第12話 僕はこの戦争をどこかで、戦争として認識していなかった


 4月17日は、低気圧の影響で全国的に天気は大荒れだった。

 翌18日土曜日。よこ須賀すかの空は前日までの大雨が嘘のように朝から晴れ上がった。

 嶋野に招待された例の横須賀軍港見学会の当日である。

 いつもより早起きした五十子に合わせる形で、洋平達は約束の時間より前に現地入りした。


「ついてないですねえ、雨天のまま中止になっちゃえば良かったのに」


 愚痴りながら軍港のゲートをくぐった寿子が、「お」と足を止める。

 海の方からラッパの音が響いてきた。港内に停泊する艦隊で、軍艦旗の掲揚けいようが始まっている。ここから見えるのは重巡洋艦の愛宕あたごと、姉妹艦の高雄たかお

 するすると旗竿はたざおをのぼる旗に儀仗兵が捧げ銃をし、乗組員達が直立不動で敬礼する。

 洋平達もその場で背筋を伸ばし、挙手の礼をした。

 軍艦旗が風に翻る。大和に乗艦している間も何度か立ち会った朝の儀式。厳かで美しいこの瞬間こそ、海軍乙女達のきょうだ。


「うーん、なんか身も心も引き締まるね。やっぱりこれが無いと、一日が始まった気がしないや」


 五十子が大きく深呼吸する。

 そういえば、大和を離れてからこうして海に来るのは初めてだ。


「海の風、それにこの潮の香りも気持ち良いな。洋平君以外の男の人なら、マスクをしないと5分ともたない死の空気なのに。えへへ、こういう時は女の子に生まれて良かったなって思うよ」

「長官……なんか無理に清々すがすがしくしようとしてますけど、ここからが本当の地獄ですからねえ」


 寿子が暗い顔でそう呟いて、「死の空気」で普通に呼吸している洋平を見てさらに顔を暗くする。


「ああ、やっぱりまずいですよお。これから記者が大勢来るのに未来人さん絶対怪しまれますよお」

「仕方ないじゃないか、柱島にはいない高雄型がいるって聞いちゃあ。このイージス艦っぽい艦橋を間近で拝めるチャンスなのに、僕だけホテルで留守番とか有り得ないから」

「いーじす? 未来の言葉はわからないですけど、とにかく記者の前では目立たないようにして黙ってて下さいねえ。なんで海軍に男がいるのかって質問されたら、前に私がごまかしたみたいに特務で男装ですって答えて下さい。それ以上の質問には必殺技の『軍機』使って良いですから」


 またその手口かよと洋平が呆れつつ、今から高い声を出す練習でもしておこうかと考えていると、


「山本閣下? 山本閣下ではありませんか!」


 とうの方から、洋平達と同じ白い第二種軍装の少女が走ってくる。こないだの赤レンガは全員が濃紺の第一種軍装で、ビジュアル面でもこちらが浮いていた。洋平の知る海軍雑学には無い現象だが大方、海上は暑いからと気を遣った五十子が艦隊勤務の衣替えの時期を早めているのだろう。


「みーちゃん! しばらく見ないうちに大きくなったね!」


 五十子が顔を綻ばせ自らも駆け寄っていく。相手の海軍乙女が途中で立ち止まってびしっと敬礼しなければ、そのまま抱きつきそうな勢いだった。

 まだ幼い、前に昼食を共にした少佐達より年下に見える少女だ。切れ長のきりりとした目をしているが身体は小さく、軍帽からはツインテールがはみ出していた。

 洋平の第一印象は、敏捷びんしょうそうな仔猫。肩には大尉の階級章が光る。


「ご無沙汰しております山本閣下、こののう美凪みなぎ祥鳳しょうほう戦闘機隊の隊長を拝命しうにゃあっ!」


 堅苦しい挨拶が途中から変な声になった。結局我慢できなかった「山本閣下」が答礼もそこそこに納見大尉に抱きつき、ついでに身体のあちこちを撫で回し始めたのだ。前から部下へのスキンシップが多い人だとは思っていたが、ここまでの可愛がりは初めて見る。男なら即・通報ものである。


