第21話 小さな祈り
春。
入学式。
桜が遅れていた今年は、入学式にまだ花びらがたくさん残っていた。
会場を埋める新入生の群れの中に、生徒会執行部の役員たちが勢ぞろいしていた。
新入生を迎える在校生代表として、腕章をかけた新三年生、新二年生たちが、ずらりと並ぶ。
去年はこの光景を、ただ見ているだけの人間だったんだけどなあ。まさか自分がここに並ぶとはね。
俺の腕には、副会長の文字がぶら下がっている。
正確には、俺の役職は副会長兼会計。執行部の心臓部を握る役職。既に「新執行部の軍師」という敬称で祭り上げられている。なんだかねえ。
俺の隣で上気した顔を正面に向けて立っているのが、書記の由紀。執行部の議事録を担当する役職だけれど、みんなは「会長秘書」と呼んでいる。
今、会場では在校生からの歓迎の挨拶が行われている。
もちろん、代表は生徒会長。
「皆さんを迎え、我が校の在校生は、期待に胸を昂ぶらせています」
俺と担任が書き上げた文章を読んでいるのは、学園のアイドルから「女帝」に格上げされ、名実共に学園の顔となった綾華さん。
その美貌は輝かんばかりで、この人は大舞台になればなるほど輝く、見事な素材だった。たかがいち学校の会長職にしておくのがもったいないほど、綾華さんの存在感は強大だった。一体、このひと以外が会長になる未来なんてありえたんだろうか、とすら思える。
それを見ている新入生たちの顔。明らかに陶酔しているじゃないか。この人が一声かけたら、こいつら全員反政府クーデターにだって身を投じるんじゃなかろうか。
カリスマ、というものがどういうものか、今ここに来て綾華さんを見てみりゃ、一発で納得できるはずだ。
「綾華さんの人気、すごいですよ」
入学式からしばらくたった日、教室で一緒にいると、由紀がいった。
「だろうなあ」
今年は同じクラスになれたから、いつも一緒にいられるのがありがたい。
「どの一年生に聞いても会長、会長って」
「由紀も美人秘書とかいわれてすっかり有名人だぞ」
「そんな、そんなのはウソです」
自分が有名人になるのは絶対にありえないことと固く信じている由紀は激しく否定するけれど、聞いている連中は内心思っているに違いない。
自覚無さ過ぎだろ。
俺もそう思う。
「晃彦くんだって有名人ですよ、女帝を支える軍師とか、騎士とか」
「ちょっと待て、なんだその騎士って」
「晃彦くんがかっこいいから、そう思ったんじゃないですか?」
由紀がからかうように口にした。
実のところ、意外に由紀が嫉妬深いことが判明していた。だからこそ同じクラスになったのが嬉しかった。四六時中見ていられる環境なら、多少は嫉妬から逃れられると思ったからだ。
あ、こいつ、下級生に嫉妬してやがる。
「かっこいいかどうかは知らんけど、騎士ってのは勘弁してくれだな。こっ恥ずかしい」
「じゃあ私のこともいわないで下さい」
「お互い、いいっこなしってことで」
「はい」
短く返事をして、由紀は微笑んだ。
文化祭から、由紀は変わった。
それまでは目立たないようにということだけを考えて生きているような生徒だったけれど、文化祭明けの由紀は、別人とはいわないまでも、自分という存在を隠すことはなくなった。
自分が自分が、と前に出ることはない。それは性格上無理。でも、自分のいいたいことはそれなりにいえるようになったし、声も少しだけど大きくなった。友達も増えた。
それでも、俺のことだけを見てくれているのが嬉しかった。少しくらい嫉妬深くたって、むしろ楽しい。
とかいうことを平然と考えてしまう辺りが「バカップル脳」なんだそうだ。
俺も変わったといわれる。
自分ではもちろんよくわからないけれど、迫力が身に付いたんだそうな。
元々背は大きい方だし、高校に入ってからも5センチ伸びたから、そのせいなんじゃないの? と当人は思うんだけれど、誰もうなずいてくれない。
