第9話

「そんな――」

 言葉の続きを飲み込んで、わたしは検索した。だけど《チップ》に格納されているデータも、オンライン上の記録アーカイブも、どれも同じ答えを返してくる。乳児のうちに《チップ》を埋め込むことを義務づけていない国家は、九十三年前から地球上には現存していない。

 どの国のどの地域でも、子供が生まれたらすぐに《チップ》を入れる。なんらかの事情ですぐに手術ができない子供は一定数いるが、それでも三歳になるまでにはどうにかするものだ。それよりも遅くなると、子供の脳が発育する過程で、《チップ》とのつきあいかたを学習するのに支障が出ると言われているから。

「法の上では、そんな子供はいないことになっている――ですよね」

 わたしがどんな相槌も返せないでいるうちに、サイトーは続けた。「ぼくはべつに、狼に育てられたわけじゃありません。母はただぼくを病院にゆかずに産んで、出生登録をしなかった。言ってみれば、それだけのことなんです」

 たったそれだけと、繰り返して、サイトーは言った。

「ぼくは学校にゆかず、ものごころがついたときには両親の仕事を――違法な仕事を、手伝っていました。どんな内容だったかは……話したくありません」

「だけど……《チップ》がなければ」

 わたしは口を挟みかけて、途中で黙った。サイトーはかすかにうつむいて、わたしが飲み込んだ言葉の続きを拾った。「そうですね。標識も読めないし、地図も見られないし、お金だって持てない」

 一息に言うと、サイトーは皮肉っぽく笑った。彼がそのような笑い方をできるのだということに、わたしは打ちのめされた。

「彼らにはそのほうが、都合がよかったんです。ぼくが《チップ》を通してよその大人に助けを求めることも、勝手に自立して家を出て行くこともできないわけだから」

 わたしは言葉を失ったまま、ただ、サイトーの白い頬を見ていた。

《チップ》が存在しない世界を、想像することはできる。それがどんなことか、古典文学に登場する人々が、ある程度は教えてくれるから。

 だが彼らが生きていたのは、現代のこの国ではない。《チップ》を持たない人間の存在をはじめから想定していない、いまの社会ではない。

 サイトーは思い出したようにティーカップを手にとって、形ばかり、唇を湿した。それから言葉を探りながら、ゆっくりと、彼の過去を語った。



 子供の頃、ぼくは、裏通りを選んで歩いていました。

 大通りは理解不能で、とても危険な場所だと思っていました。《タグ》が見えず、公共放送も聴けないぼくにとっては、ただ普通に開けているはずのその通りに、『緊急車両が十秒後に通過するので道をあけてください』だとか、『下水道工事中のため足元が不安定です』だとか、まして『この時間帯は歩行者通行禁止』だとかいう警告が出ているなんていうのは、まったく理解できないことでしたから。

 それに、本通りはいつも人通りが多かった。通りすがりのひとたちが、ぼくを見て嫌そうに顔をしかめたり、怪訝そうにしたり、目をそらしたりするのも、とても居心地の悪いことでした。

 ぼくの身なりは薄汚れていましたし、標識に気がつかずにまっすぐに突っ込んでいくようすは、まわりからは、知能に障害があるようにしか見えなかったでしょう。実際、誰でも当たり前にしていることを、ぼくはまったく理解できなかったし、母はその理由を、ぼくが頭の病気だからだと説明していました。

 ぼくはずいぶん長いこと、その話を信じていたんです。

 ともかく裏通りなら、ぼくにも、いくらか安心して歩くことができました。少なくとも、そこにいつもたむろしている人たちは、だいたいぼくのことをすでに知っていて、見て見ぬふりをしてくれたから。

 ぼくをつかまえてひどい目に遭わせようとする人も、まったくいないわけじゃなかったけれど、ぼくのほうでも彼らの行動範囲を承知していたから、なるべく避けるようにするのは、それほど難しいことではなかったんです。

 だけど、その頃住んでいたアパートから教会にゆくのには、どうしても大通りを横切らなければならなかったから、それだけが憂鬱ゆううつでした。



 神様を、信じていたわけではなかったんです。

 ただ、その教区の神父様が、ぼくや、問題を抱えているほかの子供たちのことを、いつも気に掛けてくださっていて。ちょっとしたおつかいだとか、庭の手入れだとか、そういう手伝いをすれば、食べ物を分けてもらえたんです。サンドイッチとか、ビスケットとか……いま思えばささやかなものですが、そのころのぼくには、何よりの楽しみでした。