「うにゃっ、うにゃにゃにゃああっ、か、閣下、お許しを……」

「紹介するね。この子はみーちゃん! 航空隊の搭乗員で、開戦前に岩国でとってもお世話になったんだ。よーしよし、背も伸びたし出るところも出てき……てはいないな。ちゃんと糖分とうぶん摂ってる?」


 言ってることが色々おかしい。おじさんのセクハラみたいな発言もさることながら、そこは普通カルシウムとかじゃないのか?


「は、初めまして納見大尉。ええっと、空母祥鳳の戦闘機隊隊長なんですか。す、凄いですねえ」


 もみくちゃにされた納見大尉に、寿子が恐る恐る声をかける。

 洋平が沖を見ると、島型艦橋アイランドの無い全通式平甲板フラッシュデッキの小型空母が停泊していた。信号檣を除けばフラットな飛行甲板は途中で断ち切られて艦橋はその下にあり、前部は低い乾舷の船体になっている。

 このタイプの空母で一番有名なのは龍驤りゅうじょうだが、開戦以来南方作戦で活躍し今はベンガル湾での通商破壊が終わった頃で、内地にはまだ戻っていないはずだ。少女の言葉も踏まえると、あれが空母祥鳳しょうほうだろう。

 軍縮条約で空母の保有量が制限されていた頃、海軍は短期間で空母に改造できる「空母予備艦」を建造することで有事の戦力不足を補おうとしていた。祥鳳もそのうちの1隻で当初は高速給油艦として建造が開始され、空母としては今年1月に就役したばかりのはずだ。


「みーちゃん空母の飛行隊長になったの? そっかそれで横須賀にいるのか~。昇進おめでとう!」


 最初からそう言ってるだろ、話聞こうよ五十子さん。埠頭に、こっちをチラチラ見ている少女の一群がいるのに気付く。部下達だろうか。

 航空隊の海軍乙女に会うのは初めてだ。総じて顔が幼い。「海の荒鷲」には貫禄不足だが、納見大尉は視力の良さそうな目をしているし、身体が小さいのも飛行機乗りとしてはプラスだろう。

 だが、本人は五十子に褒められてもどこか浮かない顔をした。


「隊長といっても祥鳳の戦闘機隊は零戦6機のみ、後は九六式艦戦が4機です。それに美凪達は、一航戦や二航戦の先輩方に比べるとまだ未熟で。飛行時間が1000時間に達していない子がほとんどですし、実戦経験も無く。美凪も隊長が務まるか正直不安で……うにゃっ!」

「大丈夫!」


 出た、五十子の「大丈夫」。いつも根拠があるわけではないが、不思議と人を安心させる。


「みーちゃん。わたしもね、おっちょこちょいだから初めは何をやってもダメダメだったんだ。でも、みんなの助けを借りて、一歩ずつ一歩ずつ頑張って、ここまでやってこれたんだよ」

「やっ、山本閣下がですか?」

「そうだよ。今でもね、どうしても上手くいかなくてもう無理だーって思う時もあるよ。そういう時は、海軍乙女になりたての頃の目標というのかな、初心みたいなのを思い出すんだ。そうしたら、まだやれることがある、頑張らなくちゃって気持ちが湧いてくるの。みーちゃんも試してみて!」


 五十子の激励に、納見大尉は何故か顔を少し赤らめた。


「初心……ですか。……閣下がそれをおっしゃいますか」

「ん? どしたのみーちゃん?」


 納見大尉は小さく振り返り、部下に聞かれる距離でないことを確かめてからゆっくり口を開いた。


「閣下。美凪の父は東北の小さな村の村長でしたが、陸軍が村の男手を根こそぎ徴兵するのを止めようとして投獄されました。母が女手一つで美凪を育ててくれて……。兵学校受験の折、罪人の娘は入学させられないと不合格になりかけたところ、当時次官だった山本閣下のお耳に入り、美凪が入学できるよう取りはからって下さったと。そのおかげで、美凪は今ここにいます」


