10 明かされる -ネズミ

「お前の落ち度だな」

「あれは、阿尊が!」


 囲炉裏を挟んで目の前に十岐が、その隣には校長が座っている。

 山の空気は、すでに冷たくなっていた。

 春、夏と、ほとんど開け放されていた居間のガラス戸は、今は固く閉じられている。囲炉裏の火が赤々と燃え、外の寒さが嘘のように家の中は温かかった。


「あれだけで分かった訳じゃない。お前がそれまでに、分かりやすいヒントをばら撒いただろうが。下手な小芝居ばかりしおって。寧は、とっくにおかしいと思っておったぞ」

「う……」


 そりゃあ、言葉にも詰まるだろう。思い当たる節だらけのはずだ。

 最初から、登校初日からおかしかった。

 帰りに下駄箱の前で会ったとき「病み上がりなんだから、今日は早く帰れ」と言った。眠っていた原因が、病気じゃないことを知っていたからだ。

 それに、怪我をした校長の代わりに私が運転すると言ったときも、「お前の体じゃあ、この車の尺には合わねえよ」と言った。前は違ったことを知っているってことじゃないか。


 でも、校長だけじゃない。


「おばばもだよ! 嘘ついたよね!? 知り合いじゃないって言ったのに!」


 登校初日のあの日、帰ってから聞いたとき、はっきりとこの耳で聞いた。


「嘘などついておらん。知り合いなんて言葉じゃ片付かないのさ。わしは、こやつの命の恩人だからな」

「そんなの屁理屈……え? そうなの?」


 言いくるめられていると分かっていても、「命の恩人」を素通りすることはできなかった。


「ビーに薬を塗っているときに、ちょっと話しただろう? 深手を負った者というのは、こやつのことだよ」

「あれが……そうだっ――」

「そんなことはいいだろう! 話が逸れてるぞ!」


 校長が慌てて止めに入った。

 私は我に返り、聞きたいことが山ほどあったと思い出す。


「ゴホ、ン……。まず……何で、黙ってたんですか。隠す理由は何? 誰が、そう決めたんですか」


 私に真実を教えることに、どこにどう問題があるのか、包み隠さず話してもらわないと気が済まない。

 校長ただひとりだけを見据えた。


「……分かった。察しの通り、俺の提案だ。里とお前たちの間には、過去に色々あったからな。だから、里とは関わりのない環境で、まずは子どもらしく自由に育ってもらおうと思ったんだよ」

「それだけ!? そんなの……じゃあ、何で斎藤先生のいる学校なんですか!? 何の関係もない学校にすればよかったじゃない」

「それは……お前はやっぱり、普通とは違うから……。事情を知って、対処できる人間が必要だったんだ。それで、ばあ様から頼まれた。いや、頼まれなかったとしても、俺自身もそうしたいと思っていた」


 校長はまっすぐ私を見て、そして、口の端を上げた。


「でもまさか、あんなに小さかったお前が、俺の顔や名前を覚えていたなんてな」


 それじゃあ、ホントにただの思いやりで隠していただけなのか?

 いや、まだだ。全部聞かないと、納得する訳にはいかない。


「お父さんと話していたことも覚えてます。私はお父さんと車に乗っていて、そこに現れたあなたは『関東に戻れ』って言った。あれは、どういう意味なんですか」

「理由を聞いてないのか? ……そうか。まあ、俺だって、あのときのぐったりとした寧を見ていなければ、今でも恐らく半信半疑だっただろうな」

「出てもいいのさ。ただ、子どものときは特に、命に関わるんだよ」


 視線を下げた校長に代わって、十岐が話を継いだ。


「……どういうこと」

「大地の力だ。あまねは、膨大なエネルギーを使って生きておる。脳の全域が覚醒した状態で、休むことなど一瞬とてない。間断なく見続ける能力を持つことが、その理由なのかも知れん。たとえ延々と物を食べ続けても、補いきれないのさ。だから、大地の力無くして、わしらは生きられん。この力をもらえるのは、自分が見ることのできる土地だけだ。そして子どもの器では、まだ大地の力を十分に溜め込むことができない。例えば、生まれたての赤子なら一時間。今のお前の体だと、十日を過ぎれば危うくなる」

「え……」


 私は、他の土地では生きられない?


「あのとき、俺は必死でお前たち親子を追ったんだ。ようやく見つけたのは、三日後だった。まだ五歳だったお前は、持って四、五日だと聞いていたから、生きた心地がしなかったよ」


 校長の顔の陰影が、濃くなった気がした。


「な……何でそんなことに、どうして……」

「わしが気づいたときには、遅かった。あの日、お前の父はお前を連れ、数駅先までの切符で電車に乗ったんだ。だが、衝動的にそのまま乗り過ごし、当時お前たちがいた神奈川から、隣の山梨へと出てしまった」


 十岐は淡々と続ける。


「その頃はまだ、里の長は長老だった。長老は覚えているだろう? あれがまだ里を治めていたのさ。わしは里に行き、長老に銀治を向かわせるように言った。銀治は、お前たち親子を里の追っ手から逃がしたことがあったからな。銀治の説得ならば、お前の父も信じて聞くだろうと思った」


『こっちです! ここに隠れてください! 俺が囮になります』


 あれは、追っ手から逃がされたときの――――

 記憶と絡み合った十岐の言葉は、私の中で真実としての形を成していく。


「わしはその足で、山梨県へと繋げてあった、時の道を辿った。甲信越のあまねに会うためだ。だが、折悪しく夜も更けていた。の地のあまねは、もう寝ていたのさ。あまねは全てを見るが、寝ているときに見えているものは、夢のような感覚なんだよ。それがどんな内容であれ、身に危険が迫りでもしなければ、まず起きることはない。冗談のようだが、さっき話したとおり大量のエネルギーを必要とするわしらには、恐らく仕方のないことなんだろう。朝が来るまで待つしかなかった」


 魔法使いか妖怪のようだと思っていたあまねに、普通の人間以上の制限がある。

 思ってもみなかった。

 冗談のよう。ホントにそうだ。

 でも、自分がそうなると思うと――笑えない。


「そして翌朝、助けを得られたときには、お前たちは車を借りてすでに甲信越を抜ける手前だったんだ。銀治のバイクでも追いつく時間はなかった。わしは次の地の東海でまた案内を請うたが、ここで一悶着あってな」


 ゴトンっ。

 天井から音がして、話は中断した。

 みんなが上を見る。


「どうやら、大きなネズミが入り込んでいるようだね」


 ネズミ? この家、ネズミなんているのか。

 天井裏、か?


「まったく、そこにいたいなら静かにしてな」

「……チュー」


 十岐は天井を睨み付け、再び語り始める。

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