小動物・ミーツ・魔王前編

「カフェというものはだな」



 グツグツグツ。



 飴色になるまで炒めた玉ねぎを、ブイヨンと赤ワインで延ばしながらじっくり煮込んだデミグラスソース。それを四つ並んだ調理用コンロの前で丁寧にかき混ぜながら、店主は地の底から響くような、無駄に重々しい口調で口を開いた。



 夜半過ぎ。日はとうに落ち、暗い闇の帳を降ろした空に、銀盆の月が煌々と輝いている。駅前の居酒屋や飲食店が軒並み店じまいをするような時間にも関わらず、住宅街のど真ん中にぽつんと灯った光がある。なんの変哲もない木造の二階建て。真夜中カフェ(元)魔王は、本日も営業中だった。



「おぬし、如何なるものと心得る?」

「え? それ俺が答えるんすか?」



 急に語り始めたもんだから、てっきり魔王が魔王らしく魔王ちっくな魔王ボイスで、一説ぶってくれると思ったのだ。



 突然話題を振られた青年――足立友也は、予想が外れて目をパチクリとさせた。瞼のすぐ上にまで目深にかぶったバンダナの下から、僅かに覗く目つきの悪い三白眼が少しだけ幼い印象になる。



 きょとんとした相手の反応に、(元)魔王陛下はご機嫌を損ねあそばされたようだ。美術品のように整った秀麗な顔を、ほんの少しばかりしかめる。見慣れないものには、いつもとまったく変わらない無表情に見えるかもしれない。



 だがしかし、まだ働き始めたばかりとはいえ客足の少ないこの店では、営業時間中ほぼマンツーサタンでこの御方と共に過ごすことが多い。そんな彼だからこそ分かる。不機嫌な時の魔王とノーマルモードの魔王とでは、同じ無表情でもどこか微妙に違うのだ。間違い探しのようなものだが、なんというかオーラが違う。例えて言うなら、ノーマル魔王のオーラは闇色で、不機嫌魔王のオーラは暗黒色だ。



「当然であろう。おぬしも余と盟約を結び我が忠実なる下僕となった以上、いついかなる時にでも、主たる余の要求を叶えばならぬ」



「たかがバイトの雇用契約を、わざわざそんな邪悪ちっくに言い換えるのはやめてください」



 盟約ってなんだ盟約って。契約の上位互換か。



「しかし、おぬしはたった四桁の端金にて、己の所有する時間を余に売り渡すことに同意したではないか」



「仕方ないじゃないっすか! 店長のせいで、俺の身体こんな風に変えられちゃったんスから! こんな身体にされちゃった以上、もう元の生活になんか戻れませんよ! 店長についていく以外に道はありません! つーか、端金っつーんなら、バイト代あげてくださいよ!?」



「それは断る」



 己の身体をかき抱きながら、なにやら青年が激しく苦悩するように慟哭するが、魔王の反応はそっけなかった。ついでにサラリと賃上げ要求もはねつける。Noと言えない日本人と違い、どうやら魔族はキチンと言うべきことを言えるようだ。



「だいたい、目が三つあることのどこが不満だというのだ。視力も今までよりぐっと上がって、ますます便利になったではないか」



「どっかのコンビニのCMみたく言わないでくださいよ!! そりゃ、どんな奇跡かコンタクトなしでも視力が八・五ぐらいまでには上がりましたけどぉ! 現代日本人の都内在住の身で、サ○コンみてーな驚異的な視力はいらないんすよ!? つーか、額に第三の目がある状態じゃ、就活だってロクに出来やしないじゃないっスか!」



「なぜそうも深く嘆く必要がある? 第三の目など、並みの人間が手に入れようと思って手に入れられるものではないぞ。むしろ、他の人間にはない個性として、就活でも絶好のアピールポイントになるであろう」



「個性的すぎるっスよ! 並みの人間どころか、そもそもサードアイ持ってる人類なんて俺、三○眼○迦羅と○影ぐらいしか知らねぇっスよ!」



 血を吐くような思いで必死に訴えるが、生憎とそのどちらも決して人類ではない。



 しかしどちらにしろ、地球に移住してまだ間もなく、多国籍料理の勉強ぐらいにしか手の回っていない魔王様は、あまり日本のサブカルに詳しくなかったようだ。魂の底から慟哭を上げる友也に、まるで曲芸をするキリンでも見るような眼差しでハテナとばかりに首を傾げる。フリではなく、ガチで不思議そうな傾げ方だった。



