8.ボール
Act.1 呼ばれている
日曜日、入部式から1週間が経っていた。この日も朝から部活が行われ、健は一人で学校へ向かっていた。空は少し曇っているが雨は降りそうになく、涼しい風が心地よかった。ここまで穏やかだとあの6人と居た時間は夢か何かで本当はずっと健一人だったのではないかと思えるほどだった。しかし現実はやはり6人とも消えている。それを証明してくれたのは沙羅の存在だった。沙羅がいなければ健は6人のことを無理やり忘れて無かったことにしていたに違いないが、今では必ず6人を連れ戻すという気持ちでいっぱいだった。しかし未だに6人を連れ戻す方法は何も分かっていない。やはりこのまま連れ戻さず6人は完全に消滅してしまうかもしれないという不安もあった。
学校へ着くとすでに桜の散ってしまった校内は新緑の季節へと移行していっていた。自転車置き場から部室へ行くとすでに数名の部員が着替えをしていた。
「おはよう、健。」
声をかけてきたのは4組の
「おはよう。」
聖也はロッカーから道具を取り出しながら健にそっと話しかけてきた。
「なあ健、さっき部室の鍵取りに行く時に聞いたんだけどさ、お前のとこの担任しばらく休むんだって?」
「え?」
それは初耳だった。確かに最近具合が悪そうにはしていたし、土曜日は病院に行くとかで休んでいた。そんなに重症だったのであろうか。
「室井先生どうかしたの?」
健は聖也に聞いてみた。
「あんまり詳しくは分かんないけど、病院の先生からしばらく休むように言われたみたいだぞ。」
一体何があったのだろうか、やはりあの影を見たことと何か関係があるのだろうかと健は考えていた。
その日は先輩達の紅白試合が行われた為1年生はその準備や裏方役で大忙しだった。健も試合中は先輩達の使う道具を打順に合わせて並べたり管理をしたりと動き回っていた。その時、健は試合に使うヘルメットが足りないことに気が付き一人部室の方へと戻ることになった。間もなく試合が始まってしまうためダッシュで部室まで行きピロティの見える所まで来ると健は視界におかしなものを見てしまった。その見てしまったものに気が付いた時だった、健はその場で凍りつき再びあの背筋の凍る感覚を味わった。部室棟の一番端っこ、校舎内へ続く狭い隙間に黒い靄がかかっているのだ。その靄はいくつかの人影に見え、ゆらゆらと揺れている。健はその影をじっと見つめていた。その隙間から何体くらいの影が出ているのかは分からなかったが恐らく複数いるのであろうことは分かった。よく見ると影達は健のことを手招きしているように見え、その瞬間に健は悟った。そうだ、あれは広樹達に違いない。きっと健のことを呼んでいるのだ。そう思うと健はその影の元へ行かなければと思い手招きに誘われるように一歩一歩その影の方へと歩を進めた。影達は健が近づいてくるのを喜ぶように手招きをまるで蛇か何かが蠢くようにしていて、普通に見れば気味が悪くて近寄りたくないような光景だった。しかし健には広樹達が呼んでいる、助けられるかもしれないと希望を感じて影達の方へ進んで行った。
「おい健!何やってんだよ!」
声をかけてきたのは聖也だった。間もなく試合が始まってしまうということで健を手伝いに来たらしい。健が一瞬聖也の方を向いてしまっている間もう一度あの場所を見ると影達は消えてしまっていた。健は少し腹立たしく感じた。もしかしたら広樹達を助けられるかもしれなかったというのにそれを邪魔されてしまったと感じたからだ。
「健!急がねえと始まるぞ!」
健は仕方ないと思いながらも聖也と残りのヘルメットを持ってグラウンドに戻って行った。
「おい、どうしたんだよ。健お前さっき何か変だったぞ。」
聖也が心配そうに言ってくる。
「何でもない。」
健はぶっきらぼうにそう答え、ヘルメットを磨き続けていた。聖也は不審に感じていたようだったが健はそれ以上何も話さなかった。
Act2 助けて…
