第4話 大和の主砲の内径は、長官でさえ知らねえ

 

 艦首側から見る一番・二番主砲の威容は、洋平の心を揺さぶるに十分だった。


「凄い……本物の46センチ砲だ!」


 46センチ3連装砲塔が2基6門、二番砲塔は装甲部バーベットが高くなって背負式に配置されている。

 砲塔を覆う鋼鉄は見るからに堅牢で、その上には長い煙突を横にしたような肉厚の砲身が3門ずつ並ぶ。

 圧倒的な重量感。

 1億年前にタイムスリップして生きた恐竜を見たとしても、多分洋平はここまで感動しないだろう。


「え、46センチ? この主砲の内径って、確か40センチなんじゃあ」


 寿子が首を傾げている。洋平は驚いた。参謀なのに、そんな当たり前のことも知らないのか。


「46センチだよ! もし40センチなら長門型やノースカロライナ級を下回るから、こんな大きな戦艦を造った意味が……」


 その時。


「わー! わー! そう、渡辺の言う通り40センチ、大和の主砲は九四式40センチ砲だぞお!」


 どどどど、という足音とともに、ポニーテールを揺らして長身の海軍乙女が駆けてきた。全力疾走しているのに、口にくわえた竹串を落とさないのは大したものだ。


「あ、参謀長」


 参謀長のがきたばねは、2人の間にずざざーっと割り込むなり、洋平の襟首を掴んで物陰まで強引に引っ張っていった。


「うわ、ちょっと何を」

「てめえ、余計なこと喋ってんじゃねえぞ宇宙人。まじで殺すぞ」


 荒い息をしながら、少し上擦った小声で束が恫喝してくる。


「? 余計なことって……」

「主砲の実際の内径は、山本長官でさえ知らねえ。知る必要がねえからだ。黙っとけ」


 五十子でさえ知らない? 洋平の知る歴史でも海軍が大和の機密保持に敏感だったのを今更になって思い出したが、それにしても大和の主砲口径が40センチだなんて、よくみんな疑わないな。


「あれえ、いきなり2人でひそひそ話ですかあ? 私ちょっと傷ついちゃうかもお」


 いつの間にか寿子が至近距離まで近付いていて、束は慌てて洋平を放り出した。


「勘違いすんじゃねえ渡辺参謀! これはだな、そう、宇宙人に宇宙式の朝の挨拶をしてやってたんだよ! エー、ワレワレハ、チキュウジン、ダ!」


 まだ引っ張るのか、そのネタ。


「物陰で男女がこそこそするのが、うちゅー式の挨拶なんですかあ?」

「こっ、こそこそなんてしてねえよ! 今日も柱島は平和だな~って、なあ宇宙人?」

「え、ええ……確かにここは平和ですね」


 束に合わせたつもりだったが、こうして立っている最上甲板を見渡すと、少女達が海に釣り竿を垂らしながら談笑したり、キャンバスを敷いて日向ぼっこや読書をしたりしている。遠くからブラスバンドの音まで聞こえてくる。

 本当に戦時下なのか疑いたくなるほどの、牧歌的な光景だった。


「心配すんな、宇宙人」


 洋平の表情の変化をどういう風に解釈したのか、束は瀬戸内海をバックに両手を広げてみせる。


「真珠湾でヴィンランドの戦艦が簡単に沈められたのは、湾内の水深が浅いから魚雷攻撃を受けないだろうと防雷網を用意してなかったからだ。この柱島泊地には、戦艦の外周に鉄線の防雷網を張り巡らしてある」

「はあ」

「それに沈められても、そこで終わりとは限らねえしな」

「沈められても?」


 昨日の会話からしてこの人は大艦巨砲主義者っぽいから「戦艦は絶対に沈まねえ!」とか言いそうなものだが、そこまでではなかったのか。


「ああ、そうさ。航空主兵論者が画期的だとか騒いだブリトン軍のタラント空襲だってな。大破着底したナパロニ戦艦3隻のうち2隻はわずか半年で修理完了、戦線復帰。残り1隻も浮揚に成功して修理に入ってる。タラント空襲の真の教訓は、本拠地に停泊中の戦艦を沈めても浮揚修理されるから短期間しか効果が無いってことだよ。真珠湾でうちらが沈めたと思ってる戦艦も、今頃は大半が戦線復帰してるんじゃねえか?」


 訂正、やはり大艦巨砲主義者のようだ。

 しかも敵国の戦艦の話をする時でさえ、目をきらきらさせている。どんだけ戦艦好きなんだよ。


「ちょっと参謀長、航空機は停泊中の戦艦しか攻撃できないみたいな言い方ですけど、マレー沖海戦では作戦行動中のプリンセス・オブ・ウェールズとレパルスを陸攻で沈めましたよお?」


