10.壁裏

Act.1 特別な場所


 いつの頃からだろうか、亮一は授業をさぼるようになっていた。成績自体学年でも隼人とトップを争うほどでいつも隼人より少し上をいっていた。そういう訳なのかどうなのかは定かではなかったが授業自体がつまらないと言ってよく教室からいなくなっていたのだ。

「あれ?花村はどうした。」

その日も社会の授業前に亮一は教室から消えていた。

「おい、誰でもいいから花村を見つけたら俺のとこに来るように言っとけ。いいな。ったくあいつはどうしょうもない奴だな。」

確かに社会の上野の授業は面白くはなく、真面目に授業を受ける鈴でさえもウトウトしてしまう時があるくらいだった。そうして授業が終わった後。

「ねえ隼人、亮一何処でサボってるんだろう?」

すると隼人はにやにやと悪戯に笑いながら鈴の方を見てきた。

「お前、知らないのか?亮一がいつもどこでサボってるのか。」

「知らないよ。最近になってからよくいなくなるけど何処に行ってるかまでは分からないわ。」

すると隼人はちょっとついて来いと鈴を連れてある場所へと向かった。その場所はピロティから校舎を繋ぐ入口の横、行き止まりに見える垣根の間を抜けたところにある丁度部室棟の真裏側、日もろくに当たらない校内で死角となっている場所だった。その場所に亮一は部室棟の壁を背にして座って本を読んでいた。

「おい亮一。やっぱりここか!」

隼人は本に夢中になっている亮一に声をかけた。

「隼人!ビックリするじゃないか。」

亮一はビクッと本から顔を上げると隼人の方を驚いた顔で見ていた。

「お前授業抜け出して何やってるんだよ。鈴も心配してたんだぞ。」

「そうだよ、亮一こんなところで何してたのよ。」

鈴も亮一に心配そうな顔で言う。

「俺がここにいるのはいつものことだろ?心配しなくてもいいよ。」

亮一は笑いながら言っている。それを見て鈴は少し呆れたような顔をしながら

「もう、笑い事じゃないよ。いつものことだって言われても私初めてこの場所知ったし。なんでこんなところでサボってんのよ。」

すると隼人も不思議そうに鈴に続いて亮一に質問した。

「そうだよ。前から思ってたけどなんでここなんだよ?サボるなら他にいいところがいくらでもあるだろ?屋上とかさ。」

そういうと亮一は目の前のもう一つの壁を見つめながらぽつりと言った。

「間だから。」

「間?」

鈴も隼人も意味が分からなかった。サボる場所に間というのは一体どういうことなのだろうか。亮一は前の壁を見詰めたまま続ける。

「校舎の白い壁と講堂の白い壁に挟まれたこの場所だからだよ。」

その時の亮一はまるでこの場所を愛おしむような言い方だった。しかし鈴にも隼人にもその場所がそんなにいい場所だとは思えなかった。

「こんな日も当たらない薄暗いところが?」

隼人の言うようにこの場所は日も当たらない薄暗くじめじめした場所で隅っこには苔も生えていて御世辞にも落ち着けるような場所ではないような気がした。

「俺にとっちゃなんか落ち着くんだよ、ここ。学校の中でもちょっと特別な場所って気がして、ずっとここに居たくなるんだよな。そうだな、だからつい授業に行くの忘れちゃうんだなきっと。」

