2章 この世は不可思議

1 満を持さず -登場

 布団の中で、まだ目は閉じている。まぶたに感じるのは、夜明けの薄明かり。このまま起きれば、昨日と同じ天井が見えるのだろう。

 ああ、今日は休みだ。ゆっくりできる。そう思いながら、目を開けた。

 だがしかし、見えたのは覆いかぶさるように取り囲む、顔、顔、顔――――


「あ、起きたぞ」

「起きましたよ」

「ほら、思った通りだよ! かわいいねえ、将来は相当な美人になるよ」

「将来だと? この子は、すでに大人になっているというではないか」


 取り囲んだ顔たちが、口々に言葉を発した。


「わあああああああ!!」


 私は、大声で叫んだ。

 寝起きに見知らぬ人に囲まれるだけでも十分怖いのに、目の前の顔の中には、明らかに人ではないものがいたのだ。しかも、喋っている!


「あらやだ! ごめんよお。あたいはともかく、こいつらは怖いよねえ」

「その言い草はないと思いますよぉ。あたしだって怖かないでしょうよ」

「貴様らは何を言っておる。我らの存在は、人間を怖がらせることで成り立っているのだぞ」


 得体の知れない者たちは、私のことをそっちのけで訳の分からない言い争いを始めている。

 そこにできた隙間から、白い巨体が割り込んできた。


おぼろ!」


 溺れる者は、ワラをもつかむ。私は朧の首にしがみついた。

 でも実際、ふさふさの毛並みの大きな体は、藁よりもずっと頼りになる救世主だった。


「あーっ! ずるーい! 何で抱きつかれてるんだい、あんた!」

「狼がよくて我らが追い出されるなど、合点が行かぬ」

「あたしの方が、笑わせてあげられますよぅ」

「おれ、肩車、できる」


 何なんだ、この人たちは……って、人じゃない……よね……


 そのとき、黒い毛むくじゃらが、目の前にぬっと顔を突き出した。


「お前、今『何なんだ、この人たちは……って、人じゃない……よね』って思っただろう」

「!!」


 何!? どういうこと!?


「お前、今『何!? どういうこと!?』って思っただろう」


 腹の底から震えが来た。

 考えが、読まれている。


 恐怖がピークに達しそうになったそのとき、バシーン! と激しい音が響き、黒い毛むくじゃらの体が大きく傾いだ。その向こうには、いつの間に来たのか十岐ときの姿。

 十岐の平手が炸裂したのだ。


「うっとうしいから、わしの前で人の心の中を喋るなと言っただろうが」

「うう、ごめん。痛いいい」


 毛むくじゃらはうずくまり、頭を抱えて黒い塊となっている。

 十岐はおもむろに他の者たちに向き直り、大喝した。


「お前らはどういう了見でここにいるんだい! しかも、わしの寝ている時間を選んでこの子の寝込みを狙うとは、いい度胸じゃないか、ええ!」


 ビリビリ響く怒鳴り声に、その場の全員の首がすくんだ。

 関係のない私までも。


「お、怒らないでくださいな。あたしたち、早くねいさんのことを見たくてねぇ」

「そうそう、もう一週間過ぎたからいいだろうって、ねえ?」

「何も、お十岐の寝ているときを選んだのではない。我らは闇夜に動くものだ」


 それを聞いた十岐の目が吊り上がった。


「わしは、は来るなと言ったはずだよ。大体、真昼間から動き回れる者が、何が闇夜だ。追い返されないようこそこそと夜に来たことはばれてるんだよ。まったくお前たちは、いつになったら人の言うことを聞くようになるんだろうね」

「おれ、聞く。旨い酒、飲める」

「オレたちはみんな、お十岐の言うことを聞いてるぞ」

「ちゃんとやってるよお。お十岐は怖いもの」

「うむ。お十岐は、妖怪使いが荒過ぎる」


 怒られるのは怖いらしいが、悪びれないその様子は、およそ反省とは程遠い。


「そうかい。だったらちょいと早いが、さっさと朝飯を作りな。働かない居候は、この家には要らないよ。人だろうと妖怪だろうと関係ない、さあ、行った行った」

「え?」


 今、何て?

 妖怪……って、言った?

 ……嘘でしょ……


 十岐に追い立てられて部屋を出て行く一行を、私は呆然と見ていた。

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