3 誕生日(26)
新学期が始まった。
すぐに行われた教師の離任式で、宇田川先生は遠くの小学校に異動になったと発表されたが、もっともその場に本人はいなかった。
絶対に壊れない人間なんて……いない。どんなに強い人でも。
里のことで、私も壊れる可能性だってあった。
だから──
教師という仕事を続けるのなら、今度こそ過去の失敗と向き合って欲しいと思う。他人のせいにして生き続けるのは、楽な方に逃げたようで、実は自分を苦しめているだけだから。
「私が不幸なのは、あいつのせいだ。私は悪くない」
毎日、毎日、そう言い聞かせて、なのにいつまでたっても不安は消えなくて、安らぐことがない。地獄だ。
弱い自分も、自分である以上、逃げることなど誰にもかなわない。
向き合った方が楽になることに、いつか気づくといいと……願っている。
私は、五年二組になった。
「ふん、せいせいするわね」
と、環は憎まれ口を叩いていた。
そして、担任は――阿尊くんだった。
「俺は、本当は嫌だったんだ。お前らを一緒にしとくと、どうもよからぬことが起こりそうで……。でも、いろいろ兼ね合いがあって仕方なかった」
そう言う銀ちゃんは、本当に嫌そうだった。
阿尊くんの授業は、型に囚われないというか、フレックスというか……いい加減というか。生徒次第で、いかようにも変化した。きちんとした宇田川先生とは対照的だった。
でもそれはそれで、生徒が授業を作っているような感覚で、楽しめていいと思う。
四月になったので、ペナルティはようやく解けた。息抜きの解禁だ。
聴きに行ったのは、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第二番」。少し前にフィギュアスケートで使われ、注目されたものだ。
銀ちゃんは、やっぱり寝ていた。
私にすれば、何で眠くなるのか全く分からない。
ある日。ふとしたきっかけから誕生日の話題になった。
アシュリーとリュカは八月、結は十月。私が五月で一番早かった。
「来月、お祝いしようよ」
「いや、いいよ! そんなの!」
それをされても複雑だ。ホントは、二十六歳になるんだから。
結にどれだけ言われても断った。
「こうしないか。お金を使わない贈り物を渡す。自分が持ってるものとか、家にあるもので何か作るとか。リュカも参加したがるだろうから、四人の間で」
「あ、それならいいかも」
「うん、いいね!」
アシュリーの提案に、私も結も賛成した。
そして、五月の誕生日。
アシュリーがくれたのは、お母さん仕込みのベイクドチーズケーキだった。すごく美味しそうで、家に帰って食べるのが楽しみだ。
リュカからは自分で描いた絵本ということだけど、包装紙で厳重に包まれていた。中身はひとりのときに見て欲しいとかで、アシュリーも知らなかった。
「あ、私は……家に忘れてきちゃって。明日、持ってくる」
結は言った。
その帰り道。
「寧。実は、プレゼント持ってきてるんだ。これ、私が持ってたものなんだけど……開けてみて」
ポケットの中から何かを取り出す。
「え? うん。ありがとう」
何で、忘れたなんて言ったんだろう。
首を傾げながら、渡された小さな布の袋を開けて、手の平に取り出した。
「これ……」
それは、石だった。
私の勾玉とよく似た、深い青。
「寧が初めて千草小に来た日、寧の瞳が、薄っすらと青っぽく見えたの。一瞬で、見間違いかと思った。でもそれからも、たまになんだけどそう見えて、それで少し前、三月くらいから、見えるときは、はっきりと色が分かるようになって…………この石が、すごく似てるんだ」
私は絶句した。
どういうことだ……? 何で、結がこの色を……
どうして、私の目が青く見えるんだ――――
「あっ、ごめん、変なこと言って! たまに見えるだけだから! みんなに確かめたことはないけど、何かそう見えてるのは私だけみたいだし、気にしないで! ただ、きれいだなと思っただけだから……。あのっ、気に入らなかったら、別のにするから……」
結が慌てて、そして自信なさ気に言った。
私が黙りこくって、固まっていたから。
「ううん! きれいな石だね! これがいい、ありがとう! 嬉しいよ!」
「本当? よかったぁ」
安堵の笑顔を見せた。
「うん」
一体、何が見えているんだ。
結は里の人間でもないし、それ以前に、そもそも目が青いと言われたことはなかった。
正体がバレている訳じゃないみたいだし、でもじゃあ、何で…………
私は正直なところ、パニックだった。
「おばば……これ、どういうことだろう」
家に帰って、呆然としたまま十岐に聞いた。
もしも結がこれからもっと、私が普通の人間ではないことに気づいていくとしたら、私は……結と距離を置かなくてはならないのか……?
そんなことになったら――
「ああ、よかったな。いい子と巡り会えて」
さらっと言った。笑顔で。
「…………今、何と……?」
「いい子と巡り会ったと言ったのさ」
「……ええと…………もう一回」
「しつこいね! 何度も言わすんじゃないよ!」
どういうこと……?
「もう関わらないようにしないといけないとか、転校しなくちゃならないとか、そんなんじゃなくて?」
「何でそんな必要があるんだい。あの子は、お前にとって貴重な存在だよ。信頼できる優れた性質を持ち、そうさな、ピアノほどにお前との相性もいい。何千万人にひとり、いるかいないかの確立だ。そういう人間は、あまねの持つ色を見ることができるんだよ。お前は濃く深い青。これはお前の色で、勾玉はそれを受けて青に染まっているのさ。わしの色は、ほれ、これだ」
いつの間にか十岐の手の平には、小さな石が乗っていた。
初めて見る十岐の勾玉。
それは、目の覚めるような青空の色だった。
「関東のあまねは代々、青の系統だ。土地によって違うんだよ」
私は、青空の勾玉をを見ながら十岐に聞く。
「じゃあ、私……結といて、いいの?」
「いた方がいい、だよ」
私が得た友は、実はこの上もなく、かけがえのないものだった。
この日、誕生日だからといって、何か特別なことをした訳ではなかった。
ただ、豚汁が出た。この家に来て、初めて食べた味。
今の生活は、この豚汁から始まった。
何も変わらず、具も味噌も全部美味しくて、あのときを思い出す。
初夏の気持ちいい風が吹いていて、
今夜の少し冷たい風は、中から温められて火照った体を、心地よく撫でていく。
あのときは出会えるとも思っていなかった大事な友達、アシュリーが作ったチーズケーキも、ぎっしり詰まって濃厚で、とても美味しかった。
十岐も食べ、妖怪たちも我先にと賞味する。残りのひとつが誰のものかで争っていたとき、銀ちゃんが現れて、さっさと食べてしまった。
妖怪たちにもみくちゃにされた銀ちゃんが持ってきたのは、私が欲しかった分厚い宇宙の本だった。以前、口にしたのを覚えていてくれたのだ。
そんなつもりで言ったんじゃなかったので、恐縮して受け取ると「もっと可愛げのあるものを欲しがれ」と言われた。
十兵衛ちゃんとはらだしが、やんやと銀ちゃんに酒を注ぐ。
サトリは気に食わなさそうで、青行燈は我関せず。
赤鬼は大盃と一升瓶を持って、多分ご満悦。
十岐はいつものように、泰然自若。
開いている窓から入ってきたビーが朧の背に乗り、寝ているのかと思っていた朧が、ちらりと目を開けてまた閉じた。
もうビーが入ってきても、私は止めない。
見慣れた食卓、賑やかないつもの光景。
一年前には、思いもしなかった日々。
今、私は満たされている。
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