そういうと亮一はまたニヤッと笑いながら2人の方を見た。

「ったくそんな言い訳つけて、忘れてるんじゃなくてわざとだろ。」

隼人は呆れたように言う。すると亮一は急に真面目な顔になり、

「そうでもないさ。この世の中には考えても分からないことが沢山ある。そのせいで大昔から科学者は首を90度捻っても捻り切らないほど考えてきたんだよ。」

という

「それ、物理の山口の受け売りだな。」

相変わらず隼人は呆れているようだ。

「まあな。隼人、お前はどう思う?」

そう亮一に聞かれて隼人も少し考えているようだった。

「うーん…俺は良く分からないな。」

「まぁ俺も上手く説明できないんだけどな。」

というと亮一と隼人は顔を見合わせて笑った。鈴はそんな2人を見ているのが好きだった。どんなことがあってもいつも最後には笑い合っていられるこの3人がとても幸せに感じたのだ。そう考えると今3人だけしかいないこの薄暗い空間もとても居心地がよく感じる。少し高校生にしては子供っぽい発想なのかもしれないが、その場所が3人にとっての秘密基地のようなそんな風に感じることが出来、確かに亮一の言っている意味も分からなくないなと鈴はその時感じながら2人の会話を聞いていた。

「で、結局授業はサボリって訳か。上野怒ってたぞ。」

「あの歴史の話しなんか聞いたって、俺にしてみればただの子守唄にしかならないよ。それよりここにいる方が癒される。」

「そりゃ授業よりは癒されるだろうけどな。」

「っていうか、わざわざ呼びに来なくていいんだぞ? 部活ならちゃんと行くよ。学校に来るのなんてそっちがメインだからね。」

「そうも行かないんだよ。俺は良くても鈴だって毎回心配するし、俺も一応お前の幼馴染みだからな。」

「そうだな。友達に迷惑かけるのは良くないよな。」

「そういうことだよ。」

そういうと亮一はようやく立ち上がり、3人でその場所から出ると太陽の光が気持よかった。そうして何時までも仲良くしていられるのだと3人とも何も疑わずに思っていたのだった。






Act.2 エントランス


 鈴は「東第一高等学校」の正門の前に車を停めると健と共に車を降りた。学校はもう職員達も帰ったらしく暗闇に溶け込んでいて昼間見るよりも不気味に感じた。正門は施錠されておりそこから中へは入れなかった。

「健君、こっち。」

鈴にそう言われて正門から壁伝いに歩いていくと丁度駐輪場の真横のフェンスの辺りがなんとか乗り越えられそうなくらいの高さになっていてそこから校内へ侵入できた。

「鈴さん…何処へ行く気ですか?」

健は鈴に聞いた。

「健君、さっき壁って言ったわよね。その壁もしかしたらあの壁のことかもしれない。」

そういうと鈴はどんどんと歩いていき、健はそれに付いて行った。鈴が向かうのは健もよく知っている部室棟の方でまずピロティに入った。そこから校舎へ入る扉の方へ行くと扉へは行かずにその横の茶道部庭園のある垣根の方へ足先を向けた。一見すれば行き止まりでその先に何かがあるとは思えないのだが、鈴は部室棟と垣根の僅かな隙間を進んで行った。途中垣根から飛び出る葉っぱが刺さって痛いがそれを気にしている暇などない。数十メートルほど行くと開けた場所に出る。その場所は他のどの場所よりも暗く、僅かに入りこむ月の光だけが頼りだった。鈴はその丁度部室棟の真裏側、反対側には恐らく野球部の部室があるのであろう方の壁を見つめた。

「多分…ここだと思う。」

鈴はそう言った。その時健も何となくその場所に見覚えがあるような気がした。2人はその壁を前にここから何が起こるのか、本当に壁のあちら側は存在するのかと不安と恐怖に包まれながら沈黙していた。

「亮一…あなた…私をそっちに連れていきたいんじゃないの?」

鈴が壁に向かってそう呼び掛けた瞬間だった。一瞬暗闇の中で壁が歪んだのかと思ったがそうではなかった。壁の前にゆらゆらと暗闇よりもさらに黒い靄が陽炎のようにかかってきていたのだ。健も鈴も身構えた。身構えたところで何が出来るわけでもないのだが、2人の中にはあちらの世界へ行かなければならないという使命感が強くなっていたのだ。靄はやはり人の形をした影に見えてくる。影は徐々に2人の周りを取り囲んでいき、先ほど入ってきた垣根の隙間からも無数の影が2人を取り囲んできた。気が付けば四方を影に囲まれている。

