5 脱出 -脱線

「あの……どこに行くんですか」


 家に向かう道ではなかった。今や、見たこともない景色の中を走っている。

 最初は疑わなかったけど、だんだん不安になってきていた。


「あ? ああ、ちょっとドライブに付き合え」

「え……」

「あのな……そんな警戒すんなよ。俺はこれでも、お前たちを預かる身だぞ。それに、ばあ様にも了解を取ってある」

「おばばに? そう、ですか」


 だったら大丈夫、か。


 十岐の話が出てようやく落ち着きを見せた私に、校長は少なからず傷ついたようだった。

 どこを取っても校長らしくなどないのだから、仕方ないと思うのだが。


 車は間もなく、高速に乗った。

 もう、行き先はどこでもいい。ただ走って帰る、それだけでもいいと思った。乗り心地がいいとはお世辞にも言えないボロボロのジープだけど、スピードが気持ちいい。

 助手席の窓の外を、無機質なフェンスが流れていく。


「半分は本当に具合が悪いんじゃないかと思ったが、大丈夫みたいだな」


 ふいに校長が口を開き、現実に引き戻された気がした。


「あ……すみません」

「いや、元気ならそれが一番いい」


 私は、運転する校長の横顔をじっと見る。


「あの……どうして保健室に?」


 一児童が保健室で寝ているくらいで、何で学校の責任者である校長が現れるのか。しかも、私の荷物まで持って。

 十岐の差し金だろうか。


「ああ、そいつは、石山いしやまさんの密告があったからだ」


 校長は笑った。


「石山、さん?」

「あの保健室のおばさんだよ。俺が頼んでおいた。もしもお前がサボりにきたら、知らせてくれってな」

「えっ! 私が保健室に行くって、分かってたんですか!?」

「まあ、他にも山は張ったが、そのうちのひとつに、こうしてお前がかかったって訳だ」


 見抜かれたことはショックだった。でも、何の意図でここまでするのか、それが分からないことへの不安と疑問の方が強い。


「お前のばあ様はスパルタ方式かも知れんが、何でもひとりで背負しょい込むなよ。俺でも、阿尊あそんでもいい。誰でもいいから、必要なときには大人を使え。気分転換したいときとか、ほんの些細なことでも。石山さんも受け入れてくれるからな。普通のおばさんに見えて、あの人は保健室に来る子どもたちの最後の砦なんだ。たとえ仮病だろうと、誰にも邪魔させずに、必要なだけ休ませてくれる。内緒だけどな、教師の間じゃ『石山本願寺』って呼ばれてるほど、相当堅固だから安心していいぞ」


 校長はまた、可笑おかしそうに笑った。


 石山本願寺って、織田信長の攻撃に、耐えに耐えた寺のことだ。

 それは、何かすごい気がする。少し、石山先生への興味が湧いた。


「さて、と。ちょっと早いが、飯でも食うか」


 ボロ車は、車線を変更してサービスエリアへと入っていった。

 何でもいいと言われたので、私はここぞとばかりにジャンクなフードを頼んだ。

 アメリカンドッグにピザまん、仕上げはバニラとチョコのミックスソフトクリーム。何となく、贅沢な気分。


「ガキだな。もっと栄養のあるもん食えよ」


 そう言う斎藤校長は、大盛りラーメンとチャーハンを食べた。

 自分だって、それのどこが栄養を考えたメニューなんだか。ほぼ、炭水化物と脂肪だろう。


 食べ終えると、また高速を走った。

 しばらくすると一般道に降りて、今度は山道に入っていく。と言っても、細く入り組んだようなものではない。車二台がすれ違える、ちゃんと舗装された道路だった。


 随分、上がったと思う頃、気が付けば車の数も少なくなっていた。

 左側の脇に生える木々が少し途切れ、その向こうに止めてある車が微かに見え隠れしている。そんな場所をいくつか通り過ぎたあと、ジープも左折した。

 車が数台は置けそうな、ちょっとした空間だった。周りは木に囲まれている。


「前に通りかかったとき見つけたんだ。本当は夜景がきれいなんだが、お前を夜まで連れ回す訳にはいかねえからな。まあでも、昼間の見晴らしもいいぞ」


 車を降りて、道路とは反対側に向かう校長のあとに続く。

 少し歩くと、急に木が途切れた。


「わあ」


 張り出した岩肌の山のから見える下界には、遠く街並みが広がっていた。

 地形に遮られず、向こうまで見渡せるような眺め。いつもベランダやハンモックから見ている自然の多い景色とは、また違う良さがある。

 これは確かに、夜景がきれいだろう。

 いつか行った函館のような、人が作り出す光の街が見えるような気がした。


「待て、待て!」


 先の方へ進もうとした私の腕を、校長が引いた。


「あんまり端に行くな。前に来たときは柵があったんだが……同じ場所じゃないらしい。危ないから下がってろ」

「あ、はい」


 それからしばらく、私たちはそこに座ってただ景色を眺めていた。

 街の景色は、建物の波だ。向こうに見える大きなビルには、どんなテナントが入っているんだろうとか、あれは何かの工場っぽいとか、そんなことを考える。

 想像することが、また楽しかった。


「よっ、と」


 校長が立ち上がり、我に返る。


「あ……もう、帰る時間ですか?」

「はは、気に入ったのか。まだいいぞ。俺はちょっと電話を入れてくるから、お前はここにいろ。ついでに、車から飲み物を取ってきてやるよ」


 その言葉に甘えることにした。、素直に。ここは、余計な気など回さずにいればいいのだろうと。


 しかし、ものの数分後、戻ってこない校長が気になり始めた。

 電話って何だろう? 学校だろうか。もしかして、私に関わることかな。今日のこれが、迷惑になってるんだとしたら……

 一旦、気になったら、景色に集中できなくなってしまった。


「やっぱり、見に行こう」

「君、何してるの?」

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