8 脱出 -帰還

「あそこは、そういう場所だよ」

「そういう?」


 囲炉裏の前で、十岐とお茶をしていた。

 帰ってすぐに風呂場に放り込まれ、さっき上がったばかりだ。お陰で人心地がついた。

 妖怪たちは出かけたままで、おぼろは客間で寝ている斎藤校長に付いている。


 あのあと、家まで私を送り届けた校長は、休んでいけという十岐の申し出を固辞した。自分のせいで危険な目に遭わせたのに、申し訳が立たないと言って。


 だが「はい、そうですか」と引き下がる十岐ではない。

 校長が帰ろうと脇を通り過ぎるとき、こともあろうに足を引っ掛けた。なぜだか分からないが、よけなければならないものだと認識できない、まるで幻想か残像のような自然な動きで。


 倒れはしなかったものの、大きく足を踏ん張った衝撃で、校長は痛みに悶絶した。

 そこに突っ込んできた、白い巨体。朧。

 体重二百五十キロに、力いっぱいの体当たりをかまされ、見事に撃沈。あとは、その背に揺られて客間の布団へ運ばれていったという訳だ。


 荒療治も甚だしい。

 十岐には下手に逆らわないようにしようと、私は心に誓った。


「死にたい者が行く場所だ。地元の者は、なるべく近づかんようにしている」

「そうなの!?」

「柵があるところは大丈夫なんだが、あそこはなかっただろう? 何度立てても突き破られ、キリがなかったのさ。立て看板も立ち入り禁止のロープも、何もかも外される。役所も諦めちまった」

「危ないところだったんだ……」


 改めて寒気がした。


「あ、あのさ……あのおじさん、どうなった?」

「警察が連れて行った。白状はしたが、大したことにはならんだろう。お前たちが姿をくらましたままならな。校長殿は、面倒ごとだと捨て置いた。さて、お前はどうしたい?」

「私? 私は……」


 何となく気になって聞いてみただけのことだったのに、思わぬ質問にうろたえた。

 でも考えてみれば、私は殺されかけたのだ。

 罪になる行為だった。私たちが訴え出れば、確実に罰せられる。


 関係のない人を道連れに死のうなんて、迷惑千万だと思う。傷つけるのもそう。

 だけど、何でだろう。

 ひょっとして、まだショック状態なのだろうか。自分でも不思議なほど、罰したいとか、怒りの感情とか、そんなものが湧いて来なかった。


「私も、それでいい」

「ほう、何でだい?」

「うん……あの人、保険金って言ってた。死んでまで、お金を残したい誰かがいるんだよね。おかしくなってまで……。私は、怖かったけど無事だし。校長先生も、傷はひどいけど……ちゃんと生きてる。あの薬で、傷も治るんだ、よね? うん。……だったら。いけないことだけど……。自分でも、よく分からないけど……」

「そうかい」


 十岐はそれ以上何も言わず、お茶をすすった。

 是も非もなかった。

 私は自分の出した答えが不安になったけど、どう考えてみても違う結論にはならなかった。それが正しいのかは、分からないけれど。


 校長は、ずっと眠ったままだった。

 十岐に飲まされた薬が効いていたのかもしれない。

 夜中に熱が出たけど、体が闘っている証拠だと十岐は言った。


 帰ってきた妖怪たちも看病に参加した。

 手伝ってくれるのはいいけど、校長が目を覚ましたらどうしようとハラハラした。

 そんな心配をしているのはもちろん私だけで、どうもみんな楽しそうだった。


 翌朝、いつもの時間に起きて客間に行ったら、校長はもういなかった。

 日が昇る前に帰ったと、十岐から聞いた。

 苦しそうな男の寝姿はいい酒の肴だったのにと、至極残念そうな十兵衛じゅうべえちゃんはスルーした。どういう意味かも、考えないようにした。


 学校に行ったら、校長はちゃんと来ていた。

 一日であの傷が癒える訳はなく、顔色が悪かった。

 それでも何事もないように子どもたちと遊んでいるのを、私は遠くからぼんやりと見ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る