第42話 生きて


〈……遅かったか〉


 草鹿の呻き声が、伝声管を震わせ伝わってきた。


「どうしたんです」


 後席の洋平からは機体の進行方向は見えない。


〈前方に大和を視認……敵機の雷撃を受けている! 既に何本か被雷したみたいだ〉


 洋平は思わず、拳で自分の膝を殴った。

 十三試艦爆の快速のおかげで、ここまでは30分もかからなかった。しかし、そもそも赤城を出発するまでに時間をかけ過ぎた。

 草鹿が息を飲む。


「今度は何です!」

〈大和の直上にドーントレス約30! 奴ら、また急降下爆撃を仕掛ける気だ!〉


 まずい。

 暗号解読で五十子の乗艦を知っている敵は、艦橋部を集中的に狙うはずだ。堅牢な司令塔の中にいてくれれば良いが、五十子はそんな場所に隠れていることをよしとはしないだろう。

 彼女の性格から考えて、最悪の場合――


〈……どうする。赤城に引き返すという選択肢もあるが〉


 草鹿の声で、洋平は我に返る。


〈キミの目的は、大和が敵に発見される前に山本長官と会って引き返させることだろう。もう戦闘は始まってしまった。これではキミを落下傘で大和の傍に降ろすどころか、近付くのも……〉


「このまま行って下さい!」


 洋平は伝声管を使わず、振り返って直接草鹿に叫んだ。


「五十子さんがいるのは、恐らく防空指揮所です! 守らないと。お願いします!」

「たった1機で、30機相手に何ができる!」

「1機でも直掩がいないよりはましです!」

「しかしこれは偵察機だぞ! 逃げ足の速さだけが取り柄で、火力は無いに等しい!」


 知っている。十三試艦爆、後の彗星の武装は7・7ミリ機銃が機首に二挺、後部に一挺。

 7・7ミリ弾では敵機の撃墜はまず無理だ。

 それに、と草鹿が続ける。


「恥ずかしながらこの草鹿峰、実戦で敵を撃ったことなんて一度もない」

「……奇遇ですね。僕もですよ」


 洋平は、黒光りする後部機銃の把柄を握った。電熱手袋をしていても、冷たい鉄の感触が伝わってくる。


「死ぬの、怖いですか」

「ああ、怖いさ」


 洋平の呟きに、草鹿らしくない応えが返ってきた。


「汐里さんに会えなくなるのが怖い」


 だがその後、草鹿は小さく首を振った。声に自嘲が混じる。


「……みんなも同じ気持ちだったんだな。それを、ボクは」


 その瞬間、世界そのものが震えるような凄まじい砲声が轟いた。

 空気が圧力をもって、洋平の身体の芯まで届く。

 見えなくても直感でわかった。あれが46センチ砲だ。

 大和が、五十子が戦っている。


「愚問だった。海軍乙女がここまできて引き返せるか。行こう!」

「ありがとうございます、草鹿さん!」

「幸いこちらは敵より700メートルほど優位高度にある。策はあるかい?」

「爆撃針路を妨害しましょう」


 急降下爆撃の原理については本来は赤城を守るために、航海の間に少し調べている。


「爆弾を抱えて急降下するドーントレスには、強い慣性力が加わります。突入時に針路を狂わせてやれば、降下するほど目標との誤差は大きくなって爆弾の命中率は下がる。当てる必要はありません。威嚇するだけで良いんです」

「ははっ、簡単に言ってくれるじゃないか」


 乾いた笑みを浮かべた後、草鹿が一気に操縦桿を倒す。


「頭を低くしていたまえ!」


 単縦陣でこれから急降下に入ろうとしていたドーントレスの先頭に、逆落としをかける。

 同時に草鹿が機首の機銃を撃った。

 突然の上からの機銃掃射に慌てた敵機の陣形が乱れ、散開しての降下を余儀なくされる。

 遅れて、ドーントレスの後部機銃も火を噴いた。こちらより強力な連装機銃が弾丸をばら撒き、空域はまたたく間に硝煙と火線にみたされる。

 だが、敵をはるかに凌駕する十三試艦爆のスピードが命中を許さない。

 ドーントレスの急降下と絡み合いながら、洋平達も大和へ向かってぐんぐん高度を下げていく。

 身体が浮き上がり、後席と自分を縛り付けたベルトが今にも千切れそうだ。洋平は正気を保つように、揺れる後部機銃の把柄を握り続ける。







 ロディーは先陣を手下達に任せて、突然降って湧いた敵機を後方から観察していた。

 葦原機では見たこともない、液冷エンジン特有の先が尖った機体だ。葦原の新型機?