「おぬしがなぜそこまで必死なのかよく分からぬが……第三の目が不満だと言うのなら、いっそ隠せばよいではないか」



「んなことしたら、それこそ三つ目が○おるになっちゃうじゃないっすか……てか、俺も最初それは考えたんすけど、面接だけとかならともかく、採用後もずっとおでこにバンドエイド貼ってるわけにもいかないし……」



 ぶつくさとぼやく。いっそこの第三の瞳の開眼が就職後であったなら、一生をデコバンドで過ごせばどうにかなったかもしれないが、現在目下就活真っ最中だった友也には願っても叶わぬことだ。結果として、バイト面接どころかハローワークにすら通えない身体となってしまった彼は、その諸悪の根源である魔王の元にやってきたのである。



 魔王手料理を食った結果としてサードアイ持ちになってしまったので、当然魔王であれば元の人類に戻せると思ったのだが、そうは問屋がおろさなかった。生憎、かつて魔族の王として君臨した身であっても、マンドラゴラが人体にこのような影響を与えるという事は、まったく知らなかったらしい。



 最終的には、職を失った(元々持っていない)友也を、魔王が雇うということで決着がついた。どちらにしろ、貯金か尽きかけていた友也は働く必要があったし、その点このカフェであれば、多少衣服にも自由がきく。髪の毛を覆う名目で、サードアイが隠れるまでに深く深くバンダナを巻きつけていても、きっと誰も怪しまない。



 かくて、友也はニート改め魔王下僕として、新たなる社会人ライフの第一歩を踏み出すことになったのだ。



「まあ、そのように些少なことなど、どうでもよいがな。――して。我が下僕よ」



「その呼び方、いい加減やめましょうよ。いや、実際の真実はどうあれ、とりあえずその下僕って呼び方やめましょうよ。絶対に現代日本における常用単語じゃないし、ちゃんと面接時にもフルネームで名前名乗ったじゃないッスか。店員俺しかいないんだし、いい加減名前ぐらい憶えてくださいよ。友也っすよ。足立、友也!」



「して、トモヤよ。おぬしは果たして、カフェという存在を如何なるものと心得る?」



「え? アレ、その話題まだ続いてたんっすか?」



「然り。むしろ一度として途切れてなどおらぬ。断固として、延々と、流れる太古の河のように脈々と続いておる」



「えー……本当になんかいちいち言い方が重いっつーか、店長って見かけによらず案外ねちっこいっすよね。でもまぁ……そうだな、俺の意見を言わせてもらうなら――」



「そも、カフェというものは訪れる者に安らぎを与える場所と余は定義する」



「俺の意見は!?」



 叫ぶ友也には構わずに、安らぎという単語とはおよそ七百二十度ぐらい縁のなさそうな黒い御仁は、淡々と自分の理想とするカフェの在り方について続けた。



「カフェには様々な形がある。昨今流行りの店のような、並んででも食べたいメニューが並ぶ客足の入れ替わりがひたすら激しい賑やかな店。あるいは、隠れ家のような知る者ぞ知る隠れた名店。他にも、食事メインであったり、軽いお茶をしたり。軽い談笑を楽しむ目的であったり、味を楽しむために訪れることもあるかもしれぬ。だが、それでよい。如何なる形であれ、訪れた者がそのひと時を楽しむことが出来れば……渇きを癒し、飢えを満たし、満足を与える場所であればよいと、余は考えておるし、ここをそのような店にしたいと思っておる。ゆえにだ。我が下僕――」



「足立友也」



「アダチトゥモヤ」



「変なところにアクセント置くなよ。むしろ姓名上下でちゃんと区切れよ。今までめっちゃ流暢に日本語喋ってただろうが」



 何か彼の名前を呼びたくない理由でもあるのだろうか。悪意があるとしか思えない。



「ゆえにだ。トモォヤよ。この店で働く以上、おぬしも弁えねばならぬ。我が店では、来るものは決して拒まぬ。飢えたもの、渇いたもの、癒しを求めるもの、あまねく全てに対し、この店の門は開かれているものである、と」



