5 今日から小学生
朝ぼらけの中、浮かび上がる見慣れない木の天井が、まだ新しい記憶を呼び起こす。
「夢………………じゃ、なかった」
半身を起こし、小さな窓のカーテンを開ける。
刻々と光を増す朝日に象られていく、淡い景色。
眺めながら、頭の中には昨日の出来事が映し出されていた。
自分にこんなことが起こるなんて、誰に想像がつく?
つく訳がない。今こうしてこのベッドに座っていることが、不思議で仕方ない。
でも一番おかしいのは、この状況を受け入れた昨日の自分自身じゃないのか……?
気がつけば、辺りはすっかり明るくなっていた。長い時間、考えていたらしい。
視線を窓から返す。と、いつからなのか
「おはよう」
返事の代わりに、私の体に頭をすり寄せる。そして撫でている私の手をかいくぐり、自分の足元にある赤くて四角いものを咥えて出した。
ボスっと、布団の上に置かれたのは、紛れもないランドセル。
「ああ……」
一気に気持ちが下降した。
そうだった。今日から、小学校に通わなければならない。
卒業したのに。もういい大人なのに。
なぜだ…………
「いつまで寝床にいる気だい! 早く着替えて降りてきな!」
うなだれる私に、一階から大きな声が飛んできた。有無を言わせない、十岐の強い声。
首根っこをつかんで連れて行かれる。そんな自分を想像して、体がブルっと震えた。
階下には味噌汁のいい匂いが漂っていて、盛大にお腹が鳴った。
食べ物の力は偉大だ。しかし食欲が何にも勝るこの単純さに、心も子どもに返りつつあるんじゃないかと思わず自分を疑いそうになる。
「お……おはようございます。……何のお味噌汁ですか?」
「おはようさん。その辺に生えておった山菜と油揚げさ。できたから運んどくれ」
囲炉裏を囲んだのは、炊き立てのご飯、味噌汁、玉子焼き、鰹のたたき、ひじきの煮物、自家製納豆に、春キャベツの漬物、最後に枇杷。
旅館でも朝からこんなには出ないだろうという量を、私はぺろりと平らげてしまった。今までの自分では、考えられなかったことだ。昨日も思ったけど、ここに来てから食べ物が全部、美味しい。
「ご馳走さまでした。ふぅ」
旬で新鮮で栄養たっぷりの食材を使い、その上できたての食事というのは、こんなにも幸せをもたらしてくれるのだと知った。ただ満腹になるだけでは決して得られない、本当に満たされた感覚。
朧もご相伴に与り、傍らで気持ちよさ気に寝そべっていた。
全開の窓から見える緑が、今日も輝いている。
「寧よ。大事なことを言っておかねばならん」
「な……何ですか」
朝の幸せなひと時に目を細めていたところの、改まった十岐の言葉。
一瞬で体が固まる。昨日、散々ものすごい話をしたというのに、まだ言わなければならないことがあると思うと、身構えずにはいられなかった。
「大方の人間は、どんなに長生きをしたとしても、数百年を生きることはできん。まして遠く離れた場所での出来事を見ることも、お前のように若返ることもな。だから、このことは誰にも知られてはならん。誰にも」
ゴクっと唾を飲んだ。
「も……もし、知られたら…………どうなるんですか」
一拍。
「大騒ぎになる」
「…………へ?」
拍子抜けした私は、ひどく間の抜けた顔になっていたかもしれない。
だって普通こういう展開だと、一族の人から制裁されるとか、どこかに閉じ込められるとか……最悪、死ななければならないとか、そういう話になるんじゃないのか?
私があんまりポカンとしていたのだろう、ひとつの例だが、と十岐は言った。
「大昔、文明の始まった頃、当時の王にあまねの存在が知れたそうだ。その結果、権力と欲望が絡み、奪い合いは戦を呼んだ。まあ、わしらが表に出ることは危険を生じるということだ」
確かに、そんな特殊な人間がいると分かったら、どんな混乱が起こるか分からない。争いだって起きるかもしれない。今の時代なら、メディアも放っておかないだろう。もしかしたら、実験体に――――
想像して顔が引きつる私に、十岐は言う。
「だから、頑張って子どもらしくしておれ。ばれるなよ」
ああ、そうなるのか。自分が子どもだという現実からは、逃げられないんだ。
でも、子どもらしくって、どんなだっただろう。
忘れた私は、ちょっとだけ汚れた大人の気分だった。
十岐と朧と一緒に玄関を出た途端、あ然となった。
木や草がたくさん生えてはいるけれど、そこあったのは昨日見たものとは全く異なる景色。
「ここ……どこです?」
「どこぞの山の裾さ。お前の通う小学校の学区内だ。何だい、まだそんなに驚くかね。繋いだんだよ。家の本体は別の山の上だが、ここにも存在する。他の人間に見えるのはこっち側だけだから、安心せい」
ちっとも分からない。安心できない。頭がクラクラしそうだ。
だけど。
「分かりました」
と、言っておこう。きっと、分かるようには説明してもらえない。
それにしても、学区とはどういう基準で作っているのだろうか。山を下りたのだとは言え、ここは他の家も全く見えない、自然に囲まれた所だ。
案の定、学校までは遠かった。
歩く度に、背中のランドセルがカタカタ揺れて、自己主張する。
この歳になって、またランドセルを背負うことになるなんて……
大人がファッションとして用いることがあるのは理解できるけど、あくまでそれは大人の体に合わせるからオシャレな訳で、こんなに小さくなった私の体で背負ったら、それはもうただの小学生としか言いようがない。
「…………って、小学生なのか……」
「何だ」
「……何でも、ありません」
はあ……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます