六月の入学 6
「な……」
クルトの唐突な問いに、わたしは一瞬言葉を詰まらせる。
ばれた? なんで? うそ。いつから?
動揺を隠しつつ首を振る。
「何を言ってるんですか? そんなわけないじゃないですか。だって、ここは男子校なんですよ」
「そう。男子校だから、外見に多少違和感があったとしても、まさか本当に女が紛れ込んでいるなんて思いもしなかった」
「だから違いますって。変な冗談はやめてください」
話を切り上げて立ちあがろうとすると、クルトは素早く腕を伸ばし、わたしの前を塞ぐように、ソファの肘掛に手を置く。
「それなら証拠を見せろ」
「え……」
「服を脱げ。男だって言うなら、できるだろう?」
答えずにいると、クルトはわたしの胸倉を掴み、低い声で囁く。
「自分でできないなら、俺がやってもいいんだぞ」
「ひ、人を呼びますよ」
「呼ばれて困るのは、お前のほうじゃないのか?」
クルトはその紫色の瞳を細める。そこにはびっくりするくらい冷たい色が浮かんでいる。
なんだろう。怖い。いつものクルトじゃない。別人みたいだ。言葉が出せないまま、ただその瞳を見つめる。
どれくらいそうしていただろう。わたしは重苦しい沈黙から逃れるように視線を逸らすと
「……そうです。クルトの言うとおり、わたしは女です」
呟いて唇を噛んだ。
「……やっぱりな。おかしいと思ってた」
クルトは溜息と共に、わたしのシャツを掴んでいた手を離すとソファに身体を沈める。
「……どうして判ったんですか?」
「風呂に入らないし、毎朝俺が目を覚ます前に着替えを済ませる。他人に身体を見られたくないからだと思った」
「それだけで……?」
「いや、よくよく思い返してみれば、もっと前に違和感はあった。初めてこの学校に来た日、フクロウの卵を巣に戻すために、お前を肩車しただろう? あの時……」
言いながら、自身の首の後ろあたりを指でとんとん叩く。
「ここに当たる感触が違った。男ならあるはずのものがなかったんだよ」
「は……?」
数瞬の間を置いた後、クルトの言っている事を理解すると同時に、自分の顔が熱くなっていくのがわかった。
「は、は、は、破廉恥です!」
「自分から男に跨る女のほうが破廉恥だと思うが」
「へ、変な言い方するのはやめてください! ただの肩車じゃないですか!」
「そうだ。ただの肩車の話だが?」
クルトは薄い笑みを顔に貼り付けながら肩を竦める。
わたしは絶句した。
もしかしてこの人、あまり性格がよくない……? それともこれが本来の彼の姿なんだろうか? さっきまでとは随分印象が違う。
「それで、どうして女がこの学校にいるんだ?」
その言葉にはっと我に返る。そうだ、クルトに女だという事がばれてしまったのだ。もしもこの事が他の人にも知られたら、退学になってしまうかも……
「あの、正直に話したら、わたしが女だって事、誰にも言わないでくれますか……?」
おそるおそる尋ねると、クルトは唇の片側を吊り上げる。
「さあ? それはお前の話を聞いてみないと判断できないな」
「……それじゃあ話しません。話した挙句周りにばらされたら意味ないですから。話さないって約束してください」
「おい、勘違いするなよ。俺はお前が女だって事、今すぐ学校中に触れ回ったっていいんだぞ。ただ、もしもお前が変な目的でこの学校に来たのなら、それなりの対応をさせて貰うが、逆に害はなさそうだと判断したら黙っていてもいい。そういう事だ」
クルトにじろりと睨まれ俯く。これではどのみち話すしかないではないか。
わたしは観念して、重い口を開く。
「……正直なところ、どうしてこの学校にいるのか、わたし自身よく判らないんです。でも、聞いたところによると、わたしが『優秀』だからって……」
その言葉にクルトが不審そうに眉を顰める。
わたしは膝の上に揃えた拳を視線を落として話を続ける。
「わたしには両親がいません。この学校に来る前は、ここから離れた街にある教会の孤児院でずっと暮らしていました。新学期の少し前に、突然神父様に告げられたんです。性別を隠してこの学校に通うようにって。その時は、わたしの持つ『才能』が認められたからだって言ってました。それを活かすために、もっと勉強するようにって」