「はぁ……そすか」



 ただでさえ無駄に迫力のある魔王に、ドヤ顔で語られてしまっては、一市民として力なく頷いておくより他にない。仮にも客商売を手掛ける者としては、随分と商売っ気のない発言の気もするが仕方ない。



 それが、この魔王の良いところであり悪いところでもあるのだから。



 そんな魔王が店長を務める店だからこそ、かつて友也は救われたのだから。



 結果として、ちょっと(かなり)人類ではなくなってしまったけれど。



 少なくとも、彼はこのカフェで心と身体の飢えと渇きを、確かに癒してもらったことがあるのだから。



「――して、ゲ・ボークよ」

「誰だよ。なんかいろいろ混じってんぞ」

「間違えた。トモヤよ。ローズマリーが足りなくなったゆえ、外の花壇から少々摘んでまいれ」

「へーい」

「へいではない。返事はきちんとせよ」

「ハイ」

「はいではない御意だ」

「上位互換!?」



 ところどころにおかしな要求が混じることもあるが。



 なんだかんだで、友也は今の生活を気に入っていた。営業時間が二一:〇〇―〇五:〇〇という深夜営業スタイルのため、昼夜逆転の生活になるというデメリットはあるが、それを差し引いても今の生活は結構楽しい。きちんと労働をして、その対価としての給料を貰う。そんな、少し前までは当たり前のように思っていたはずの生活が、こんなにも楽しい。



 結果の出ないハローワーク通いよりも。



 失業保険に頼りながら、貯金をすり減らしていくだけの生活よりも。



 今の方が、ずっとずっと、やりがいと生き甲斐がある。



 重い木の扉を開けて、店の脇に屈み込む。道路から店舗までは短いアプローチがあり、その脇にある花壇には、料理に使う様々なハーブが植えられていた。アップルミント、シソ、ローズマリーにタイム、セージ、マンドラゴラやアスポデロス。一部絶対に地球の植生ではなさそうな植物も混じっているが、その種類は本当に多様だ。魔王(店長)に頼まれてこうして摘みにくるうちに、だんだんと友也もその名前を覚えてきた。マンドラゴラを引き抜く勇気はまだないが、幸い今まで一度も注文が入ったことはない。



 一瞬のこととはいえ、やはり店の外に来ると一気に身体が冷える。友也はそそくさと店内に戻ろうとし――





 そして『視た』。




  ◆◇◆◇◆◇◆◇




 女の子。

 それは女の子、だった。



 街灯ぐらいしか光源のない暗い夜道でもはっきりと分かる、くりくりとしたどんぐり眼に、遠目からでも見間違いようのない滑らかな肌。栗色の髪の毛を両サイドで高く結い上げて(いわゆるツインテールというやつだ)電柱の影に隠れるように、隠れた影から覗くように、じっとこちらを――明々と灯るカフェを見つめている。一体、いつからいたのだろう。身長からすると、せいぜい十歳ぐらいだろうか。こんな時間に屋外で見るには、あまりに相応しくない年齢。



 近くに保護者らしき大人がいる様子もない。もしも友也が一部特殊な趣味をお持ちの方々の同類であれば、即座に抱きしめて頬ずりしてそのままうっかり(あるいは計画的に)テイクアウトしていたかもしれないが、幸いなことに今の彼は良識も常識もある立派な一社会人である。少し前まではニートだったが、今ではちゃんと職も得て、魔王の下僕というポジションにクラスアップしたのだ。



 そんな責任感も立場もある友也なので、たとえ深夜、目の前に無防備な少女が現れたとしても、いきなり攫ったりするようなことはしない。そもそも、彼はどちらかというと年上趣味なのだ。綺麗なお姉さんは大好きですが、うるさいお子ちゃまにはさほど興味はない。ただ、こんな年齢の子供が、こんな夜更けにたった一人で外にいる。そのことだけが気になった。



 少女は、おずおずと怯えるように――あるいは隠しきれない好奇心を無理やり抑え込むように、じっとこちらを覗いている。――電柱の影から。夜更けの暗がりで一人佇むツインテールの少女。



