11 開花

 合唱祭は、順調に進んでいく。

 保護者や外の人が見に来るものではなく、校内だけのイベントだった。だからこそ、宇田川先生も好きにできたのだろう。ステージ上で交代なんて、保護者が入れば、下手をすると騒ぐ人が出るかもしれない。


 今朝から先生の顔は青かった。

 昨日の件で何か言われたのか、それともこれから責任を追及されるかもしれないと恐れているのか。

 どちらにせよ、私に向ける顔は逃げることを許さないと言っていた。

 どうやら、もう意地になっているようだ。


 順番が来て、私たちはステージに上がった。

 みんなの目が集まり、青い顔の先生が、それでも自信を持って指揮棒を振り出す。

「翼をください」。

 四拍子を一回、そして二回目の頭――


 私は、単調な伴奏を、思いっきりアレンジして弾いてやった。

 宇田川先生の口が、あんぐりと開く。

 クラスメイトたちが、目を点にして私を見る。

 指揮棒は訳の分からない軌道を描き、合唱は乱れに乱れた。


 私ひとりが、ピアノを楽しんでいた。

 いや、もう二人か。

 弾きながらチラっと銀ちゃんを見ると、笑いを堪えきれずに、下を向いて体を揺らしていた。

 結は笑いながら、ちょっとだけ涙ぐんでいた。

 大好きな人たちが側にいてくれるなら、それが私の翼になる。


 そうして、四年一組は学校一のひどい結果を残し、合唱祭は幕を閉じた。




 それから私は、クラスの子たちに一目置かれるようになった。のみならず、放課後にピアノを弾けば、他の学年の子たちも誰彼となく聴きに来た。

 音楽の力って、本当にスゴいと思う。


 ひどい合唱が終わったあとのビミョーな空気の中で、真っ先に大きな拍手をしたのは阿尊くんだった。あとで「驚かせたくて、黙ってて欲しかったんだね」と言ったけど、本当にそう思っているのかは……例のごとく分からない。


 結はいつも私のピアノを聴いていて、よくリクエストした。私の知らない曲ばかりを。

 何かクラシックとか、やたらと詳しい。今度CDを貸してもらう。


 環は「ふん」と言いながらも、どこか嬉しそうだった。

 どうやら、典型的なツンデレらしい。嫌われてはいないようだ。


 アシュリーもよく聴きに来たし、それを聞いてせがんだリュカも一度来て、大はしゃぎしていた。

 そんな二人に、私も胸を撫で下ろした。

 事情を知らないはずのアシュリーが、合唱の時の私の伴奏について言ったのは、ひと言。「やるな」だった。


 ちなみに、アシュリーの最初のリクエストは、ロッキーのテーマ。

 そこをチョイスするとは……渋い、男らしい。

 リュカは私が全く知る由もない、今人気だというアニメと戦隊ものの曲を羅列した。全部分からないと言ったら、相当なショックを受けていた。


 十岐に言ってみるべきだろうか、家にテレビを置いてくれるように。

 ていうか、大人の私が住んでいた家にあったテレビを、なぜ持ってきてくれなかったんだ。自分は何でも見えているからいいだろうけど、私はそうはいかないのに……




「うん、分かった。分かったって」

「何? どうしたの、寧」


 帰り道。途中まで方向が一緒の結と、今日も並んで歩いていた。

 不審者騒動も下火になっている。


「え? 何が?」

「何がって、ひとり言、言ってたよ」

「いや、だって……」


 と、上を指差しかけて、気が付いた。


「あっ! いや、何でもない!」

「?」


 何とかごまかして、結と別れたあとは家までダッシュした。


「ど、どうしよう! 赤鬼!」


 居間に駆け込むと、ワラで何かを編んでいる赤鬼にすがった。


「どうした」

「ビ……」

「うん」

「ビーの声が…………聞こえる」

「そうか」

「そうかって!」


 さっき、いきなり聞こえた。

 聞こえたと言うか、イメージと言うか。よくは分からないけど「向こうに危ないやつがいるから行っちゃダメ」とか「今日の獲物は大きかった」とか、頭に伝わったのだ。


「またお前は『ただいま』を言わないのかい」

「たっ、ただいま! おばば! ビーの声が――」

「聞こえたよ。何だい、今さらそれくらいで」


 今さら……?

 確かにそうだけど……


「いや、その……ビーが、妖怪になっちゃったんじゃ……ないよね?」

「何だ、その心配か。ビーの問題じゃないよ、お前が変わったのさ」

「えっ、私?」


 私のどこが?


「ピアノを弾けるようになったことで、思わぬところが開花したらしいね」

「ピアノで!?」

「誰にでも、相性の良し悪しはあるだろ。あまねだってそうだ。お前とピアノは相性がいいのさ。相当な。それに釣られて、どこかが目覚めたんだろうよ」


 ……何それ。


「寧ちゃんが目覚めたんだってさー! 今日はお祝いだねえ!」

「覚醒か。ふむ、すき焼きが順当だな」

「オレ、焼肉!」

「尾頭付き、赤飯」

「あたしは粕漬けを……」


 私をネタに、ご馳走を食べようという妖怪たち。美味しいものが食べられるなら、何でも利用する。


「お前たちは、大したこともないのにたかろうとするんじゃないよ。まあ、今日はしゃぶしゃぶだね」

「しゃぶしゃぶ――――!」


 今日もみんなは絶好調。十岐まで何だかノリがいいような。

 まあ……いいか。

 心から笑っていられるなら、それが一番には違いないから。

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