月曜日、この日は朝から弱い雨が降っていた。いつものように朝食を取っているとテレビの向こう側ではやはり雨が降っているらしく傘を差した女性キャスターが日本地図の前で雨マークをしきりに指しているがなんと喋っているのかは聞いていなかった。玄関で少し踵の潰れてきたスニーカーを履いて外へ出ると、これくらいの雨ならば自転車でも行けるだろうと自転車に乗ってガレージを出た。それから広樹と絵梨との合流地点に来ると、今でも広樹の「おう!」という声が聞こえてくるような気がして寂しくなる。健は合流地点にあるカーブミラーの下で止まった。もしかしたら2人とも少し遅れていて、もうすぐこの場所へやってくるのではないだろうか、そうしてここからいつものように何気ない会話をしながら学校へ行って教室に入れば6人が集まって笑って一日が始まる。どうして、なぜそれが出来なくなってしまったのか。あんなに楽しかった日常を奪ったのは一体どこのどいつなのだろうと、健は目に見えない何かに怒りを覚えるようになっていた。返してくれ、大切な仲間達を返してくれ、返してくれないのなら自分から取り返しに行ってやる。健はそう心に強く誓った。気が付くと健は涙を流していた。もしかしたら少し雨が強くなったからそう感じたのかもしれない。しかし、健の心の奥底から湧きあがる何かが堪え切れずに外へ出ていたのだろうと思う。ここで立ち止まっていても友達は帰ってはこない、進まなければ。健は再び自転車を進め学校へ向かった。
教室へ入ると、あれから雨が強くなったせいもあってか健はワイシャツまで濡れて寒気を感じた。濡れたカバンの水滴を払いながら自分の席へ着くとあることに気が付いた。いつももう来ているはずの沙羅がまだ来ていないのだ。健は嫌な予感がした。先ほどまで感じていた寒気が雨に濡れたそれではなくその嫌な予感から来ているのではないかと感じたのはその時だった。健は何も考えられずにただじっと自分の席に座っていた。きっと沙羅は少し遅れているだけだ、雨が降ったからバスで来ているに違いない。そう考えながら時計の針が一つ、また一つと動いていくのを憎く思いながらもじっと待っていた。そしてついに朝礼のチャイムが鳴ったが沙羅はやって来なかった。
扉を開けて教室に入ってきたのは仁美ではなく副担任の
「はい席についてな!」
教室中がなぜ仁美ではなく昭弘がやってきたのだろうかと疑問に思っているのが雰囲気から伝わってくる。全員が席に着き拓郎の号令で挨拶をすると昭弘が話し始める。
「えー、室井先生は今体調を崩されてしばらくお休みをするので、少しの間ホームルームは僕が担当します。何かあったら僕の方に行ってください。それでは出席の確認をしますね。」
そう言って昭弘が教室を見回すと、特に疑問を持った様子もなく出席簿を閉じようとしたのでその瞬間に健は自然と立ち上がり全員からの注目を浴びていた。
「あの!如月さんはどうしたんですか?」
昭弘は目を丸くして健を見ていた。
「おい…時枝急にどうしたんだ?誰だよ、如月って。彼女でも妄想してたのか?」
その瞬間教室中が笑い始める。健にはその笑い声がとてもおぞましく聞こえていた。まるで地獄の底から聞こえてくる悲痛な叫びのような、その笑い声に押し潰されそうになってしまいそうな圧迫感を感じ、胸が苦しくなりまた酷い吐き気もしてきていた。更には目眩のような感覚に襲われ世界がぐるぐると回り始めたその瞬間だった。今までいた教室の全員が黒い影になりゆらゆらと蠢いていた。あの笑い声はいつしか耳鳴りのような轟音のように聞こえ、影だけが健の周りを取り囲むように蠢いている。健は相変わらず胸の苦しさと吐き気に耐えながらその影達と対峙していた。
「健…助け…て…。」
健の耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「健…お願い…助けて…。」
