六月の入学 4

 わたしは美術室に向かって走っていた。

 気づいたら授業で使う木炭紙がごっそり減っていたので、慌てて売店で調達してきたのだ。

 クラウス学園では日曜日しか外出が許されていない代わりに、学用品やちょっとした日用品を扱う売店が校内に設けられている。必要なものだけさっさと買うつもりだったのだが、おいしそうな焼き菓子に気を取られた結果、こうして走るはめになっている。

 今にも始業を知らせる鐘が鳴ってしまうのではないかと焦りながら、走る足に力を込める。こんなとき、首に巻いたマフラーが邪魔で仕方がない。ようやく見えた美術室に一目散に駆け込む。

 なんとか間に合った……

 息を整えながら辺りを見回すと、なんだか教室内の様子がおかしい。本来ならば、すぐにでもデッサンが始められるようにとイーゼルの前に座っていなければならないのだが、みんな席を立ち教室内を行ったり来たりしている。それに、用具置き場に納められているはずの画板が床に無造作に積み上げられ、クラスメイトたちはそれをひっくり返したりしている。

 その中にクルトの姿を見つけたので、わたしは近づいて声を掛ける。


「どうかしたんですか?」


「ああ、ユーニか。それが、テオのデッサンが見当たらないらしいんだ。だからみんなでこうして探しているんだが……」


 クルトはちらりと人の輪の中心を見やる。その視線の先には、床に膝をついて画板の山を掻き分けるテオの姿があった。


「テオ」

「あ、ユーニ。君も手伝ってくれるの?」


 こちらを見上げるその顔は、なんだか疲れているように見えた。


「はい。あの、なくなったデッサンって、ヘルメス像を描いた、あの?」

「そう」


 美術の授業ではテオとわたしは隣り合っていた。だからこれまでも何度か彼のデッサンを見た事がある。

 記憶を手繰りながら口を開く。


「それって、紙の端にテオのサインがしてあったはずですよね?」

「うん。そうなんだ。だから他のデッサンと区別がつかなくなるなんてこともないはずなんだけど……なのに、ここにある全部の画板を調べてもみつからなくて……」


 わたしは手近にある画板を引き寄せる。画板には、木炭紙に描きかけのデッサンがクリップで固定されているが、テオのサインはどこにもない。

 もう一枚、別の画板を手にとってみるが、そっちは使われていないようで、紙もクリップもついていなかった。


「どうしよう。今日の授業が終わったら提出しないといけないのに。今から描き直しても間に合わないよ……」


 テオが途方に暮れたように溜息を漏らす。


「うーん、それだけ探しても見つからないということは、紙が画板から外れてどこかに紛れてしまったんでしょうか? それとも誰かが間違えて持っていったとか? でも、サインはしてあった訳だし……」

「まさか……捨てられた?」

「え?」

「だって、おかしいじゃないか。こんなに探してるのに見つからないなんて……きっとそうだ。誰かが捨てたか隠したに違いないよ」


 テオはどこか思いつめたような表情をしている。その瞳に確信めいたものを感じて、わたしは戸惑ってしまう。

 やがておもむろに立ち上がったテオは、一人の少年につかつかと歩み寄る。他の生徒と同じように画板を見て回っているフランツだ。


「フランツ、君がやったんだろう?」


 突然何を言い出すのか。わたしも周りの生徒も驚いてテオに注目する。


「な、なんだよいきなり」

「僕のデッサンをどうしたんだよ! 捨てたのか?」

「はあ? 何言ってんだよ。なんでオレがそんなことしなけりゃいけねえんだ」


 そんな反論にも怯まず、テオはフランツをきっと睨みつける。


「君は僕の事を嫌いなんだろ? だからこんな嫌がらせをしたんだ! 最低だな! 泥棒! 僕のデッサンを返せよ!」

「お前、ふざけんな!」


 フランツがテオの襟首を掴む。まずい。頭に血が上ってしまっている。今にもテオに殴りかかりそうだ。

 わたしが駆け寄るより先に、クルトが二人の間に割って入る。


「二人とも落ち着け。フランツ、その手を離すんだ」

「だって、あいつが……!」

「わかってる」


 クルトがフランツを宥めながらテオから引き離すも、二人はお互い睨みあったまま。

 いつのまにか教室中が静まり返り、この騒動の行方を固唾を飲んで見守っている。今はクルトが抑えているが、いつフランツが暴れだすかわからない。それに、テオも冷静ではないみたいだ。このまま大人しく引き下がるかどうか。

