4 花野の花畑
コスモス、リンドウ、パンジー、ビオラ、ポインセチア、ベゴニア。
晩秋の花畑に咲き誇る花たち。
他にもいっぱいあるけれど、私に名前が分かるのはそれくらいだった。あとは、説明されても覚えられない。
「冬になれば雪が降るからのう。今の分で今年は終わりじゃ。植え替えは、また来年じゃわい」
「そっか……」
ちょっと寂しくなる。もし、冬になってまだ落ち込んでいても、花を見て心を落ち着かせることはできない……
いや、ダメだ。そんなことを考えたら。
ともすれば暗くなる心から、暗い未来を追いやった。
「何じゃ、花など大したもんでもないじゃろ。冬はもっとすごいものを用意してやる」
そう言いながらも、私の横に座る
「すごいものって?」
「そんなもん、内緒じゃ」
何だろうか。楽しみというより怖いので、話題を花に戻そう。
「おじいさんは、何でここに花を植えてるんですか?」
こんなに広いところに、しかも季節ごとに花を植え替えるとなると、相当な重労働だと思う。
ひとりでやっているんだろうか。
それにしては、あんまり好きじゃなさそうなことばかり言ってるし。
「やめんか! わしゃ、お前のじいさんではないわ! 大体『おじいさん』なんぞ、
何というへそ曲がりの、恐ろしく屈折した考えの持ち主。こんな人に、よくお坊さんが務まったものだ。
呆れつつ、でも、電車で席を譲られて怒る老人と一緒かもしれないと思った。きっと、年寄り扱いされたくないタイプなのだろう。
「じゃあ……妹尾さん、でいいですか?」
「宗矩でいいわい。お前に『さん』付けなんかされると、どうも体が痒くなっていかん。里はそういうことに厳しかったからのう。どうでもいい細かいことが、抜けきらんみたいじゃ」
「そ、それはちょっと」
「わしゃもうこんなじゃから、お前を崇め奉る気はない。じゃったら、お前がふらんくになるしかないじゃろ」
おかしいな。カタカナの言葉が、ひらがなで聞こえる。
いや、それはいいとして。
私には、自分が崇め奉られるということ自体、全く意味が分からないのだ。あくまで小市民の私が、自分の本当の年齢から考えても三倍以上生きていそうな人を、呼び捨てにするなんて……
できない。
「じゃあ…………
「……まあ、ええわい。ああ、それから敬語もいらんぞ。蕁麻疹が出そうじゃからな」
搾り出した答えで、どうにか事なきを得たようだった。
「それで、何じゃったか。おお、花じゃな。これは先代の遺言じゃよ。わしが生きとる限り、この墓を花でいっぱいにし続けろとな」
「遺言?」
それじゃあ、この墓は――
「先代の住職のお墓なの?」
「阿呆か、お前は。そんな訳なかろう。先代は寺の墓で眠っとる。ここは、先代が世話をしとった象の墓じゃ」
「ぞ、象の墓ぁ?」
それはちょっと、いくら何でも無理があるんじゃ……
「いや、飼えないでしょ。日本だよ、ここ」
「高々…………お前、いくつじゃ? 二十五か。二十五年生きたくらいじゃ、何も知らんのと一緒じゃな。そんな昔もあったんじゃ。象はここで暮らしとった。百年以上も前にのう」
「……本当に……?」
「わしの言うことが信じられんというのか?」
宗じいが、いかつい顔で私を覗き込んでくる。
「え、いや……」
「ガハハハハ! わしも最初は信じられんかったわ! びっくりじゃ!」
いたずら心は、迷惑なことに火が付きっ放しらしい。
いきなり大声で笑われ、逃げ腰の体勢を支えていた私の腕が、驚いた拍子にカクっとなった。
「まあでも、嘘ではないぞ。先代は、硬いお人じゃったからな。冗談でからかったりはせん。この下には、象の骨が今もある。真のことじゃ」
打って変わったように、真面目に言った。
どうやらもう引っかけるつもりはないようだが、しかし俄かには信じがたい。そんなことって、あるんだろうか。
「どうして象なんて飼ってたんだろ。百年以上前って、明治時代かな?」
「さあて、聞いたのは『
「花野、か」
その名前だから、ここを花畑にしたんだろうか。それとも、その象は元々花が好きだったのか。いずれにしても、ここまでするなんてよっぽど愛していたんだろう、象の花野を。
でも、何があってそこまで愛情を持ったんだ。そもそも、お寺の住職が象を飼うってどういうことだろう。
私は、必要以上にその疑問について考えた。それが、今最も重要なことだと自分に思い込ませるために。
しかし、そうこうしているうちに、いつの間にか辺りは真っ暗になっていた。
「うわ! 帰らなきゃ!」
合唱祭までは、あと一週間と迫っている。
何度も伴奏を降ろしてくれるように頼んだけれど、聞き入れてはもらえなかった。
放課後、数人に監視されながら音楽室に行き、一時間経つと逃げていないかの確認と、帰宅許可をしに宇田川先生が来る。ここ数日は、それの繰り返しだった。
よっぽど私が恥をかくのを見たいらしい。
上原環は、あれから近寄ってこない。私を見る表情は、いつも硬かった。
このまま当日を迎えて一番傷つくのは、彼女かもしれない。
最初は面白半分だった子たちも飽きてしまって、私を音楽室に連れていくとすぐに帰るようになった。
私はいつもひとり、ピアノの前。
逃れられないなら。向き合うしかないなら。
覚悟を決めて、幾度もピアノのふたを開けようと両手を伸ばした。
しかしその度、指先から震えが始まり、次第に全身がガタガタと揺れ出す。椅子から転げ落ちるようにしてそこから離れ、床に座って小さく丸まり、震えが治まるまで自分の体をきつく抱きしめているしかなかった。
「来るのが遅いんじゃ。今度はもっと早う来い」
好きで遅くなったんじゃ、ない。
何も知らない宗じいに、怒りが向いた。
「しばらく来ないし、冬だって花がないんじゃ来ない!」
言い残して、私は駆け出す。
「何じゃと!? すごいものを作ってやると言ったじゃろうが! 子どもがワクワクせんで、どうするんじゃー!」
走りながら思った。
私にできるのは、せいぜい子どもっぽい八つ当たりだよ。いたずらの仕返しだ。そんなに来て欲しかったら、雪の中でもう一回パンチパーマ咲かせろってんだ。
くそ……
自分が小さすぎて、涙が出そうだ。
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