沙羅の声だ。影に紛れてどこかから沙羅の声がする。しかし健は苦しくてその言葉に答えることが出来なかった。
「壁の…裏…。」
健が最後に聞き取れた沙羅の声はそうだった。健はどんどんと影に囲まれていき、苦しさに耐えきれなくなった健はあの時のように体中の全てを出し切るような感覚に襲われ、目の前が真っ暗になっていった。
「健…。」「健…。」「健…。」………。
その時だった。健を呼ぶいくつもの声が聞こえ、それは広樹達の声だということは直ぐに分かった。必ず皆を連れ戻す。健はそう心の中で答え、暗闇の中へと落ちて行った。
Act.3 戻ってくる
健がベッドで目覚めた時には丁度昼休みくらいだった。近くには昭弘が座っていて恐らく保健室だろうということは分かった。
「お…時枝…。」
「あら、ようやく目覚めた?」
カーテンの間から中の様子を見てきたのは保健室の
「時枝君大丈夫?自分が倒れたの覚えてる?」
健は全く覚えていなかった。影に囲まれて目の前が真っ暗になり、気が付いたらここにいたのだ。
「朝礼で急に倒れて吐いて、大騒ぎだったんだよ。ただの貧血だって分かったから野田先生に運んで来てもらって休んでたの。」
やはり吐き気は現実のものだったらしい。
「すいません…迷惑かけました。」
健は自然と謝っていた。
「いや…謝るのは俺の方だ…悪かった…。俺があんなこと言ったから…クラスの笑い者にしてしまって…。お前のこと傷つけてしまった。」
「いえ…大丈夫です…。」
「野田先生、時枝君のことが心配で授業のない時と昼休みずっとそうやって座ってたんだよ。」
「あ…すいません…。」
健はなぜだかまた謝ってしまった。まだ教師生活2年目の若い昭弘にとっては大事件だったのだろう。生徒が倒れて心配になるのも無理はない。
「で、気分はどう?」
まだ健は少し頭がボーっとしていたがそれ以外は問題なかった。
「もう…大丈夫です。」
「よかった…。」
昭弘はほっとした様子を浮かべていた。
「今日は午後からの授業は休んで帰りなさい、時枝君の家には安静を取って目が覚めたら帰しますねって連絡してあるから。落ち着いて動けそうになったら家に帰って休みなさいね。」
というと奈緒は健のベッドから離れて行った。
「目が覚めてくれてよかったよ…。救急車呼ばなきゃって思ったけど…前田先生がただの貧血だから大丈夫だって…。でも責任は俺にある。時枝…本当に大丈夫か?」
昭弘の方が心配し過ぎて倒れてしまうのではないかと思うほどだった。しかし健はクラスで笑われたことなど全く気にしていなかった。それよりもあの健を呼ぶ声が気になってしまって仕方がなかった。
「もう具合もよくなったんで。大丈夫です。あの…一つだけ聞いていいですか…やっぱり如月さんって…1年1組には居ないんですよね。」
すると昭弘は心配した顔から更に目を細めて申し訳なさそうにする。
「そうだ…如月何て名前は1年1組には居ない。時枝…本当に大丈夫なのか?」
「ええ…大丈夫です。」
そうして昼休みが終わる前に健は教室へ道具を取りに行き、クラスメートにも謝られながらまだ少し具合が悪いからと教室を後にした。昭弘は何度も家まで送っていってやろうかと言ってきたが午後の授業もあるだろうからと健は断った。昼休みが終わって静まり返った校内に風に吹かれる木々のざわめきとグラウンドから聞こえる体育伊の授業の掛け声だけが聞こえてきていて、雨は止んでいたものの相変わらず空はスッキリとしなかった。健は自転車を漕ぎながら改めて沙羅が消えてしまったことを考えていた。沙羅が消えてしまえば一体これからどうすればいいのだろうか。しかし沙羅は健に助けを求めていた。壁の裏、沙羅は確かに最後にそう言っていた。これからはまた一人で仲間達を連れ戻す方法を考えなければならないのだが正直健には怖かった。沙羅がいたからなんとか皆を連れ戻したいと思えたのだろうがやはり一人であの影達に立ち向かわなければならないと思うと怖くて前に進めそうになかった。そもそもどうしてこんなことになってしまったのか、全ては自分が悪いのではないか、健はそうやって自分を責めた。あのロッカーを開けなければ、あのボールがなければ皆が消えることなどなかったのだ。
