第5話 世界で1冊の小さな本


ぼくは忙しい日々を送っていた

もうすぐやってくる日に贈る ちいさな本を創っているから


今年で3回目のプレゼント それには


ちいさなリスがころんで 水たまりに

ちゃぷんと入ってしまって 泳げてしまった話や


青い檸檬を 青蜜柑とまちがえて

がぶりと噛んだら 果汁が目に入って泣いた話や


林の中を思い切り走ったら、枝にぶつかって

跳ね返されて 一気にスタート地点に戻された話など


他愛もない話を たくさん詰め込んで

あまいキャンディーを配達するような気分で書いている


でもよく考えたら、今年は失敗の話ばかり



ぼくは 森の奥の製本工房を訪ねる

ここはコリスの髭の兄さん、ルリユール三世が

新しい本を作ったり、古い本の修復をしている仕事場


ぼくの本はいつも三世に頼んで 仕上げてもらっている

ある時は 活版印刷の技術を使いこなし

またある時は 紙を漉くところから手を懸ける


コリスが「玻璃の音*書房」の一角に

「こりす書房」を出店してるけど あれは

コリスが三世のとこで修行して作った ミニチュアの本たち



今、ぼくが工房の片隅で 毎日創っているのは

たった一人への贈り物


ざらざらした珈琲色の紙に 書きためた物語を綴る

父から譲り受けた 紺色のインクのペンを走らせて


君は 大人びた文字を書くのね

あなたが言った そのぼくの字で


丈夫な麻紐を往復させて本をかがる

浅葱色のテープで背を止める

表紙を張り合わせ、蝋で封印する

世界でたった1冊しかない、小さな本だ



ぼくの本を読んだ人は、よくこう訊ねた

君が書くことは、どれくらいほんとのこと?って

ぼくは1割くらいが事実で、9割が空想かなと答えた


実際にはわからない

時にすべてが本当であって

すべてが幻想のような 気がしてしまうから

思ってることすべてが、まるで現実のような


それにね、そんなこと どうでもいいことなんだよ


最後に ぼくは詩を書いた その一節


   あなたに出会う前にも

   ぼくは存在していたはずでした


   あなたに出会ってしまってからは

   もうあなたがいない世界は存在しない


   元の居場所を思い出せなくなった

   ぼくはもう帰ることができない


孤独と 向き合うのが怖くて

ぼくは 旅立ちの時を 少しずつあとに延ばしている






*今日の仕事 ルリユール reliure

 フランス語で「本を綴じ合わせる技術」の意味

 昔の本を復元して蘇らせたり、このみの装飾を施す装丁の本を創り出す





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