 飛行機乗りの鋭い目は、今は感謝と懐かしさを湛えていた。

 洋平も柱島の海で五十子に救ってもらって、こうして今ここにいる。もしかすると連合艦隊に籍を置く海軍乙女の数だけ山本五十子との大切な思い出があって、一人一人の心の中にこうして息づいているのかもしれない。洋平がそんなことを思っていたら、


「あれ、そんなことあったっけな? ごめん、覚えてないや」


 五十子のきょとんとした返事に、古い漫画の登場人物みたくズコーッとずっこけたくなった。

 せっかく良い話だったんだから、ここは嘘でも覚えているふりをすべきだろう。


「そうですか……」


 納見大尉は僅かに残念そうな顔をしたが、それは一瞬だった。五十子が大尉の肩にぽんと手を置く。今度は子ども扱いのハグではなく、少し軍人っぽい仕草だ。

 五十子は微笑んだ。


「君がここまで来られたのは君自身の力だよ、納見美凪大尉」

「……いえ。山本閣下のような強く優しく、笑顔を絶やさない立派な海軍乙女になりたい。それが美凪の初心です。まずは祥鳳戦闘機隊を、先輩方に負けない技量の隊にしてみせます!」


 後ろから汽笛と共に「隊長!」と呼ぶ声がする。納見大尉は下ろしていた衣嚢袋を担ぎ直した。


「そろそろ艦に戻らないと。美凪はこれにて失礼します。山本閣下、どうかご武運を!」


 びしっと敬礼した大尉に五十子がもう一度抱きつこうとしたが、寸前で駆け出されてしまった。


「……長官。あの子の入学時のこと、覚えてらっしゃらないって本当なんですかあ?」


 名残惜しそうに後ろ姿を眺める五十子に、寿子が半眼で訪ねる。五十子はえへへと頭を掻いて、


「最近物覚えが悪くってさ、年かな? でも、岩国で複座機の後ろに乗せてもらう機会があったんだけど、あの子センス良いよ。後1年もすれば、今の一航戦二航戦のエース達に負けない腕になる」


 洋平はもうじき記者が来るから目立たないようにしようという考えもあり、影のように背後に立ったまま、納見大尉と五十子達の会話に加わらなかった。

 大尉と部下の少女達が乗り込んだ埠頭の内火艇が、空母祥鳳に向けて動き出す。

 ……待てよ? あの空母は、洋平の記憶が正しければ確か5月の珊瑚海海戦に参加して、そして……。

 いや、この世界では五十子がミッドウェー作戦を最優先する姿勢になっているから、珊瑚海海戦は起こらないのか? 念のため、2人には話しておいた方が……。


「来ましたよお、パーティーゲストのおでましです」


 寿子がゲートの方を指差し、洋平の思考は途切れた。

 複数のエンジン音。

 振り返ると、社旗をはためかせた新聞社の社用車が数台、続いていかめしい錨のエンブレムが入った黒塗りの海軍公用車が、ゲートから進入して次々と停車する。

 最初に出てきたのは記者達。洋平の世界では男が多いイメージがあるが、現れたのは全員が女だ。ただし年齢は30から40代。一応薬を飲んできているのだろうが、車を降りた瞬間に顔をしかめて咳き込んだりハンカチで口を塞いだりしている者が多い。