 ステンドグラスがきれいな教会でした。

 祭壇にはいつも、年季の入った大きな聖書が置かれていました。その聖書を、書き写すのを手伝ってくれないかと、神父様は仰いました。ぼくはほかの子どもたちに比べて、手伝えることが少なかったから。

 聖書には、神さまの大切な言葉が書かれているから、心をこめて書き写さなくてはならないよと、神父様は仰いました。これから神父様になるための勉強をしている人たちがたくさんいて、彼らの使う分の聖書が必要なのだと。

 いまにして思えば、教会は聖書を刷るための、特別の印刷機を持っているはずですし、字も知らない子供が見よう見まねで写した文章なんて、とても読めたものじゃなかったでしょうね。

 ぼくが聖書を書き写している間、神父様はそのページに書かれている内容を、読んで聞かせてくださいました。字が読めなければ、心を込めるもなにもないだろうからといって。

 だからぼくは、英語の綴りなんかひとつもわからなかったのに、聖書の言葉だけは、いくつも覚えました。英語もフランス語も読めないのに、ラテン語だけ少しわかる子どもなんて、いま考えたら、おかしなものですね。



 神父様は、ぼくを手元に引き取るか、公的機関の保護を受けられるようにすることを、何度か考えてくださったようでした。

 だけどぼくには、両親が居たから。

 ぼくの両親がまともな人間ではないことは、神父様にも察しがついておられた……けれど、だからといって、行政が介入して親から子どもを引き離すのは、どうやらそう簡単なことではないらしい。神父様が、古株のシスターと話しておられたのを盗み聞いたところでは、そういうことのようでした。

 ぼくは口数も足りなかったから、神父様はぼくの置かれている状況を、正確に理解してはおられなかったと思います。ぼくがちょっとことはご存じでも、まさか《チップ》を持たないのだとは思っておられなかったでしょうし――もしご存じだったなら、何かやりようがあったのかどうかは……どうでしょうか。



 神父様がそういう話をしているのを聞いたとき、ぼくは――両親がいますぐに死ねばいいのにと、まずそのことを考えました。

 自分の手で殺そうとまでは思わなかったけれど……、事故とか、病気とか、そういう何事かが起こって、彼らがいなくなったらいいと、そう思いました。そうしたらぼくはここではないどこかに行って、いまよりも少し楽な暮らしができるにちがいないと。

 その願いは、案外、早くに叶いました。母が仕事上のトラブルに巻き込まれて、あっけなく殺されて。その少しあとに、父はつまらない失敗で、警察に捕まりました。

 そのときぼくは、十三歳でした。

 神様が、ぼくの願い事を聞いてくださったのだと――そう思えたらよかったんでしょうか。

 だけど神父様のお話に出てきた神様は、どうもそういうことをしてくださるようには思えない。もしも誰かがぼくの願い事を聞き入れたのだとしたら、それはむしろ、悪魔のほうなのだろうと……、聖書に関するあやふやなぼくの知識でも、そのことだけは察せられました。

 神父様は事件のあとで、ぼくに、よかったら修道士を目指さないかと、声をかけてくださいました。だけどぼくは、その言葉にどうしてもうなずけませんでした。

 自分が祈りの家にいていい存在でないことだけは、理解できていたから。

 だってぼくは、母の死が少しも悲しくなかった――自分が両親の死を願ったことを、悔いてさえいませんでした。

 そのときを最後に、教会に足を踏み入れたことはありません。



 ぼくは願いどおり、行政の保護を受けました。そのころには《チップ》の正体も、ちゃんと理解しているとまではいわないけれど、おおむね知っていました。それを自分が両親のせいで手にし損ねたということも。

 だから役所の児童保護の担当の方や、連れてゆかれた病院のお医者様から《チップ》の説明を聞いているあいだ、ぼくはずっと喜びを噛みしめていました。これでようやく人並みになれると。

 だけど、それこそ、天罰が下ったのかもしれません。

《チップ》を入れる手術を受けて……データが流れ込んでくる感覚は気持ち悪かったし、操作にはなかなか慣れなかったけれど、そういうことは、たいして苦になりませんでした。