 よく考えなくても、結構(かなり)怖い事態だったかもしれないが、あいにく友也は並の人間ではない。この地球上において、魔王に仕える第一の下僕であり、先ほど他ならぬその魔王様ご自身から、並の人間には決して持ち得ぬと言われた、サードアイ持ちの(元)人間である。(ただし、本人は今でも自分が間違いなく人間であると信じている)。



 そんな友也であるから、少女を見た瞬間、取るべき対応は決まっていた。ざっと勢いよく立ち上がり、目深にかぶったバンダナの下にある(自前の)三白眼で少女を睨みつけながら、ズンズン近づき警告を発する。



「去れ! ここに来てはいけない!」

「えっ、え? ふええぇ……!?」



 額にある何か注意深く隠すように、深く深くバンダナを頭に巻きつけた、目つきの悪くちょっとチャラそうで怖そうなお兄さんが、夜中に声を張り上げながら、千と○尋のハ○みたいなセリフを言いつつ迫ってくる。突然の事態に、少女は混乱のあまり悲鳴をあげた。当然の反応である。



「いいから去れ! 近くに保護者はいないのか!? 見つかったら大変なことになるぞ!? 早くしないと、なにせここには凶悪な魔王が――」

「おぬし。夜中に何を騒いでおる」

「――ひっ!?」



 魔王が。



 ガチャリと重々しく扉を開けて。



 このカフェのオーナーであり、店長であり、かつては魔界において一国を治めた主であり、現在はその座を引退した、目下話題沸騰中の(元)魔王様が、ぬらりと姿を現した。



 偉大なる主の登場に、友也が気まずそうに首をすくめる。



「て、店長……」

「まったく。ハーブ一つまともに摘んではこれぬのか。おぬしは世の常識というものを一体なんと心得る。ここは住宅街のど真ん中なのだぞ。こんな夜更けにそう大声を出しては――」



 言いかけて。



 言いかけたところで、魔王のセリフが途切れた。普段感情の動かない深紅の瞳がすっと細く眇められ、電柱の影に隠れる少女の姿を捉える。



「……トモ・オウヤよ」

「いや、そろそろいい加減にやめましょうよそのネタ。友也っす。足立友也」

「トモヤよ。なんだ、そこなる小動物は?」

「いや、俺にもよく分かんないんすけど……」



 言いながら、ちらりと横目で少女を見る。身体の半ばまで電柱の影に隠れていてよく見えないが、それでも少女の注意は、突然意味不明なことを怒鳴り出したなんだか怖い感じのお兄さんではなく、突然平凡な建物の中から現れた、額に角が生えてる、なんかもう見るからに人間っぽくない極めて怖そうな感じの魔王陛下へと注がれていた。



「――よく分かんないんスけど、迷子……とかじゃないっすかね。近くに、親っぽい人もいないし」



 たとえ迷子であったとしても、こんな時間に子供が外をうろつくなど、ロクな事態でないことは間違いない。



「とりあえず……見つけちゃった以上このままってわけにもいかないっすから、俺が近くの交番までこの子連れて行きますよ」



 世間的にはもう結構な時間帯だが、確かあそこはコンビニと同じく朝〇時オープン二十四時クローズだったはずだ。今から行っても大丈夫だろう。



「交番とな?」



「迷子っつったら交番っしょ。店長的には……もしかして、官憲とか言った方が、分かりやすい?」



「なぜ難解に言い直した」



「え? そこでその突っ込みくんの?」



「官憲などと……今の時代、斯様に古めかしい呼び名で国家権力を表現する者はおらぬであろう」



「え? だからそれ、アンタが言うの? よりによって、他ならぬアンタが」



 契約と盟約を混同して使うような奴に、到底言えた義理ではないセリフだが。



 そんな友也の突っ込みなど(いつも通り)気にした様子もなく、魔王は未だ電柱に隠れる少女に目標を定めると、友也より先にその前にずかずかと進み――



 少女の顔を覗き込むように、ゆっくりとしゃがみこんだ。



 ちょうど、少女と視線を合わせる高さに。



「ちょっ――店長?」



「……小動物よ。おぬし――腹は減っているか?」



「……ふぇっ?」



「腹は減っているかと聞いておる」



「………………」



 真っ正面から覗き込んでくる、目。



 人間には絶対にあり得ない、禍々しくも迫力のある魔力に満ちた深紅の瞳が、少女をじっと見つめている。ただし、距離はそれほど近くない。あまり近づきすぎると、魔王のこめかみから生えた角が少女に突き刺さってしまうからだ。角の分だけ間合いをとって、見つめ合う一人と一サタン。