 わたしは左目の下、ほくろのあるあたりに人差し指を当てて考える。

 誰かが捨てたり、持ち去ったりしていない限り、テオのデッサンは必ずこの部屋にあるはずだ。どこか見落としているか、それとも見えない場所にあるか……

 わたしは目の下から指を離すと、近くに置かれた画板を手に取る。

 ――そうだ。まだ探していない場所があった。


「テオ、仮にだ。フランツがやったとして、証拠はあるのか?」


 クルトが落ち着いた声で問う。


「それは、ないけど……」

「根拠もなく人を疑うべきじゃない。それに、彼は君のデッサンを探す手伝いまでしてくれてるじゃないか。そんな人間が君に嫌がらせをしているって言うのか?」

「そうやって表では善人ぶって、僕が困っているのを見て内心笑っているに違いないんだ」

「なんだと! テオ、お前、いい加減に――」

「待ってください!」


 わたしは声を張り上げると、テオに掴みかかりそうになっているフランツを制止する。


「なんだよユーニ、邪魔すんなよ!」

「落ち着いてフランツ。見つかったんですよ、テオのデッサンが」

「え?」


 フランツは動きを止めてわたしをみつめる。テオやクルトも目を瞠る。


「これ、ですよね? テオ」


 わたしは持っていた画板を胸の辺りに掲げる。クリップで留められた紙の真ん中には描きかけのヘルメス像、その片隅には確かにテオのサインがあった。


「それ、一体どこに……?」


 テオが唖然としたように声を上げる。


「さっきまでテオが調べていた画板の山の中です」

「でも、あんなに探しても見つからなかったのに……」

「それは、このデッサンが見えない場所にあったからです。こんなふうに」


 わたしは画板からクリップを外し、留められていた木炭紙の束をくるりと裏返す。するとそこに、別角度から描かれたヘルメス像のデッサンが表れた。


「それ、僕が描いたものとは違う……一体どういう事?」

「木炭紙でデッサンする場合、紙一枚だけでは木炭の粉が定着しづらいため、普通は四枚か五枚の白紙の木炭紙を重ねて、その上からデッサンするわけですが……そのせいか、時々いるんですよね、他人の画板から白紙の木炭紙を勝手に拝借していく人が。同じものが何枚もあるのなら一枚くらい減っても判らないと思っているんでしょう。売店に行く手間を省くつもりなのか、あるいは節約のためか」


 わたしが売店からここまで走るはめになったのだって、元はといえば減っていた木炭紙を補充するためだったのだ。

 わたしは手元のデッサンを指差す。


「これを描いた人はもっとたちが悪いです。きっと全部他人のもので賄おうとしたんですね。テオのデッサンと、下に敷いた木炭紙ごと裏返して、その上から自分の絵を描いていたんです。今までばれなかったのは、授業が終わるたびにひっくり返して、テオのデッサンが一番上になるようにしていたんでしょう。でも、今回は忘れたか何かの事情でそのままにしてしまった。そのせいでテオのデッサンは一番下に隠れてしまい、この画板には別のデッサンが留められているように見えたんです」


