第35話 春の音と花束


ぼくは氷の上で あお向けになって目を閉じた


春の足音が 何処からか聞こえてくる

ピシリ ピシリと 

ひび割れるような 小さな音がやってくる


凍えるばかりだった 大切な冬の日々を

一瞬で記憶から消してしまえと

氷の上を撫でるように やさしく春風が吹きぬける


もうすぐ汽車は 出発の時刻を迎える

小さな荷物を持った 粉雪さんと砂糖さんは 

駅でみんなに見送られ、別れを惜しんでいるはず


ぼくは 行けなかった


みんなの前で 泣きじゃくるこどものようになったら

そんな自分を晒す勇気なんて さらさらなくて

でも 涙も見せずに 君を見送ることも きっとできないから


ぼくはまだ 莫迦なただの少年です


朝早く、ふきのとうを花束にして 空色のリボンでくるんで

玄関先に 手紙と一緒にそっと残してきたんだ

君が拾い上げて 抱きしめてくれる姿を 思い浮かべるよ


粉雪さん いとしい 砂糖菓子のような 少女





氷のつめたさが ぼくの背中を浸食していく

もうつめたさはわからずに 麻痺してくる冬の想い出

だんだんと 感覚を失いかけて ずっとこのままでいいような


ちらちらと 春の雪が舞ってきた

ああ、これは あの結晶たちが降らせているんだね


ぼくは 別れの言葉をつぶやいてみた

自分の声じゃないような 心の奥底の声が雪片に乗る

君に届け あの列車をどこまでも追いかけて


流れてくる涙は そのままに

ぼくを がんじがらめにした 涙の糸が何万本も

氷って凍り付いて もう二度と立ち上がれないように

縛りつけていってくれても構わない


このまま氷が割れて、ぼくをのみ込むのなら

そのまま従ってもいいと思っていた

あの時誘いにきた氷の女神になら、喜んで従うよ





ずしりと 大きな音がした


ぐいっと腕を引っぱられて、ぼくは抱き起こされた


クウヘンさんだった


  これ、粉雪ちゃんから フウチに


そう言って、小さな手紙を ぼくに手渡した


  いつまでも こどもだと思っていたら

  いつのまにかおまえも 大人になっていくんだな


クウヘンさんは笑いながら、ぼくの頭をこつんと叩いた

そして大きな黒いコートで ぼくの冷え切った体をくるんでくれた


  柚子が心配している、帰ろう


  いいんだよ、フウチはフウチのままで

  心のまま いつまでもおまえのままでいれば


  いつか少年は 自然に旅立つものなんだ

  世界は、願うようにも願わないようにも変わるから



ぼくは時々、思うことがあるんだ

ぼくが柚子さんを好きなのは

或いは この人が選んできた人だから、なのかもしれない


クウヘンさんは、ぼくの肩に 心配そうなコリスをのせた

めずらしくコリスは 首の周りを何度もぐるぐるまきついて

あったかいしっぽで ぼくの顔をぱたぱたとくすぐった


いつか 変わっていく世界

ぼくのきもちも 自然に 変化していくのだろうか


かつて少年であったクウヘンさんに聞いてみたかったけど

ぼくは自分のきもちを、今はまだ 心の奥底に閉じこめて

鍵をかける決心をしていたんだ


帰りたいから 柚子さんのもとに


ぼくの心は ぼくだけのもので ぼくが責任をもつもの



            *



風は もう春を きちんと連れてきていて

これから咲く花々の耳元に その訪れを ささやいていた


あの人の 笑顔のもとに帰りたい 帰るんだ


もうずっと 静かな湖に ひとりぼっちのはずなのに

ぼくには 待っていてくれる人たちがいる





 

* 今日の1冊 「雪の女王」ハンス・クリスチャン・アンデルセン著

  

  おそらく絶版の、ラース・ボーの絵の「雪の女王」

  ラース・ボーは、アンデルセンと同じ デンマークの画家


  悪魔の発明した 鏡の破片が目に入ったために心が乱れ

  妖しくも美しい雪の女王に連れ去られた 少年カイ

  少女ゲルダは、一途な愛の力でカイを救いに行きます

  こどもの時 読んだ記憶が甦ります




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