「鈴さん…。もう後戻りはできません。」

健も覚悟していた。もう今は影に対しての恐怖心はなかった。ただ友達を助けたい。こんな影に負けるものかという気持ちだけだった。鈴も同じようだった。沙羅と、亮一のことも助けなければならないと思っているに違いない。鈴の表情を見るとそう物語っていた。

「分かってる。早く、そっちへ連れていきなさいよ!」

2人はゆっくりと影に飲まれていくとだんだんと周りが真っ暗になり、健はすぐ隣にいた鈴のことさえ確認できなくなっていった。そうして2人は完全に暗闇へと呑まれていたのだった。






Act.3 あちら側


 あれからどれくらいたったのだろうか、健は目を覚ました。ゆっくりと目を開け起き上がると、なんとなく見覚えのある景色が広がっている。少しの間頭がボーっとしていたが健は気が付いた。そこは1年1組の教室だったのだ。教室を見渡すと健は直ぐに沙羅がいることに気が付いた。

「沙羅!」

沙羅は自分の席で気を失っており、その周りをいくつかの影が取り囲んでいる。健は沙羅を助けなければならないと沙羅の元へ向かった。影達は何やら沙羅を取り囲んで自分達の中にでも取り込もうとしているようだった。

「沙羅!大丈夫か!!」

健はとにかく沙羅をそこから連れ出さなければと影達の間に入って行った。やはり影には実体がないらしく影の間をすり抜けることが出来たのだが、その影に入った瞬間健はその影達に強く吸い寄せられてしまいそれ以上沙羅の方へは近寄ることが出来なかった。

「沙羅!沙羅!」

その時だった、健は衝撃の事実を見てしまったのだ。その影達が健の方へ顔を向けてきたのだ。遠くからはただの黒い影にしか見えなかったが近くで見るとうっすらと顔が見える。影の中に入りこむような形になっている健にはその顔が更に暗く見えていたがはっきりと分かった。目の前に見える顔は均と絵梨だ。健はその光景にただただ衝撃を受けていた。その顔もほとんど影と同化しており、目玉の部分が黒く抜けてしまっていてどういう表情をしているのかも分からない。しかしその顔立ちから消えた6人がそこにいることが分かった。健が周りを見回すと潤、誠、貴之の姿も見える。ということは健が入りこんでいる影は広樹だ。健は大声で広樹を呼ぼうとしたが声が出なかった。広樹の顔は分からないが5人は無表情で健の顔を見ている。健は更に強く広樹の影に取りこまれようとしている。その時だった、沙羅がゆっくりと目を覚ますのが見えた。ゆっくりと周りを見渡し、健に気が付いてはっとなる。

「健!!」

やはり健は声が出なかった。

「健!もうだめ!佐仲君も中村君も、久永君も高山君も皐月さんも…小川君ももう元に戻れないの!遅かったのよ!私達も早くここから出なきゃ、戻れなくなっちゃう!」

健は沙羅が何を言っているのか分からなかった。もうだめだとはどういうことなのだ。もう戻れないとはどういうことなのだ。健も沙羅も6人を助けに来たのではないのか。それなのにもう元に戻れないとは一体どういうことなのだ。

「もう皆影の仲間になっていってる。今の私達にはどうしようもないのよ!このままじゃ私達も影になってしまう!」

沙羅もそこから逃げ出したいようだったがやはり動けないらしい。必死で動こうとしているのが分かる。

「どうして…こんなことに…。」

なぜ自分たちがこんな目に遭わなければならないのか。健はもう一度皆の顔を見回しながら絶望を感じた。何度見てもやはりこの顔はあの6人だ。この影も広樹だと分かる。こうして影の中にいても広樹顔が見えるようだった。なぜこんなことになってしまったのだ、今目の前に助けたい6人がいるというのに自分達には何もできないということはどういうことなのだ。健はいつの間にか悔しさともどかしさと自分達に対する怒りでいつの間にか涙を流していた。そして6人でばか言って笑い合っていた時のことを思い出していた。可愛い女子を見つけてはニカッと笑って追いかけ回していた均。その鋭い目で野球一筋だった貴之。運動神経は今一つだったがなんでも一生懸命な誠。いつも冷静でまじめな潤。優しくていつも元気な笑顔を見せていた絵梨。ガタイがよくてこいつとならいいバッテリーになれそうだと思っていた広樹。初めての高校生活で自分のことを受け入れてくれた6人をもう連れ戻すことが出来ない。もう6人で笑いあえることが出来ない。そう思うと健は涙が止まらなかった。その時だった。

