13.残された者達

Act.1 22年間


 家に入ると開けたままのガラス戸からは数匹の蛾が部屋まで入ってきてしまっていた。

「いくら田舎だからって、開け放しておくのは不用心すぎるぞ。」

久しぶりの幼馴染宅の訪問に隼人が最初に言った一言はこれだった。蛍光灯の周りでは4匹ほどの蛾がバチバチ羽を当てながら飛びまわっている。

「ごめんなさい…でもなんで…。」

鈴は不思議そうに飛びまわる蛾を眺めている。

「俺は健と沙羅ちゃんを連れてくる。戻ってきたらそいつらを退治してやるから。」

そう言って隼人は玄関の方へ向かった。

 鈴は頭がボーっとしていた。何か夢を見ていたようなそんな気分だ。鈴はゆっくりとソファに座り、深呼吸をした。一匹の蛾が鈴の目の前にやって来るが、あまりの疲れに驚くこともなくじっとそれらを眺めていた。しばらくして隼人が一人で戻って来た。何やらニヤニヤとしている。

「あそこは若い二人にさせておこう。俺達は邪魔者になるだけだ。」

恐らく2人とも目が覚めて話でもしていたのだろう。隼人は椅子を持ってきて蛍光灯の下に置き、そこに上ると近くにあった新聞で蛾を叩きだした。天井を叩くたびにパシッっという音が部屋中に響く。鈴はどうもその音に反応してしまう。何かの音に似ている気がする。隼人が蛾を叩く姿をじっと眺めていると、やがて数匹の蛾の死骸がボトッっと音を立てて落ちてくる。全ての蛾を退治すると、隼人は持っていた新聞紙で蛾の死骸を包んでゴミ箱に捨てた。

「隼人…。」

隼人は持っていた残りの新聞紙を戻しながら鈴の方を振り返る。

「うん?」

「隼人…もう戻って来るの?」

隼人も鈴の隣に座った。

「うーん…もう少しだな。今すぐには無理だ。」

「じゃあどうして?」

今度は鈴が立ちあがり台所へ向かう。

「どうして…だったかな。」

隼人はようやく落ち着いたという風に息を漏らしながら言う。

「とにかくここへ来なきゃいけない、学校へ戻らなきゃいけないって思ったんだ。そうだな…学校に何か大事な忘れ物をしてきたみたいな。よくあったろ?宿題のプリント忘れて帰って夜にまた学校に取りに行くとかさ。」

