6 窮屈な人間
「やった? 何を」
サトリを見る。
「怖がらせたのさ」
「怖がらせた?」
十兵衛ちゃんに目を向ける。
「少し気の毒でしたかねぇ」
「あれしきごときで腰を抜かすとは、骨のない」
「ちょっと、何の話――」
そこへ、十岐が戻ってきた。
「学校からの連絡だよ。不審者が出たから、明日の登校は保護者が付くようにとな」
「不審者……」
私の目線は、再び妖怪たちに移る。
見るからに、不審者。
「まさか……」
「もうそんなに有名になったのか。でも大丈夫だぞ、
「あたしは、本当は人を喜ばせるのが好きなんですけど、面白そうでしたから、つい。おほほ。赤鬼さんはお留守番で、申し訳ありませんでしたね。でも、大きすぎて目立つから仕方ありませんよねぇ」
「いや、おれ、いい」
「何だか知らないけど、サトリが誘うもんだからさ。ま、暇潰しくらいにはなったね」
「我は、あの女では物足りぬ」
「あの……女……」
青行燈の言葉が決定的だった。
まさか……まさか…………
「こやつら、お前の担任を脅かしおった」
「――――――っ!」
顎が落ち、声にならない絶叫が、頭に響き渡る。
「あの女、弱いぞー。ちょっと考えてること言ってやっただけで、すーぐ悲鳴上げやがった。いい気味だ。でもな、そういうのに限って腹ん中が黒いんだよ。あんなのの言うことなんか、聞かなくてもいいぞ」
「ちょいと! 聞いてないよ、悪いやつなのかい? 先に言っとくれよ! そしたらもっと、あたいが脅かしてやったのにさ」
「おお、そしたら明日はもっと――」
「ダメっ!」
十兵衛ちゃんにサトリが答えようとするのを、私の耳が捉えた途端、声が出た。
「な、何でだよ。オレは、腹が立ったんだぞ。あいつがおかしくなったら、もう学校に来なくなるぞ。そしたら、寧は助かるだろ? オレ、役に立つぞ」
「分かってる……。分かってるよ……」
でも、そんなの……ダメだ…………
その後もサトリは、納得がいかない様子だった。
人と妖怪の考えは違う。脅かすことで存在が成り立っている妖怪には、それをいけないことだという人間の感覚が分かるはずなどなかった。
事情を知らない他の妖怪たちは、首を傾げつつご飯を食べていた。
その夜、私は早めに二階に上がった。
ベッドに横たわると、不安が頭をもたげる。
あと一週間しかないのに、状況は少しもよくならない。
焦りは、もはやむき出しになっている弱さをはちきれそうに肥え太らせ、よからぬ考えをもたらした。
サトリが脅かして、先生が来なくなったら――――
「何、考えてるんだ! しっかりしろ!」
枕に顔をうずめた。
二十五年生きてきて、後味の悪いことだって経験してきた。だから、知っている。たとえ助かったところで、待っているのは弱さに負けたという記憶の傷と、そこから逃げ続けなければならない卑屈な自分だけだ。
性質の悪い傷ほど、尾を引く。
何か、他のことを考えよう。
何か、別の……
搾り出したのは、夕方に聞いた象のことだった。
花野のことを考えながら、いつしか私は眠りにつく。
そして、夢を見た――――――
明治。
人々が、もっと奥ゆかしい時代。
ひとりの僧侶が、富豪の未亡人に淡い恋心を抱く。
決して想いを告げることなく、何くれとなく力になった。自分に向けられる、感謝と信頼の笑顔。僧侶は、それだけで幸せだった。
それからまた時は経ち、未亡人が、
最後まで気にかけながら先立ってしまった未亡人の忘れ形見は、約束通り僧侶の手に引き取られ、死ぬまで愛を受け続けた。
死んでからも、ずっと。
「花野」
未亡人の名前で忘れ形見をそう呼ぶのは、僧侶ただひとりだった。
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