第5話 わたしと二人きりとか、嫌だよね?


 洋平の知っている戦艦大和には、「艦内旅行」よりも苛烈な「艦内早巡り競争」があったらしい。

 新入りが対象なのは一緒だが、こちらは艦内の指定された場所に案内なしでたどり着き、スタンプをもらって制限時間内に出発場所に戻らないといけない訓練だ。

 林間学校でやるオリエンテーリングに似ているが、大和は最上甲板から船艙まで全7層、さらに各層ごとに300以上の区画に分かれている。初心者は、自分の現在位置どころか前後左右の区別さえわからなくなったに違いない。

 今目の前を歩いてくれている従兵も、新兵の頃は迷子になったのだろうか。訊いてみたい気もしたが、従兵の子は緊張しきった様子で洋平とほとんど目を合わせようとしなかった。洋平についてどこまで聞かされているのかわからないが、この世界で艦に男がいたらこういう反応になってもおかしくないだろう。

 上甲板と呼ばれる階の一番副砲塔の下辺りまで来て、従兵は直立不動で敬礼した。


「長官、お客様をお連れしました!」

「うん、ありがとう小堀一等水兵」


 待ち受けていた赤いリボンの少女が、ぴしっと答礼する。がちがちに緊張していた従兵の顔が、それだけでぱあっと明るくなったのが印象的だった。


「洋平君、他のみんなはどこ?」


 従兵を帰した後、赤リボンの司令長官、山本五十子はきょろきょろと周囲を見回す。まさかその辺に隠れていると思ったわけではないだろうが、


「ごめん、何か用事とかあったみたいで」


 束の場合は用事があるようには見えなかったが、この言い方なら嘘にはならないだろう。洋平がそう答えると、五十子は元から大きい目をさらに丸くした。


「えーっ、上手に気配消してるねって褒めようと思ってたのにー!」


 ……本当にその辺に隠れていると思ってたのか。


「もう! みんなで回ろうねって約束したのにな」

「あれ、そういえば亀子さんは?」


 五十子と一緒にセイロン沖海戦の戦況分析をしていたという、黒島亀子先任参謀の姿が見えない。


「亀ちゃんなら昨日の夜も寝なかったみたいで、お風呂入ってこれから寝るって言ってた」

「そうか、昼夜逆転してるんだっけ……」

「ごめんね洋平君。わたしと二人きりとか、嫌だよね?」


 連合艦隊司令長官にここまで気を遣わせて、黙っているわけにはいかない。


「嫌だなんて、そんなことない! むしろ、光栄というか」


 五十子は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んで洋平の隣に並ぶ。


「えへへ……ありがと。それじゃ、案内するね。この通路は『大和銀座』って呼ばれてて――」


 磨き上げられたリノリウムの通路は幅が2メートルほどあって、軍艦の中にしてはゆったりしている。

 左右には士官用のラウンジ、美容室、ランドリーなど乗組員の生活のための設備が並んでいた。

 なかなかの充実ぶりで、大和銀座と呼ぶのもわかる。

 そのうちの一つ、「ラムネ」の表札がかかった部屋の前で五十子はおもむろに立ち止まって、こほんと咳払いする。


「内村三等水兵、おはよう」


 乗組員達が飲むためのラムネの製造装置が備え付けてあるのも、洋平の知っている大和と同じだ。その当番兵に五十子は声をかけた。


「長官、おはようございます!」

「あのね、お砂糖を増やしてもっと甘いラムネをつくって欲しいなって」

「……え、もっと甘くでありますか?」

「もっと甘くだよ!」

「はっ!」