「健…俺達のことはもういい…お前は如月を守れ…如月を連れてこっから出るんだ…。俺達はもう無理だ。もう戻れない。急げ。」

広樹の声だった。何処から聞こえてきたのかは分からないがそれが広樹の声だということは分かった。その声を聞いてからだった。健は渾身の力を出し自分にまとわりつく影を思いっ切り振り払った。

「沙羅!!」

「健!」

健は沙羅の腕を掴むと思いっ切り影を突っ切り教室を出て1年1組から走って離れて行った。

「健!ありがとう…。」

2人はとにかく隣の校舎に行き別の教室に入ると2人とも息を切らしていた。

「駄目…止まってても危険だわ。」

「え?…。」

「あいつらはどこからでも出てくる。捕まれば私達も影になってしまう。」

と言ったその時だった。前の黒板の辺りから黒い影がスーッと無数に出てきた。動きこそゆっくりではあるものの、またそこから逃げなければと思い2人はとにかくその教室からまた走って出たのだった。

「あいつらはどこにでもいる。捕まってすぐに影になるわけではないみたいだけど、あまりここに長くいると私達も影になってしまうのよ。早くこっから出なきゃ!」

「出るって、じゃあまずは下行って校門の方に行かなきゃ。」

「だめ…外見て。」

言われて窓から外を見ると、そこは夜とは違う暗闇が広がっていた。普通は窓から見える町の風景などは全くなく、まるでブラックホールのようだった。

「こ…これは一体。」

「ここはいつもの学校じゃない。あの壁の向こう側の世界なのよ。だからこの世界から早く出なきゃいけないの。」

「出るって…一体どっから?」

「それは私にも分からない…でもここにじっとはしていられない!」

と沙羅は動き始めようとする。

「待って!鈴さんもどっかにいるはずなんだ。」

というと沙羅は驚いたように健を見た。

「お母さんが…いるの?」

「ああ、俺と一緒にあの壁からこっちへ来てるはずなんだ。探さなきゃ。」

「探すって…。とりあえず行かなきゃ、またあいつらに出会うかも。お母さんも影に飲み込まれる前に見つけなきゃ!」

そう言って2人は階段を降りようとした時、今度は階段の下から影が現れて昇ってくる。その無数の影達は動きこそ早くはないものの2人を見つけてはその視線が突き刺さり狙いを定められているようだった。2人は階段とは逆側へ急ぎ、再び隣の校舎へ戻ると別の階段から一つ下の階へと降りた。そこからさらに下へ降りようとするとまた影達が階段を上って来るのが見えた。そのまままた隣の校舎へ向かおうとしたがその渡り廊下の向こう側にも影達が蠢いているのが見える。

