6 校長室にて
学校のイメージで最初に浮かぶような、四角く、くすんだ白いコンクリート造の、古い三階建ての校舎。少子化なんて言葉が、世に出回っていなかった頃に造られたものだろう。
そこに向かって前庭を通るとき、中央にあった池を覗きこんだが、魚や生き物などは見当たらなかった。
「初めまして、私が担任の
通されたのは校長室で、ひとりの女性教師がいた。
歳は三十代前半、コンサバで小ぎれいな服装。どうしてもと二択で聞かれれば、美人の部類に入るのかもしれない。
少し屈んで目線を合わせ、笑顔で私の反応を待っている。
しかし、私の頭はそれどころではなかった。
三雲って、何? 私の名字は
どういうこと?
パっと振り返ると、十岐は白々しく明後日の方を向いていた。
わ、わざとだ……! 絶対、わざと無視してる!
「ああ、そうよね。おばあ様の名字に変わってから、まだ日が浅いんですものね。慣れなくて当然よね。いいのよ、ゆっくりで」
担任は、気の毒そうに言った。
都合よく解釈してもらったようだけど、問題は新しい名前に慣れていないことではない。今! ここで! 初めて知ったということだ!
「…………はい」
返事をしながら、心の中で頭を抱えていた。
私は昔から、人の顔と名前を覚えることが大の苦手だった。一回で覚えられたことなんて、ほぼ、ない。
これから大人数に会うことを分かっていながら、自分の名前を覚え直さなきゃいけないなんて、あんまりだ。本当に私のことをずっと見ていたのなら、十岐はこのことも知っていたはずなのに。
「校長殿はどこだい?」
「申し訳ありません。止めたんですが、ちょっとだからと出て行ってしまって……」
素知らぬ顔を決め込んだ十岐の質問のあと、タイミングを図ったようにドアが開いた。
「いよーお、お前が寧か! ずっと寝てたって聞いたけど、元気になったみたいだな、よしよし!」
入ってきた背の高い男に、いきなり上からワシワシっと頭を撫でられた。
いや、こねくり回された。
「校長先生! 急にそんなことをしたら、三雲さんがびっくりするじゃないですか!」
担任の抗議の声。
確かに、本当に驚いていた。
言葉や行動に加え、顔には無精ヒゲ、無造作な頭髪、デザインなのかどうなのかスーツにはシワ感があり、ボタンは全開、ネクタイは緩められ。
ちょっとくだけ過ぎている。
年も若そうで、どう多く見積もっても三十代だし、こんな校長って有りなの? という感じだ。一般的には渋めのかっこいい人なんだろうけど、いかんせん私としては、できたら距離を置きたい相手でしかない。
しかし、その驚きが落ち着いたあと、不思議な感覚が沸いてきた。
自分でも何を感じているのかよく分からないまま、校長から目を離せなくなる。
「ほら、びっくりして固まっちゃったでしょう! 大体、何ですか、そんなだらしない格好で! もっときちんとしてください!」
担任の声が、どこか遠い。
「はいはい、分かりました。んで……俺の顔に何かついてるか?」
「っ、いえっ、す、すいません!」
我に返った。
自分の今の行動が、理解できなかった。
「そろそろ時間じゃないのかい? わしはこれで失礼するよ」
「あら、いけない」
血の流れの集中した熱い耳が十岐の声を捉えると、担任が用意のために慌てて職員室に戻った。
恥ずかしくて一刻も早くここから出たい私は、扉に向かう十岐の、影に隠れるようについていく。
と、十岐は立ち止まった。
「学校にいる間、寧をよろしく頼んだよ、
「……分かりましたよ」
一瞬の間を置いて、校長は答えた。
今の空白は何だったのかと考える暇もなく、十岐が私に向き直ってにやりと笑う。
「寧よ、しっかりおやり」
「…………はい」
その言葉には明らかに、「バレるような下手はするな」という響きが含まれていた。
それと同時に、顔には「好きなようにやれ」と書いてあり、十岐が完全に面白がっていることが分かった。
何て器用なことをするんだろう、この人は。
「どっちなんだ!」と叫びたいのをこらえて、私は思った。
やっぱり、先が思いやられる。
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