 最後に扉が開いた海軍公用車から降り立ったのは嶋野だった。優雅に扇子を広げて自らをあおぎ、背後に従う伊藤静に日傘をささせての貴族的な登場。

 そこにフラッシュが焚かれ、ラ・メール症状をプロ根性で抑えた大人の記者達が愛想笑いを浮かべて近付く。


「おはようございます大臣」「お招きありがとうございます」「良いお天気に恵まれましたね!」

「おーほっほっほ! ごきげんよう皆さん。私、こう見えても晴れ女ですのよ」


 記者団に囲まれ、嶋野は早速ご満悦の様子だ。

 濃紺の軍服は、先日の親授式で授与されたという勲章で飾り立てられている。同じ親授式から宿に戻ってくるなり「こんな立派な勲章、恥ずかしくて付けられないや」と荷物に仕舞い込んでしまった五十子とは対照的だ。

 独りだけ勲章を貰うと妬まれるからと五十子も受章させるような策を弄する知恵があるなら、普通に慎ましく振る舞えばいいのにと洋平は思ってしまう。

 それができない性格だから、策を弄するのだろうが。


「本日は、記者の皆さんに日頃の感謝を込めて、通常であれば関係者以外立ち入ることのできない鎮守府の奥深くまで特別にお見せ致しますわ。帝都防衛の要である横須賀鎮守府の鉄壁の防備と、ここを母港に開戦以来赫々かっかくたる戦果をあげてきた勲艦くんかんをご覧になることで、私達が敵のいかなる反攻の企ても完膚なきまでに粉砕ふんさいする実力を有しており戦争遂行に何の心配も要らないことをじゅうの国民に正しく報道して頂ければ海軍としてこの上ない喜びです」


 トークショーの司会みたいによどみなく喋る嶋野が五十子を視界に捉え、大仰おおぎょうに手を差し伸べる。


「そして、今日のためにはるばる瀬戸内から駆けつけてきてくれたのがこちら。皆さんもよくご存知の連合艦隊司令長官、山本五十子大将ですわ!」

「あはは……どうも、山本五十子です。今日はよろしくお願いします」


 五十子が嶋野の横に並んでお辞儀する。記者達から「おー」というどよめきとフラッシュ。


「山本長官は開戦以来ずっと瀬戸内だったと思いますが、久しぶりの帝都はいかがですか?」

「お2人は兵学校でご同期だったそうですね。その頃のお話なども今日は聞かせて頂けると……」


 2人に矢継ぎ早に質問が浴びせられる。嶋野はマスコミ慣れした様子で場を取り仕切る。


「ええ、そういった話もおいおい。停泊する艦艇をご紹介しながら、海軍工廠に参りましょう。伊藤さん、確か第4ドックで大鯨たいげいが改造中でしたわね。あれをお見せすることってできるかしら」


 嶋野が静に振り返って訊ねるのを見て、寿子が「むむむ」と眉根を寄せた。

 大鯨は潜水母艦で、祥鳳と同様に空母への改造工事中だ。空母化改造は敵に知られてはならない極秘情報のはずだし、そもそも大鯨は連合艦隊所属艦で、連合艦隊の長である五十子が目の前にいるのだから五十子に訊ねるのが筋だ。

 鎮守府内が海軍大臣である自分の縄張りであることを見せつけたいのか、あるいは静が本当は五十子と親しいのを知っていて、踏み絵を踏ませようとしているのか。

 恐らく両方だろう。


「……承知致しました、閣下。行程表を調整します」


 静は、無表情で首肯する。記者団向けに営業スマイルを浮かべた嶋野の目がその一瞬、嗜虐的な色を帯びて五十子の方を盗み見るのを洋平は見逃さなかった。これに五十子はどう反応するか。


「良いアイデアだね嶋野さん! 乾船渠ドライドックに入ってる艦の見学だったら、海に停泊してる艦と違って大人の記者さん達が具合悪くなる心配も無いもんね。わたしも賛成だよ!」