 口を閉じると、美術室は水を打ったように静まり返る。

 やがてテオが我に返ったように瞬きした。


「……なんてことだ。そんなところにあったなんて、わかるわけないよ。はは……」


 力なく笑うと、クラスメイト達に向き直り


「みんなも、手伝ってくれてありがとう。この通りデッサンは見つかったから、もう大丈夫だよ。ああ、早く部屋を片付けないといけないよね」


 そう言って、足元に重なった画板に手を伸ばす。


「おい、ちょっと待てよ」


 フランツが乱暴にテオの肩を掴む。


「なに? 痛いじゃないか。離してよ」

「お前、そんな事より俺になにか言う事あるんじゃねえのか? 人を泥棒扱いしといて謝罪もなしかよ!」

「……普段の君の態度に問題があるから疑われるんだよ」

「はあ? 俺が悪いっていうのか?」


 一触即発の空気に、わたしは慌てて二人の間に入る。


「テオ、それはあんまりですよ。実際、フランツは何もしていなかったわけですし。勘違いとはいえ、無関係な人を疑ってしまったんですから、ね?」


 やんわりと謝罪を促すと、テオは一瞬こちらを見て、小さな声で呟く。


「君も――か……」

「え?」


 今、なんて言った?

 聞き返そうとしたが、それより先にテオはフランツに向き直り、だが視線は合わせないまま


「……ごめん」


 低い声で呟く。


「なんだよそれ。おい、そんなんで済むと思ってんのかよ!」

「フランツ、君の気持ちもわかるが、テオもきっと混乱していたんだ。それに、もうすぐ授業が始まる。先生が来る前に部屋を片付けてしまわないと」


 クルトの言葉に、フランツは不満げだったが、やがてふいっと顔を背けると


「……わかったよ」


 ぶっきらぼうに言い放つ。

 その言葉で教室内に張り詰めていた緊張が一気に緩んだようだ。クラスメイトたちはざわめきながら画板を指定された場所に収納していく。

 最後の一枚をしまい終えたと同時に、始業を知らせる鐘が鳴った。





「ちょっと聞きたいんだが」


 読んでいた本から目を上げて、クルトが口を開く。先ほどから何度かちらちらとこちらの様子を伺っていたような気がするが、一体なんだろう。

 わたしはきつね色の破片を口に放り込む。


「なんですか?」

「さっきから一体何を食べているんだ?」


 なんだ、これのことか。紙袋の中をまさぐりながらわたしは答える。


「パンの耳です。美術の授業で余ったのを貰ってきたんですよ」

「それって、まさか、デッサンに使った……?」

「はい。耳が余るのは仕方ないですけど、なにも捨てることはないと思うんですよね。こんなにおいしいのに」

「……君の口の周りに黒いものが付いてるんだが」

「あ、木炭の粉です。ちょっとくらい食べても大丈夫ですよ」


 口元を手の甲でごしごしと擦ると、クルトが露骨に眉を顰めた。

 まずい、もしかして意地汚いと思われてしまった……?

 わたしはおずおずと紙袋を差し出す。


「ええと、よかったらクルトも、これ……」

「結構だ」

「……そうですか」


 気まずい沈黙が漂い、わたしはそそくさと紙袋の口を畳むと、話題を変える。


「ところで、今日のテオの様子、なんだか変じゃなかったですか?」

「と、いうと?」

「根拠もなく誰かが自分のデッサンを隠したとか言い出したり、その上フランツを疑ったり……普通なら、どこかに紛れたのかもしれないとは考えるでしょうけど、誰かが隠しただなんて発想には、すぐに辿り着かないと思うんですが」


 クルトは持っていた本を閉じると、身体を捻って椅子の背に腕を乗せる。


「それは俺も気になった。それに、あの時は騒ぎを収めるためにフランツに引いてもらったが、彼が納得できないのもわかる。流石にテオの謝罪には誠意が感じられない。確かに傍から見ても、あの二人の仲はいいと言えないが、かといってあんな態度を取るものなんだろうか?」

