11 明かされる -悪化

「さて、甲信越のあまねには数度会ったことがあるが、東海はそれが初めてだった。その地のあまねはまだ若く、経験がない分だけ里の者を頼りにしておったが、その里が、わしの頼みを聞き入れようとはしなかったんだ。いざこざに巻き込まれる謂れなどないと言ってね」

「そんな……」

「あちらさんの要望で、わしは長老を呼び出し、里同士の話し合いになった。東海の里の狙いは、平たく言えば関東の地を思い通りにすることだったのさ。長が強かな野心家でな。長老は苦戦しておったよ」

「そんなことになってたのか……。初めて聞いたよ。俺は、ジリジリしながら携帯を握り締めてた。なぜ連絡が入らないんだ、ってな」


 校長の眉間には、微かに皺がよっていた。

 これは遠い過去のことだと、分かっているのに自分の手に力が入る。


「わしは、話し合いの場から東海のあまねを連れ出した。そして説得したんだよ。多少時間はかかったが、その子は聞き入れてくれた。それで、お前たちの後を追うことができたのさ」

「じゃあ、そこで……?」

「いいや。銀治がお前たちに追いついたのは、中国地方だった。話し合いに時間を費やしている間に、お前の父は島根まで車を進めていたのさ。もう少し遅ければ、お前は今ここにいなかっただろう」


 重たいひと言だった。

 私は、死んでいたかもしれなくて……その原因が…………父……?


「お、お父さんは……知らなかったんだよね? 知らなくて……だから、そんなところまで逃げて……」


 知っている訳がない。そうに決まっている。

 知っていたら、あの父が、そんなことをする訳が――


「凪子から聞いておった。知っていたよ」

「!!」


 …………嘘だ。

 父が、私を死なせようとした? 過保護なくらいだった、あの父が?

 そんな……バカなこと……


「違うぞ! 本当に死ぬなんて、信じてなかったんだ! 現に、俺だって迷信だと思ってた。それに……あの人は、追い詰められていたんだ。精神的に弱って、一時的に判断ができなくなっていた。お前を死なせる気なんてなかったんだよ! むしろ、守りたかっただけだ!」


 校長は、必死な表情だった。


「そう、お前の父が悪い訳ではない。里の事情など知らなかったんだ、無理もないさ。急に現れ訳の分からないことを言う連中が、愛しい我が子を取り上げようとしていると思っていたんだろうな。親なら、得体の知れない者から子どもをかくまうのは当然だ。そして、他に頼れるところがなければ、ひとりで気負っても仕方ないだろう。まだ二十四歳と、若かったこともある」


 十岐はそう言って、お茶を飲んだ。

 私と校長の前に置かれたコーヒーカップは手付かずのまま、中身は冷めていた。


「何で……何でなの? 何でそこまで、お父さんを追い詰めたの? おばばは、里であんなに崇められてたじゃない! 止めたんでしょ? 追うなって…………。おかしいよ! 何で、誰も言うことを聞かないのよ!」


 最後は、ほとんど叫んでいた。


「わしが止めたのは、無理に連れ戻すことだ。里の者が追っていたのは、話をするためだったんだよ。七歳でわしの元に来ることが、お前が最も自然に生命力を保てる道だった。何も知らないお前の父にそれを知らせるため、お前の未来を話し合うためだったのさ。拒み続けられたが、いつか分かってくれると信じてな」

「それでも……! お父さんは、追い詰められていたんでしょ? ひどいよ……。ひどいと思ったから、先生もお父さんを逃がしたんですよね? そうでしょ!? だって、おばばの言うことを守らないなんて、里じゃ考えられないもんね? ……それとも、お母さんのためだったら、できるってことなの……?」


『もしかして君は、凪子のことを……』


 もう、何を言っているのか、何が言いたいのか、自分で分からなくなっていた。

 記憶に、引きずられる。


「ああ、銀治は凪子を好いておった」

「なっ! ちょっ、ババ――」

「何だ。何を言いかけた」

「ぐっ……」


 暴言を吐きかけた校長は、言葉に詰まった。


「そうか……言葉遣いもだ」


 つぶやいた私に、二人の視線が集まる。


「先生は昔、私のことを……『寧様』って、呼んでた。おかしいよ。おばばは、里で私よりも偉い人だよね。何で『十岐様』じゃないの? ババアなんて――」

「言ってねえ! 未遂だ! まあ、言葉遣いは……俺は、里を出た身だからな。今は、これが普通なんだよ」

「え? 何で……?」

「それは――」

「わしが話そう」

「やめてくれ!」


 落ち着いた十岐の言葉を、遮るように叫んだ校長の顔は、今までになく青ざめていた。


「いずれ分かることだ。それに、ここまで話しておいて隠すのは、酷というものさ。聞いた上でどう判断するか、それもこの子に委ねるしかない」


 辛そうな表情で、校長はうつむく。


「が、その前に。銀治、脱ぎな」

「は? ちょ、ちょっと待て、何を――」


 十岐の目が、校長を射抜く。


「無理やり脱がされるか、自分で脱ぐか。どっちだい」

「…………分かった」


 ……何で?

 いやまさか、裸が見たい訳じゃない、はず。

 と、思いたい私の目は点になっていた。

 校長は上着、シャツと脱ぎ終わり、傷だらけの体と、胸に巻かれた包帯が現れる。


「それも取るんだよ」

「これは! じゃあ、寧は向こうの部屋に――」

「早くしな」

「っ」


 私の顔は、十岐と校長の間を行き来する。

 ためらったあと、校長は、ゆっくりと包帯を取っていった。

 ずっと、私のことは見なかった。


「えっ……!」


 最後にガーゼを剥がし現れた傷は、ひどく化膿していた。

 十岐の薬を持っていたのに、なぜこんなに悪化を?

 まさか、効かなかったのか……?


「完全に塞がらないうちから、毎日今まで以上に鍛錬を繰り返し、痛めつけたのさ。わしの薬も使わず、化膿するのも承知でな。それを誰にも気づかれないように、ガーゼや包帯で覆い隠し、無理を通しておった」

「何で……」


 目を離せなかった。

 私を助けたせいで、負った傷。

 深く、奥へと、音もなく、あのナイフが、私の心に突き刺さっていく。


「寧の顔を見るんだね、銀治。お前がやったことの結果を」


 しかし校長は、私から目を逸らしたままだった。

 見なくても、分かっていたに違いない。私が、一体どんな顔をしているか。

 分かっていたからこそ、きっと見ることができなかった。


「これを塗って、しばらくは放っておきな。ガーゼも包帯も無しだ。くっつくとやっかいだからね」


 十岐は、持ってきた薬を校長に渡した。


「まったく。そんな体で、何か起こったときに対応できると思うのかい。本末転倒だね。とんだ罪滅ぼしさ」

「罪……滅ぼし……?」


 軽くため息をつく十岐に、視線は移る。


「こやつは、自分が許せなかったんだ。お前を危険な目に遭わせた自分が。だから、傷が悪化しても、無茶な鍛錬を自分に課した」

「何で、そこまで……」

「それが、これからの話に関わることだ」


 そうして十岐はまた、過去を紐解き始めた。

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