 笑顔で追認する五十子。

 羊羹の件に続き、洋平は唖然とさせられた。明らかに陰湿な悪意に満ちた嶋野の提案を、成人した記者達のラ・メール症状を気遣っていると解釈してみせるとは。

 五十子の言葉を聞いた記者達が嶋野に対し一様に謝意を述べる。嶋野の持つ扇子が、みしりと軋んだ。


「さ、皆さんこちらへ。横須賀海軍工廠は、規模ではくれに及びませんがその歴史は古く幕末ばくまつに遡り……」


 嶋野がやや早口で喋りながら歩き始め、後から記者達がぞろぞろ続く。

 洋平は事前に寿子に言われた通り目立たないよう後ろの方を歩いた。

 ふと、記者の1人が五十子に近付いてくる。


「お久しぶりですね山本さん、毎朝まいあさ新聞のざきです!」


 近付いてきたのはよりによって、洋平がぱっと見で一番やばそうだと思った記者だ。おつぼね臭い鎖付き三角眼鏡をかけ、目はつり上がっていて、おまけに甲高い声と三拍子揃っている。


「あ、どうも尾崎さん。次官だった頃は色々とご指導ありがとうございました」


 丁寧に頭を下げる五十子に、尾崎という女記者は前のめりになって興奮気味にまくし立ててきた。


「葦原国民を代表して御礼を言わせて下さい! 真珠湾での大勝利、本当に胸のつかえがとれました。今、国民の声は『けん交代こうたい』一色です。この戦争で世界が変わるって期待しているんですよ。それで、山本さんの今後の展望といいますか大戦略みたいなものを聞かせて欲しいんですけど、ハワイは既に落としたも同然ですから、次はいよいよ美国本土攻略ですよね?」


 洋平の前を歩く寿子が、洋平にしか聞こえない小声で「毎朝は、三国同盟推進を社是に世論を煽った新聞社です」と囁く。

 五十子は、困ったように瞬きして答えた。


「……誤解があるようですが、わたしたちはハワイを一度奇襲しただけで島を占領したわけではないですし、まして太平洋を隔てたヴィンランド本土の攻略なんて、夢のような話です」

「でも、今月末には衆議院の総選挙がありますよね。万が一にも非翼賛勢力が議席を増やせば、民心離反と敵に喧伝されかねません。政府としてもこの辺りで一つ大きな戦果をあげたいところでは?」

「選挙や政権維持のために戦争をするのは、間違っていると思います」


 五十子は今度ははっきりとそう告げた。前を歩く嶋野が立ち止まり、冷たい視線を向けてくる。


「尾崎さん、展望を聞かせて欲しいという質問にお答えします。わたしは、一日も早く葦原がぶりと講和してこの戦争が終わることを望んでいます。艦隊運用の責任者として、そのための環境作りをしていくつもりです。それが、この戦争の引き金を引いたわたしの責務だと思っています」

「講和ですってえ?」


 お局記者の声が裏返った。2人の対談に耳を傾けていた他の記者達からも、驚きの声が漏れる。


「何言ってるんですか山本さん、それじゃ国民が求めていることと360度真逆ですよ!」


 多分彼女は180度と言いたかったのだろう。360度だと一周回って五十子と同意見だ。


「我が社が先月、全国の有権者に行った世論調査結果があります。『欧美列強の植民地を全て解放してとうを白人から東洋民族の手に取り戻すまで戦うべきだ』が7割、『我が国に有利な条件で講和できるまで戦うべきだ』が2割、『ただちに講和すべきだ』は1割未満でした。山本さんが率いる艦隊の費用は、国民が苦しい中で納めた血税でしょう? だったら国民の声に応える責任があるのでは?」

