第41話 くろがねの偶像
「ぱねえ……マジぱねえっす」
その巨大な船体に、ロディーは目を丸くしていた。
大きさだけじゃない。横っ腹がずんぐり膨らみ、まるでヘビがカエルを呑み込んだような見たこともない船型。
「……あれだと、ぶっとすぎてパナマに入んないっすね」
つまり、ヴィンランド海軍には建造不能なサイズということ。
すなわち世界最大の戦艦。
ミッチャーの姉御についてきて良かった。こいつは人生で二度と拝めない、とびきりゴージャスな獲物だ。
上唇を舐め、ロディーは無線電話を掴む。
「雷撃隊は足止めよろしくっす! 爆撃機隊は高度15000まで上昇、
敵司令長官の殺害という作戦の狙いは忘れない。
標的を見回していたロディーはふと、剥き出しの艦橋最上部に立っている高級士官に気付く。
これから空襲を受けるのはわかっているだろうに、酔狂なお偉いさんもいたものだ。まさか……。
「……なわけないっすか」
頭に浮かんだ空想を追い払うと、ロディーは操縦桿を思い切り引いた。
自分の育てた後輩が初めて戦死したのは、長期化していた北方事変の名も無い空戦でのことだった。
弔問に訪れた家で、五十子は遺影に向かって名を叫び、床に突っ伏して泣きじゃくった。
しかし。五十子が昇進するほどに後輩の数も、死者の数も増えていった。
いつしか死者の名前を紙に書いてそこへ悲しみを封じ込め、笑顔の檻で感情を囲い。
人の生死を将棋盤のように俯瞰することを覚えたのは、いつ頃だったろう。
五十子もまた、盤上に囚われた駒の一つだった。
誰が悪いわけでもないと、五十子はわかっている。
天命なのだ。
春の訪れを無邪気に待った、雪国の家族の団欒も。凛々しい敬礼を残して波濤の先へ旅立った、幾多の少女達も。
彼もまたいなくなって、笑顔の檻の向こう側に閉じ込めるはずだった。
……なのに。
戦艦大和。時代に取り残された、くろがねの偶像。
「不沈艦」というその二つ名を、本当は一度も信じたことはなかったけれど。
嘘を、
「左舷より雷撃機3、降下してきます!」
「面舵いっぱい」
五十子は命じる。
敵の雷撃隊が進行方向にまとわりつき、27ノット超でミッドウェーを目指す大和に変針を強要していた。
大和の対空兵装も黙っていない。
15・5センチ3連装砲が。
12・7センチ連装高角砲が。
25ミリ3連装機銃が。
大小の砲声が入り乱れ、無数の火線が空を交差する。
しかし敵機には1発も当たらない。余裕綽々で全弾かわしながら、大胆に高度を下げてくる。
もはや航空機を阻めるものは、同じ航空機だけなのだ。
そのことを世界に知らしめたのは、皮肉にも五十子自身だった。
〈面舵いっぱい、よーそろー!〉
大和は巨体を軋ませ、艦首を右へ回頭させる。
艦が傾き、切り返された波の白い飛沫が甲板を濡らす。
大和の船体は造船関係者から「たらい」によく例えられる。巨大な主砲を安定させるため相対的に短い全長、広い横幅という肥大型をしており、舵の効き始めが遅い。
「左40度、魚雷投下されました!」
五十子は片手で伝声管を握り締めたまま、矢のように走ってくる魚雷と艦の回頭速度とを目で追った。
周りの見張員達も、固唾を飲んで海面を見守る。
静寂。
雷跡が海を裂いて急接近する。ゆっくりと回頭する艦の速度がもどかしい。
このまま、かわし切れるか。
1秒……2秒……さっと1本が、艦首すれすれをかすめた。
誰かが息をついた、次の瞬間。
衝撃が艦の底から駆け上がった。
続いて、腹にしみこむような鈍い炸裂音。
「左舷中央に被雷っ、2発っっ!」
舷側から立て続けに上がった水柱が防空指揮所の高さにまで達し、五十子達の頭に飛沫を浴びせる。
大和が建造されて被る初めての損害。
だが五十子は即座に伝声管に口を当て、声を張り上げる。
「戻して! 取舵30度、速度そのまま!」
元より無傷で済むとは思っていない。問題は、この艦がどこまで保つか。
「左舷、第二船艙甲板浸水!」
「左舷第四機械室及び12番缶室に浸水!」
電話で上がってくる被害報告を、伝令が復唱する。
五十子はそれらを聞きながら、壁に取り付けられた傾斜計の針を見ていた。
針は震えながら、じわじわと左へ傾いていく。
「艦が左に傾斜しています! 現在針点5度!」
「右舷急速注水区画に注水、傾斜復原急いで」
「はっ!」
「応急員は被害現場に急行、排水を」
「左80度高度200、雷撃機突っ込んできます!」
下階の高柳艦長から吉報がもたらされたのは、雷撃の第二波を今度はぎりぎり回避成功した時だった。
〈長官お待たせしました! 間もなくミッドウェー環礁が、主砲の射程に入ります!〉
「ありがとう。直ちに砲戦用意」
