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  瑠香は、車のシートへ体を深く沈め、深い眠りへ堕ちてしまった。


「瑠香さん、ごめんなさいね。こんな風にしか出来なくて・・・でも、これで全て、終わるから・・・」


 ましろは、苦し気な面持ちでひとちた。

 そして、研究所の駐車場へ到着すると、連絡を入れる。

 相手が現れるまで、車中で待つ事にした。

 程なく、空の車椅子を押し、迷い無く、ましろの車へ近づいて来る人物がいた。

 先ほど、ましろから連絡を受け現れたのは、ましろが唯一、研究の補佐をさせている青年、君塚きみづかさとるだった。

 ましろは、彼が、研究だけでは無く、ましろ自身へ想いがある事も理解していて、むしろその想いすら利用していた。

 彼自身、利用されている事を知っていながらの従順さだと言う事も、ましろは感じていた。

 だから、先ほど連絡したとおり、一人で、短時間で駐車場ここへ現れた。

 恐らく、本当に目立たず、誰にも告げずにだろう。

 ましろは車から降り、煙草に火を付け、煙をくゆらせながら待った。


(すっかり私もが身についたものだわ・・・)

 つい、自傷気味に微笑んでしまった。


「ナニ笑ってるんですか?遠くから見てると、怖いんですけど?それに、煙草。止めたんじゃないんですか?」

「喫煙者は、止める・止めるって言って吸うのが余計に美味しく感じるのよ。それより、大人しくしてる?」

「はい。まだ、薬が効いているんだと思います。でも、そろそろ目覚める頃です。あの・・・」

 聡は、言い淀み、一瞬沈黙する。


「何?言いたい事があるなら、ちゃんと言葉にしなさい。」

「・・・本当に、彼女にあの施術を?」

 そう言って、まだ助手席にいる瑠香へ視線を泳がす。

 彼もまた、ましろと同様な、苦し気な面持ちだった。


「全ては、私の責任の元に起こる事よ。もう、こんな不毛なループは終わらせるべきなのよ。だから・・・」


 言葉の先を続けようとしたが、聡に阻まれてしまう。

 気付くと、ましろは聡の腕の中だった。

 思いもしなかった彼の行動に、思わず動揺してしまう。

 まるで、初心うぶな少女の様に。

 直ぐに、腕を振り解き、距離を取ろうとする。

 が、させて貰えず、あらがおうとした事で、余計に囚われの身となる。


「何してるの!!離しなさい!!」

 恥ずかしさと怒りに任せ、顔が触れ合いそうな、ゼロ距離で怒鳴りつける。


「ましろさんも、そんな顔するんだ。」


 聡は、そう告げるや否や、ましろの顎を優しく捉え、迷わず口づけた。

 それは、深く、けれど優しいものだった。

 ましろは一瞬、状況が把握出来ず、瞳を見開き、凍り付いてしまう。

 聡は、そっとましろから唇を離す。


「キスされてる時。女性は、瞳を閉じた方が良いですよ?僕は、どちらでも構いませんけど。」


 ましろは、どこか揶揄からかう様に告げた聡の言葉で、ようやく我に返る。

 もう、ただ、恥ずかしさしかない感情のままに、力いっぱいの平手打ちを食らわせ、突き飛ばす。

 しかし聡は、ましろがそんな行動に出る事すらも、計算済みなのが感じ取れた。

 分かっていて、敢えて、そうした。

 刹那でも、ましろを忘れないで欲しいから・・・

 そんな聡の想いすら、自分は利用している。

 思わず、掌に爪が食い込む程に拳を握りしめる。

 聡は、そんなましろの傍にそっと近づき、拳を優しく包み込む。

 ましろは、はっと我に返り顔を上げる。

 そこには、そんなましろへまるで春の柔らかく、暖かい陽射ひざしの様な微笑みを向けた彼が、佇んでいた。

 その様子に、改めて驚愕する。


(何もかも、知っている・・・知っていて、こうして、私なんかの傍に居てくれている・・・本当に一線を踏み越え無い様に。たがを外さない様に。万が一そうなっても、自分が傍で連れ戻す為に・・・)


 押し潰されそうな程に痛む胸。

 こぼれ落ちる涙。

 力なく、聡の胸へ頭を預ける。

 聡は、そんなましろを、静かに受け入れる。


(まだ、こんな痛みを感じるだけの良心が、自分の中に残っていた何て。意外・・・何だ、私。まだ、人間ひとだったんだ・・・)