「そうこなくっちゃあ。楽勝過ぎて退屈してたところっすよ」


 ドーントレスも前方に武装がある。12・7ミリ機銃2挺。

 爆弾を投下し終えたらこいつで戦艦の乗組員をいたぶってやろうと思っていたが、丁度良い。

 ロディーは闘争本能で尖った犬歯を剥き出しにしながら、機首を敵の新型機に向ける。







 大和の周囲に、水柱が上がっていた。

 ドーントレスは命中しないとわかっていても、爆弾を抱えたままでの引き起こしができず投下せざるを得ないのだ。洋平達の攪乱戦術は、一定の成果をあげている。

 だが、敵の数が多過ぎた。

 爆弾を懸吊したままのドーントレスはまだ20機以上残っている。

 十三試艦爆は降下を続け、大和の巨影がみるみる近付く。

 狭い座席で身体を無理にひねり、洋平は艦橋に目を凝らした。


 五十子が見えた。


 やはり、防空指揮所にいる。

 目はきっと空を見据えたまま、口を凛々しく開き伝声管に指示を飛ばしている。

 気付くと洋平は、風防の可動部を大きく開いていた。

 風が容赦なく機内に入ってきて暴れ回る。草鹿が振り返って怒鳴るが、何も聞こえない。


「五十子さん!」


 あらん限りの叫びも、突風とエンジン音で自分の耳にすら届かない。

 それなのに。

 五十子と目が合った。


「生きて!」


 五十子の大きな目が、さらに大きく見開かれる。その口が動き、何かの言葉を発そうとした時。

 ガンガンという被弾音が、機体を揺さぶった。

 しまった! 後方に目を戻す。1機のドーントレスが間近に迫っていた。

 咄嗟に機銃を構えた。円に十字の照準器いっぱいに、敵機が入っている。

 操縦席に座る、片目の周りにボディーペイントをした少女の顔まではっきり見えた。歳は洋平よりも下だろうか。

 逡巡は一瞬だった。

 引き金を引く。強過ぎる反動と、耳をつんざく連射音。射線は何もない空を切る。

 ドーントレスは既に横へ滑った後だった。

 再び、被弾の衝撃。


「翼をやられた!」


 草鹿が叫んでいる。左翼にけばだった破孔が開き、白煙を曳いている。機体がぐらつく。

 ここまでか。絶望が胸を突いた、次の瞬間。

 後ろ上方に占位していたドーントレスが、急に飛び退いた。逃げていく?

 離れたところを飛んでいた他のドーントレスが、火の玉になる。

 腹に抱いた爆弾もろとも大口径の機銃弾に砕かれ、誘爆を起こしたのだ。

 ドーントレスの群れを、北の空から現れた戦闘機編隊が食い破る。

 零戦。空戦の王。


「四航戦の戦闘機隊じゃないか! アリューシャンに行ってるはずの四航戦が、どうして!」


 草鹿が驚きの声を発する。

 間に合ってくれたか。

 1機の零戦が、十三試艦爆の横に並んだ。

 搭乗員が風防を開け、親指を立ててみせる。


「成実さん!」


 間違いない。第四艦隊司令長官、井上成実だった。

 飛行帽を被らず銀縁眼鏡をかけたままだ。

 草鹿がぼそりと呟く。


「井上さん、操縦できたのか……?」







 中央からの左遷と言われたトラック赴任の日より手慰みに始めた飛行訓練は、720時間に及んでいた。


「五十子を犠牲にする世界なんて、そんなの私が許さない」


 成実の脳裏に、兵学校時代の記憶が甦る。

 帰国子女でずけずけと物を言う成実が孤立するのに、さして時間はかからなかった。

 いつも一人だった。

 あの時、リボンの上級生に声をかけられるまでは。


 ――井上さんの論文読んだよ! 航空戦って面白いね!