 それよりも、知らなかったことが次から次にわかるのが、とにかく嬉しくて。不快感については、リハビリを続ければそのうち慣れると聞かされていたし、実際に、二ヶ月もすれば、ほとんど気にならなくなりました。

 機能的には、大きな不具合はないと思うんです。

 データを読み込むのも、必要な情報を呼び出すのも、人より少し手間取るかもしれないけれど、それくらいのことは、大きな問題ではないと思っていました。ぼくはもともと人から馬鹿にされることに慣れていたし、そんなことは、耐えられないことではないと思っていました。

 だけど……、どう言ったらいいんでしょうか。

 児童養護施設に入っているほかの子どもたちや、役所の職員や、学校の先生、それからお医者様や看護師――施設を出てからは、彼らに紹介された職場の同僚や、上司と……彼らのうちの、誰と話していても……

 いつもぼくには、彼らの言いたいことの本質が、正確には理解できないし、ぼくが言いたいことも、彼らには、どうやっても正しく伝わらないのだと……そういう感覚が、いつまでも消えなくて。

《チップ》がないときは、それが当たり前のことでした。リハビリが始まってしばらくの間は、まだ慣れていないからだと考えていられました。

 だけどリハビリがすっかり終わって。もうまったく問題ないですよと、太鼓判まで押されて。

 それでも、いつまでも、ぼくは彼らとは違うんだという思いがつきまとっているんです。

 たぶん、実際には、ちょっとしたことなんです。言葉のささやかなニュアンスとか、何かに対する感覚とか……。

 最初のうちは、常識が足りないのがいけないんだと思って、色々な本を読みました。もしかしたら、お医者様も気づかないようなところで、《チップ》の接続がどこかおかしいのかとも思って、医学書とか、工学の本や……、心理学や精神医学の本も、片っ端から漁りました。思春期の子どもが感じる孤立感と似たようなものだと思ってみようともしました。でも、どんな本を読んでも、自分の置かれた状態にしっくりくる説明は、どこにも見つかりませんでした。

 結局、仕事もうまくいかなくて、最初に紹介されたところは、一年も経たずに辞めてしまいました。上司も同僚も、悪い人たちではなかった。ぼくの境遇に同情してくれて、いろいろと気を遣ってくれていたと思います。

 だけどその気遣い自体が、どうしようもなく、ぼくの望みとはかけ離れていて……それが少しずつ、少しずつ息苦しくなってきて。

 いまの勤務先には、過去のことは伝えていません。子どもの頃、自分が《チップ》を持たない子どもだったことも、貧しい生活の中で犯罪行為に関わって暮らしていたことも、両親の死をひたすら望む子どもだったことも。

 いまのところはまだ、ぼくは、うまくやっていると思います。

 同僚はおおむねいい人たちだし、少なくとも表面的には、大きなトラブルは起こっていません。たぶんぼくは、それなりに気がきいて、愛想は悪くないけれど、親しくなろうとすると少し壁の高い、何を考えているかよくわからないやつだと思われています。だけどそれくらいの人なら、どこにだっているでしょう?

 だけど、この状態が、いつまでもつのかと……。いつ自分が馬脚をあらわすか、いつ、自分がどうしようもなく彼らとは異質な存在だと気付かれてしまうだろうかと。

 気がついたらそのことばかり、繰り返し考えていて。

 そのうちうまくいかなくなって、いまの会社を辞めたとして、じゃあ、その次は? また同じ事を繰り返すのか?  死ぬまでずっと?

 だんだんうまくやれるようになるさと、楽観的に考えるときもあります。だけど、どうしてもだめだったらということを、いつも頭の隅で、考えてしまうんです。

 どうしても、いつまでたっても、当たり前の世界に、自分がなじめないのだったら。



 追い詰められる前に、退路を確保しようと、ぼくは考えました。子どものころ、いつもそうしていたように。

 両親といたころ、ぼくはいつも、逃げ道のことを考えていました。いざとなったら誰をつきとばして、どこを走って逃げたらいいかを。警察や、ほかの利害の対立する犯罪者や、裏切るかもしれない仕事仲間や、気まぐれに暴力を振るう両親の目を、どうやってごまかすかということを。

 あのころと同じことをしなくてはならないと、思ったんです。



 ミズ・リツェッラ。ぼくはあなたに、謝らなくてはなりません。

 ぼくは、あなたを利用しようと考えていました。

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