気が付くと健は貴之と最後に話したあの川へ来ていた。あのベンチに座りあの巾着袋を握っている。このボールのせいで全てがおかしくなった。均が消え、誠も貴之も消え、広樹、絵梨、潤、そして沙羅さえも消えてしまった。健は持っている巾着袋に対して怒りが込み上げてきた。巾着袋を見ているだけで怒りや憎しみといった激しい感情が湧きあがってきて、ボールごと握り潰してやりたくなる。
「こんなボールがなければ…こんなボールがなければ…こんなボールがなければ…。」
健は一人ベンチで巾着袋を睨みつけながら何度もそう呟いていた。もう嫌だ、巾着袋を見るだけでも怒りで手が震えてきてしまう。その時健はこの怒りが自分の中にある怒りや憎しみだけでなく誰かの感情が混じってきていることに気が付いた。ボールを強く握りしめる手が痛くなってきて自分ではもうコントロールできなくなってしまっているのだ。その感情の全ては巾着袋の中のボールから伝わってきていて、ついに健は我慢できなくなってしまい巾着袋を持ったまま立ち上がると川の方へ一歩一歩近づき、投手なんてやったことがないのに自然と自分のやったことのない投球フォームが出来上がっていた。その瞬間に健は以前にも見たあのスライドショーのような光景が頭の中に浮かび上がり、再びあの「壁」を見ていた。
「もう嫌だ…もう嫌だ…誰も信じられない…誰も信じない…。そっちへ連れて行ってくれ!俺をそっちへ連れて行ってくれよ!!」
そして前を見ると川面にあの影達がゆらゆらと揺れているのが見え、その影達は朝のクラスメートたちのようにまるで自分のことを嘲笑っているように見えた。健はその影達に対して友達を奪った憎しみ全てを握っている巾着袋に込めて大きく振りかぶった。
「わーーーーー!!!」
健は大声で叫びながら腕が千切れるのではないかというくらいの力を込めて巾着袋ごとボールを川の方へ投げ、ボールは大きな音を立てて川の中へと消えて行った。今の感情は一体何なのだろうか、健は一気に力が抜けその場へと座り込んでしまった。友人達を奪ったボールはもう手元には無い。しかしこれで終わったわけではなく、皆が戻って来なければ意味がないのだ。ただこれ以上の犠牲者が出ることはきっともうないだろうと健の中では思っていた。
それから健は家へと帰った。家では学校から連絡を受けていた祖母が心配して待っていてくれた。
「健!大丈夫かい。学校で倒れたって聞いてびっくりしたよ。」
「うん…今は大丈夫。今日はもう部屋で休むよ。ただの貧血だったらしいから心配しなくても大丈夫。」
しかし健は家の階段を上るのも辛く感じるほど疲れ切っていた。
「そうかい、ならよかったけど…。今日はせめてちゃんと着替えてから休んで頂戴ね。後でなんか持って行こうか?」
「大丈夫。夕食は多分食べれるから。」
そう言うと健は自分の部屋へ向かった。しかしやはり心身ともに疲れ切ってしまっていてまた着替えもせずにそのままベッドに横になってしまい、目を瞑るといつの間にか眠ってしまっていた。
それからどれくらいしてからだろうか、健は夢を見ていた。夕日でオレンジ色に照らされたグラウンドでまた自分そっくりの人物と向き合っていて、何か話しているようだがまた無音で何を言っているのかは分からない。ただ、相手のその表情から険悪な雰囲気であることが分かる。喧嘩をしているのだろうか。健に似た人物はこちらに背中を向けて去って行こうとしている。まるで夕日に吸い込まれていくように遠ざかっていき、その人物の影が健のよく見る「影」にも似ているような気がした。
「どうして…信じられるわけないじゃないか…。」