「くそ!!一体あいつらどれだけいるんだよ!」

健が苛立ちを見せた瞬間だった。

「健!!」

沙羅の悲痛な叫び声が聞こえる。声の方を振り向くと沙羅は階段横のトイレからはい出るように現れた影に足を持って行かれそうになっていた。

「沙羅!」

健は必死で沙羅の手を引っ張り影から離れさせようとした。するとなんとか沙羅も自力で影を振り払い今度は教室が連なる廊下の方へと駆け出した。

「何なんだよ!」

「健!気を付けて。あいつらどっからでも湧いて出てくる!」

「分かってるよ!」

そういう間も影達は教室の窓やドアから出てきては健達の腕を掴もうとしたりしてくる。2人は影達をなんとか避け、時には振り払いながら更に奥にある特別教室棟へと向かう。しかしそこの階段からもすでに影達が溢れ出てきていて、そこを突っ切って美術室の前を通り抜けなんとか一番端の階段まで辿りつく。幸いにもそこの階段は通れそうでまた一つ下の階まで下り始めたその時、後ろから影達がゆっくりと迫って来るのが分かった。2人は急いで階段を駆け下り、更に下へ降りようとしたが下からも影がやって来る。仕方なく再び廊下を教室棟側へと駆け出そうとした時、沙羅が何かに気が付いた。

「あ!お母さん!」

沙羅が見ているのはその窓から見えるグラウンドに佇む鈴の姿だった。

「鈴さん!」

グラウンドは月明かりのような薄明かりに照らされ、その光でなんとか校舎内も見えているくらいだった。そこに立っている鈴はじっと一つの影と対峙していた。2人は窓を開けて声をかけようとしたが窓を開けることが出来なかった。鍵は開くのに窓はどれだけ力を入れても全く動かないのだ。

「鈴さん!」

「お母さん!」

2人で必死に呼ぶが声は全く聞こえていないらしく2人には気が付かなかった。その間にも鈴は影に飲み込まれてしまうのではないかという不安があった。

「早く行かなきゃ!お母さんが!!」

沙羅は泣きそうな声で叫んでいる。

「行こう!大丈夫。鈴さんを絶対に助けるんだ!急ごう。俺達も影に捕まっちまう!」

健は沙羅を励ますようにそう言って前を見た瞬間、今言った言葉を撤回したくなるような光景が広がっていた。目の前の生物実験室から物凄い数の影達が出てきているのだ。その影達は今までのどの影達よりも濃く、これほどの数の影に捕まれば逃げられそうもない。しかしここはこれまでのところと違い影の密度が濃いい。その時健は思い出した。あの伊都子が話していた幽霊が彷徨歩く理科室とはこの生物実験室だったのだ。噂との因果関係は分からないが恐らく何か怨念のようなものが強いのかもしれない。影達はどんどん健達に迫って来る。階段からも健達に迫ってくる影達がやってきて、気が付けば2人は逃げ場を失っていた。

「健…どうしよう…。もう逃げられないよ。」

「諦めんな!行くしかない…広樹達の為にも…行くしかないだろ!」

「でも…もう逃げ道がないよ。」

沙羅は絶望に沈んでいる。

「沙羅。俺の手を絶対に離すな。目をつぶって、絶対に俺と鈴さんとここから出るって気持ち持て。」

「え?」

「いいか!分かったな!」

「う…うん。」

そういうと健は沙羅の腕を力強く掴み、沙羅も健の腕を離れないように力強く握った。そして沙羅は目を閉じる。

「いいか、合図したら走るから、俺を信じてくれ!絶対に離すなよ!行くぞ!!」

そういうと健は沙羅の手を引っ張り目の前の影達に向かって走って行った。そして健は影達の中に突っ込んで行ったのだ。影の中に突っ込んだ瞬間、まるで水の中に入ったように動きは鈍くなり、一生懸命に身体を動かしても思うように動かなかった。そしてやはり沙羅と建が別々の方向へ強く引っ張られ少しでも手の力を緩めれば離れてしまいそうになる。しかし健も沙羅も必死で互いの手が離れないように掴んでいた。影の中ではもちろん声は出せない。しかもだんだんと息苦しくなってきている。それでも手を離したら沙羅ももう戻って来なくなると思い必死で握りしめ、早く影達を抜けようと足を動かす。あともう少しで影を抜けるという時だった。沙羅の手が一瞬離れそうになるのが分かった。ゆっくりと沙羅の方を振り返ると沙羅はあまりの苦しさからなのか意識を失いかけていた。沙羅はすごい力で影達に吸い込まれていきそうになっている。健は必死で沙羅の手を掴んだ。沙羅の握る力が弱くなった為健は沙羅が吸い込まれていかないように必死で腕を掴むだけで精一杯になり足を前に出すことが出来なくなっていた。このままでは2人とも影に飲み込まれてしまう。健はとにかく沙羅の手を離さないように必死で耐えていた。