 ひどいパワハラを見てしまったが、通路を歩いていてすれ違う少女達は皆、五十子に対し敬意と好感をもっているように見えた。

 五十子は敬礼されるたび笑顔でしっかりと答礼し、親しげに声をかける。相手が士官だろうと下士官や水兵だろうと、五十子のその接し方は変わらなかった。

 ふと洋平は、彼女が相手を呼ぶとき階級や役職だけでなく必ず苗字も付けていることに気付いた。


「五十子さんって、ひょっとして部下全員の名前を暗記してるの?」


 フィクションの世界なら、そういう人間離れした記憶力を持つリーダーは珍しくない。だが五十子は、苦笑して首を横に振る。


「ううん、わたしはそんな頭良くないよ。ほら、これ」


 五十子は上着のポケットから、黒革の手帳をちらりと覗かせてみせた。


「みんな、一緒に頑張る仲間だからね。本当は全員覚えたいけど、わたしには無理だから。せめて一度でもお話したことのある子の名前は、この手帳に書いて覚えるようにしてるんだ」

「いや、それでも十分凄いと思うけど……」


 手帳を見てみたいと思ったが、五十子は恥ずかしいのかすぐポケットに戻してしまった。

 代わりに、さっきのところでちゃっかり手に入れていたラムネの瓶を洋平に差し出してくる。受け取って飲んでみると、喉を灼く炭酸の爽快感とともに懐かしい甘さが口いっぱいに広がった。

 一息ついて、そういえば1本しか無かったなと思っていると。

 五十子は当然のように洋平の口をつけた瓶を取り返し、半分程残ったラムネをごくごく喉へ流し込んだ。あっけにとられる洋平に、


「ぷはー! さてっ、次はいよいよ購買部だよ!」


 購買部? 学校みたいだなと思ってしまったが、すぐに酒保しゅほのことだと気付く。

 この世界では艦に乗れるのが未成年の少女だけだから、違う呼び方になったのだろう。


「ここではね~、あめとか羊羹ようかんとか、色んなおやつを売ってるんだ。購買部は海軍乙女にとって艦の生活で一番の楽しみといっても過言ではないよ。丸山主計長おはよう!」

「あっ、長官おいでやす! 例のブツ届いとりますで、ほらこれ」

「どれどれ……ひゃあ、これはたまりませんなあ!」


 売店から身を乗り出した主計長の持つ木箱を覗き込んで、五十子が声を裏返らせる。


「そうでっしゃろ! この白さといい香りといい、戦時下でこれだけの上物はよう手に入りませんで。後で長官のお部屋に届けさせますさかい」

「ありがとう! 購買のみんなにもお裾分けするね!」


 怪しげな会話が繰り広げられていたが、横から覗くとなんのことはない、木箱にぎっしり詰まっているのはただの白い饅頭まんじゅうだ。


「ちょっと洋平君、何そのやっぱり~って顔は」

「……いや、本当に甘い物が好きなんだなって」

「ちっちっ、ただの甘い物じゃないんだなこれが。わたしの地元、えち名産の酒饅頭! わたしが子どもの頃、年に一度お金持ちの親戚が家に来る時だけ食べさせてもらえた激レアなお菓子なんだよ~。第一艦隊に勤務してる同郷の後輩達をお昼に招待してるから、その時に出して驚かせるんだ。他のみんなにはまだ内緒だからね! わかった?」

「わ、わかった」


 越後名産と聞いて、そこから時代劇に出てくる越後屋を連想し、饅頭の下に何か金目の物でも入っているのではと邪推してしまったなんて言えない。

 売店には五十子が紹介したおやつ類以外にも、歯ブラシや石鹸、文房具みたいな日用品が揃っている。香水や口紅なんかも置いてある辺り、みんな女の子なんだなと思う。でも、そんな女の子達が、この世界では戦っているわけで――