「……その世論調査結果というのは、国民の皆さんの本当の声なんでしょうか?」


 五十子は逆にそう訊ねた。どういう意味だと気色ばむ記者に、五十子は続けて語りかけた。


「自分の国が戦いに勝てば、みんな嬉しいです。そんな時に質問をされたら、そういう返事をするかもしれません。でも、嬉しいのは勝っている間だけです」


 ざわついていた記者団が、水を打ったように静まり返った。


「わたしはこの国のために、わたしが信じる道を行きます。海軍乙女ですから、与えられた命令には従います。でもその中で精一杯、わたしが信じる道を行きます」


「そこまでですわ山本さん。困りますわね、軍人の立場をわきまえず勝手なことばかり言われては」


 冷笑の混じった声で横槍を入れてきたのは嶋野だった。口角を吊り上げ、今度こそ獲物が罠にかかったぞと勝ち誇る視線。

 彼女が五十子を傷付け侮蔑するためにこの見学会を催したのはもはや疑いの余地が無かった。

 理解できない、どうして嶋野はそこまで五十子を憎むのか。


「皆さん、今のはあくまで山本さんの個人的な見解に過ぎませんわ。海軍としては当然、美鰤が許しを請うまで撃ちてし止まむ、です。戦いは、勝って終わらなければ始めた意味がありませんもの」


「『戦いは勝って終わらなければ意味がない』良いですね今の! 明日の朝刊の見出しに頂きです!」

「それに引き換え、山本さんの発言はとても記事にできませんね。山本さんは今や軍神なんですよ、黒船来航以来苦しめられてきた葦原人の救世主なんです。滅多なことを言わないで下さい」


 記者達は口々に五十子を咎め、勝手に重たい物を背負わせようとする。

 五十子は寂しげに微笑むばかりだ。

 いい加減にしろ、五十子は神様なんかじゃない、そう叫びたかった。

 洋平と記者の間に立っている寿子の背中も、よく見ると震えている。

 2人の忍耐が限界に達しかけた時だった。


「あ、大臣! 大きな飛行機が1機こっちに来てますけど、あれは海軍の機体ですか?」


 記者の1人が空を指差し、洋平達も遅れて気付いた。双発のプロペラが反響するうなり声。


「え? ええ、そうですわね。あれは海軍の九六式陸攻ですわ。木更津から飛んできたのかしら」

「さすが大臣! この距離でそこまでわかるんですか!」

「おほほ、種明かしをしますと垂直尾翼が2枚ありますでしょう? 玄人くろうとはあそこで見分けますのよ。九六式は型落ちですけどマレー沖海戦では一式陸攻と共にプリンセス・オブ・ウェールズを撃沈、南方油田への空挺降下作戦でも輸送機として活躍を……」


 お世辞に気を良くして得意げに解説を始める嶋野。

 カメラを上空の機影に向け、ぱしゃぱしゃとシャッターを切る記者達。

 軍港の警備に立つ海兵団の少女達も、可愛い声で「おーい」と手を振っている。

 東の空から飛来した九六式陸攻は近付くにつれ高度を下げ、耳朶じだを打つプロペラ音も次第に大きくなってきた。横須賀には飛行場は無いから、この先の追浜おっぱまか厚木にでも着陸するのだろうか。……にしては、高度を落とし過ぎていないか?


「……違う」


 誰かの険しい声。

 それが五十子のものだと、はじめ洋平はわからなかった。


「あれは九六式陸攻じゃない。みんな伏せてっ!」


 五十子が叫び、いくつかのことが同時に起きた。

 寿子が反射的な素早さでその場にしゃがみ、両手の親指で耳を、残る指で目を塞ぎ、口を半開きにする。それを見ている洋平を五十子が地面に押し倒し、上に覆い被さる。

 静が日傘を放り投げ、きょとんとしたままの嶋野を組み伏せる。


「きゃっ! 伊藤さん、一体何の……」


 どこか遠くから、ひゅるるるるるる、という風切りのような音が響くのを、五十子の下で洋平は聞いた。

 それがふっつりと途切れた次の瞬間。

 空気に衝撃が走り、凄まじい爆発音が轟いた。立ったままでいた記者達が地面に叩きつけられ、砕け散ったカメラの部品が五十子の頬をかすめる。


「五十子さん……!」


 五十子を気遣おうとして、背後の光景に洋平は絶句した。

 これから皆が向かおうとしていた、クレーンが林立する工廠から紅蓮の炎と黒煙が噴き上がっている。

 その上空で戦果を確認するかのように大きく旋回しているのは、改めて目を凝らすと九六式陸攻ではなかった。似ているが違う。

 それどころかあれは友軍機でさえない。あれは、B‐25ミッチェル中型爆撃機だ!