「私…はそんなことなかったよ。」

台所から鈴の声がする。食器の音がして良い香りがしてきたのでコーヒーでも淹れているのだろう。

「俺はよくあったよ。」

「隼人はね。」

隼人の頭もまたスッキリとしていなかった。

「コーヒー淹れてるの?」

隼人が台所の方に向かって言う。

「うん…コーヒー駄目?」

「いや、好きだ。」

しばらく隼人は静かに待っていた。鈴が盆にコーヒーカップ2つと角砂糖、ミルクの入ったバスケットを運んできた。

「はい。」

鈴はカップを一つ隼人の前に置く。

「ありがとう。」

隼人は何も入れずにコーヒーを一口すする。鈴はミルクと角砂糖を一つずつ入れて混ぜている。

「隼人、いつ戻って来るの?」

鈴はティースプーンでコーヒーを混ぜながら言う。

「詳しくは分からない。だけどもうすぐだ。ひと月以内には戻って来るよ。」

隼人はもう一口コーヒーをすする。

「健君も寂しがってると思うわ。早く戻ってきてあげて。」

鈴もコーヒーをすすり始める。

「もう少しの間、鈴頼むよ。幸い沙羅ちゃんも同じ高校に行ったんだし、それにお前は…。」

言いかけて隼人は息を飲む。鈴の表情も少し険しくなり、沈黙が流れた。鈴は自分を落ち着かせる為なのかコーヒーをグイッと流し込んでいた。

「ねえ隼人。私ね…。」

鈴はコーヒーのカップを置きながら言いかけるがまた沈黙が流れる。

「どうしたんだよ。」

隼人もブラックコーヒーをグイッと飲みながら言う。

「私…健君に言いそうになっちゃった。」

隼人の手が止まる。

「ごめんなさい…まだ言うべき時じゃないのにね…。」

隼人は何かを考えるようにコーヒーを見つめていた。

「そうだな…今はまだ…。」

ゆっくりと隼人は言い、コーヒーをすする。

「だがいずれは言わなければならない時が来る。その時が来れば、大丈夫さ。心配ない。」

鈴は不安そうな表情を浮かべている。

「ねえ隼人…。」

鈴は何かを言おうとしているが決心がつかないらしい。

「どうしたんだよ…鈴。」

「隼人…今更なんだけどさ……私…やっぱり隼人のことが……好き…みたい…。」

再び蛍光灯の方からバチバチと音が聞こえる。まだ生き残っていたのか、蛾が蛍光灯の周りを飛んでいた。その蛾はまるで2人を邪魔しているようにも思えた。






Act.2 今の2人


 沙羅が目を覚ますと、隣には健が座っていた。周りを見回すとよく知っている光景だった。それもそのはずで、2人は鈴の車の中にいた。

「沙羅…大丈夫か?」

隣には健がいて、先に目覚めていたようだった。

「健…?」

沙羅はその時何とも言えない安堵感に襲われた。不思議な感覚だった。健の顔を見た瞬間にその安堵感が溢れ出し泣きそうになっていた。

「健…健!」

沙羅は健に抱きついて泣いていた。心の中から溢れ出すものが全て出ていくように沙羅は泣いた。

「沙羅…どうしたんだよ…。」

その時だった。車の窓の外に健は隼人を見た。隼人は健と目を合わせると初めは驚いたような表情をしていたが、2人の様子を把握したのか笑顔になると引き返して玄関へ入っていった。その時に健はそこが沙羅の家であるということが分かった。沙羅はまだ泣き止まず、健にすがりつくように泣き続けた。健はどうしていいか分からなかったが、そっと沙羅の頭を撫でた。すると沙羅は徐々に落ち着いていったのか嗚咽だけになっていった。

「健…ごめん…。」

沙羅はようやく少し話した。

「大丈夫…大丈夫だから。俺は大丈夫だから…。」

健はやはりどうしていいのか、なんと言っていいのか分からなかった。

「沙羅…家の中に…入ろうか?寒くない?」

健は居心地のいいような悪いような感覚になり、そう言った。

「駄目。多分…今家に入ったら私達邪魔者だから…。」

「え?…」

健にとってそれが何を意味するのかなんとなくは理解できた。しかしそれはそれで健にとっては複雑な気持ちでもあった。

「ねえ…健…。」

沙羅は健の胸のあたりに顔を埋めたまま話しかけてくる。

「私…不思議なの。こんなの初めて。

「どうした?」

「凄く…胸が痛い…。」

確かにその言葉はどこか苦しそうでもあったが、それだけではないもっと違うものを沙羅に感じていた。

「どうしたんだろう…痛いんだよ…。」

沙羅は泣きそうな顔で言った。すると健は沙羅の肩をそっと寄せた。その時の健の手には、沙羅のその鼓動が伝わって来るようで今までに感じたことのないような不思議な感覚に落ちて行った。