 やがて少女は、魔王の迫力に根負けしたように(ちなみに、断っておくがこの場合少女はなんら悪くない。相手がこの魔王となれば、大抵の人類は根負けする。むしろ泣いて土下座するかもしれない)コクン、と頷いた。頭の高い位置で結われたツインテールが、その動きにそってさらりと揺れる。魔王は「そうか」と言って頷くと、すっと勢いよく立ち上がった。



「トモヤよ」



「やっと普通に呼びましたね。なんすか?」



「聞いたとおりだ。客人である。さっさと店に案内せよ」



「はっ!? いやだから、この子は俺が警察に連れてくって――」



「そのような些事はあとでもよかろう。腹を空かせている者が目の前におり、背後には余の店がある。この状況にて食事を与えずなんとする。おぬしに正義の心はないのか」



 悪の親玉っぽい相手に、真っ正面から正義の心得を語られてしまった。



 人間として、ちょっとありえないぐらい不名誉な事態に少し傷ついた。



「余の店は来る客を拒まぬ。今の時代、カフェの形式には確かに様々な形があるやもしれぬ。だが、余の店のコンセプトはあくまで、訪れる者に安らぎを与える場所であることなのだ。飢えたものを放置するなど、それこそ余の魂が許さぬ」



 魔王からマジで説教を食らってしまった。

 わりとガチで傷ついた。

 だから――かもしれない。



 そんないかにも魔王らしい――友也の恩人である(注、人ではない)店長らしい物言いに、こっそり傷つきながらも心のどこかに「やれやれまったく。仕方ねぇなあこの人は」という、呆れ混じりに納得する思いがあったからかもしれない。



 ――たとえそれが、どんな相手であってもな。



 そんな意味深な魔王の呟きの後半を聞き逃してしまったのは。




  ◆◇◆◇◆◇◆◇




「ふえぇ……」



 店内に入ると、ほっと一息つく。真夜中であっても明るい光と温められた空気は、それだけで夜の闇を遮断する確かさを持っていた。



 少女が物珍しげにきょろきょろあたりを見回している。とはいえ、さほど広い店内ではない。カウンター席とテーブル席が少し。細部に注目さえしなければ、一見ごく普通のカフェに見えないこともなくもなくもないように偽装されてはいるが、この年頃の子供がこういった店に入る機会はなかなかないかもしれない。



 加えて大人の引率もおらず、他の客が一人もいないとあっては、座る席を選ぶことすら迷うだろう。友也はさりげなく「ここに座れよ」といって、カウンター席の椅子を引いてやった。途端、しずしずとした動きでキッチンに入ろうとしていた魔王が、ピタリと足を止める。



 そして。



「トモヤよ」

「? なんすか?」



 びーっ



「う、おおおおおおおっ!?!?!?」



 返事をして振り向いた瞬間。魔王の真っ赤な瞳から謎の怪光線が飛び出し、友也は咄嗟に緊急回避した。目標を失った怪光線は、先ほどまで彼が立っていた床に突き刺さり――



 じゅっ



 油を引いた熱々のフライパンに、卵を落とした時のような、やけに軽やかな音を立てて。



 床の一部が消失した。



「――!?!?!?!?!? なっ、なっ、なぁ!?」



 超びびった。



 目の前でリアルに目からビーム出す奴とか初めて見た。



 驚愕のあまり――そして動揺のあまり、まともに言葉すら紡げなくなった友也の胸中を知ってか知らずか、ビームを放ち終わった魔王が淡々と告げる。



「たとえ金銭を払う能力がなくとも、この店に入った以上は客である。今のおぬしの言葉使い、到底客人に向けるべきものではあるまい。以後、十分に気をつけよ」



「いや、口で言えよ!?」



 至極常識的な忠告を、まったく常識的でない手段を用いて告げる魔王に、突発的に訪れた命の危機によって、ハイになってしまったらしい友也が全力で怒鳴りつける。



「なんすかなんすかなんなんっすか!? なんで突然なんの前触れも前置きもなく、目からビームが出てくるんすか!? アンタ一体何者ですか!?」

「(元)魔王だ」

「そうだった!!」



 当然のように返す店長に、悲鳴をあげて思わず頭を抱え込む。知人が突然目からビームを放ち出したら、真っ先に病院かNASAに電話をするが、あいにく元とはいえ前職で魔王を勤めていた相手とあっては、その程度の芸当などむしろ常識の範囲だろう。