「燃えているのは、大鯨のいる第4ドックです! 爆弾を投下された模様!」

「どういうことですの、これはどこからの攻撃ですの! 陸軍は何をしていますの!」


 静と嶋野の悲鳴が交錯する。洋平もまた混乱していた。鼓膜を揺さぶり腹に響く本物の爆発。炎の照り返しの熱さ。これは空襲だ。しかし有り得ない。何故、あの機体が? どうやって?


「大丈夫だよ、洋平君。大丈夫」


 鼻に息がかかるほど間近で五十子の唇が動き、発せられたのはいつもの柔らかい声だった。

 合わさった身体から、五十子の心臓の鼓動が伝わってくる。

 動揺を感じさせない、ゆったりしたリズム。


「ああ……あああ! 痛い、痛いよお!」


 ついさっき無邪気に手を振っていた海兵団の少女の1人が、地面に転がって呻いている。

 ぞっとするほど綺麗な赤。工廠から飛んできた破片を受けたらしく、セーラー服の脇腹がすっぱりと切り裂かれて、コンクリートにみるみる血が広がっていく。


「くっ! よくも……撃てえっっっ!」


 仲間の兵士達が鬼気迫る形相で、携行する小銃を空に向け乱射を始めた。

 銃声が木霊する中、五十子は倒れた少女に駆け寄って、自分の上着を脱いで躊躇なく引き裂き包帯代わりにして止血した。


「よし、もう大丈夫。助かるよ……君達、何やってるの? 撃ち方止め!」

「やっ、山本長官? ですが、あいつが爆弾を!」

「飛んでる飛行機相手に三八式歩兵銃で当たるわけない。それより負傷者の救護と消火活動を!」


 五十子の冷静な指示で、恐慌状態だった兵士達が統制を取り戻す。

 だがそこに、よろめきつつ身を起こした嶋野が待ったをかけた。

 服についた汚れをはらい、美しい日本人形のような顔には既にあの酷薄こくはくな笑みが浮かんでいる。


「……お待ちなさい山本さん、大鯨の消火は後回しで構いませんわ。それより兵士達には第6ドックの守りを固めさせるのが優先ですの。あそこには建造中の3番艦がありますのよ」


 大和型戦艦3番艦――後の信濃のことだと、洋平は頭の片隅で思う。大和は呉、武蔵は長崎。そして3番艦はここ横須賀で、今はまだ建造中。こんなことまで洋平の知る史実とそっくり同じなのに。


「恐れながら嶋野閣下、歩兵の銃では爆撃機と戦えません。第4ドックの消火を優先させる山本長官の判断に、瑕疵かしは無いと思いますが」


 抗弁したのは寿子だった。双眸には今も激しく燃え盛る工廠の炎を映している。

 嶋野は初めて寿子の存在に気付いたような目をして、口元を歪める。


「だから、貴女達が勝手に指図をしないで下さいな! 鎮守府の兵は、この私の配下ですのよ!」

「……だったら、燃えている大鯨は連合艦隊わたしたちの配下ですよ!」


 耳をつんざく砲声が、2人の争いを掻き消した。

 停泊する空母祥鳳、重巡高雄と愛宕、6隻以上の駆逐艦の高角砲や対空機銃が立て続けに火を噴き、抜けるように青かった空が砲弾の炸裂煙で塗り潰されていく。ようやく皆が上空の機を敵と認識したのだ。

 猛烈な対空砲火の中、これ以上の爆弾投下は困難と判断したのか敵機は北の空へ離脱していった。後に残ったのは火薬の匂いと、ごうごうという炎の音、消火活動を行う兵士達の怒号。