確かに、学校で喧嘩を売ってくる人間はいなくなった。俺も売らないから平和。売られたって買う気なんかないんだけれど、売ったら最後、人生破滅するまで徹底的に追い込まれる、というイメージが付いているらしい。
待て。
ちょっと待て。
そういう俺と、小柄というほど小さくもない由紀が並んで歩いていると、非常に目立つらしい。学園のベストカップル、などという、僭越にもほどがある称号をいただいてしまい、戸惑って……。
「学園のベストカップルさん、哀れなおばちゃんになにか食い物を恵んでくれんかね」
「うわあっ」
突然後ろから声がかかって、二人ともびっくりした。
「どうしてあなたはそういう、人が驚く間合いで入ってくるのが極上にうまいんですかっ」
「知らんわ、あんたらが勝手に驚いてるだけじゃん」
綾華さんが背後にいた。
「お弁当ないのよ。ついでに飲み物買うくらいしかお金もないのよ。哀れだと思わん?」
とてもカリスマ会長とは思えない、どんよりした空気をまとって、綾華さんは俺の背中をぐいぐいと押した。どけ、ということらしい。
抵抗するだけ無駄だと、散々今まで思い知らされてきているから、俺は不承不承立ち上がる。行儀悪くいすをまたいで、綾華さんはどっかりと座った。
由紀が目配せしてくる。何かを察している気配だ。
ああ、愚痴りたいのか、この人は。
綾華さんが愚痴るといったら、話題はひとつしかない。ついでに、愚痴る相手は由紀に限る。俺が相手していると、綾華さんはだんだん腹を立ててくることがあるからだ。
愚痴の原因になっている人と、なぜかかぶるらしい。
「どうしたんですか綾華さん、また何かやらかしたんですか、あの人」
由紀がひざを触れさせるようにして尋ねると、綾華さんはどんよりもやもやした空気をあたりに発散しながらうなずいた。
「あたしに黙ってサークル入って、新歓コンパで酔いつぶれたって」
「まあ、大学生ですし、ねえ」
「それで介抱して自宅まで送ったのが先輩女子2名だってのよ? 信じられる? しかも気が付いたら雑魚寝してたとか、信じらんないわよ!」
ぐああっと吼える綾華さんの声を背に、俺は教室をそっと出た。
そう、綾華さんには大学生の彼氏がいる。
俺との失恋以来「もう恋なんて出来ないわあ」と嫌味ったらしく俺の耳元でささやく日々を、ちょっとの間だけ続けたあと、この人は次の恋を見つけた。
携帯でその相手の番号を呼び出し、かけてみる。
『……佐藤か』
「先輩、大丈夫ですか?」
『……二日酔いでな……あまり大丈夫じゃない』
「こっちはもっと大丈夫じゃない状況になってますが」
『……綾華か』
「吼えてるの聞こえます?」
『聞きたくはないけど、まあ、想像はつく』
会計氏。
この二人がくっつくとは予想外だったけれど、くっついてみるとこれが絶妙にはまった。静かだけれど包容力もある、なによりこの年にしては考え方が大人な会計氏と、お子ちゃま相手に恋愛なんて死んでも嫌と考えている綾華さんの波長は、不思議なほど一致した。
ただ、綾華さんは好きになった相手と彼氏彼女になるのが初めての経験だったから、それまでの恋愛経験がかえって邪魔をして、どう振舞えばいいかわからない場面が多い。
「素直になりゃいいのにねえ、あの人も」
『お前からいってやってくれ、渋谷からでもいい』
「無理っすよ。あの状態になったらもう遅いですって。後で迎えに来てください、甘い物のひとつも準備しといて下さいね」
今回は会計氏が悪い。確かに、女二人と雑魚寝はいかんでしょ。
自覚はあるようで、会計氏もその件については何もいわなかった。あとで盛大に謝ろうと算段しているに違いない。
そして会計氏は俺と綾華さんの間に何があったかも知っている。綾華さんが話し、俺も話した。由紀も話している。それぞれの立場の話を聞いて、それでもなお、俺たち全員と付き合いを続けてくれているこの先輩は、やっぱり大人だった。
