2 4ではなく1

「わあっ! って、赤鬼!?」


 木だと思い込んでいたものの半分近くは赤鬼だった。

 そう言えば、いくら大木と言ってもここまで太くはなかった。怒りで周りが見えていなかったらしい。


「お帰り」

「う、うん。ただいま。これ、何?」


 赤松の幹には、木の形に添うように作られた梯子が、しっかりとくくりつけてある。


「上」

「上?」


 言われるままに見上げる。

 梯子は、木に合わせて枝をよけながら、家の屋根より高いところまで続いていた。途切れたところには、隣に生えている木との間に渡された、何やら白い布。


「あれは…………ハンモック!」


 枝に隠れて全部は見えないが、間違いない。誰もが一度は寝てみたい、ハンモックだ。

 怒りなんかどこかに飛んで、すっかり心を奪われてしまった。


「オレが、取り付けたんだぞ! ねいのために! オレが、やったんだからな!」


 上から声が降ってきた。

 サトリだった。梯子をつけた松とは反対側の木の上で、ハンモックを結んだ紐をしきりに指差している。

 赤鬼が、私の背中を押した。


「上がってみろ」

「うん!」


 登っていく途中の、枝の間から見え隠れする白い布。一段上がるごとに、地面が遠くなるほどに、ワクワクが高まっていく。

 あとちょっとだ、この枝を越えたら――――


「うわぁ!」 


 間近で見ると、普通のハンモックより随分、大きかった。大人でも三、四人は余裕で乗れるんじゃないだろうか。

 手前と奥の二箇所には曲げ木が添えられ、太い紐で固定されていた。滑らかにカーブした木の板のお陰で、布全体がピンと張っている。縁には両側で計八箇所に紐をくくりつけ、上空を覆っている枝と繋いであった。

 深さもあって、立ち上がってもひっくり返らないよう、落ちないよう、ちゃんと考えてある。

 きれいだ。

 流線型の姿はまるで、空に浮いた船のようだと思った。


「ほら、早く乗れよ! 気持ちいいぞ!」


 我慢できないというようにサトリが急かす。

 私は頷き、船に乗り込んだ。

 分厚い帆布は、思った以上にしっかりと足を支えてくれたけど、立って歩くには心許ない気がした。四つんばいで真ん中まで進んでから膝立ちになり、そこで初めて右側に広がる景色に目を向ける。


「う……わあ……!」


 南側のベランダや、屋根の上からの景色も、どれだけ見ても飽きないほど素晴らしい。だけど、これは格別だった。


 張り出した赤松の枝によって、切り取られた世界。

 天然の額縁の中で、木陰の生み出す光の絵画。

 自然と一体になっているような感覚。


「どうだ! すごいだろう! オイ……すごいだろ? オイ……。オイって…………。何でだ……寧が何も考えてないぞ! そんな人間、見たことないぞ! ずっと動かないし……まさか、おかしくなったんじゃないだろうな。そう言えば、さっきから顔がバカみたいだ」


 サトリの言葉は、聞こえているのに耳に入ってこない。

 口を開けて、頭は空っぽで、ただうっとりとそこにいた。


「どれ、あたいに任せな」

「わっ!」


 何かが肩に乗って、私は飛び上がった。


「ほうら、あたいには気づいてくれるのさ」


 小さな頭を私の頬にスリスリする生き物。

 姿は、尾の分かれた三毛猫。声はまさしく、十兵衛ちゃん。


「やっぱり、あの三毛猫は十兵衛ちゃんだったんだね」


 学校で見たときは遠すぎて分からなかったけど、艶々の毛並みと言い、吸い込まれそうに大きな瞳と言い、まさに美人猫だ。十兵衛ちゃんは、人でも猫でも美人に変わりなかった。


「あー……そう、だったかねえ……」


 私が怒っているのかどうか、上目遣いでチラチラと確認しながら言葉を濁している。

 でも、そんなもの、とうにどこかに行ってしまっていた。


「もういいよ。遠目からは普通の猫だったし、誰も気付いてなかったしさ」


 この景色の前じゃ、文句を言う気も起きようがない。

 本当に感動だ。こんな素晴らしいものは、手に入れようと思って入るものじゃない。

 みんなに、感謝でいっぱいだった。


 バサバサっと大きな鳥が飛んできて、すぐ側の枝に止まった。


「ビーもこの木が気に入ってんだってよ。だから、寧も一緒にいられるよう、ここにハンモックを付けたんだよ。お前の為にやったんだぞ」


 私の心に怒りの「い」の字もないことを分かったサトリの、ここぞとばかり恩を着せようとする言葉だって、気持よく聞き流――


「何だい、あんたが考えたんじゃないだろ。ビーの気持ちを知ってたのも、梯子からハンモックから全部作ったのも、赤鬼じゃないか」

「え……?」


 消えたと思っていたおきはまだわずかに熱を残し、待機状態だった。

 火の粉がかかり、忘れていた怒りの炎が燻り始める。


「うわ! 言うなよ! やめろ、バカ!」

「ああ、言ってやるさ! 寧ちゃんに怒られたくなくて、帰ってくる前に慌ててやったんだ。そこの紐をちょちょいと取り付けたくらいで、えらそうに言うんじゃないよ。それまでずっと、赤鬼がひとりでやってたってのに。自分だけ点数稼ごうったって、そうは問屋が卸さないよ!」


 十兵衛ちゃんの言葉が、点火のスイッチを押した。


「へえ……」


 みんなで作り上げたのかと、思った。

 違ったのだ。優しい赤鬼が、私とビーのために一生懸命作ってくれた、二つとない特別なプレゼントだった。

 それを、自分の手柄みたいに……


「せっかく……よくも……」

「お、怒るな、寧。手伝ったのは本当なんだから、いいじゃないかよ、な? ハンモック、気持ちいいだろ? お前の為に頑張ったんだぞ?」

「このっ……まだ言うか! その根性、叩き直してやる!」


 私は、サトリのいる枝に飛び乗った。思いっきり、頭をはたいてやるつもりだった。

 サトリには、私の考えが読める。しっかりと防御の体勢を取った。

 しかし、怒りに気を取られすぎていたのだろう。私が飛び乗った勢いと体重で大きくたわんだ枝に、バランスを崩した。

 木の動きは、読めなかった。


「わっ、わっ」


 ザザザザ! バキベキ! ドシーン!!

 大きな猿も、木から落ちることがある。

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