19 うつつ見

 日曜日。

 日中もあまり熱が引かなかった。

 昨夜、雪に濡れたことが響いている。

 頭も体も痛いし、食欲もない。ベッドから動けず、しかしちゃんと眠ることもできなかった。


「なあ、寧ー。今日はもう、やめるだろ? 行かないよな?」


 いつの間にか、側にサトリが立っていた。

 頭を動かすのも億劫だ。

 何、どこに……?


「だから、何とかっていう子どもの家だよ。もう、いいだろ?」


 ああ……行く。


「何で、そこまでするんだよ。あんなの、どうだっていいじゃないかよ。俺はもう行かないぞ! 知らないぞ!」


 言い置いて、部屋を出て行った。


 今日は、サトリ抜きか……

 まあ、いい。きっと誰も来ない。もう、分かっている。


 サトリの問いが、耳に残った。

 何で、そこまでって…………

 それは……だから、けじめを……


 朦朧とする頭に、なぜかマラソンのときのことが浮かぶ。

 追い込まれるほど、体がきつくなるほど、意地でも勝つと思った意志の記憶。

 ああ、そうか……今回も、熱を出してから、つらくなるほど、どんどん意地に………… 

 待て。

 私は、こんな性格だったのか……? これじゃ、本当の子どもよりも、もっと単純バカ――


「ゴ、ゴホっ! ゴホっ!」


 自分の考えで、むせた。


 でも、いや、違う。

 そうじゃない。バカは認めるけど、違う。

 遠回りに見えて、これが一番の近道なんだ。

 私が通っていることを、白石さんは漏らさなかった。

 そのことが、私に確信させた。待っているんだと。

 だから、一日だって空ける訳にはいかない。空ければ間違いなく、彼女の気持ちは大きく後退してしまう。

 これが、理由だ。

 私にできる唯一の、最善で最短の策だ。


 思い出した。

 これ以上は考えなくていい。

 もういい。疲れた。頭が、体が、重い、痛い。

 なのにまだ、脳はさらに答えを求めて動き続ける。

 私の奥へと、分け入っていく。


 早くしないと。

 時間がかかり対処が遅れれば、責任を問う声が、いずれ上がる。

 声は大きくなり、落とし所が必要になってしまう。

 過去の重荷。

 背中と胸の、傷。

 その上にまた私が、居場所を奪うなんて――――たとえ銀ちゃんが許しても、私には耐えられない。


 高熱に浮かされた脳が、考えることさえ無意識に避けていた痛みをえぐったとき、突然、白昼夢に襲われた――――――


――――――必死で、訴えている。

 でも宥められ、拒否され、聞き入れてもらえない。

 泣いてる。

 あの子、泣いてる。

 相手は――――――


――――――っ! はぁっ、はぁっ、何……今の……」


 妙に生々しく、現実感があった。

 見え……た……?

 バカな。まさか、そんなこと……

 目眩と混乱の中で、否定して、否定して。

 それでも、感覚が伝えてくる。

 今、起こっていることだと。


「行かなきゃ……」


 ベッドから這いずり出て床に転がり、力尽きた。




――――――下を覗いている。

 誰もいない空き地。

 待っている。待っててくれている――――――


――――――夜になっていた。

 私は、ベッドに寝かされている。

 夢を見ていた……?

 時計を見る。

 夜の八時。

 夢じゃ……ない。

 ふらつく体で、階下に向かった。


「サトリ……」


 ふいっと、そっぽを向かれた。

 他を見渡す。

 本当は赤鬼がいいけど、目立ちすぎる。


「はらだし……。連れて行って……くれない……?」

「あたしは、力がないんですよぉ」


 はらだしは、困った顔になった。

 十兵衛ちゃん……も、無理だろう。次へ視線を移す。


「青行燈……」

「何故、我が小娘など運ばねばならぬ」


 目も合わせない。


「お願い……。そうだ、将棋……今度、覚えて……相手する、から……」


 しばらく黙っていたあと、私を背中に担いだ。


「弱ければ話にならぬぞ」

「ありがと……」


 白い影は、夜の街を音もなく疾走した。


「し……白石……さん! ごめ……遅れて……」


 ガラっと窓が開く。


「何して…………何? どっか、具合悪いの……?」


 私はフェンスにしがみつき、ひざまずいていた。

 青行燈は、どこかの闇に紛れているだろう。


「大丈夫……。あの……待っててくれて……ありがとう」

「私は、待ってなんて――」

「あの……ね……分かってるから……。だから……大丈夫だよ」

「な、何言って……」


 白石さんは、うろたえた。


「私も……一緒に言うよ。きっと、みんな……分かってくれる……。だから……あとのことは心配……ない。勇気……出して」

「!」


 表情はよく見えなかったけれど、私が何を言っているのか、伝わったことが分かった。

 これ以上は、限界だった。


「じゃあ……待ってる、から……」


 何とか立ち上がって、歩いた。

 暗がりで、青行燈が私を背中に乗せる。

 意識を失った。

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