 呼吸を整え、涙をそっと拭い、顔を上げる。

 そして、強い意志を瞳に宿し、聡を見上げる。

 そこには、いつものましろが居た。


「ましろさん?僕、まだ『一生のお願い』ってやつ、使った事無いんです。だからそれを使って、お願いがあるんですけど、叶えてくれませんか?」

「駄目。」

「そんなぁ・・・何の躊躇もなく!?いくら何でも酷いです。勿論、とは言いません。等価交換です。」

「・・・。聞くだけ、聞くわ。何?」

「そうこなくっちゃ。さっきの弱ったましろさんの事、全部秘密にする代わりに、全て僕とデートして下さい。」

「はぁ?!何でそうなる?そんな事に大事な一生のお願いを使うな!!」

「だって、等価交換って言ったでしょ?むしろ、僕は、それ以上の価値があると思ってます!!」

「だったら。等価交換じゃ無いから、駄目。」

「あっ!!しまった。言わなきゃ良かった・・・」


 そう言って、力なくうなだれる聡。

 そんな姿を見て、少し可哀想にもなり、ましろは言葉を続ける。


「分かった。全部終わったら・・・ランチ。ランチなら行ってあげる。でも、別に、デートじゃ無いから。それと、一生のお願いを使わなくても良いから。もっと本当に、大切な願いが出来た時に使いなさい。」

「えっ?!ホントですか!?あっ、まさか!!僕の他にも、菜月班全員でって事ですか?!」

「違う。二人きりで良いって事。全部、終わったらね。」

「はい!!やったぁ!!」


 聡は、小さくガッツポーズを取り、ましろへ満面の笑顔を向ける。

 真っ直ぐで。春の日差しの様に柔らかい笑顔。

 そして、再びましろを強く抱きしめた。

 こんな風に、ただただ純真無垢な想いに包まれ、淡く優しい時の中で過ごして来られたら、私の隣にも穏やかな日常があったのだろうか・・・?

 今更ながら、そんな日常に、少し、憧れを抱いてしまう。


 きっと全てが終わる頃、罪に問われ、私には自由など無いだろう。

 その事も理解したうえで、彼は、ましろと約束を結んだのだ。

 ましろへ『明日』を用意し、『未来』を約束させたかったのだろう。

 聡は、ましろの生きる為のかせとなる事を、自ら望んだ。


 このまま、彼の作ってくれた幻想の中で、漂ってしまいたくなる衝動に駆られそうになり、聡の腕からそっと逃れる。


「聡君。瑠香さんを未認可のIRISアイリスに接続しておいて。もう、数値設定は全て終わっているから、接続だけで良いわ。」

「はい、分かりました。どうせ・・・数値設定の変更は受け付けない様に、ロックかけてるでしょ?」

「当然でしょ?まだ未認可のIRISアイリスを使う訳だし。私は、現場の総責任者。で、君は、しがない補佐だからね。後、接続が終わり次第、VIP棟の708号室で待っていてくれる?もう一つ内密に、頼み事があるの。」

「了解です。じゃぁ、先にVIP棟で待ってます。愛の告白なら、今、ここでも良いんですけど?」


 茶化す様に。けれど、その瞳は真っ直ぐで、熱い。

 これから、彼にしなければいけない事を思うと、胸がヒリヒリするのを感じた。

 だから、つい、視線をらしてしまう・・・

 聡は、そんな仕草も見逃さない。


「ウソですよ、ウソ。冗談です。そんな、叱られた子供みたいな顔しないで下さい。僕の方が何だか、凄く悪い事をした気になりますから。」

「あぁ・・・違う・・・いえ、違わないけど・・・ごめん。」

「止めて下さいよ、今更。僕の手中には、ましろさんをして、食事に行けるプラチナ・チケットがあるんですから。どんな苦行も、楽園への入り口です。」


 語尾には、完全にハートマークが付いている勢いだ。そして、ウインクを一つましろへ投げると、深い眠りの中にある瑠香を車椅子へ移動させ、IRISアイリスの元へ姿を消す。

 ましろは、もう一本煙草を吸い始めた。

 ふと見上げると、鈍色にびいろの重苦しい曇天どんてんが広がっていた。


(まるで、今の私の心みたい・・・あぁ、雨の匂い・・・もう直ぐ本降りになる。)


 ましろは、よく、雨の匂いと表現する。

 正しくは、アスファルトや土。建物や木々。それらが雨の雫で濡れそぼる匂いの事なのだが。

 幼い頃から、降り始める少し前から、それを感じる様になっていた。

 煙草の煙を、溜息と共に静かに、ゆっくり吐き出す。

 一滴ひとしずくの雨粒が、ましろの頬を濡らし始めた。

 それはまるで、ましろが自ら流した涙の様だった。


(何時からだろう。涙を流す事を止め、人間ひとでいる事も諦めたのは・・・)


 そんな風にぼんやり思いを巡らす。

 携帯用吸い殻で、まだ長さの残る煙草の火種を揉み消す。

 そして、ましろは聡の待つ部屋へ向かう。

 決着をつける為に。


 


 

 

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COLOR AYAKA @moon37t

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