8 お呼ばれ -関門

三雲みくも寧さんです」

「新年のご挨拶申し上げます。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 雰囲気に呑まれ、小学生は言わないような、格式ばった言葉が口をついた。

 玄関はやたらと広く、正面に活けられた花もえらく大きくて豪華だったし、入っていっても高そうな壷があったり、欄間に凝った透かし彫りがしてあったり。外に負けず家の中も立派で、とにかく恐縮した。

 結、いいとこの子だったか……


 通された部屋には年配の男女が一組と、さらに年配の男女が一組いた。


「まあ、何てしっかりしたお嬢さん」

「本当に。ごめんなさいね、急にお呼び立てして。孫が、あんまり嬉しそうにあなたのことを話すものだから、私がけしかけたのよ。気を悪くしないで頂戴ね」

「あ、いえ……そんな」


 祖父母と曾祖父母……かな? 祖母が言って、曾祖母が続けた――と、思ったけど、曾祖母が「孫」って言った? あれ、ひ孫じゃなくて?


「あのね、私だけ遅くに生まれたの。上のお兄さんとお姉さんとは、十五歳以上離れてるんだ。それで……あの、お母さんと、おばあちゃんです」


 私の戸惑いを見抜いたのか、結が説明した。


 ああ、そうなのか。それで、歳がちょっと……いや、結構……。兄姉が十五歳離れてると言うことは、私と同年代ってことか? 結と接しやすいのは、そういう理由もあるのかな。

 などという考えが瞬間的に巡ったけど、失礼がないように顔には出さない努力をした。


「それでこっちが、お父さんと、おじいちゃん」

「結と仲良くしてくれてるそうで、ありがとうね」

「今日はゆっくりしていきなさい」

「あ、いえ、こちらこそ……はい、ありがとうございます」


 みんな、私の妄想に反して優しそうだった。

 よかった……

 と思った直後、四対一で質問攻めに遭った。


「何でもよくできるそうだけど、何が一番得意?」

「ピアノはどんな曲を弾くの? 他の楽器は?」

「将来の夢はあるかい? 音楽家?」

「踊りはする?」

「動物が寄ってくるのは、心が通じ合ってるから?」

「植物はお好き? お花は?」

「結のどこを気に入ってくれたのかしら?」

「おばあ様はどんなお方?」

「食べ物の好き嫌いは? 苦いものでも大丈夫かな?」


 などなどなど。

 中でも一番の関心は、合唱祭のこと。そこで結と仲良くなったこともあって、それはもう根掘り葉掘りだった。

 私が追い込まれていたことを知っているのかと焦ったけど、結はそれを望まない私の気持ちをちゃんと理解していた。練習の末に上達しすぎてクラス全員を驚かせた、と話してくれていたらしく、私はそれを膨らませて笑い話にした。

 まあとにかく、結の一族は大変に好奇心旺盛な家系のようだ。思ったより気さくでよかった。

 三時間ぶっ通しは、きつかったが。


 そろそろお茶にしようと言われて、お茶ならもう頂いているのにと首を傾げる。

 しかし、緑茶ではなかった。抹茶の茶の湯。茶道だ。


「あの、私、作法なんて分かりません」

「気にしなくていいんだよ。せっかくお正月に着物で来ていただいて、風情があるのにもったいないと思ってね。今日は気楽にしてください」


 おじいさんが言った。

 しかし、次々と用意された茶道具は、どれも本格的なものだった。とても「気楽に」なんて思える代物じゃない。

 緊張してきた。


 すると今度は、お母さんが大きなものを抱えてきた。

 包んでいた絹をめくって出てきたのは、琴。


「せっかくのお正月ですものね。私も、おもてなしさせていただこうと思って」

「じゃあ、私は踊りを披露しようかしらね」


 おばあさんも立ち上がる。


 これは、何? どうなってる?

 思わず結を見た。


「あのね、おじいちゃんはお茶、おばあちゃんは日本舞踊とお華、お母さんはお琴の師範なの」

「え……」


 えええええっ! 何それ……伝統芸能一家ですか!?

 お茶、琴、日舞……ああ、するとつまり、玄関のとても立派な花と、この部屋に活けてあるあの優美な花は、おばあさんの作……


「あ、お父さんだけは何もないけど、でも目利きで、書画とか器とか、いいものはすぐ分かるんだって。おじいちゃんの茶器は、お父さんが選んだものなの」

「あ……そう……」


 何だかもう、分からなくなってきた。凝縮された日本が、こんなに詰まった家庭ってあるんだろうか。

 それからの一時間、慣れないものに囲まれた私は、ずっと溺れそうになっていた。

 日本人だって、いや、日本人だからこそ、伝統と格式ある日本文化には、尻込みするものなのだ。

 私だけじゃない。

 ない、はずだ。

 ……きっと。




「一番上のお兄さんは独身で家にいるけど、お姉さんは結婚して、今はイタリアに住んでるの」

「へえー、そうなんだ」


 やっと解放されて、二階の結の部屋に二人でいた。予想を裏切り板間にベッドで、そこに座って、正座で疲れた足を伸ばしている。


「お兄さんはクラシックやジャズ、お姉さんはモダンバレエをやってたんだ。あ、プロじゃないよ。お兄さんは会社員だし、今日も働いてる」


 今日はもう五日だから、働いている人は多いだろう。


「それで音楽に詳しいんだ」

「うん。クラシックもチェスも、お兄さんに教えてもらったの」


 そうか。小学生離れした音楽の知識と、アシュリーに勝ったチェスの腕の出どころは、そこか。

 ちょっと納得。


「本当はね、おじいちゃんたちは、上の二人に教えたかったんだけど、二人とも、こんな家だから余計に日本らしくない方に行っちゃって……。それで、私が教わることになったんだ」

「え? 何を?」

「あの……全部」

「…………全部!? って、お茶とお華と琴と、踊りも!?」

「うん……」


 結は、困ったように笑っていた。


 何という英才教育! 結は見た目だけじゃなく、中身からしてザ・ジャパニーズだったのだ。ある意味、最強の日本人。

 一体、将来どんな人間になるんだろう。ミスコンに出たりしたら、総なめなんじゃないだろうか。国際社会において、この見た目で、自国の伝統的な文化をそんなにも身につけておくということは、圧倒的な強み――


「やっぱり、おかしいよね」


 何も言わないままの私に、結は下を向いた。


「いや! おかしくない!」


 普通じゃないけど、おかしくなんかない。

 ただ、スゴ過ぎるだけだ。


「本当……?」

「うん。これからも続けて。結はきっと、素敵な女性になるよ」

「寧……ありがとう」


 キラキラと、結の笑顔が眩しかった。何もかもがまだこれからの、まっさらな少女の笑顔が。

 本当だね、阿尊くん。子どもって、きれいだね――


「あの……また、来てくれる?」

「うん! う? ……う、うん……あは、は」


 きっとまた、緊張する羽目になるんだろうな。

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