の母のことも 自分のこと以上に憤っていて
いつも誰かのことを 心配している
*
ぼくの下のサーティーンはいない
いつかぼくも その子の兄のようになるかもしれないと思っていた
今のぼくは願う 迷信のようなものであっても
もう、ひとりぼっちの運命を その子に強いたくはない
ぼくの恋心を知らない柚子さんが
屈託なく笑いかけてくる時に 近づきすぎてしまう距離が
ぼくを途方もなくさせていた
わずかな欠片すら そんな対象にならない
いつまでも滑稽な ぼくの気持ち
そばにいられたら それだけでいいと思っていた
でも、何気ない毎日は 当たり前にそこにあるわけではなく
果てしない夢のように 一瞬で消えてもおかしくない
大切な日常は 硝子のように繊細だ
ここまで来るのに 何度も床に落としそうになって
目を閉じると 砕け散った玻璃の音が ぼくには聴こえていた
柚子さんあなたの、クウヘンさんの
生きてきた道は何度も壊されて、そのたびに涙に暮れてきたはずだ
激しく砕けて、修復できない程に粉々になってきたんでしょう
だから、あなたたちは 相手にやさしい
ぼくの心の中で砕けるその音は、今は決して悲壮な音ではない
春になって氷が薄くなって、パリンと立てた軽々とした音のように
いずれ温かさで溶けていく まっすぐ前を見つめていく
*
あなたはいつも ぼくのことを心配してそばにいてくれた
それは、恋ではなくても 小さな愛にちがいはなくて
ぼくは いつも守られていた
その柚子さんが今日、ぼくに打ち明けてくれた
二人に赤ちゃんができたことを
今のぼくなら 全身で受け入れられる 大丈夫だから
心から祝福したい あなたのことを
あなたたちのことを
ぼくにできることを いつか返せるようになりたい
生まれてくるその子にも、ぼくは恩返しがしたい
心からのおめでとうを 伝えます
*今日の1冊 『旅人の木』 辻仁成著
デパートの屋上にある「天国の楽園」という名の園芸店にいた
9つ上の失踪した兄を 捜し歩く弟
*今日の1曲 『Azul』 天野清継
ゆったり流れる青く静かな世界
原曲はボロディンのオペラ「イーゴリ公」より「
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