第13話 Crazy for you
「
「まさかB‐25の襲来? 総員、対空戦闘用意!」
「待って下さい、防空指揮所で視認しました! 接近する機は友軍の飛行艇です!」
海鳴り。
異変を察知した海鳥達が一斉に飛び立つ。
南の
濃緑色に塗装された、4発の大型飛行艇。
二式……いや、九七式大艇だ。
全幅40メートルのアスペクト比が大きい一枚翼から、ククリナイフのように反り返った胴体と補助フロートが金属の骨組みで吊るされている。
巨大だがスマートなデザインをした飛行艇は、大和の頭上をぐるりと旋回してから降下を始めた。尾部が海面に触れる。14気筒900馬力を誇るエンジンが一際大きく唸り、轟音と水飛沫を上げながら徐々に胴体を水平にしていく。
着水が完了した時、九七式大艇は測ったかのようにぴたりと、大和と並行に静止していた。
「飛行艇より発光信号! 第四艦隊司令長官の
大和艦橋にいた寿子が甲板に降りた時には、既に五十子がいて客人を出迎えているところだった。
「もう
「How do I live on such a world ? ……五十子に撃墜されて死ねるなら、いっそ本望だわ」
「な、成実ちゃん? 今何て?」
初っ端から不穏過ぎる客人の発言に、思わず引いたのは寿子もだった。
トラックを拠点に南洋方面を管轄する第四艦隊の司令長官。
精神論を嫌い合理的思考を好む異色の帰国子女で、海軍兵学校を次席で卒業。
戦前は海軍省軍務局長として海軍次官だった五十子を補佐し、三国同盟や開戦には五十子と一緒に最後まで激しく反対。公私ともに五十子に最も近しいと言われた「山本五十子の片腕」だ。
久しぶりの再会のはずだが、成実の眼鏡の奥の瞳にはハイライトが一切無く、顔には恐ろしく深い陰影が刻まれていた。
「Crazy for you. ほんの冗談よ」
冗談に聞こえない雰囲気でそう言った成実は、前触れもなく五十子の頭のリボンに手をかけ、緩んでいたのをきゅっと締めて結び目を整えた。
あまりに自然な所作で、その場にいた誰も反応できなかった。
「リボンの色を変えたのね、五十子」
寿子達が敢えて触れていない五十子の変化を、古い盟友は平然と指摘する。
本土初空襲――判明した敵の隊長の姓から「ドーリットル空襲」と名付けられた事件から既に10日以上が過ぎていた。
空襲は海軍施設のある横須賀だけでなく、帝都をはじめ6つの都市に及んでいた。
寿子達にとって衝撃的だったのは、空母からの陸軍機の発艦という常識破りの戦法もさることながら、ヴィンランド軍が戦時国際法で禁じられた非戦闘員に対する攻撃を全く躊躇わなかったことだ。
住宅や病院、大学の講堂に焼夷弾が投下され、中学校の校庭が機銃掃射を浴びて13歳の児童が命を落とす悲劇まで起きた。真珠湾攻撃において五十子が民間人居住区への攻撃禁止を厳命したのとは対照的だ。
当局の発表によれば死者45名、重傷者153名、家屋全半焼289戸、全半壊42戸。実際の被害はこれより多いだろう。
帝都では六大学野球の開幕が延期され、夜の繁華街からネオンが消えた。葦原中が今、かつてない悲しみと怒りに包まれている。
そして五十子の赤いリボンの髪飾りは、空襲を受けた街を訪れる際に黒色に代わり、大和に戻った時には白いリボンになっていた。
「……ちょっとね。そう言う成実ちゃんは、おさげやめちゃったの?」
「ええ、Time is precious. 前線では編んでいる暇が無いの」
成実は、ストレートの髪をかき上げる。お互い、それ以上の説明をするつもりはないようだった。
「中央から、ポートモレスビー攻略の指揮を執るよう命じられたわ。五十子も同意済みの話だと」
「南方戦線は攻勢限界点をとうに超えている。敵の機動部隊は
「成実ちゃん……」
「Nonetheless, だとしても。それが五十子のためになるのなら、私は喜んで戦うわ」
内火艇が列を成して高級士官用の右舷舷梯に近付いてきた。
太平洋中に散らばる連合艦隊各艦隊の首脳がこれから一同に会して、大和艦上で作戦会議が開かれる。成実が遠い南洋のトラックから帰国したのもそのためだ。
成実はもう一度リボンに指で触れると、五十子からそっと身を離した。
「渡辺さんだったかしら。五十子がいつも世話になっているそうね、礼を言うわ」
唐突に名を呼ばれ、寿子は姿勢を正す。第四艦隊司令長官は何やら足元の甲板を見下ろしている。
「
「はっはい、水兵達が毎朝総出で清掃と点検を……え?」
成実が一点を指差している。目を凝らすと、木甲板にごく小さなささくれがあった。
「渡辺さん、これが貴女の言うメンテナンスされた状態なの?」
「申し訳ありません井上長官、後で磨いておきます」
「Don’t lag, 急ぎなさい。五十子がはだしで遊んでいて怪我をしたらどうするの」
しかも心配してる内容がおかしい、幼児じゃあるまいし……
「成実ちゃん、わたしもうはだしで遊んだりしないよ。代わりに逆立ちしてみせよっか?」
山本長官は黙っていて下さい!