『とりあえずこの時間帯は任せる。今日は生徒会の集まりはあるのか』
「偶然ですが、あります」
『5時過ぎには迎えにいける。それまで頼むよ』
「了解。貸しにしときますぜ、だんな」
『お前に貸しとか怖すぎるんだがな』
諦めたような会計氏の声は、俺の笑いを誘った。
何かが起こるたびに、俺たちは小さい祈りを繰り返していたと思う。
その積み重ねが今を形作っている。
偶然が重なって出会った俺たちは、それぞれの小さな祈りを繰り返して、こんな未来を作っていった。
たとえば由紀との関係も、日々の小さな祈りが導いてくれたことだと思う。
出会ったばかりの頃、由紀は俺と目も合わせてくれなかった。それはもちろん、由紀の方にも理由はあったけれど、俺としては祈るしかなかった。今度会うときはまともにしゃべれますように。
綾華さんとの関係だってそうだ。
俺と由紀と綾華さん、三者が文化祭最終日に劇的な仲直りをしたあと、俺は祈った。この人が不幸になってるなんておかしい。神様とやらは何をしていやがる。少しでも神のプライドがあるなら、とっとと綾華さんを幸せにしてみせろ。いや、幸せにしてあげて下さい。
由紀だって祈り、願っただろう。多分、信心がまったくない俺よりはるかに熱心に。
その感情が綾華さんにも伝わったからこそ、綾華さんはあれからも俺たちを気にかけてくれたし、愚痴り相手にもしてくれているんだろう。
愚痴はまあほどほどにしてくれた方がいいけれども。
そうやって祈りが重なって出来た今に、俺は生きている。
まだまだこれから先は長い。副会長としても、高校生としても、綾華さんの後輩としても、由紀の彼氏としても。
でも、多分、俺は人より恵まれている。素直にそう思う。
なら、恵まれているなりに、それに溺れるんじゃなく、もっといい世界を自分の周りに広げていけるようにしていくのって、きっと大切なことなんじゃないかと思う。
由紀がいて、隣で笑っていてくれる今。
……いや、たった今は綾華さんに取られてるけれども。
その今、幸せだなって思う、その思いを、ちょっとでもまわりに還元していけたら。
祈りを、自分のものだけじゃなく、外の世界にも出せていけたら。
生徒会執行部の心臓部を握ってる今、俺に出来ることって結構あるはずだった。それを存分に使い切って、俺は誰かの小さな祈りを、願いを、わずかでもかなえられるように生きて行きたい。
そんな風に思えるのが、実は一番幸せなんだろうな、と、ふと思ったりもした。
「由紀、あきちゃん、うちのぼんくらが来たから一緒に帰ろう。徹底的におごらすから」
「綾華、頼むから多少は手加減を……」
「先輩、それは無理ってもんですわ。諦めましょうや」
「晃彦くん、いきなり降参ですか」
「由紀なら諦めずに交渉できるか?」
「無理です。それは無理です」
「渋谷に無理なら僕にはなお無理だな」
「ぐだぐだいってないで行くよ。車で来てるんでしょ。早く早く」
「佐藤、僕の骨は拾ってくれよな」
「由紀と二人でせっせと拾いますよ。ほら、早く行かないとまた怒られますよ」
もうずいぶん長くなってきた日の光が、俺たちを照らしている。
由紀と手をつないだ。
由紀は黒い髪を風にそよそよとなびかせながら、にっこりと微笑み返してくれた。
「行こう、晃彦くん」
少し甘えの入った声が、たまらなく心地良い。
「好きだよ、由紀」
思わずつぶやいた。
「え?」
由紀がもう一度俺を見たけれど、別に聞かせるためにいったわけじゃない。思わず出ただけの一言だから、俺はつないだ手を引いた。
「なんでもない、行こう」
視線の先に、先輩と会えて実は嬉しくてたまらないのが見え見えな綾華さんの姿がある。
その幸せな姿を好きな人と一緒に見ていられる幸せを感じながら、二人一緒に歩き始めた。
小さな祈り 早稀 @kotosys
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