「おぬしは仕事に関しては真面目だが、少々口調がぞんざいに過ぎる部分があるからな。時々こうして引き締めてゆくことにした。いわゆる、飴と鞭というやつだ」



「飴がねえ!」



「何を言う。いつも余が手ずから作った料理を与えてやっているではないか」



「そうだった!!」



 またしても頭を抱えて叫ぶ。この店において、賄いは全て魔王のお手製である。当然のことだがうまい。反論の余地がなくなってしまう程度には。



「いや、でも! それでもさすがにビームはないでしょうビームは!? なんなんスかビームって!? なんなの一体どういうことなの!?」



「何かと問われても、単なる邪眼ビームである。魔族に伝わる一万とんで二百八十九つの伝統芸能のうちの一つだ」



「あんな節操のないもんが、あと一万二百八十八個もあんのか……」



 呆然と呟く。意外に数が多かった。



「因みに、もし望むのであれば一万二百八十九の秘技を全てとは言わぬが、おぬしも多少であれば身につけることが出来るぞ。サードアイを開眼させておるからな。邪眼ビームぐらいであればすぐだ」



「俺の魂と命の全てをかけてお断りします」



 もうこれ以上人間から遠のくような特殊技能はいらない。失ってみて初めて分かる大切さ。やっぱり人間、普通が一番なんだ。



「いやしかし、ここで邪眼ビームをマスターしておけば、おそらく今後の就活でも有利に」



「いやいやいや。日本企業に関わらず、こと人類の法人団体内において求められているのは、そういう科学的根拠の何もない謎スキルではなく、TOEICの高得点とか、簿記資格とかです。いりませんから。マジでいりませんから」



「ふぅむ……ならば邪眼ビームはやめて、この際新たな使い方を伝授してやるか。千里眼に関しては自力で習得したようであるから、今度は魔眼としての使い方を」



「だからいりませんて。謙遜でも遠慮でも日本人特有の本音を建前の裏っかわに隠した奥ゆかしさトークでもなく、マジで、真剣に、ガチでそんなレア特技はいりませんって。だいたい、なんスか魔眼って。千里眼とどう違うんスか?」



「そうだな……具体的に言うと、魔眼の能力を身につければ、もれなく相手の名前と寿命が視える」



「死神の目か」



 どっかで聞いたことのある能力だった。



「だが、これをマスターすれば必ずや、社会に出た時に有利となるであろう。たとえば、営業職についた時とか。なにせ、顧客の名前をすべて初対面で暗記出来るのだからな。好感度もうなぎ上りよ」



「本当だ」



 意外と使い道のありそうな能力に、一瞬ならず心が動きかけるが、いやいや人類として留まるためには、ここで頷くわけにはいかぬ、と首を振る。危ない。あやうく魔の誘惑に負けるところだった。



「いや、そんな人生においてまったく役に立たない人外スキルについての知恵袋なんかどーでもいいんスよ。それより、どうするんスかあの子」



 あの子、というのは当然、先ほど電柱の影からこっそり店を覗いていた保護者不在のツインテール少女のことである。現在は友也が出してやった温めのお茶(注、お冷ではない)をくぴくぴと飲んでいた。この年頃の子供にしては随分落ち着き払った態度だが、だからといってこんな夜更けに、保護者もなしに放置されていていい年齢でもない。



 警察に連れて行くのを阻んでまで店に連れてきた以上、何かしら考えがあるのだろう。魔王は皆まで言うなとばかりに頷くと、



「よし。ではトモヤよ。おぬしはあの小動物に何が食べたいか注文を聞いてまいれ」



「ビックリするほど何も考えてねぇ!!」



 ある意味、予想通りだった。


 