「健…頑張ってくれ…諦めるな!」

健はその声にはっとした。広樹の声だ。

「健!」「健!」「健!」「健!」「健!」

均、誠、貴之、潤、絵梨の声も聞こえる。健はその声を聞くと、今までに出したことのないような力が出てきたのだ。そして沙羅を必死で掴みながらも足が一歩、また一歩と進み出した。まるで6人が健のことを引っ張ってくれているようだった。あともう少し、もう影の向こう側まで来た時、向こう側に薄らと6人の姿が見えたような気がした。そして健は倒れるように影から抜け出した。しかし抜け出したからと言って油断はできない。早くこの影から離れなければまた飲み込まれてしまう。

「沙羅!沙羅!しっかりしろ!走るぞ!」

足元のおぼつかない沙羅を引っ張ったその時。沙羅は足をもつれさせてその場に倒れてしまったのだ。

「沙羅!」

沙羅の足は再び影に飲み込まれようとしている。

「健!!行って!!私はもういいから!お母さんを助けてお母さんとここから出て!」

「んなことできるわけねえだろ!沙羅も一緒にここから出るんだ!」

「駄目だって!そんなことしてたら皆戻れなくなっちゃう!」

「そん時はそん時でいい!覚悟できてるよ。お前を連れていかなきゃ意味ないんだよ!」

健はなんとか沙羅を引っ張り出し、腕を掴んで立たせると再び走り出した。

「いいか、もう俺の手を離すな!」

沙羅にとっては初めて見る健の姿だった。時に沙羅頼りないような姿も見せていた健だったが、今は沙羅にとってなによりも頼れる人物となっていた。

 2人はなんとかグラウンドに向かいたかったが階段はどこも影達が迫ってきていてなかなか下へと降りられなかった。そのまま食堂のある棟まで行くとそこからなんとか下に降り、講堂のエントランスにある階段から下へはなんとか行けた。その先はあのピロティへ繋がる廊下だ。まっすぐ行けばうまくグラウンドに出られると2人は走った。そしてピロティに繋がる出入り口に来た時だった。茶道室隣のトイレからまた色の濃いい影達が急に現れ、健のことを飲みこんだのだ。その瞬間沙羅の手から健の手が離れ、健だけが影に覆い被されるようなかたちになってしまった。

「健!!!」

沙羅は叫んだ。沙羅は健の影からはみ出た僅かな手首を必死で掴んで引っ張った。

「健!!今度は私の番だから!!私助けるから!」

沙羅は必死で引っ張るが沙羅だけの力ではどうしようもできなかった。

「健!!」

健はぐいぐい影の中へ引っ張られていく。

「どうして!私健を助けたいのに!!」

その時、健の腕をいくつかの影が掴んだ。それに驚き沙羅が自分の周りを見るとそこにはあの6人の影がいた。やはりそこに表情はないが健をこっちへ引っ張ろうとしているようだった。沙羅は必死で引っ張り続けると、健は徐々に影から出てきて自らも足で踏ん張って出て来られるまでになっていた。沙羅は最後の力を振り絞り健を何とか影から引っ張り出した。健が完全に影から出ると、沙羅の周りにいた6人の影は目の前の濃いい影に向かって行った。そして人の影が濃いい影と溶け合うと、何が起こったのかはよく分からないが濃いい影達が割れグラウンドまでの道が開けたのだ。

「小川君達だ!皆が道を開いてくれたんだよ!!」

健も目の前の光景に驚きながら2人はグラウンドへの道を急いだ。

「ありがとう…皆…俺達必ずここから出るよ。」

健はそうつぶやくと、開かれていたピロティへと繋がるドアを抜けついにグラウンドへと向かって行ったのだった。

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