11 里 -不可避

 そう言えば、おばさんはどこだろう。おばさんもいないような……

 女の人がいない訳じゃない。若い人なら、たくさん見つけられる。でも気づくと、男性の数の方が圧倒的に多かった。

 こういう場合の主力になるおばさんたちは、一番目立っていいはずだ。

 家で料理の下ごしらえをしているのか? それとも、何か出し物の練習か? まだ見ていないところにでも集まっているのだろうか。


「別の場所でも、作業をしているんですか?」

「いえ、ここだけですが。どうしてですか?」

「いや、女の人が少ないなと。年配の方は、どこかで何かしているのかと思ったものですから」


 一瞬、沈黙が下りた。


「十岐様は、何も仰っていませんでしたか」

「え? いえ、特に」

「……そうですか。私がそのお役に与ったということで、よろしいのですね、十岐様」


 長は、小さくひとりちた。


「あの、私、何か――」

「寧様、お気づきの通りです。里の男女比は四十代から大きく異なり、五十代では男のみになります。女の寿命は四十代まで。里では、それが普通なのです」

「え……」


 四十代……?

 短い。短すぎる。それじゃ、日本女性の平均寿命の半分しかない。

 男だって、今や八十歳くらい生きるのが一般常識じゃないのか。

 女は男より長く生きるのが、普通じゃないのか。

 それが、どうして――――


「何で、女性だけそんなことに……」

「はい、ここではそうですが、男のあまね様がおられる土地ならば、おそらく男と女の寿命は、この里とは反対になるかと思います」

「どういう……え? まさか……」

「あまね様の寿命をお助けしていると、昔からそう考えられてきました」

「そんな!」


 そんなバカな、有り得ない!

 里の女性の命が、あまねの寿命を延ばしている?

 そんなバカなこと、考えられない。昔は信じていたのだとしても、今の時代に、そんな……


 でも……

 じゃあ、どうしてこんなに人がいる中に、年を取った女の人がいない。

 長の家にも、誰もいなかった。ひいおばあさんやおばあさん、おじさんの奥さんまでもが、もうこの世にいない理由は――――


「私は……里の女の人たちの命を奪って生きている。そういう……ことですか」


 声を、絞り出した。


「そのようにお考えにならないで下さい。里の女は、このことに誇りを持って生きているのです。自分が、あまね様の助けになっていることに」


 瞬間的に、カっと頭に血が上った。


「おかしいでしょう、そんなこと! 誰が好き好んで、短い命を喜ぶんですか! 誇り? どう誇りを持てるって言うんです! 本気でそんなこと言ってるんですか!? だったら…………だったら、狂ってる! 里から女を出さずに、生まれたときからそう思い込むようにしたんだ! 本当だったらもっと長く生きられるのが普通なのに、それを見せないように!」


 大声で喚いた。

 怒鳴った。

 止まらなかった。


「寧様、里の女は、本当に誇り高く生きております。それは、人が生きる上で大切なことなのです。ある意味では、長い寿命よりも……。それに、女たちは里を出ると、より寿命が短くなってしまいます。ですから、ここで暮らすことが一番なのです」

「短く、なる……?」

「はい。理由は、はっきりとは分かっておりませんが」


 短い命が、さらに短く……? それじゃあ――――


「お母さんも、それで……?」

「いえ、あまりに若すぎましたので、そう断定はできません。それに、元々体の弱い子だったのです。里にいる間も、何度も入院をしていました」


 入院?

 何度も……?


「どこが……悪かったんですか」

「心臓です。激しい運動は、禁じられていました」


 私の心は、凍りついた。


「……そんなに悪いのに、私を産んだんですか」


 長が、ハっと息を呑む。


「じゃあ……あの若さで母が死んだ原因は、私だったんですね」


 出産は、母親の体力を根こそぎ奪う。心臓の弱い人間がそれをすれば、たとえ無事に産めたとしても、その後のリスクは大きいに違いない。

 あまねとしても、子どもとしても、私は――――母の命を、奪った。


「それは、違います! 凪子は寧様を産んだあと、危ないところを乗り切って十分に回復したと聞いています。寧様の存在が、凪子に力を与えたのです。むしろ寧様は、凪子を生かしたのですよ!」

「聞いていますって……直接見てもないのに、どうしてそう言い切れるんですか! じゃあ、何で死んだの? 里を出なければ……私を産まなければ、もっと長く生きる可能性が高かったはず…………違いますか!?」

「それは……」


 長が言葉に詰まった。

 私の心は、吹き荒ぶ嵐の中で、発狂しそうに悲鳴を上げた。


「っ……ごめんなさい……私、帰ります」

「寧様!」

「帰ります」


 下を向き、血の気がなくなるほど拳を握り締め、小刻みに震える体をやっと支えている私に、長はもうどうすることもできなかっただろう。


「……かしこまりました」


 そして、私は十岐と里を後にした。









 里から帰った私は、ほとんど食事を取らなくなった。

 あんなに美味しかったはずのご飯は、すべて砂の味に変わった。

 ちゃんと眠ることもできなかった。うとうとすると、夢を見た。

 母が死の淵から伸ばす手を、どんなに頑張ってもつかめない。

 毎回、飛び起きた。


 日中、ハンモックの上で何もせずじっとしている私に、妖怪たちは遠くから声もかけられずにいた。

 放っておけと、十岐に言い含められていたのかもしれない。

 ビーと朧だけが、いつもただ側にいた。


 どんなに食べなくても、どんなに眠らなくても、体は少しも弱ることはなく、クマひとつできなかった。

 大地の力がいつも以上に私の体に吸収されて、全て補っていた。

 誰かのために上げることはできても、自分の体に入ってくるのを拒否することはできなかった。

 心は死んでいるも同然なのに、体は何事もないように元気だった。


 倒れることもできないこの体が、疎ましかった。

 自分の存在自体が、呪わしかった。


 何も受けつけず、何も見ず、ひと言も発しない私に、十岐は何も言わなかった。

 そうして、夏休み最後の一週間は終わった。

 私の心の奥深く、一生消えない傷を刻みつけて。

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