 ――ねえ、成実ちゃんって呼んでもいいかな? わたしたち、友達になろうよ!


 成実を傍に置くようになってから、五十子の友人は半分くらい減った。

 それでも、五十子に気にする様子はなかった。変わり者だと、そう思っていた。

 練習艦で大砲が暴発したとき、成実は身を庇うこともせず突っ立っていた。

 自分が死んでも、誰も迷惑しない。そう思っていた。


「あのね、五十子」


 心の中の親友に、成実は語りかける。


「夢を見るの。五十子がもう二度と会えない遠いところへ行ってしまって、私だけ取り残される夢。みんなが少しずつ五十子のことを忘れていって、そのうちに私も、五十子の温もりを思い出せなくなる。とても怖くて耐え難い夢を、every day, every night」


 敵機に照準を合わせ、トリガーを引いた。


「この手で、悪夢を終わらせる」







 第四航空戦隊、商船改造空母・隼鷹。


「野郎どもぉ! 本艦からミッドウェーまでの距離は、普通なら飛行隊の行動範囲外だ! しかぁし、本艦は根性で飛行隊を迎えに行く! 最・大・戦・速!」

 

 伝声管が変形しそうな大声で機関室に発破をかけると、四航戦司令官の角田斗角は略帽の上から頭をぼりぼりかいた。

 今頃はとっくに北のアリューシャンを攻略しているはずが、大海令違反のL字ターン。

 海軍刑法の第何条……かは忘れたが、抗命罪は免れまい。本国に帰ったら切腹物だ。


「しゃあなしだな。あの井上先生から頭下げられたんじゃ、しゃあなしだ」


 ――五十子を助けたいの。私はあの子に救われたから。今度は私が助けに行く番なの。お願い、力を貸して。


 普段のあのクール顔が、崩れに崩れていた。

 きっと彼女は知らないだろう。鉄砲屋だった斗角が空母の指揮を任され右も左もわからなかった頃、教本にしたのが井上成実の論文だったということを。

 ……内容は半分ぐらいしか頭に入っていないが。

 斗角は、おもむろに壁に手をついて唸り出した。部下の1人が見かねて、


「あの、角田少将? 何かお具合でも……」

「隼鷹が少しでも速くなるよう押してるんでいコン畜生!」

「……艦橋が壊れるのでやめて下さい」







 南下してきた四航戦の零戦は、敵機を1機また1機と撃墜していた。

 敵編隊は散り散りになって、零戦から逃げるのに精一杯だ。

 制空権は今や完全にこちらにある。

 だが――


「東方距離30000、敵艦隊!」


 草鹿が指差した水平線に、洋平は目を凝らす。


「重巡2、駆逐艦4の計6隻! 30ノット以上で大和に向かってくる!」


 辺りは空中戦と大和の対空砲火で、青黒い煤煙が幾重にもとぐろを巻いていた。

 その切れ目に、6つの艦影が見える。


「草鹿さん、どんな艦かわかりますか?」

「視力には自信がある。重巡はポートランド級とニューオリンズ級が各1、駆逐艦は……多分シムス級だな」

「ポートランド……ヨークタウンを護衛していた艦です」


 恐らくは一航艦を発った攻撃隊に、空母ヨークタウンが沈められたのだろう。生き残った護衛の水上艦で一矢報いるつもりか。

 