「洋平君?」


 気がつくと、五十子にまじまじと顔を覗き込まれていた。


「ごっ、ごめん!」

「難しい顔してるね、洋平君。……ひょっとしてヤスちゃんから、何か言われた?」


 鋭い。セイロン沖海戦の話、寿子はぺらぺら喋っていたけど、あれって実はまずかったんじゃないだろうか。


「いや、軍機に関わるようなことは何も聞いてないよ」


 我ながら下手な嘘だった。五十子にもばれただろうが、彼女は笑って首を振った。


「ううん、そういうことじゃなくてね。ヤスちゃん、洋平君に色々質問したがってたから。洋平君はお客さんなんだから、困らせちゃダメだよって言っといたんだけどな」


 そういえば昨日、五十子達にはあれから夕食を御馳走になった上、乾いた服を返してもらって士官用の個室まであてがわれたが、五十子は戦争の話を一切しようとしなかったし、洋平に何も訊こうとしなかった。

(夕食後、それまで笑って世間話に興じていた五十子が一転して真剣な表情になったのでようやく尋問が始まるのかと身構えたが、始まったのは将棋の対局だった)

 洋平の持っている知識が、有益な情報だと考えてもおかしくはないはずなのだが。


「お客さんって……五十子さん達は戦争をしてるんだよね? こうして世話になってるのは本当に感謝しているよ。だからこそ、もし僕なんかで役に立てることがあれば」


 子どもの頃、自衛隊が過去やパラレルワールドに行って戦いに巻き込まれる物語をよく読んだ。

 そういう作品では決まって、その世界の人間に協力するか自衛隊の専守防衛を貫くかで主人公達がうだうだと悩んで揉める。専守防衛にこだわった結果死なずに済んだはずの人が死んだり、しまいには当初専守防衛を守ろうと言っていた主人公が自ら専守防衛を破って人を殺しまくり、「最初の長い葛藤は何だったの! 最初お前が戦わなかったせいで死んだ人達は何だったの!」と読者の突っ込みを浴びることになる。

 洋平はそういうのを読むたびに心底イライラして、もし自分だったらさっさと協力するのになと思っていた。

 勿論、物語に出てくる自衛隊と違って身一つでこの世界にやってきた洋平にはハイテク兵器の類の持ち合わせはないが、その代わり海戦の知識なら自信がある。


「洋平君がわたしたちを助けたいって、そう思ってくれるのはとても嬉しいよ」


 にっこりと微笑んだ後に、五十子は「だけどね」と続けた。


「やっぱり、洋平君はこの世界の人じゃないんだよ。洋平君の持ち物のこと、ヤスちゃん達から聞いたんだけど……洋平君のいた未来の葦原は、きっと今よりずっと豊かで、科学や人の考え方なんかもずっと進歩してて、世界も平和でみんな幸せに暮らしてるんだろうなって思ったんだ。さっきのお饅頭なんかも、お金持ちじゃない家の子でも望めば毎日食べられて、遊ぶゲームもきっと将棋やトランプよりもっと面白いものがいっぱいあるんじゃないかなって。わたしの勝手な想像でごめんね。気を悪くしたら許してね」


「いや……」


 正確には、葦原じゃなくて日本だけど。

 しかし、衣類やわずかな所持品の情報から、そんなことがわかるのか。


「そうだ、この機械返そうと思ってたんだ。濡れて壊れちゃったかな? 直してあげられたらいいんだけど……わたしたちの技術じゃ難しいかな」


 五十子が手渡してきたのは、洋平のスマートフォンだった。画面は当然真っ暗だ。顔を近付けるとまだ海水の匂いが残っている。一応防水タイプのはずだが、電源を押してみる勇気は無かった。


「……わたしはね、洋平君を、元の世界に帰してあげたい。それが無理でも、せめて安全な場所にいて欲しい。この戦争が終わるまで、巻き込まれずに」


 静かに、だがはっきりそう言って再び歩き出した五十子に、洋平は何と答えればいいか咄嗟にはわからなかった。

 仮にも戦争中の一軍事組織の指導者が、戦局を左右するかもしれない洋平の知識を敢えて求めず、ただ匿ってくれるというのか。そんなことをして、彼女に何の益があるのだろうか。

