その日
外崎 柊
1
午前十一時出棺予定の長田区の現場に向かう為、僕は寝台車の運転席で渋滞の列の真っただ中にいた。
時刻は十一時を過ぎていた。鵯越斎場には既に連絡を入れ、今日の火葬予定はキャンセルになっていた。当家にも連絡がつかず、社長からは、とにかく現場にいってみろという指示だった。
垂水区の本社から、国道二号線を通らず山側のルートを取り、総合運動公園前を通過し、県道二二号線を下り長田区を目指していた。
長田商店街に差し掛かるころ状況は一変した。
その日、僕たちが向かうことになっていた葬儀の現場は、長田商店街入り口の鳥居から南にある御蔵小学校の近所にあるアパートの一室だった。葬儀といっても儀式らしいことは何もせず、時間がくれば出棺するだけの簡素なものだった。
母親が亡くなり、一人娘が見送る予定だった。
僕たちが現場に到着したのは、午後一時を回っていた。
騒然とした雰囲気の辺りを見回し、車から降りた僕の目にまず飛び込んできたのは、激しく燃え盛るアパートの建物だった。昨日、準備を終えて、娘さんが見送りに出てくれた入口の扉が、今は大きく開け放たれて中から激しい炎の渦が吹き出していた。
別の車で到着した村元さんは、もしかしたら娘さんは小学校に避難しているかもしれない、とすぐ隣の御蔵小学校へと確認に急いだ。
僕は、茫然と立ちすくんでいた。目の前で勢いよく燃えるアパートや他の住宅の棟々、シーツに包まれて歩道に寝かされる亡くなったと思しき人々、悲鳴や怒号、物が燃えるけたたましい騒音と熱に体が動かなかった。
「大丈夫や、娘さん避難しとった」
村元さんは息を切らしながら、駆け戻ってきた。
「故人さんは?」
結果は分かっていたが聞かずにはいられなかった。
「アパートと一緒に燃えとる」
村元さんは混乱と喧噪の周囲をあらためて見回すと、
「オレは長田警察署まで行って状況を確認してくる。お前は一旦、会社に帰れ」
僕は言われるまま寝台車へと戻り、国道二八号線を西向きに車を進め、県道二一号線に入った。
車はノロノロとしか進まなかった。
山陽電鉄西代駅の陸橋に差し掛かり、アーチのてっぺんにたどり着いたところで、橋のつなぎ目がずれて三十センチ以上の落差ができていることに気付いた。若干の恐怖心とともに、そこを落下するように通過すると、その先の道路の両側に立つ建物は一面炎に覆われていた。
「そっちどんな状況や」
車載無線機から社長のこえが響き、僕は現実に引き戻された気がした。
「凄いことになってます。アパートは燃えてました」
僕はこれまでのことをかいつまんで説明した。
「分かった。充分気を付けて帰って来いよ」
火勢は増々強くなっているようだった。大量の黒煙が空に舞い上がり、薄暗く何もかもを覆いつくしてしまいそうだった。歩道にはヒト型のシーツが何体も並べられ、火災を起こしている建物の回りで何人かの人々が右往左往していた。車のハンドルまでが熱くなっていた。
車は板宿の大田町の交差点に差し掛かっていた。
「ちょっと待て、待ってくれ!」
両手を大きく広げて、五十代位の男性が車の前に立ちはだかった。元々歩くほどにもスピードは出ていなかったから、僕はその場に車を止めた。
「この車、寝台車なんやろ?」
よく判ったなと、頷くと、おじさんは急き込んで、
「地震で一人家の下敷きになって、今さっき助け出したんやけど、こんな状況やから救急車も来えへんし、なんとかこの車で病院まで運んでくれへんか?」
僕は承諾すると、そのおじさんを助手席に乗せて、家の場所に案内してもらった。
家は大田町の交差点を南下してすぐのところだった。
古い木造の家屋は完全に倒壊していた。がれきの回りには五・六人の人間が地面に寝かされている人影を取り囲んで立っていた。
僕はすぐさま寝台車からストレッチャーを下ろし、寝かされている人のもとへと駆け寄った。