「実はあの時わたし、テオに変な事を言われたんですよ。『君も、僕の敵なのか?』って……」

「敵?」

「もしかすると、わたしの聞き間違いかも……でも、君『も』ということは、他にもテオにとっての『敵』が存在するって事ですよね」

「それがフランツだと……? もしかすると、あの二人の間で俺たちの知らないやりとりがあったのかもしれないな。ユーニ、君は何か心当たりはないのか?」


 その問いに黙って首を横に振る。


「そうか……しかし、何も知らない外野が下手に口を挟むのもな。暫くはこのまま放っておいていいんじゃないか」

「……ちょっと冷たくないですか? 何かわたし達にもできる事があると思うんですけど」

「君こそ少し干渉しすぎじゃないか?」

「でも、困ってる人がいたら、助けるのがあたりまえでしょう?」

「誰か君に言ったのか? 助けて欲しいって」

「それは……」


 確かに彼らにはそんな事ひとことも言われていない。いないけれど、あの二人の様子を見て放っておくというのも躊躇われるのだ。


「そういうの、なんて言うか知ってるか? 『でしゃばり』、『おせっかい』、『余計なお世話』」

「え……」

「他人を助けたいと思う君の姿勢は立派だ。だが、同じ考え方を周囲にまで求めるのは止めたほうがいい。それに、あの二人だってそこまで子供じゃないんだ。自分の事くらい自分でなんとかするだろう。もし、どうにもならなくて、君に助けを求めてきたのなら、その時は手を差し伸べればいい」


 そう言い置くと、クルトは本を持って寝室を出て行ってしまった。

 ひとり残されたわたしは、ベッドに座ったまま考える。


「うーん……」


 おせっかい……他人の目にはそう映るのだろうか? なんだか急に不安になってきた。今までよかれと思って行動していたことが、他人にとっては煩わしいだけだった? もしそうなら、わたしがあれこれするのはフランツとテオにとっても鬱陶しいだけ? クルトの言うとおり放っておくのが正解なのかな?

 答えが見つからないまま、ベッドに倒れこむように寝転がる。

 ごろごろと寝返りを打ちながら考えているうちに、いつしか眠ってしまった。





 それからフランツとテオの間に流れる空気は、傍目にもわかるほど険悪なものになった。食事中はおろか、自室でもまったく言葉を交わさない。まるでお互いがお互いを存在しないものとして扱っているようだ。重い空気に耐え切れないわたしが話しかけても、そっけない返事が返ってくるだけ。居心地悪いことこの上ない。思い切って二人に話し合いを勧めようかとも考えたが、そのたびにあの日のクルトの言葉が思い出されて、何もできずに時が過ぎていった。


 その日の朝も、起床の鐘が鳴る少し前にわたしは目を覚ました。クルトはまだ眠っているようだ。起こさないように静かにクローゼットに歩み寄ると、中から制服を取り出し、扉の陰で素早く着替える。それから髪を束ねようとして、リボンを手に取る。そこでふと考えた。

 髪にリボンなんて、やっぱり男の子っぽくないだろうか。性別を隠すためにはむしろ排除したほうがいいのかもしれない。これまでも何度かそんな事を思ったけれども、わたしにはそれができずにいた。きっと、わたしの中の「女の子」の部分が「男の子」として生きる事を拒否しているからだ。このリボンもそんなわたしの些細な反抗心の表れなのだ。

 結局リボンで髪を結んでから、顔を洗うために寝室を出ると、ソファに横たわるフランツの姿が眼に入った。毛布から覗く顔がなんだか青白いような気がする。そっと近づいたつもりだが、気配を察したのかフランツが薄く目を開けた。


「ん……もう朝か」


 そう言って大きく伸びをすると、ゆっくりと身体を起こす。


「おはようございます。フランツ、なんだか顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」

「……別に、普通」


 そう言った途端、くしゃみをひとつする。風邪だろうか。なんにせよ、こんなところで寝ていては体調を崩しても仕方がない。

 わたしはソファの空いている空間を探し、フランツの足元あたりに腰掛ける。


「最近眠れてます?」

「なんだよそれ。医者みたいな事言うんだな」


 フランツはそう言って笑うが、その目は少し赤くなっていて、疲れているように見える。

 いつまでこんな生活を続けるつもりなんだろう。いずれにしろ、今後も続くようでは身が持たない。クルトはああ言ったけれども、フランツのこんな姿を見てはやっぱり放っておけない。おせっかいで結構。同じ考え方を周囲に求めるなというのなら、自分ひとりでも行動してやろうじゃないか。