 そうして2人は長い間そのまま互いの心の奥に芽生えた一つの感情にそっと触れ合ったのだった。






Act3 緊急職員会議


 ある朝、「東第一高等学校」の職員室は騒がしかった。

「一体どういうことなんだ!」

1年生の学年主任が怒鳴っている。

「学年主任のあなたが分からないで、他の先生が分かるわけないでしょう?」

雪江は落ち着いた様子で自分よりも年上の学年主任に向かってそう言った。学年主任は頭を抱えながら更に続ける。

「野田君!君じゃないのかね?」

昭弘は急に呼ばれて驚いている。

「い…いえ…僕はあくまで副担任だったのかと…。」

「じゃあどうして1年1組の担任がいないことになってるんだ!昨日までは一体い誰が1年1組に行っていたんだ!」

学年主任は怒鳴り過ぎで血圧でも上がったのかよろめきながら怒鳴る。

「昨日は…僕が行ってました。」

「ほら、じゃあ野田君が1年1組の担任なんだよ!な!そうだろ?」

「いえ…その前は僕は1年1組へ行っていないかと…。」

「じゃあ誰が行ってたんだよ!!」

学年主任はついに椅子に座り込んでしまった。

「先生!そんなにワーワー言っても仕方ありません。誰も1年1組の担任は初めからいなかったって言うんですから。ここはとりあえず副担任とされている野田先生にしばらくお願いしましょう。ね、野田先生。」

昭弘は急な展開にどうしていいのか分からないといった表情をしている。

「あ…ええ…まあ…はい。」

「しかしこんな不思議なことって本当にあるんですね。」

自分の席でひそひそと話しをしているのは尚樹だった。

「1年の英語担当もアマンダ一人になってたらしいじゃないですか。絶対に無理ですよ。じゃあ一体誰が教えてたんでしょう?」

1年1組の担任が不在だったのも、1年の英語担当がいないことも、誰ひとりとしてその理由は分からなかった。ただ全員が口を揃えて言うことは一つ。

「そんなの初めからだったよね。」






Act4 残された者


 放課後、健と拓郎は担任の昭弘に言われて雑用を任されていた。

「なんで俺なんだよ」

健は文句を言いながら雑用の机運びをやっている。

「たまたま近くに居たからだろ。」

拓郎は冷静に言う。

「あーあ、これから部活だってのに。最悪!」

健はまだ文句を言っている。

「たった6個なんだから、早く終わらせちまおうぜ。」

拓郎は机を持ったまま階段に差し掛かる。

「でも最近なんか変だよな。」

健も階段を降りながら言う。

「何が?」

拓郎はぶっきらぼうに答える。

「いや、担任のことといい、この机のことといい。この机だってさ、初めから6個あったよな。」

「そうだっけ?」

いいながら拓郎は踊り場を曲がって見えなくなる。健も少し遅れて踊り場へ降りると、自分の背後から何か冷たい空気を感じた。その空気にただならぬ雰囲気を感じ全身が逆立っていた。健は恐る恐る振り返った。その瞬間、健はあまりの恐怖に動けなくなってしまった。階段の上には黒い影のような、靄のような物体は蠢いているのだ。よく見るとそれは人の形をしているようにも見える。その影達に顔などはなく、そもそも人なのかどうかも分からないのだが、健はその物体達にじっと見つめられているような気がした。その時だった、健は恐怖とは別に何とも言えない悲しいような苦しいような複雑な感情が過った。他の影達は健に何かを訴えかけようとしているのだ。その影達はゆらゆらと蠢いているだけだと思っていたが、徐々に健に近づいてきているようにも思えた。健はあまりの恐怖にじっとその影を見ていた。その影は健のことを手招きしているようにも見える。健は机を抱えたままその影達から逃げるようにその場を後にした。健はもうあの影達を見ることはなかったが、なぜだかあの光景を忘れることはできなかった。そしてその健の記憶の中には、あの影達は手招きをしていたのではなくもしかしたら健に向かって手を振っていたのではないかと考えるのだが、それはもう記憶の中のこと、もしかしたら健の都合のいいように書き換えられてしまったのかもしれない。


 記憶なんていうものは都合のいいように書き換えられてしまうもの。そこにあるのは事実か真実か。記憶は真実を生み出すことはできるが決して事実を生み出すものではないのだから。






(終稿)

第一稿

2016年4月7日

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壁裏ロジック 鶴田昇吾 @0420tkmoon

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