「その『才能』っていうのは……?」
「それが、よくわからないんです。詳しい事は教えてもらえなくて……」
わたしの言葉に、クルトは暫く何事かを考えていたようだったが、やがて口を開く。
「その言葉の通り、お前に『才能』があったとして……だからってふつう男子校に通わせるか? お前はそれで納得したのか?」
「それは、確かにおかしいと思いましたけど……でも、わたし一人がどうこう言える問題じゃなかったんです。どうも教会に多額の援助をしてくれている有力者がこの件に関わっていて、わたしの『才能』を見出したのもその人らしいんです。それで、教会側も断れなかったみたいで……素性の怪しいわたしがこの学校に入学できたのも、その人の影響力があったからなのかも。それに、孤児院には15歳までに出て行かなければいけない決まりもあって……」
「ちょっと待て。お前、いま何歳なんだ?」
「……14歳です」
「はあ?」
クルトはまじまじとわたしを見つめた後
「性別だけじゃなく、年まで誤魔化してたのかよ……とんでもないな」
そう言って額を手で押さえて天を仰ぐ。その様子を見ながらわたしは続ける。
「その後、制服や必要な荷物が届いて、すぐに入学する事になりました。教会とも二度と連絡を取らないように言われて……それ以上詳しい事はなにも知らないんです」
わたしは顔を上げて縋るような思いでクルトに訴える。
「お願いします……! この事が公になったら、わたし、退学になってしまいます。ここを出たらもう孤児院には戻れないし、他に行くところがないんです。それに、これがきっかけで孤児院の運営が立ち行かなくなったりしたら、大勢の子供たちが路頭に迷うことになるかも……だから、誰にも言わないで貰えませんか……?」
クルトは暫く腕を組んで考えこんだ後、わたしにちらりと視線を向ける。
「にわかには信じがたいが……もしもその話が本当なら、お前に同情しないわけでもない。曖昧な説明だけでこんなところに放り込まれて心細い事もあっただろう」
「それじゃあ……」
「だが、お前が嘘をついている可能性もある。俺にはお前の話の真偽を確かめる方法がないからな」
「そ、そんな……」
言いかけたわたしの言葉を、クルトは手を上げて遮る。
「そこでだ。俺はお前の秘密を口外しない代わりに、お前は俺の頼み事を引き受ける、というのはどうだろう」
「え……」
頭の中でその言葉を反芻した。一体どういう事なんだろう。
「お前が俺のちょっとした悩み事なんかを解決してくれるのなら、俺もお前の事情を汲んで、この学校にいられるように協力してもいい」
「取引って事ですか?」
「まあ、そういうことだな」
「……わかりました。クルトが本当に困っているのなら、できる限り手伝います。だから、そちらも約束を守ってくださいね」
少しだけ希望が見えてきた。それがわかった途端、安堵感と共に緊張の糸がほぐれた。
「……随分あっさりしてるな」
自分から言い出したにも関わらず不審げなクルトに、わたしは告げる。
「正直なところ、誰にも正体を知られずにこの学校で生活するのは難しいんじゃないかって思っていました。その予感が当たってしまったのは不本意ですけど、その反面、クルトがわたしの性別を知った上で協力してくれるというのは好都合かもしれないとも感じています。それに、クルトも言ってたじゃないですか」
一呼吸置いてわたしは続ける。
「わたしは『おせっかい』なんですよ」
こうしてわたしたちは取引を交わした。
その夜、そろそろ寝ようかとベッドに腰掛けるわたしの前に、クルトがつかつかと歩いてきた。
「おい、お前は今日から隣の部屋のソファで寝てくれ。もう一つの寝室は鍵が掛けられてしまって使えないしな」
「え? どうしてですか?」
クルトの言葉に思わず問い返す。
わたしの素性が判明してからも、彼は変にわたしを避けたりという素振りは見せなかった。だからわたしは今までと同じ生活が送れるものだと思い込んでいた。正体がばれても、彼とわたしの関係性は変わらないのだと。