まだ幼さの残る顔立ちをした若い男性だった。グレーのスウェットの上下を着て、がれきの板の上に仰向けに寝かされていた。
僕には見慣れた死者の顔付きだった。
「体はあったかいんや。なんとかなるやろ? 助けたってくれ、な、頼む、頼む」
おじさんは涙を流し、鼻水をすすりながら苦しそうに言葉を継いでいた。
「親戚の子やねん……今年成人式でウチに遊びに来てて、それやのに、こんなことになってもてどうしよう…まだ二十歳やのに」
周りの人たちも皆泣いていた。
僕はストレッチャーから担架の部分を取り外し、寝かされている男の子の横に並べて置いた。
「病院に運びますから、皆さんでこの担架に乗せてください」
寝台車の後部座席におじさんを乗せ、近くにある協同病院を目指した。
おじさんは黙って俯いていた。
「おっちゃん、その子に声かけたり。あきらめんなよ」
おじさんは、ただひたすらに、その子の名前を耳元で呼び続けていた。僕も無意識にその名前を口にしていた。死者は見慣れている筈なのに、なぜか涙が流れるのを止められなかった。
協同病院の周囲では電柱が倒れ、崩れたコンクリートのがれきが道路の端にうずたかく積みあがっていた。
病院の中は電灯が消え、けが人で溢れ、さながら野戦病院のようだった。僕は廊下でうずくまるけが人の間を縫うようにストレッチャーを押し、ちょうど階段を降りてきた白衣姿の医師を引き止めて、担架に横たわる男の子を診てもらえるように頼んだ。
医師は男の子にかけていた毛布を手早く剥ぎ取ると、脈をとり、瞳孔の散大を確認した。
「残念やけど、手遅れや。裏に臨時の安置所があるから、そこに連れて行ってくれるか」
「ありがとうございました」
礼を言うと、医師は振り向きもせず病院の奥へと消えていった。
おじさんは声にならない嗚咽を漏らし、廊下に膝をついていた。自分の太ももに拳を叩き付け、大粒の涙が床にいくつも落ちた。
僕はおじさんをなんとか起き上がらせると、病院の裏手にある安置所に向かった。
安置所は倉庫のような建物だった。普段どういう使われ方をしているのかは分からなかったが、中は二十畳程の畳が敷かれてあった。そこには既に、三人の遺体が安置されていた。
おじさんとともに、空いている場所に遺体を安置すると、僕は寝台車に積んであった新仏用の備品を運び込み、枕元に線香をあげる為の三具足と経机をセットし、遺体には白装束を着せた。
「何にもできんけど、せめてこれだけ置いていかせてください」
おじさんは何度も、ありがとう、ありがとうと繰り返していた。僕はかけるような言葉も浮かばず安置所を出た。無力感が重くのしかかっていた。吐き気がしそうだった。こんな時は泣けばいいのか、叫べばいいのか、それともあまりの非現実感に笑えばいいのか、見当もつかずすべての感情を頭の先から引っこ抜かれたような気がした。
辺りには殺伐とした空気が漂っていた。道路に転がるブロックの欠片も、ちぎれてぶら下がる電線の端も、すべてが更なる崩壊の予兆に震えているようだった。
「ソウギ屋や!」
ふいに病院の玄関前で鋭い声が上がった。
「もう来よった。ソウギ屋がもう来よった!」
寝台車を見て、僕を葬儀社の人間だと悟ったのだろう。
老人の声はどこか、ひどく怯えていた。まるで、死神を見つけてしまったとでも言いたいような歪んだ目をして、僕を見ていた。
世界は反転したのだ。
家族が亡くなり、友達が死に、見知らぬ大勢の人々が消えた。
ふいに心細さを感じて携帯電話を取り出した。だが、どこにも繋がりはしなかった。不通になった携帯電話を握りしめて、それが諸悪の根源であるかのような気さえした。
電信柱から火花が散り、どこか遠くからサイレンの音が聞こえた。
僕は誰も救うことのできない死神だと思った。
怯えた老人の声に断罪される死神だと思った。
了
その日 外崎 柊 @maoshu07
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