「……今のって、ヴィンランドの陸軍機ですよねえ? 変です。一番近い基地からでも、葦原の本土に来るには航続距離が全然足りないはずなのに。どうやってここまでやって来れたんでしょう」


 寿子が投げかけた疑問は、洋平を先ほどから混乱させ困惑させている原因そのものだった。


「多分、空母から飛ばしたんじゃないかな」


 答えたのは五十子だった。


「あの大きさだと格納も着艦も無理だけど、飛行甲板に積んで発艦させるだけなら出来る。完全な片道切符だけど、運が良ければ葦原列島を越えて中立国に降りられるよ」


 信じられない顔をする寿子に、五十子が自分の仮説を説明する。

 次いで五十子の口から出たのは、この状況にも関わらず、敵への賞賛だった。


「これを考えたヴィンランドの人達は柔軟だね。わたしたちが真珠湾を空襲してまだ半年も経ってないのに、ヴィンランドは航空機の力を理解して、わたしたちが思いつかないような応用までしてみせた。せめて物量で押されるようになるまでは、優位に戦えるかもって思ってたけど……」

「そんな……海軍の空母に陸軍機を載せるなんて、うちの黒島参謀でも思いつくかどうか……」


 寿子がそう言いかけて、はっと口をつぐんだ。寿子の視線がこちらを向く。彼女が何を考えているかがわかる。

 洋平は思わず後退った。やめてくれ。そんな目でこっちを見ないでくれ。


「大臣、緊急事態です!」


 鎮守府の庁舎から士官が息を切らして駆けてきた。嶋野は鬱陶しげに片眉を吊り上げる。


「呆けてますの? 緊急事態ならたった今、目の前で終わったところですわ」

「いいえ! 別の美軍機が、帝都に現れたとの報告です! 市街が空襲を受けている模様!」


 虚脱状態だった記者達が騒然となり、我先に車へ走り始める。嶋野は扇子で口元を隠していたが、記者達がいなくなった途端、こらえきれなくなったように背中をそらして哄笑した。


「おーほっほっほ! やってくれましたわねヴィンランド! 国際法違反の市街地爆撃、これで世論は怒りと憎しみでさらに燃え上がりますわ。もうこの戦争は、誰にも止められませんわ!」


 おぞましい哄笑。最後に五十子と、そして洋平にぞっとするような目を向けると、嶋野は静を伴って公用車へきびすを返した。

 洋平は、金縛りにあったように動けない。嶋野の視線に込められていたであろうものは、間を置かず寿子が代弁した。ただし悪意の無い、純粋な疑問という形で。


「未来人さん! 未来人さんは知ってたはずですよね? どうして教えてくれなかったんですかあ!」


 知らない。知らないんだこんなのは。

 本土が空襲を受けることなら勿論知っている。でもそれは今ではなくもっと先の、敗色濃厚になった戦争末期に起こる話じゃないのか。1944年に絶対国防圏のマリアナ諸島を落とされて、そこから飛来したB‐29の大編隊による本土に対する戦略爆撃が始まって。

 「提督たちの決断」にも海戦フェイズとは別に戦略爆撃というコマンドはある。しかしB‐25はその選択肢に無いし、こんなイベントはゲームの全シリーズ通して見たことが無い。


「まさか知らなかったんですか? そんなはずないですよねえ! 答えて下さい、未来人さん!」


 洋平は何も答えられない。五十子が寿子を止め、近くにいるかもしれない敵空母の索敵を指示していたが、洋平の耳にはぼんやりとしか聞こえなかった。

 そうだ。この空襲が「提督たちの決断」のシナリオにあったかなんてどうでもいい。これは今、この世界で起きている本物の戦争なのに、半端な知識とゲーム感覚で口を出してきたツケが回ってきたのだ。

 自分はこの戦争をどこかで、戦争として認識していなかった。

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