第5話 世界で1冊の小さな本
ぼくは忙しい日々を送っていた
もうすぐやってくる日に贈る ちいさな本を創っているから
今年で3回目のプレゼント それには
ちいさなリスがころんで 水たまりに
ちゃぷんと入ってしまって 泳げてしまった話や
青い檸檬を 青蜜柑とまちがえて
がぶりと噛んだら 果汁が目に入って泣いた話や
林の中を思い切り走ったら、枝にぶつかって
跳ね返されて 一気にスタート地点に戻された話など
他愛もない話を たくさん詰め込んで
あまいキャンディーを配達するような気分で書いている
でもよく考えたら、今年は失敗の話ばかり
*
ぼくは 森の奥の製本工房を訪ねる
ここはコリスの髭の兄さん、ルリユール三世が
新しい本を作ったり、古い本の修復をしている仕事場
ぼくの本はいつも三世に頼んで 仕上げてもらっている
ある時は 活版印刷の技術を使いこなし
またある時は 紙を漉くところから手を懸ける
コリスが「玻璃の音*書房」の一角に
「こりす書房」を出店してるけど あれは
コリスが三世のとこで修行して作った ミニチュアの本たち
*
今、ぼくが工房の片隅で 毎日創っているのは
たった一人への贈り物
ざらざらした珈琲色の紙に 書きためた物語を綴る
父から譲り受けた 紺色のインクのペンを走らせて
君は 大人びた文字を書くのね
あなたが言った そのぼくの字で
丈夫な麻紐を往復させて本をかがる
浅葱色のテープで背を止める
表紙を張り合わせ、蝋で封印する
世界でたった1冊しかない、小さな本だ
*
ぼくの本を読んだ人は、よくこう訊ねた
君が書くことは、どれくらいほんとのこと?って
ぼくは1割くらいが事実で、9割が空想かなと答えた
実際にはわからない
時にすべてが本当であって
すべてが幻想のような 気がしてしまうから
思ってることすべてが、まるで現実のような
それにね、そんなこと どうでもいいことなんだよ
最後に ぼくは詩を書いた その一節
あなたに出会う前にも
ぼくは存在していたはずでした
あなたに出会ってしまってからは
もうあなたがいない世界は存在しない
元の居場所を思い出せなくなった
ぼくはもう帰ることができない
孤独と 向き合うのが怖くて
ぼくは 旅立ちの時を 少しずつあとに延ばしている
*今日の仕事 ルリユール reliure
フランス語で「本を綴じ合わせる技術」の意味
昔の本を復元して蘇らせたり、このみの装飾を施す装丁の本を創り出す
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