 とはいえ、しがない雇われバイトの身では、オーナー兼店長の命令には逆らえぬ。どちらにしろ、腹を空かせた子供を放っておくわけにもいかない。詳しい事情を聞くにしても、まずは食事をさせ一旦落ち着いてからの方がいいだろう。彼はメニュー表を差し出した。



「はい。これメニューな。とりあえず値段気にしなくてもいいらしいから、好きなもん頼めよ。えっと……なぁ君、名前は?」



「……ミケ」



 少女――ミケが小声で答える。日本人らしくない名前だな、と思ったが、異文化交流の進む今の時代、そう珍しいことでもない。少なくとも、今現在この店のカウンター奥にいる魔王様より珍しい存在は、この地上にはそうそういないだろう。



「そっか、ミケちゃん。俺は友也。あの奥にいる角が生えてる黒くてデカくておっかない感じの店員さんは魔王様だ。角と牙が生えてておまけに人類じゃないけど、見た目ほど邪悪で残忍で凶悪じゃないんで、必要以上には怯えないでやってくれ。怯えるのは仕方ないから必要以上には」



「トモヤよ。お主、仮にも雇用主である余に対し、何か言いたいことでもあるのか?」



「週休二日で飯付きという恵まれた職場に対して、俺から意見すべきことなんて何もありません。いいから店長はちょっと黙っててくださいよ。ただでさえ、黒くてデカくて邪悪そうで角生えてるんだから。ぶっちゃけ、いるだけでマジ威圧感パないんだから。――で、ミケちゃん。なんか、食いたいものあるか?」



 本日のメニューは『こっくりとしたサワークリームのコクが本格的! ビーフストロガノフ』と『肉の旨みがギュギュギュッ! と詰まったデミグラスソースの煮込みハンバーグ』に『ピリッと刺激的な大人の味! 厚切りベーコンのペペロンチーノ』である。



 魔王の料理はどれも美味いが、カフェという店柄、そして時々なぜか見た目に削ぐわぬ女子力を発揮する魔王の好みによって、妙にシャレオツなメニューを選ぶことがある。大人女子であれば喜びそうなメニューではあるが、あまり子供向けではない。案の定、メニューを見ながらミケは困ったように首を傾げた。お子様相手にビーフストロガノフはないだろう。大人の友也であってさえ、実物を見るまではそれが料理の名前だと分からなかったぐらいだ。邪悪なる謎の呪文にしか思えない。



 友也は諦めてメニューを回収し、厨房でこっそり肩をすくめた。



「店長、駄目っすよ。うちのメニュー、完全に子供向けじゃないっす。あの子、内容が分からずにめっちゃ困ってましたよ」



「たわけ。ならばおぬしが説明してやればよいではないか」



「あの子も困ってましたけど、俺だってこんなもん説明しろって言われたら困ります。とりあえず、ペペロンチーノが辛いってことぐらいしか分かりません」



「おぬしはそれでもカフェの店員か」



 この地上において最もカフェ店員らしからぬ容姿を持つ魔王が、呆れたようにため息をつく。そればかりか、はぁ……と息を吐き、やれやれとばかりに首を振るという、分かりやすくも腹立たしい、実にストレートかつ明快なボディランゲージつきだった。



「まあ、相手が右も左も分からぬような小動物とあってはやむかたなし。かくなる上は、今宵のみ余が特別に拵えたメニューを振る舞ってやろう」



「特別メニュー? またなんか、食ったら身体の器官が増殖するような怪しいメニューを作る気じゃないでしょうね?」



 いくら魔王飯がうまいとはいえ、その引き換えに失うものが人間としての平和な人生ともなれば、代償があまりにも大きすぎる。まだ二次性徴も迎えていないような子供が、偶然迷い込んだ店で人としての平凡な将来を永遠に失ってしまっては気の毒だ。使命感に溢れた友也が鋭い目つきで睨みつけると、魔王はふっと唇を歪ませ「痴れ者めが」と呟いた。



 そしてニヤリと嗤った口の端から、鋭い牙を覗かせて、地獄の如き迫力のある重低音で厳かに告げる。



「子供と小動物が相手となれば、お子様ランチと相場が決まっているだろう」

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