8 ばら撒かれたもの

 授業は、覚悟したよりはマシだったものの、簡単すぎるのはやはり苦痛だった。一番難しいのはさじ加減だ。小学四年生が、どこまで出来るのが普通で、どこからが出来すぎなのかが分からない。

 とにかく、なるべく不自然にならないよう気をつけた。

 そうでなくても転校生なんて目立ってしょうがない。一挙手一投足、見られているのを感じた。


 その後は特に問題なく過ごせたものの、ようやく放課後を迎えた頃、私はへとへとになっていた。


「三雲ー、グラウンドでサッカーやろうぜー」


 疲れを知らない子どもたちは、夕方になっても俄然、遊ぶ気満々。

 とても余力のない私は、小さな嘘をつく。


「ごめん、今日は早く帰って来いって言われてるから。また明日」

「明日って! 明日と明後日は、土日だから休みだぞ。ハハハ、月曜日なー」


 そうか、今日は金曜日だったのか。つまり、明日から二日間、休める。

 た……助かった……

 他の子たちからの追撃がかからないうちに、足早に下駄箱へと向かう。せめて十岐に文句を言う元気だけは、残しておきたかった。


「よう、寧! 初日はどうだった?」


 靴を履き替えているとき、後ろから大きな声がかかった。

 校長先生だ。反省したのか、ネクタイを少しだけ締めてある。


「あ……大丈夫です」


 とっさに答えた。無意識に、誰かの干渉を避けようとしていた。


「大丈夫ですってお前、そんなこと聞いてねえよ。楽しかったとか、緊張したとか、いろいろ感想があんだろが」

「あ、はい、え……と」


 大きな手が、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。


「いいんだよ、素直に疲れたって言っても。子どもなんだから、甘えることも覚えろ」


 ……まただ。また、奇妙な感覚になる。

 この人が一体、何だと言うのか。


「まあ、病み上がりみたいなもんなんだから、今日は早く帰れ。ばあ様が待ってるぞ。あのでかい狼を途中まで迎えにやるって言ってたから、心配ないだろ」

「あ、朧が迎えに……え? 朧のことを知ってるんですか?」

「おう、ほら、あれだ、家庭訪問だ! この辺の地域じゃ、さっさと済ましちまうことになってんだよ」

「そう、ですか」


 校長が家庭訪問? そんなことって、あるんだろうか。

 それに何だろう、慌てているような……


「あの、もしかして、祖母とは知り合い――」

「あー! いたー! 校長センセー!」

「今日は一緒に遊べるんでしょー? 約束したじゃん」

「行こうよー!」


 ふと浮かんだ疑問に、大勢の子どもたちの歓声が重なった。

 校長が、あっという間に取り囲まれていく。


「分かった、分かった。忘れてないって。じゃあな、寧。気をつけて帰れよー」


 去って行く一団を、私は呆気に取られて見ていた。


「人気、あるんだ。ホントに校長のイメージじゃない」


 最後の質問は聞こえなかったのだろうか。

 少し引っかかったものの、気を取り直して家路を急いだ。早くしないと、文句を言う前に倒れそうだった。




 民家の途切れた、誰の姿も見えないところまで来ると、本当に朧が待っていてくれた。

 くたくたになっていること、ひとりで慣れない寂しい道を歩いていたこと、いろいろ相まって心細かった私は、その姿を見たとき心の底からほっとした。私に元気がないことが分かるのか、ランドセルを咥えて持ち、寄り添ってゆっくりと歩いてくれたことも嬉しかった。


「お~ば~ば~」

「『ただいま』。家に帰ったら、ただいまが先」


 ようやく辿りついた家で視界に捉えた、囲炉裏端でくつろぐ、十岐。

 恨みを込めた声は、その横顔にぴしゃりと返された。


「あ、た、ただいま」

「お帰り」

「うん…………じゃなくて! 何で名字が変わってるんですか! 変わったんだったら、昨日のうちに言ってよ!」

「言ったところで、一日で慣れる訳ではなかろう」

「それは……そうかもしれないけど、知ってるのと知らないのじゃ大違いでしょう!」

「ふむ、忘れておった」

「なっ……!」


 怒りを通り越して、脱力してしまった。

 忘れてたって……

 忘れてたって言われたら、これ以上何て言って責めたらいいか分からないじゃないか――――


「飲みな。元気が出るよ」


 へなへなと座り込んだ私に、スっと差し出されたマグカップ。絶妙のタイミングで出された甘いホットココアは、体にしみ渡った。


「学校はどうだった」

「どうって……話さなくても、見えてるんですよね」


 私のおたおたした姿も全部、分かっているはずだ。

 本当に、のならば。


「わしはサトリじゃないから、心の中までは分からん。お前が何をどう思って行動したのか、それをお前の口から聞きたいんだよ」

「サトリ?」

「ああ。妖怪さ。人の心を読む」

「へえ……」


 人は、空想の生き物をたくさん作る。

 そんな名前のものがいることは知らなかったし、どうでもよかった。今日一日の、大変疲れた学校生活と同じくらいに。


「まあ、とにかくバレないようにって、それだけを……。だからそういう失敗はしてないと思いますけど、ただ……あの女の子のことは、もっとやりようがあったかな、とは――」

「おお、あれは下手くそだったな。わざわざ怒らせたようなものだ」

「わ、分かってます! 大人なんだから、もっと言葉に配慮して然るべきでした! 以後は気をつけます!」


 本当に見えているのか、軽く探りを入れる魂胆で言ったことだった。その自分の浅ましさが、「下手くそ」の威力を倍増し、カっとなった。


「お前、誰がどう見たって、今のお前は子どもだよ。それから、こういうのは大人も子どももないのさ。相手にちゃんと関ろうとする気持ちが大事なんだよ」


 十岐は続ける。


「ばれることを気にするよりも、まずは大人だという気持ちを捨てな。子どもの自分の心を、精一杯満たすんだよ。楽しめばいいのさ」


 勝手なことを。そんなに急に、子どもの生活に馴染める訳がないだろう。

 湧き上がる気持ちを静めるため、話題を変えることにした。


「あの、校長先生とは、知り合いなんですか?」

「知り合い? そんなもんじゃないさ」

「じゃあ、家庭訪問には?」

「お前が寝てる間に、家に来たね」

「……そうですか」


 何かあると思ったのは、やっぱり気のせいだったんだろうか。

 思案顔の私に、十岐はにやりと笑った。


「何だい、さては好みのタイプかい? 今朝もじいっと見つめておったな」

「ち、違います!」


 藪蛇だ。


「あっ! それより、今日は金曜日なんでしょ? 何でわざわざ休み前から学校に行かせるんですか! 来週の初めからで良かったのに」

「初日が一番疲れるのは、目に見えていたじゃないか。二日間の休みでゆっくり回復した方がよかろう?」


 確かに、休みをありがたいと思っている自分がいる。

 私は、十岐には敵わないことを悟った。


「……はい」


 頷くしかなかった。

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