「重巡の主砲で大和の装甲は抜けないさ。しかしシムス級は厄介だな。4連装魚雷発射管を8門装備している。一斉に雷撃されたら大和でも……」

「でも、水上戦闘では大和は無敵じゃないですか。接近される前に砲撃で沈めれば」

「無論そうだが。……あれ? 先頭の重巡が煙を上げ始めた」


 煙幕だ! 洋平は敵を見くびっていたことを恥じた。

 重巡を盾にして、駆逐艦を雷撃距離まで接近させるつもりだ。敵も必死なのだ。

 横を飛ぶ零戦の成実も表情を険しくしていた。

 四航戦には艦爆や艦攻もあったはずだが、成実はここに戦闘機隊しか連れてきていない。今の洋平達は、制空権はとっていても水上艦を食い止める術が無い。

 不意に、煙幕を焚く先頭重巡の周囲に、複数の水柱が上がった。

 振り返る。海の彼方、見覚えのある脚檣楼が6本見える。


「戦艦部隊!」


 洋平は喜びで思わず叫んでいた。

 見間違えようもない。

 長門、陸奥、伊勢、日向、それに扶桑と山城。

 連合艦隊の誇る戦艦6隻が、大和に接近するヴィンランド艦隊に対しT字有利で単縦陣を組んでいる。

 ぱらぱらと輝点が煌いた。遅れて、どおん、と音が伝わり、大気を切り裂く飛来音が聞こえてくる。

 戦艦群の主砲、全64門が斉射されたのだ。



 




 長門艦橋。


「目標、左舷の敵艦隊! 1隻たりとも大和に近付けるな!」


 束が命じた。


「撃ち方始め!」


 艦長が晴れ晴れとした声を上げる。真横に旋回した主砲が最大仰角で砲身を高々と上げ、爆炎を噴いて発砲する。


「初弾、夾叉! 先頭重巡を散布界に捉えました!」

「いいぞ。鉄砲屋の意地を見せてやれ」


 束は砲煙に霞む大和に目を細めた。


 山本長官には、いつも振り回されてきた。一緒にいるとイライラしっぱなしだ。

 きっとこれからもそうだろう。

 けれど、長官といると不思議と安心している自分がいた。

 長官が……五十子先輩が、自分達ひとりひとりを想ってくれている。そして決して見捨てないということを、心が知っているからだろう。

 今度は自分達が、彼女の想いに応える番だ。







 CV-8ホーネット艦橋。

 メイベル・ミッチャーは珍しく艦長席を立って、帰ってきた攻撃隊の一部に給油と魚雷の装着が行われている飛行甲板を見下ろしていた。

 規則では格納庫に下ろしてやることになっているが、今はその時間も惜しい。ぐずぐずしていたらレナ・スプルアンスが態勢を立て直してしまう。

 ヤマトは何としても、自分の隊に仕留めさせたかった。

 そのためには。


「雷撃隊、発艦準備終わりました! 次、爆撃機です!」

「ドーントレスに規定の500ポンド爆弾じゃなく、燃料搭載量を減らして1000ポンド爆弾を抱かせな」


 副長が目を丸くする。


「え、ですが、そうすると帰りの燃料が……」

「帰りはどっかで着水させればいいだろ、駆逐艦を迎えにやるから」

「しかし、機体が全部海に……」

「うるさいねえ。大金獲りに行くのに、小銭ケチってんじゃないよ!」


 メイベルの剣幕に副長はかくかくと頷いて、マイクを掴んだ。

 飛行甲板に1000ポンド爆弾が運ばれてくる。

 整備兵達がドーントレスに爆弾の装着を始めた、その時だった。


「レーダーに感ありっ! 北方に機影多数、本艦に接近中!」

「北からだって?」 


 メイベルは耳を疑った。今その方角に葦原艦隊はいないはずだ。

 いや、唯一の可能性は葦原のアリューシャン攻略部隊が南下してきたということだが、有り得ない。早過ぎる。


「西で警戒させてる直掩隊を呼び戻すんだ! それと発艦準備急ぎな!」


 飛行甲板上には、爆弾や魚雷、それに燃料が山積みになっている。

 知らせを聞いた整備兵達が、必死の形相で駆けずり回る。

 しかし、その努力も虚しく。

 北の空に、無数の黒点が現れる。黒点は次第に大きくなり、やがて像を結ぶ。

 葦原軍の攻撃隊。

 回避運動を始めたホーネットに、九九式艦爆が急降下爆撃を敢行した。

 そのうちの1発が、艦橋の真下で炸裂。並べてあった爆弾、燃料車に誘爆する。


 メイベルは、新しいチューインガムをくわえて目を閉じた。

 目蓋の裏に映るのは、太陽が燦々と降り注ぐカリブの保養地。青々とした芝生、洒落た白い家、木陰のハンモック……赤い炎が、全てを飲み込む中で。


「ま、人生なんてこんなもんさ」


 艦橋は根元から吹き飛んだ。誰一人、助からなかった。

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