「どうしてって……お前が女だと判った以上、同じ部屋で寝るわけにはいかないだろう。お前がこの学校にいられるのも、俺がお前の秘密を口外しないでやってるからだ。だからソファで寝られるだけでも俺に感謝するべき。わかったか?」
わたしは首を傾げる。
「わかりません。わたし、以前言いましたよね? 『一緒に暮らすのなら家族も同然』だって。つまり、わたしとクルトは家族みたいなものなんですよ。家族なら、同じ部屋で寝ても変じゃないでしょう?」
「はあ? 一緒に暮らしても他人は他人だろう?」
「一緒に暮らしたら、それはもう家族です」
「そんなわけないだろう。たとえば、ある日突然赤の他人である男と一緒に住む事になっても、お前はそいつをきょうだいだと思えるのか?」
「思えますよ」
「馬鹿な」
「わたしの家ではみんなそうでしたし」
「お前の家、って……そうか、孤児院か」
クルトはふと考えこむように腕組みする。
「……もしかして、そこでは『困っている人を見たら助けましょう』とか言われてなかったか?」
「確かに言われましたけど……でも、それって普通でしょう?」
わたしが頷くと、クルトは皺の寄った眉間に手を当てる。
「……ようやくわかった。お前のおせっかいな性分も、そのおかしな家族観も、そこで植えつけられたものだったんだな」
その言葉に、何故か心臓がどきりと跳ね上がった。
「え?」
「一緒に暮らせば家族も同然だなんて考えは普通じゃない。確かに、長く一緒に暮らしていれば情が湧くこともあるだろう。だが、知り合って間もない他人に対してまで、抵抗なくそう思えるのは明らかにおかしい」
「そんなこと……」
わたしは言いよどむ。
わたしがおかしい? そんなはずはない。だって、ずっとそう教えられてきたし、周りのこども達だってそう思っていた。でも、何故だろう。クルトの言葉を否定できない……
「でも、お前はその考えを当然だと思っている。おそらく、幼い頃から、ずっとそう思うように刷り込まれていたんだろう。と、言うより、その考えに従うしかなかった。身寄りのない子供が生きていくには、手を差し伸べてくれる大人に頼るしかないからな。見捨てられないために、自然と大人の期待に沿う行動を取るようになるだろう。もしかして、孤児院にはいくつも決まりごとがあって、それを守らなかったら何か罰か与えられる事もあったんじゃないか? その結果、子供達は嫌でも従わざるを得なくなる。孤児院側はそうやって自分達に従順な子供を作り上げてきたんだ」
わたしの背中を汗が伝うのがわかった。なんだか怖い。それ以上聞いてはいけない気がする……
しかし、わたしのそんな思いに気づくはずもなく、クルトは話を続ける。
「『一緒に暮らせば家族も同然』だなんてのもそうだ。自分達が擬似的な親という立場で子供を支配したいだけ。『家族』という建前だけは立派な共同体に所属させることで、心理的に束縛して、自分達に反抗するような異分子が発生しないようにしていたんだろう」
違う。やめて。聞きたくない、そんな事……
「お前のいう『家族』とは、あくまで孤児院側に都合のいい存在であって、実際には家族と呼ぶにはあまりにも――」
「やめてください!」
わたしは堪えきれず立ち上がる。握り締めた両手が微かに震えていた。心臓が早鐘を打っていて、顔が熱い。
おそらくクルトの言うとおりなんだろう。わたし自身、孤児院のいう『家族』というものに対する違和感にはうっすらと気づいていた。でも、その考えが鮮明に浮かび上がりそうになるたびに、慌てて意識の奥底に押さえ込んできたのだ。だって、それを認めてしまったら――
「そ、そしたら、わたし――わたしが今まで信じていた家族が、嘘になっちゃう……わたし、ひとりぼっちになっちゃう……」
口に出した瞬間、その言葉が絶望に似た感覚となって、わたしに圧し掛かってきた。
自分が信じていたものが全部、他人によって作られていたまがい物だったなんて。
でも、わたしにはそれに縋るしかなかったのだ。孤児院の教えを守る事によって、家族という存在と繋がっていたかった。たとえ作り物だったとしても、そこにしか自分の家族はいなかったのだから。