誰の言葉なのかは分からない、しかし頭の中に聞いたことのない声でそう響いてきたのだ。振り返るとそこは部室棟のあるピロティが見え、そこには先日見た光景と同じように無数の影達が手招きをしている。そしてその影達の居る方へ一歩一歩進んでいき、その途中でふと制服のポケットに目をやるとそこにはあの巾着袋が入っていたのだ。その巾着袋の中にはやはりボールが入っているようで、先ほど健が握った時と同じように渾身の力を込めて握っていた。
「もう嫌だ…もう嫌だ…誰も信じられない…誰も信じない…。そっちへ連れて行ってくれ!俺をそっちへ連れて行ってくれよ!!」
その瞬間健は目覚めた。窓からは夕日が射していて今見た夢の中のように部屋をオレンジ色に染めている。健は頭がボーっとしていてしばらく天井を見つめていた。先ほどから健は自分以外の誰かの視点を見ているのだが一体誰の視点を見ているのだろう。そう考えているとどこかで「ゴトッ」という音がした。恐らく押入れの上の方の扉からだ。一体何だろうと思いながら健はゆっくりと身体を起こし押入れの上の扉に手をかける。扉を開けるとそこには古い本が紐でまとまったものや衣装ケースなどが詰め込まれていた。その中でも健は茶色の薄い箱が目にとまった時だった、押入れの暗闇の奥の方から健は得体の知れない恐怖を感じて後ろに飛び退いた。するとその箱の後ろ側から黒い手がヌルヌルと気味が悪く伸びてきて健のことを手招きしてきたのだ。健は恐怖に襲われベッドの方に倒れ込むとしばらくその恐怖に耐えるようにその場で深呼吸をしていた。
「こっちに来たいんだろう?」
声が聞こえる。健はあっちへ行きたいわけではない、行かなければならないのだ。行って皆を連れ戻さなければならない。ならば招かれるままに勇気を出してあっちへ行かなければならない。そうしてもう一度恐る恐る押入れの方を振り向いたのだが黒い手は消えてしまっていた。健はもう一度押入れに近づき、ゆっくりとその箱を取り出して床に置いた。箱は古いものらしく表面には学生服のメーカーの名前が入っていた。恐らく健の父親、隼人のものだろうと健は思った。一瞬箱を開けるかどうか迷ったがどうしても気になってしまい箱を開けるとそこには詰襟の学生服が綺麗に畳んで入れてあり、首元には「東第一高等学校」の校章が今も尚誇らしげに光っていた。詰襟の学生服は所々3年間の青春の跡は感じられるものの比較的綺麗な状態だった。その時健は先ほどの夢の中のことを思い出して急に鳥肌が立った。健は畳んである学生服をゆっくり持ち上げて、右側のポケットを探るとそこにそれは現れていたのだ。さっき川に捨てたはずの巾着袋がなぜこんなところにあるのだろうか。健恐怖で震えていた。あの忌まわしいボールはもう川に捨てたはずなのにまた戻ってきてしまったのだ。健はそのまま窓から思い切り投げ捨ててしまいそうになる衝動を抑えてしばらく巾着袋を強く握りしめていた。そして気持ちを落ち着かせて健は巾着袋からあの忌まわしいボールを取り出して見た。手のひらに包まれたそのボールはやはり冷たくて憎しみや怒りしか感じないはずだった。しかし、その手のひらから伝わってくるのは不思議と心が落ち着くような温かい感情だった。これは一体どういうことなのだろうか。じんわりと伝わってくる温かさは懐かしさや優しさといった憎しみや怒りとは裏側の感情で、健はそのボールをじっと見つめていた。
その時だった、健はあることに気が付いたのだ。あの文字のように見えた線が今ははっきりと読み取れるようになっていたのだ。そしてその文字が何なのかを把握した時、健は驚きを隠せなかった。そこに書かれていたのは3人の人物の名前だったのだが、その3人の名前が健にとってはあまりにも驚くべき名前だったのだ。
「如月鈴……時枝隼人……花村亮一…。」
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