9 動き出す

 冬休みも終わり、三学期が始まった。

 これといって問題もなく、一週間が過ぎている。

 変わった出来事と言えば、さらに雪深くなった山の中で、意味もなく朧が駆けずり回ったり埋もれたりするようになったこと。


「毎年のことさ。もともと白いもんだから、兄弟の中でも浮いていたんだ。だから、自分と同じ色の中だと嬉しいんだよ。潜れるほど深く積もったあとに、ああやってひと通りはしゃぐと安心するようだね」

「そうなんだ」

「ああ。それに今はもう、仲間が一匹もいない。その隙間も埋めているんだろう」

「……そっか」


 一匹狼という言葉があるけれど、狼は本来、群れで生きる。

 稀に群れから外れてしまった狼が「一匹狼」の語源なのであって、つまりはそれが普通じゃない状態だから、言葉としてピックアップされたというか……


「朧も寂しいんだね」


 ラストウルフの胸の内を、少しだけ知った。


「今だけだ。普段は、自分が狼であることも忘れかけてるよ」

「あ……そう」


 そういう、常識を超えてあっけらかんとしたところは、まさに妖怪だと思った。

 まあ、ずっと寂しさを抱えてると思うよりは、よっぽどいい。


「朧の話なんかいいだろ! お腹空いたぞ」

「そうだよ、早くしとくれよ」


 台所で夕食の準備をしながら十岐と話していたら、妖怪たちが痺れを切らした。


「うるさいね。居候はもうちょっと謙虚にしな」

「あのさ、おばば。今日も里に行ったんだよね。何しに行ったの?」


 妖怪たちを無視して聞いた。夕食が遅くなったのは、すぐ帰ると言って出て行った十岐を待っていたからだ。

 すぐ、ではなかった。


「何でもないよ。様子見だ」

「でも、この間、行ったばかりだし――」

「お前は余計なことを考えず、もっと自分の周りのことに目を配りな。油断していると、足元をすくわれるよ」

「油断? 何のこと?」


 分からなかった。

 でも、詳しく聞く気は、本当はなかった。どうせ教えてはくれないのだし、探しても問題など今はない。


 今日のメニューは、カキ鍋にカキフライにカキご飯と、カキづくし。

 ブリブリの大きなカキフライを、カキの出汁でしっかり味のついたご飯と一緒に頬張る。

 ああ、冬って幸せ。

 でも、その幸せを噛み締めて食べていたら、妖怪たちの「鍋のカキ争奪戦」に乗り遅れてしまった。ほとんど生のまま引き上げるなんて、反則だ。


 その夜は、ベッドの中でちょっとだけ物思いに耽った。

 共同体の中で異質なものを嫌うのは、狼だって同じなのだ。生まれ持った自分で変えようのないことでも、ほんの些細なことでも、のけ者になったりする。

 じゃあ「あまね」という明らかに異質な私は、誰にも、本当の意味では受け入れてもらえないんだろうか。

 考えても仕方のないことだと分かっていて、それでも、たまに考える。




 次の日、千草ちぐさ小では書初め大会が行われた。

 一年生から三年生は各教室、四年生から六年生は体育館に集まって、みんなで書初めをする。クラスで何名ずつかの選ばれた作品は、地域の大きな公民館に展示され、その中でも優れたものには金、銀、銅の賞が贈られる――といっても、賞品は出ないらしい。

 まあ、私の腕前は可もなく不可もなく。至って普通なので、賞にも展示にも縁がないだろう。


 四年生のお題は「初日の出」。

 書初めといえば、で、誰もが思いつく定番だった。


「んー、これでいっか」


 書き上げたものから、適当に一枚を選んだ。公民館には選ばれた人だけでも、学校には全員分が飾られる。

 早々に切り上げた私は、まず結を見に行った。


「どう、できた?」


 結はくせのない、素直な字を書いていた。

 字って、性格が表れる。


「あ、寧。どうかな……?」

「うん、いいね。結らしい」

「えへへ。でも、もうちょっと書いてみる」

「うん、オッケー」


 続いてアシュリーのところにもお邪魔した。みんなで同じところにいるということは、こういう普段はできない利点がある。


「うわ、うまっ!」


 少し角ばった流麗な字は、大人びていた。


「母さんに習字をやらされてるんだ。自分は上手く書けないもんだから。あれで結構、日本贔屓なんだよ。日本の文化が大好きなんだ」

「へえ、そっか」


 外国の人の方が、日本の良さを理解している。これってよく聞く話ではある。

 ちなみに、そのあと見に行った環の作品は、妙にねの大きな、くせの強い字だった。

 やっぱり、字には性格が表れる。


「きゃあっ!」


 突然、悲鳴が上がった。


「ちょっと! 何すんの!」


 うちのクラスだ。数人の女子と男子が揉めている。

 急いで近寄ってみると、ひとりの女子の作品と洋服に、思いっきり墨がかかっていた。


「どうしてくれんのよ!」


 周りの女子が怒鳴っている。

 どうやら書き終わった男子たちが、暇を持て余してふざけていたらしい。プラスチックのすずりが転がっていた。


「わ、悪い。わざとじゃないんだ」

「そんな問題じゃないわよ! 杏子きょうこはね、これが一番上手く書けたって言ってたの! 作品展に出すはずだったんだから!」

「何を騒いでるの! ああ、ひどいわね。まずは着替えなきゃ。白石しらいしさん、おいでなさい。今日は、体操服を持ってるわね? 服を脱いで早く洗わないと、落ちないわ」


 白石杏子は、先生に連れられていった。


「杏子は毎年、金賞をもらってるんだから……。これでダメだったら、あんたたちのせいだからね!」

「何だよ、そこまで言うことないだろ! また、書きゃいいじゃんかよ!」


 しかし、戻ってきた白石さんが書き直した作品は、作品展で銀賞に終わった。






 いつだって、その時には気づかない。

 何かがまた、動き始めていた。

 浅い溝が、じわじわと少しずつ、そして確実に深くなっていく。


 生み出された作品に、どれだけの自負があるか。

 白石杏子が、会心の書初めを汚されたことにどれだけの憤りを感じていたか。

 私は、分かっていなかった。

 彼女が宇田川先生を好きなこと、汚した男子が私側の人間と見なされていること、その事実にも目を瞑っていた。


 面倒だったのだ。いつもの悪い癖が出た。

 私が甘かった。

 集団は、私の意志などとは無関係に動き出す。

 放っておいたのが、いけなかった。

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