それが失われてしまったら、後に残るのは孤独しかない。
クルトにもそれが伝わったのか、はっとしたような顔でわたしの顔を見つめる。
気がつくと、わたしの瞳からは涙が零れ落ちていた。慌てて顔を背け手で拭うが、涙は途切れることなく頬を伝う。
「お、おい、泣くなよ」
一転して焦ったようなクルトの声が聞こえる。
「……ごめんなさい」
「謝るな。とにかく頭を冷やしたほうがいい。今日は俺がソファで寝るから、お前はこの部屋を使え」
そう言って部屋を出て行こうとする。わたしは反射的にその背に向かって叫ぶ。
「待って。お願い、行かないで! ひとりはいやだ! ひとりになりたくない!」
振り向いたクルトは一瞬困惑したようだったが、わたしの様子を見るとすぐに戻ってきた。
「わかった。わかったから、少し落ち着け。俺はここにいるから」
大きな手がわたしの頭をぐしゃりと乱暴に撫でると、そのまま頭を押さえつけるように座らせる。
それから二人隣り合ってベッドに腰掛けたまま、お互い言葉を発しない。
部屋にはわたしのすすり泣く声だけが響く。
今、この人がいなくなったら、わたしはこの世界でひとりぼっちになってしまう。
そんな妄想じみた心細さに襲われて、わたしはクルトの存在を確かめるように彼の上着の袖を、両手でぎゅっと掴む。
クルトは驚いたようだが、振り払う事もなく、ただ黙ったままだった。そのことにわたしは安堵する。隣に感じる温もりこそが、ひとりぼっちではないという証なのだから。
相変わらず涙は流れ続けていたが、隣に誰かがいるという安心感が、やがてわたしのざわついた心を少しずつ沈静化させていった。
その夜、夢を見た。
孤児院にいた頃、わたしと仲のよかった年上の少年が、陽の降り注ぐ教会の庭でベンチに腰掛けていた。いつものように「おにいちゃん」と呼びかけるが、少年はその声が聞こえなかったのか、ベンチに座ったまま足をぶらぶらさせている。
おにいちゃん。
もう一度呼ぶ。少年はこちらを見ない。
おにいちゃん?
少年は答えない。その様子に急に不安になる。
おにいちゃん、どうしたの? わたしの声が聞こえないの?
おにいちゃん、わたしを見て。ねえ、返事をしてよ! おにいちゃん!
わたしが手を伸ばして少年に触れようとしたその時、少年の姿も、教会の明るい庭も、目の前から一瞬にして掻き消えてしまった。
翌朝、目が覚めると、まず最初に隣のベッドを見る。そこに微かな寝息を立てるクルトの姿を確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
よかった。ひとりじゃなかった。
ゆっくりと身体を起こす。瞼が腫れぼったかった。寝不足のせいか頭も重い。いつベッドに横になったんだろう。それも思い出せないなんて、本当にどうかしていた。
「ひどい顔だな」
いつの間にかクルトが目を開けて、その紫色の瞳でわたしを見ていた。
そう言う彼の顔も、なんだか疲れてるようだ。無理もない。昨日はずっと側についていてくれたのだから。
クルトは起き上がってベッドに座りなおすと、気まずそうに視線を逸らす。
「……昨日は、その、すまなかった。あんなふうにお前を追い込むつもりはなかったんだが……」
「いえ、わたしの方こそ、取り乱してしまって……わたしのせいで眠れなかったですよね。すみません。今夜からはソファで寝ますから」
「いや、それはしなくていい。今までと同じようにこの部屋で寝ろ。俺もここで寝る事にする」
「え? でも……」
「ひとりは嫌なんだろう? お前、寝言でもそう言ってた。そんな状態で眠られても気分良くないからな。また泣かれても厄介だし。それともソファで寝る方がいいのか?」
「い、いえ、ここで寝ます! ここがいいです!」
声を上げたその時、起床時刻を知らせる鐘が鳴った。その音と共に、わたしは沈んでいた自分の心が少しだけ軽くなってゆくような気がした。
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