六月と顔のない肖像画 2
食事の済んだテーブルは片付けられ、新しい紅茶が配られる。
クルトのお姉さんはロザリンデという名前で、クルトより2歳年上の18歳らしい。彼と同じ紫色の瞳に、長い黒髪を結わずに背中に垂らしている。ほっそりとした身体に淡いグリーンのドレスを纏い柔らかく微笑む姿は、どことなく温室で大切に育てられた花を連想させた。
「クルトったら、せっかくクラウス学園に入学したっていうのに、お休みの日は必ずこの家に来るって言うのよ。もしかして、学校でお友達がいないんじゃないかって心配してたところなの。だから今日、ユーニくんが一緒に訪ねてきてくれて安心したわ」
「ねえさま、そういう話はよしてくれないか」
「あら、いいじゃないの」
クルトの顔が少し赤くなっている。なんだか珍しい。
そういえば、以前日曜日に一人で外出したクルトについて、きっとデートに違いないだとかみんなで予想した事があったが、あれはこうしてお姉さんに逢うためだったのか。
そうするとクルトの言っていた「逢わせたい人」というのはロザリンデさんの事で、わたしは彼女の頼み事を聞けばいいということなんだろうか?
「ねえ、ユーニくん。あなた、クルトのルームメイトなのよね? 手紙に書いてあったわ。クルトがなにか迷惑かけてない? この子、案外強引なところがあるし――」
「そんなことより」
なおも話したそうにしていたロザリンデさんを遮るようにクルトが口を挟む。
「早速だが、例の件、詳しく話を聞かせてもらえないか」
「まあ、気が早いわねえ」
「ねえさまの話に付き合っていたら、いつまで経っても本題に入れない」
「あら、ひどい。今日のクルト、なんだか冷たいわ。お友達の前だからって気取ってるのかしら? ねえユーニくん。この子、学校ではこんな感じなの?」
「お、俺はいつも通りです!」
急に丁寧になるクルトの口調に思わず吹き出してしまったが、その途端睨まれたので慌てて咳払いで誤魔化す。
もしかして、お姉さんに弱いのかな。意外だ。
「でも、そうねえ。せっかくユーニくんにも来てもらった事だし、今ここで聞いてもらおうかしら」
そう言って、指を弄びながらロザリンデさんは続ける。
「どこから話したらいいかしらね……この間、とあるサロンにお邪魔して、そこでお逢いした方から聞いたお話なんだけれど……」
「ちょっと待ってくれ。そいつは男なのか?」
クルトが勢い込んで尋ねる。
「ええ、そうだけれど」
「年齢は? 家柄は?」
「一体なんの心配をしているのよ。その方はもう結婚されてるし、年だって私よりずっと上なのよ?」
「いや、そういう奴が一番危ないんだ。大体ねえさまは……」
「やめてやめて。もう、クルトの方こそ口を挟んでばっかり。全然話が進まないじゃないの」
そう言ってロザリンデさんは頬を膨らます。そんな姿を見ていると、実年齢より幼く感じられる。
クルトが黙ったのを見て、彼女は再び話し出す。
「それでね、その方の遠縁に当たる男の子が生まれつき身体が弱くて、大病を患ったのをきっかけに、療養を兼ねてこの街で暮らすことになったんだけど……残念ながらその甲斐なく、暫く前に亡くなってしまったそうなの」
そこで彼女は憂いを帯びた瞳を伏せる。
「それで、その子は亡くなる前に画家のエルンスト・ヴェルナーさんに肖像画を描いて貰っていてね……」
「ヴェルナーって、あの? この街にいたのか?」
クルトが驚いたような声を上げるが、わたしはその名前に心当たりがない。二人の話しぶりからすると、どうやら有名な人物のようだが。
「そうなのよ。私もびっくりしちゃった。その男の子も以前からヴェルナーさんのファンだったらしくて、体調がいい時には何度も彼の元を訪れて頼み込んだとか。だから、肖像画を描いて貰った時はすごく喜んで、自室に篭っては何時間も眺めていたそうよ。病気が進行して、あまり動けなくなってからは、それこそ一日中。それでね、そこからが不思議なんだけれど……」
ロザリンデさんはちょっと言葉を切って、わたし達の顔を見回す。
「男の子が亡くなってから少しして、色々落ち着いた後に、家の人が肖像画が見当たらない事に気づいたの。男の子が毎日のように眺めて大切にして、部屋から出したこともないはずなのに。おかしいと思って、部屋中徹底的に探したんですって。そうしたら……」
「見つかったのか?」
クルトの問いに、ロザリンデさんは頷く。
「ええ。男の子が使っていたベッドの下から、まるで何かから隠すようにように布に包まれてね。でも、そこまでなら、男の子が肖像画を大切にするあまり、自分の死後も誰かの手に渡らないよう隠したのかもと考えられたんだけれど……ところが、実際見つかったその肖像画、明らかに異常だったそうなの」
「異常、というと?」
「それがね、男の子の顔の部分だけ、真っ黒に塗り潰されていたんですって」
「え……」
言葉を失ったわたしの背中にぞくりと冷たいものが走る。まるで顔にぽっかりと穴の空いたような絵が思い浮かび、慌ててその薄気味悪いイメージを打ち消すように頭を振る。
「でもね、これもおかしな話なんだけど……実は、その家の使用人を含めて、それまで誰一人その肖像画をちゃんと見たことがなかったんですって。持ち主の男の子が絶対に見せてくれなかったそうなの。だから、最初から顔の部分が黒く塗り潰されていたのか、男の子が自分でやったのか判断できなくて……それで、まずはその絵を描いたヴェルナーさんに、何か心当たりはないか尋ねたらしいのよ」
「それで?」
「彼は『自分の見えたままを描いただけだ』って言って、黒く塗り潰した事は否定したそうなの。考えてみたらそうよね。肖像画家がそんな絵を描くわけがないし、たとえ描いたとしても依頼人だって受け取らないわよね」
「と、なると、持ち主の少年が自ら塗り潰したか、それとも第三者の仕業か、はたまたそれ以外の別の何か……」
「そうなのよ。いずれにしても、誰が、何のためにそんな事をしたのか見当もつかなくて、頭を抱えてる状態なんですって。ね、不思議な話よねえ」
確かに不可解だ。顔だけを塗り潰すことに何の意味があるんだろう? それによる利点は? 考えてもわからない。
ロザリンデさんは両手の指を組み、顔のあたりでもじもじさせながら再び口を開く。
「だからね、お願い。私、その話を聞いてから真相が気になって気になって、夜しか眠れないの」
それって普通なんじゃ……と考えていると、クルトの手がわたしの座っている椅子の背もたれに置かれる。
「と、いう訳だ。頼んだぞ」
「はい?」
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