第2話 林檎の花の匂い


新学期がはじまっていた

ぼくは相変わらず 文字を読むのがすきだった


化学の教科書でさえ 気に入った言葉の断片をみつけると

それを自分の中で変化させて使ってみる

世界地図の地名を 宙に放って再構築してみる そんな日々


教室の窓の外で 桜の花びらが散る

午后の風にのって、かすかに柚子さんの笑い声の気配

そうだ ぼくは風の音を聴くことができる

きっと今頃 あの場所にいるんだ



いつもの帰り道

玻璃の音*書房によると 貼り紙がしてあった


「臨時休業」

その下に 小さな紙片が貼ってあって

「フウチ 春の場所に来て」とぼくへの伝言


林檎の花が咲きはじめたのだ

柚子さんは 自分が生まれた土地には咲かない

林檎の花がことにお気に入りで

桜の時も喜んでいるけど

林檎の花の時はそわそわして、ほとんどお店にいられない


今日はとうとうクウヘンさんにも伝染したらしく

書房を休業して、あの森に行っているんだな



そこに行くまでの道すがら 森の音に耳を澄ませる

春は生きている命がさざめいて、少し騒がしいくらい


林檎の蕾が開きかけていた

三分咲きくらい まだほんのはじまりで

蕾の時は淡いピンク色

咲くと ふちにその色を少し残す 白い花

やわらかい香りがする 淡い時がふわりと揺れる


そんな木の下で、二人とコリスは

ピクニックを楽しんでいた



あ、おかえり

柚子さんが 桃色のワインで ちょっと頬をそめて言った

この人そのものが まるで花のよう


おいしそうなメニュウが並んでいた


  アスパラや春の野菜の入ったサーモンパテ

  ミモザとアンチョビのサラダ

  クリームチーズとキュウリのサンドイッチ


朝からささやく歌声と共に作られた

グリーンとイエローのハーモニーに 薄桃色の影も挿して

口ずさむ 林檎にささげるメロディ


ミモザって、ほんもののお花入れてる訳じゃないのよ

これはね、ゆでたまごの黄身を集めてるの

柚子さんは毎年 それをぼくに言っている気がする 何回目かな



今、書房の大きな窓の前の ミモザの大きな木には

溢れんばかりの優しい黄色が咲いて、ゆさゆさと揺さぶられてる


コリスが登って、ちょこちょこ駆け回ると

しっぽとミモザが交互に窓に映りこみ

まるでこどもの追いかけっこ


柚子さんなら、本当の花を散らすくらいしそうだけど

あれは、たべても大丈夫な花だったろうか


コリスが今は、ミモザの代わりに

クウヘンさんの肩に飛び乗ったり、背中で伸びをしたりしてる


いてて、ほら、落ち着けよって

それはコリスへの言葉? それとも柚子さんに?


パーコレーターで入れてくれる、いつもの珈琲

ぼくは去年よりミルクの配合が少なくなった



未成年、ちょっと舐めてみる?

と、柚子さんがいたずらにさし出したワイングラス


ぼくは こういう仕草にどぎまぎしてしまう

少しは大人になれたはずなのに





 

*今日の1冊 「赤毛のアンの手作り絵本 I」


 林檎の花といえば、だいすきな「赤毛のアン」が真っ先に浮かびます

 アンがマシューに連れられて馬車で通った 林檎の花の満開の下

 「アンの手作り絵本」は計3冊 1巻は少女編

 松浦英亜樹氏のすてきな絵で描かれている 私の宝物の本


 アンといえば、私が思い描くのは このロマンチックなアンなのです

 高校の時、図書館でみつけていつも眺めていた

 図書委員に呆れられるほど、何度借りたことでしょう

 今は手元にあって いつでも開けるしあわせ






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