 普通なら、五十子という人物の器の大きさ、懐の深さに敬服すべき場面なのだろう。だが洋平は、どこか釈然としないものを感じていた。

 大体、どうやって元の世界に戻るというのだろう。もし洋平が時空の裂け目みたいなものを通ってここへ来たのなら、それを見つければあるいは戻れるのかもしれないが、洋平は自分がどうやってこの世界に来たかを覚えていない。あちらの世界の「大和ミュージアム」から、こちらの世界の瀬戸内海を漂流するに至る過程の記憶が一切無いのだ。

 いや、違う。五十子の発言に対するこのもやもやとした感情、納得できない気持ちの原因は、そこじゃない。それをどう言葉にするか悩んでいた時。

 洋平の耳に、通路の向こうから何やら騒ぎ声が聞こえてきた。


「おや? あっちは士官用浴場があるんだけど……まさか」


 何か思い当たる節があるらしく、五十子が急に駆け足になる。洋平も後を追う。


「先任参謀、先任参謀! 通路で寝ないで下さい!」


 通路の先に人影が見えてきた。声の主は、先ほど洋平を五十子のところまで案内してくれた小堀という従兵だ。そして、


「しゅぴー……しゅぴー……」


 通路の隅で、一糸まとわぬ姿の亀子が丸くなって彼女特有の寝息を立てていた。


「先任参謀! 黒島くろしま大佐だいさ!」


 起きている時は小憎たらしいが今は天使みたいな寝顔の乗っかった細くて白い肩を揺さぶって、従兵が懸命に呼びかけている。洋平は慌てて目をそらした。

 従兵の呼びかけに五十子の声が加わる。


「亀ちゃん、わたしだよ、五十子だよ! ここは亀ちゃんのお部屋じゃないよ、起きよう!」

「むにゃ……潜水艦搭載機でパナマ運河を叩く、しゅぴぴぴー……」

「うん、その寝言すっごく興味あるけど今は目を覚まそう! あっ、亀ちゃん身体拭いてないじゃない、これじゃ風邪ひいちゃうよ!」


 察するに、風呂の中で眠ってしまって、そのまま夢遊病状態でここまで来て倒れたのか。


「仕方ない、小堀一等水兵。2人で黒島大佐を部屋まで運ぼう。洋平君は、浴場に行って亀ちゃんの服とタオルをとってきてくれるかな!」

「わかった!」


 言われて即座に走り出す。視界の隅にちらりと亀子が入ったが、既に五十子が自分の上着を脱いでかけていた。


「ありがとう洋平君、場所はこのすぐ先だから!」


 リノリウムの床には亀子のものと思われる濡れた足跡が点々と続き、五十子の言葉通りすぐに『士官用浴場』のプレートが見えてきた。

 ここまで洋平は、緊急事態ということもあって自分で考えることもなく、五十子の指示に従って身体を動かしていた。

 だから、学校のプールの更衣室によく似たその部屋にがらりと踏み込んだ時も、室内の状況について特に想定はしていなかった。


「ふ~さっぱりした~。広かったね~大和のお風呂! 駆逐艦のお風呂は小さな鉄の桶だから~手足が伸ばせないんだよ~」

「使える真水の量が多いのも嬉しいわね。扶桑は真水のストックが少ないから。海水風呂ばかりだと、身体がべたついちゃうわ」

「やっぱ同じ戦艦でも大和は別格だよなっ! 大和ホテルって言うだけあって……ん?」


 そんな会話をしていた半裸ないし全裸の海軍乙女3名と、目が合う。

 気付いた時には、何もかもが手遅れだった。


「た、た、大変~男の人だよ~!」

「さては陸軍のスパイね!」

「撃ちぃ方始めっ! 初弾きょう! 次弾テッ!」


 反射的に退避しかけたところを、高速で次々と飛んできた石鹸が後頭部に命中、転倒して今度はタイル張りの床が額を直撃し、洋平の意識は再び途絶することになった。

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