「ねえフランツ。こんな事言うのは差し出がましいとは思いますけど……テオと話し合ってみたらどうですか?」

「……人を泥棒扱いするような奴と話す事なんてねえよ」


 フランツは不機嫌そうに顔を背ける。その気持ちも確かに判るが、わたしは食い下がる。


「でも、お互い何か誤解があったのかも……フランツも以前からテオと距離があったみたいだし、もしかしてそのせいでテオも頑なになってしまったとか……」


 フランツは黙ったままだ。


「こんな生活続けていたら、いつか倒れちゃいますよ。話し合って、それでも上手くいかなかったら仕方がないです。駄目だった時は、わたしの寝室と取り替えてもいいですから。クルトに文句は言わせません。だから、お願いします……!」


 フランツはしばらくの間無言でわたしを見つめていたが、やがて大きく一つ溜息を漏らす。


「お前さあ、誰かにおせっかいとか言われた事ないか?」

「……ええ、まあ」


 やっぱり迷惑だったかな。余計な事を言ったのかも。軽い自己嫌悪に陥りつつわたしは俯く。


「なあ、また、あれやってくれよ」

「え?」

「お前の家に伝わる『よく眠れるおまじない』ってやつ」

「え、はい、いいですけど……」


 急に何を言い出すんだろう。どうして今そんな話を? 

 訳もわからず困惑していると、起床を知らせる鐘の音が鳴り渡った。


「それじゃ、約束したからな。今日の夜だぞ。忘れんなよ」


 フランツは立ち上がると、毛布を乱暴に丸めてソファに放り投げる。


「あの、フランツ……」

「顔洗うんだろ? 早く行けよ。ぼやぼやしてると朝飯に遅れるだろ」


 そう言って、部屋の隅に積み上げてある荷物の中から制服を引っ張り出す。着替えようとしているのだと気づいて、わたしは慌てて部屋を出る。

 はぐらかされてしまった? 結局、わたしの言葉はフランツに届かなかった? それともやっぱり、おせっかいが過ぎただろうか。

 廊下に出たわたしは振り返って、閉じたドアをじっと見つめていた。





 授業が終わった後、図書館で借りた本を抱えて寮に戻る。自室に入ろうとドアノブに手をかけた瞬間、中から微かに変な音が聞こえたような気がした。

 何だろう? 何かが床に落ちる音?

 ドアを押し開けて目の前に現れた光景を、わたしの頭はすぐには理解できなかった。

 部屋に漂うコーヒーの香りが鼻をつく。

 最初は靴が床に転がっているのかと思った。しかし、すぐにそうではないと気づく。誰かが床に横たわっているのだ。ソファとテーブルの間から覗く赤味掛かった髪には見覚えがあった。

 フランツ……? どうして床に寝ているんだろう?


「フランツ! おい、しっかりしろ!」


 その傍らで、クルトが叫んでいる。膝をついて屈みこみ、フランツの肩を揺すっているようだ。

 テーブルの反対側にはテオが真っ青な顔で立っている。

 明らかに尋常でない様子に、わたしは思わず手にしていた本を取り落とす。それが床に当たってばさりと音を立てると、クルトとテオがはっとしたようにこちらに視線を向ける。

 先に口を開いたのはテオだった。


「ああ、ユーニ。今、フランツが急に倒れて……」

「え?」


 状況を把握できないわたしの戸惑いを遮るように、クルトが声を上げる。


「フランツを保健室に連れて行くぞ。呼吸をしていないみたいだ。テオ、手伝ってくれ」

「で、でも、テーブルを片付けないと……」

「落ち着くんだ。今はそれどころじゃないだろう?」


 そう言うとクルトはフランツを抱き起こし、その腕を自らの肩に回す。テオも反対側から支えると、二人で抱えるようにフランツの身体を持ち上げる。


「ユーニ、ドアを」

「は、はい」


 急いでドアを開け放つと、フランツを抱えた二人は慌しく部屋を出て行った。

 ふとひとり取り残された部屋を振り返ると、踏み荒らされてページに足跡の付いた本。床に転がる割れたカップ。テーブルの上にぶちまけられた黒い液体は、端から滴り落ちて絨毯に染みを作っていた。


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