「待ちなさい五十子、ここの甲板は危険だわ。何か敷く物を……いいえ、ここは私が」
「わわっ、ダメだよ成実ちゃん!」
五十子の前でさも当然の如く仰向けに横たわり自らが敷き物になろうとする第四艦隊司令長官に
胸部が甲板みたいに平らだとか、そんな細かいことはどうでもいい。
井上成実、この人は本物だ。
若干愛が重過ぎるけど。五十子に多分その気は無いけど。だがそれが良い。
そして連合艦隊で愛が重たいといえば、他にもう1組……。
「一航艦の
右舷から乗員の黄色い歓声が上がる。
第一航空艦隊参謀長の峰様こと
凛々しいショートカットに精悍な顔、第二種軍装に純白のマントを羽織り、腰には長い軍刀を帯びる。
真っ赤な薔薇が似合いそうな、宝塚の貴公子役かと見紛う麗人だ。
「やあ大和の姫君達。留守の間に空襲があったんだって? 怖い思いをさせてしまったね。でも、ボク達が帰ってきたからにはもう心配は要らない。ヴィンランドの空母なんて
「きゃあ、かっこいい!」「鎧袖一触ですって!」「峰様、私のことも鎧袖一触してぇ!」
甘苦い声にギャラリーが表情をとろけさせる。
一方、成実は珍獣でも見るように眉をひそめた。
「……草鹿さん、遠征中に頭でも打ったのかしら?」
自分のことを完全に棚に上げた成実の発言にどう反応したものか寿子が困っていると、
「さあ、遠征の帰りにシンガポールで手に入れたお土産だよ。もっとも、南方で手に入るどんな
再び歓声が沸き、少女達が群がる。
開戦以来華々しい遠征を重ねてきた南雲機動部隊が持ち帰る海外の土産は、逆に一度も柱島泊地から動いていない戦艦部隊の乗組員達にとって憧憬の対象だった。
一番人気は香水だ。海軍乙女は屋外では軍帽の着用が一応ルールで、被る前に帽子の内側にひと吹きする香水は必需品である。
ただ峰はそれに加え、各人の欲しい物を覚えている特技があった。
「キミの唇は緋牡丹のように愛らしいね。前に欲しがっていた楽譜を手に入れてきたよ」
硬派な岩田軍楽長が、内地では手に入らない敵性音楽の楽譜を貰って耳まで赤く染めている。
「寿子姫、向日葵色のカチューシャが何て眩しいんだ。キミにはフレーバーティーを買ってきたよ」
いけない、今ちょっと奇襲に胸がときめきかけた。この王子様ボイスに騙されてはいけない。
「ええと、ありがとうございます草鹿参謀長、私がお茶好きだって覚えてて下さって。だけどいいんですかねえ、奥さん……じゃなくて南雲長官を放っておいて? ほらあ」
寿子が、控え目に示した先。
ショートボブの大人しそうな少女が、舷梯を上がってくるところだった。
今や世界最強の機動部隊である第一航空艦隊の司令長官で、峰の上官だ。
一同が見守る中、南雲長官は特に何も無いところで足をもつれさせ、甲板に尻餅をついた。
「うっ……うええーん! こんな大勢の前で転んじゃいましたぁ、恥ずかしくて魚雷発射管があったら入りたいですぅ! うえええーん!」
大泣きしている。世界最強の機動部隊を率いる司令長官が、である。
「……寿子姫、このココナッツジャムの壺を山本長官に届けてくれ。これは良いものだ」
峰は泣いている南雲のところまで急いで引き返すと片膝をついてひざまずいた。騎士のポーズだ。
「汐里さん、独りにしてすまなかった。怪我はないかい」
「ひっく……ひどいよぅ。峰ちゃんがずっと一緒にいてくれるって言うから、私ついてきたんだよ?」
「美しい花が咲いているから、つい愛でてしまっていたのさ。ボクの剣術は一刀流だからね、ここからは汐里さんのためだけに剣を振るおう」
お前は何を言っているんだ、と内心で突っ込んだ良識派がこの場で寿子だけではなかったと信じたい。
汐里の身体がふわりと持ち上がる。
お姫様抱っこ、だと?
「ううっ、こんな大勢の前で峰ちゃんに抱っこされるなんて、頭が沸騰しそうだよぅ!」
「あざとい、あざと過ぎる」「聞いてるこっちの頭が沸騰しそうよ!」「これが正妻の力だというの?」
峰を崇拝する少女達の間に押し殺した羨望と嫉妬のざわめきが広がる中、傍観していた成実は興味を失ったように寿子に向き直り、口を開いた。
「ところで渡辺さん。GF司令部で、源葉洋平という名の少年を参謀にしたそうだけど……」
不意を突かれ、寿子はびくりと肩を震わせた。喧噪の中で、成実の声だけがはっきりと聞こえる。
「彼がtime travelerという噂は本当なの?」
その類のSF小説で、主人公側から見た用語だ。
過去の人間から見れば、未来人。
「彼は、その……」
ハイライトの無い瞳が、寿子をじっと覗き込んでくる。
寿子は逡巡の末、視線を逸らした。
「……私には、よくわかりません」
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