 寿子の指摘に、束は八重歯を覗かせて不敵に笑う。


「あれは、護衛の戦闘機を一機もつけずに戦艦を突出させたからだ。おかげでこっちの陸攻は雷撃に専念できた。鴨ネギってやつだ。九六式陸攻も一式陸攻も、航続距離を重視して防備が薄い。もし敵さんに戦闘機がほんの数機でもいたら、ああはならなかったぞ」


 にしてもプリンセス・オブ・ウェールズは惜しかったな、引き揚げてうちらの艦にしたかったな、などと悔しがっているのは置いといて。

 少し意外だった。

 洋平のいた世界では、いわゆる大艦巨砲主義は時代錯誤で、航空主兵論が開明的という歴史観をありとあらゆるメディアに刷り込まれる。

 しかし束は、言っていることは一応筋が通っているし、戦艦の能力を盲信しているというわけではなくて実例をきちんと評価している。大艦巨砲主義者の論客というのは、ある意味新鮮だった。


「さっすが、赤レンガ時代に井上さんと双璧といわれてただけのことはありますねえ」

「ちっ……よせよ、古い話は」


 束の顔から笑みが消えた。ほぼ同時に、駆けてきた司令部付従兵の少女が敬礼する。


「参謀長、戦務参謀! 山本長官が、上甲板中央でお待ちです」


「……さて、邪魔者はこの辺で消えるとするか。じゃあな宇宙人」


 洋平の背中を乱暴に叩くと、束はきびすを返す。

 後ろ姿を見送る寿子は、小さく溜め息をついている。従兵も離れた場所に立っているし、洋平はこの機会に思い切って訊ねてみることにした。


「あの、寿子さん……こんなこと訊いていいのかわかんないんだけどさ」

「いやあ、未来人さんには貴重な情報頂いちゃってますし。私に答えられることでしたら何なりと」

「束さんって、何かあったの? その、五十子さんと喧嘩でもしたとか」

「はは……やっぱ気になりますよねえ」


 寿子は困ったように頭をかいた。


「昨日今日の話じゃないんですよお。この戦争のきっかけになった三国同盟に入るか入らないかで、海軍も賛成しろって世間から圧力をかけられた時、最後まで反対したのが山本長官や、さっき名前出た井上さんで。宇垣参謀長も途中まで一緒に反対してたんですけど、最後には賛成に回ったらしいんですよねえ」


 釣りをしている少女達から歓声が上がった。飛沫とともに銀色の魚が宙を舞い、甲板に落ちてびちびちと跳ねている。


「やったぁ、アジだ!」

「ねえ後でお刺身にしない? お醤油と山葵わさびあるし」

「いやぁ、アジはやっぱ生姜しょうが醤油でたたきでしょ!」

「私、烹炊所から生姜ギンバイしてくる~」


 明るい喧騒に肩をすくめて、寿子は話を続ける。


「まあ、あの頃はとりあえず賛成しとかないと海軍そのものが潰されかねない空気だったんで、空気読まずに反対し続けた長官達の方がむしろ珍しいんですけどね」

「五十子さんが……」

「驚きましたあ? 山本長官、ああ見えて結構頑固なところあるんですよお」


 軽く笑ってから、寿子はもう一度溜め息をついた。


「当時、宇垣参謀長は軍令部で作戦を司る第一部長でした。聞いた話じゃ、お二人は元々仲が良かったそうなんですよお。けどその一件があって以来、なんだか気まずくなっちゃったみたいで。そういう人同士を上司と部下で同じ部署に持ってくる海軍省も無神経というか何というか……すみません未来人さん、しょうもない内輪の話で」

「いや、訊いたのは僕だし」

「まあ、それは置いといて。うるさい参謀長もいなくなったことですしい、未来人さんの持つ未来の知識の有用性を長官に意見具申するチャーンス!」


 寿子が急に策士めいた顔になっていると、艦橋からまた海軍乙女が走ってきた。


「戦務参謀、帝都の軍令部から電話です! 今朝届くはずだったジャワ南方の戦闘詳報まだですかって!」

「あっ、いけない……私ってば、中央に出さないといけない書類あるのすっかり忘れてましたあ。でもでもっ、今は書類仕事なんてしてる場合じゃ……」


 五十子が言っていた通り、戦務参謀の仕事は多忙のようだ。


「悪いから、寿子さんはもういいよ。五十子さんのところへは、そこにいる従兵の子に案内してもらえばいいんだよね?」

「いえ、そういう問題じゃなくて、私も長官にお話したいことがあってですねえ……」

「戦務参謀、急いで下さい! 呉鎮守府からも電話がきてるんです、入渠の申請書に不備があるから再提出して下さいって!」

「ええっ、またですかあ? ……って、ちょっと嫌ですよお、放して下さい! 未来人さーん!」


 寿子は部下に両腕を掴まれ、ずるずると引きずられて艦橋に消えていった。

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