15メートル測距儀の測定値がトップの主砲射撃指揮所に送られ、射撃盤が諸元を出力していく。
測距中心誤差修正、風力射程差、自転速度、大気密度……。
五十子は一番・二番主砲を見下ろした。
巨大な砲塔が水圧機で旋回を始め、全長21メートル超の砲身が仰角を描きミッドウェーを指向する。
甲板上の乗組員に、退避を促すブザーが鳴り響く。
「みんな、耳を塞いで」
そう言った五十子も両耳に手を当て、鼓膜を庇う。
直後。大和の46センチ砲9門が、一斉に咆哮した。
厳密には3連装の弾道が互いの衝撃波で狂わぬよう、中央、右、左の順に0・3秒の間隔を置いて。
轟音。
凄まじい爆風で、砲下の海面が半円形に抉れる。
防空指揮所でも、見張員の帽子が吹き飛んだ。
発射されたのは重さ1・46トンの零式弾。対地攻撃用の榴弾だ。
届いてくれ。
海軍乙女達は祈るようにしばし、肉眼では見えない敵基地ミッドウェーの方角を見詰めた。
人間よりも、鳥の方が多い島だった。
ミッドウェー環礁、イースタン島。
セントラルパークよりも狭いそこは、開戦前は世界最大のアホウドリの繁殖地として鳥類学者に知られていた。
今もネイビーガールズとマリーンガールズ合わせた守備隊3000の兵に対し、渡り鳥の群れは100万羽を超える。
飛行場では少女達が明け方の空襲で破壊された施設の復旧に追われていたが、滑走路を整地するブルドーザーの上にまでアホウドリが鈴なりになって居座る始末だ。
1人の海兵が、おやつに支給されたビスケットを砕いてクロアシアホウドリを集めていた。
「おーい、メアリー。鳥に餌やる暇あったら土嚢運ぶの手伝ってよー」
「さぼってると軍曹に言いつけちゃうぞー」
声をかける仲間にも、先刻まであった緊張感はもう無い。
情報によれば敵空母は味方の攻撃で大破炎上し、今は敵の総大将が乗った戦艦を追い詰めているところらしい。
島は再び、少女と鳥達の平和な楽園に戻りつつあった。
「ほうら、おいで~美味しいよ~……あれ?」
最初にその異変に気付いたのは、メアリーと呼ばれた海兵だった。
葦原軍の空襲の後も何食わぬ顔で戻ってきていた鳥達が突然身を強張らせ、ビスケットに目もくれず一斉に飛び立ったのだ。
何かの予兆を感じ、メアリーが海に目を向けた時。
閃光、そして爆炎が、空と海を一繋ぎにした。
遅れて衝撃が襲ってくる。熱波と大音響が少女達の悲鳴をかき消す。
イースタン島とサンド島の間にある、スピット島と呼ばれる小さな島。それが丸ごと消えている。
おお、神よ。
誰かが茫然と呟いた。
「艦長、第二射もう撃てる?」
〈現在、自速射程差の修正中です〉
「左舷に魚雷命中! 3発目っ!」
〈発電機室に浸水! 艦内停電!〉
「艦が左に傾斜しています!」
「右舷注水。予備多電機に切り換え急いで。……大丈夫、大和はそう簡単には沈まないよ」
伝声管からいっとき離した口で、五十子は周囲に笑ってみせた。
身につけた軍装は、水飛沫と汗とで既に乾いたところが無い。
約40秒。
通常ならそれだけあれば、大和の主砲の次弾装填、発射準備は完了する。
しかし敵機の攻撃に曝されている今、回避のために針路や速力を変えるとそのつど照準を修正しなければならない。
一方で浸水による傾斜は、放っておけば艦を転覆させる深刻な脅威だ。
特に被害箇所が左舷に集中したのが想定外だった。右舷の急速注水区画は、遠からず満杯になる。
これに対し五十子の采配は。
〈主砲、射撃用意よし〉
「敵魚雷、今度は右からきます!」
「……砲戦を優先。舵そのまま」
ごめん。
防弾板に手をついて、五十子は声に出さずに詫びた。
主砲第二斉射の衝撃からコンマ数秒後。
鋼鉄のバルジが引き裂かれる叫びが、五十子の腕を揺さぶる。
「右舷後方に魚雷命中っ!」
破口から海水が牙を剥いて艦内に流れ込む。
右舷への浸水は、しかし皮肉な結果をもたらした。
「か、艦の傾斜が復原していきます!」
「……怪我の功名だね」
五十子は低く呟いた。
左舷の浸水と同じ量の水を傾斜復原のために右舷に入れると、艦内の水の量は単純に倍になって、それだけ浮力は失われていく。
ジリ貧だ。今の大和は、限りある予備浮力を食い潰しながら耐えているに過ぎない。
〈右舷、第一機械室で火災発生! スクリュー停止しました!〉
〈速力、18ノットに低下!〉
傾斜復原の代償は大きかった。
4軸あるスクリューのうち、右舷外側の1つが機能停止。大和は3軸運転を余儀なくされる。
「直上! 急降下爆撃機多数!」
そして獲物の足が鈍った好機を、敵は見逃さなかった。
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