2 応急処置

「寝ている間は潜在意識が強くなる。お前の頭が、勝手に探しているんだよ」

「潜在意識……」


 早朝のまだ薄暗い居間で、十岐と二人、話していた。

 妖怪たちは大酒を飲んで、あちこちに転がっていびきを掻いている。


「一度、誰かと繋がったことで、脳がその感覚を覚えたのさ。無意識のうちに、また繋がろうとしているんだ。ラジオの周波数を合わせようと、ダイヤルを回し続けているようなものだな。洞穴の中の光は、お前がよく知る者。外は知らない者たち。知らないところには、今のお前では決して繋がることはできない。そして察するに、よく知る者たちでも、危険に直面しているときくらいなんだろう」


 十岐はお茶をすすった。

 私の手には「落ち着け」と渡された、ホットミルク。


「阿尊くんが、ピンチだったから?」

「まあ、そういうことだ」

「……阿尊くんって、今までにこんなこと、何回もあった?」

「ああ、そうだね。あの先生は特異だ。難儀な星の下に生まれたものさ」


 十岐をして難儀と言わせるなんて、よっぽどなんだろう。

 私の能力が、いつか阿尊くんの助けになれるだろうか。


「銀ちゃんも、いつも助けてる?」

「厄介なときはね」


 あの様子だ。相当な数の「厄介なとき」があったはず。

 でも。


「あのさ、警察官と顔馴染みみたいだったけど、銀ちゃんって警察に関わるの避けてたんじゃないの? 私のときは――」


 自殺に巻き込まれそうになったとき、通報はしても、そのままその場をあとにした。


「お前のためだ。あまねが厄介事に巻き込まれないようにするのも、げきだんの役目だからね。あやつが面倒だと思っていたというのも、事実だが。ついでに言っておくと、その後のあの男の動向も、銀治はちゃんと探っておった。害がないかどうかをな」

「そう……だったんだ」


 そんなことも知らずに私は……


「分からなくても仕方がないがね。あやつらは、そういう訓練を受けておるからな」


 もし、銀ちゃんにピンチのときが来ても、私はちゃんと「見る」ことができるだろうか。

 役に、立ちたい。


 ……が、しかし。


「あの、私のこれ、さ。その……ピンチのときだけ頭が反応するってことは、できないのかな。いや、あの吐き気に悩まされるのも……春休みのうちはまだいいとしても、学校が始まったら、ちょっときついっていうか」


 もっとこう、効率よくというか……都合よくというか。


「それは、お前が自分でやるしかないだろ。わしが、どうこうできるもんじゃないよ」


 …………やっぱり。世の中、そんなに甘くない。


「まあ方法は、ないでもない。寧、宗矩むねのりの寺へ行って座禅をしてきな」

むねじいの寺? 禅宗だったんだ」

「そうさ」

「あ、なるほど! 自分をコントロールするために、精神を鍛えるんだね。分かった、行ってくる」


 そんなんで治るなら、お安い御用だ。それに、座禅は一度やってみたかった。

 私にしては珍しく、ちょっと嬉しくなって、朝からさっさと出かけた。


 森の裏手にあるというその寺は、すぐに見つかった。

「ああ、お寺だ」というような、何の変哲もない寺だ。


「宗じいー。あのー、いますかー」


 おずおずと、門の外から呼んでみる。

 返事はない。

 息子さんたちも一緒に住んでいるはずだし、今はまだ朝の七時半だ。何も考えずに来てしまったけど、改めた方がいいかもしれない。


「何じゃ! 寧か! 寺に来るなんて、珍しいのう!」


 しかし引き返そうとしたとき、朝の静けさを破る大声が響き渡った。

 門の向こうから、石畳を歩いてくる、パンチパーマ。


「出た」

「あ? 何か言ったか?」

「ああ、いや! おはよう。ちょっと、あの……座禅をさせて欲しいなー、と思――」

「おお! いいぞ! いいに決まっとるじゃろ! さあ来い、こっちじゃ!」


 理由も何も聞かず、というか聞く時間も無駄というように、宗じいは嬉々として私を招き入れた。


 そこは、板の間のだだっ広い部屋だった。本当に何にもない、道場みたいな部屋。障子が開けられ庭が見えているので、余計に広く感じる。

 その一隅を示された。


「しゃんと座って、心静かにしておれ。足は結跏趺坐けっかふざじゃ。胡坐のようにして、足を腿の上に。そうじゃ。手は法界定印ほっかいじょういん。右手と左手を重ねて、親指は手の平に空洞を作って、指先を合わせる。そうじゃ。目は瞑るな、ちょっと伏せて下を見ておけ。お前が乱れたら、わしがこれで後ろからちょんちょんとするから、肩を空けろ。気を入れてやるぞ」


 パンパンっ!

 宗じいは、平べったい棒のようなものを、手に打ち付けて鳴らした。

 ……痛そう。


「よし、始め」


 心を静かに、余計なことを考えないように……って、これが実は相当、難しい。

 つい数時間前に「見た」ことを考えて体が揺らぎ、肩を叩かれる。

 春休み中に何とかなるかなと不安になると、微かな身じろぎでまた叩かれる。

 なるほど体は、心に合わせて動くものらしい。


 しかし、肩がジンジンしてきた頃、少しずつではあるが、やり方が分かってきた。

 自分が座禅をしている姿に集中して、他には何もないと思うようにする。

 感覚が変わり、気持ちよくなっていく――――――


――――――歩いている。薄暗い洞穴。

 小さな光。つかめない。

 光が、ゆっくりと回りだす。ゆっくり、ゆっくりと――――――


 パンっ!


「いっ!」


 思いっきり肩を打たれ、我に返った。

 何だ、今のは? また、夢?

 肩が熱い。

 でも、起こしてくれて助かった。

 作法に従い、合掌して礼をする。

 今度こそ集中して――


 そうやって何度も夢に陥り、その度に宗じいの入魂で、何度も叩き起こされた。

 痛かった。




「何か、余計に夢を見たんだけど。どうやってもダメで……。これでホントに、治せるのかな」


 家に帰ってから、愚痴った。


「それでいいのさ。誰が治ると言った」

「へ?」


 え……だって、方法があるって言ったのは十岐で……


「ちょっと座禅をしたくらいで、どうにかなる訳がないだろう。わしは、やたらめったら繋がろうとするお前の脳の潜在的な欲求を、散らす方法を言ったまでだ。意識をわざと空にして、夢として現れる欲求を引き出す。何度かそうやってやれば、しばらくの間は欲求が弱くなる。恐らく、夜に見ることもないだろう。当分はゆっくり眠れるはずだよ」

「それだけ? 何だ……」


 拍子抜けというか、がっかりしてしまった。


「それだけとは何だ。気持ち悪くならないだけでも、ありがたいと思いな。これからは、定期的に宗矩のところに行くんだね」


 確かに、ありがたいけど……


「何度も座禅をやったら、コントロールできるようになれるかな」

「できなくもないだろうが、難しいだろうね、お前の力量では」


 今度は心底、落胆した。

 でも、ともあれ私は、宗じいのところに行くことで、安眠を手に入れることはできるようになった。週に一回は通うことになりそうだ。

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