第2話 見えない意図と糸

「それにしても……変な術式っぽいな」


 愛を先頭に部室棟に踏み込んだ雄介は、かろうじて残っていた魔術の痕跡を見て、首を傾げた。


「変?」

「うん、変。今では体系化された最新術式とは違う、かなり複雑な感じの術式だね」


 魔術というのは術式により構成され、その術式を発動することで『魔術』として発現する。術式は空間に『魔力』によって描かれ、発動の『鍵』となる呪文を発することで発動する。

 呪文を必要とすることで、静音性の問題により『魔術は暗殺には向かない』という『欠陥』を持つが、それは一般的な魔術士には関係のないことではあった。


 術式はここ十数年で基本的には体系化されており、魔導学部/魔導科の学生・生徒はそれを基に魔術を学び、研究している。他の学問に比べれば日が浅い魔導学(魔術全般に対する学問の総称)であるが、その進歩と洗練されるのに要された時間は、恐ろしいほどに短い。未だに新たな発見もあるが、魔導学はすでに安定した学問なのである。


「それじゃあ、まだ発表されていないような新しい術式……ということ?」


 愛の疑問に、雄介は首を横に振る。


「いや……これは、たぶん体系化される中で切り捨てられた、『古い』術式じゃないかな」


 確証があるわけではないが、雄介はそう思った。学生時代に見た、一般的な術式とは異なる術式と似た、『癖』のようなものを感じたからだ。

 それは発展途上ならではの、無駄の多い術式だった。


「近年発表されている術式ってさ、これまでに発表されて研究されてきた術式がベースにあるんだよ。だから、新しい術式でも合理的というか……合理的であろうとする『意思』みたいなのが術式から読み取れるんだよ」


 雄介はサッと空間に簡単な術式を展開し、消す。魔術士であれば、殆どの人間が読み取れるであろう、簡単な術式だ。愛も魔導科の生徒として学んでいる身であり、今くらいの術式であれば読み取れた筈だ。


「でも、ここに残されているものは、そうじゃない。どの術式のエッセンスもない、たぶん『原初魔術』だと思う」

「『原初魔術士』が知るっていう、あの……?」


 愛は「まさか」と笑うが、雄介は自分の予想が外れていないと思っている。『原初魔術』、人類が魔術士という新しい存在へと『シフト』するのと同時に『産まれた』という、最初の魔術。それは始まりゆえに荒く、今から見れば洗練されていない術式ではあるが、その行使の難易度は最新術式を遥かに超え、その効果もそれに比例する。そして、それは多くの場合、『原初魔術士』と呼ばれる『東京ダウン』発生により魔術士となった人間にしか扱えないものでもある。


「効果はよくわからないな……空間に作用するタイプの術式っぽいとは思うけど」

「それでも魔導学部卒業? 雄ちゃんだけが頼りなんだから、しっかりしてよ~!」


 愛が睨む。

 口に出して言い訳はしないが、この術式が発動されてから、時間が経ち過ぎているのだ。術式は精度や効果に比例して空間に残りやすいものではあるが、時間が経てばどんな術式も薄れていくのだ。そして薄れてきている状況では、その術式を正確に読み取るのは難しい。


「魔導課の刑事さんがすぐに来ていれば、何か分かったかもしれないね。……時既に遅し、だけど」

「そんな……」


 愛が溜息をつく。友人を助けられる手がかりが得られないのでは、無理も無い。


 雄介はもう一度周囲を確認し、それ以上の情報は得られないと判断した。なので、ここにいる必要はなくなった。


「職員室に行こう。『あの人』なら、何か知っているかもしれない」


 周囲に増え始めた生徒達の目も気になりだした。愛もそう思ったらしく、「ここにいても、何だか騒がしくなるだけだろうしね」と、賛成してくれた。



☆ ★ ☆ ★ ☆



「なんだ、もう良いのか?」


 職員室を尋ねると、珈琲を飲んでのんびりしている善美にそう言われる。


「さすがに時間が経ち過ぎですね。術式の残骸だけじゃ、何とも」


 雄介がそう答えると、善美は「さすがに気が付いたか」と苦笑した。


「先生、気が付いていたんですね」

「あれに気が付かないようでは、魔導科の教員なんてやっていられないよ、結城」


 入口で立っていた二人に「中に入れ、珈琲を入れてやる」と誘う善美。聞きたいこともあるので、二人は素直に誘いに応じた。


「雄介は、ブラックで良いんだよな?」

「よく覚えていますね」


 もう何年も顔を合わせていないというのに、雄介の嗜好を覚えている善美に感心する。


「生徒は何人も見送ったが……その中で愛弟子と言えるのは、ほんの数人だ。特にお前は色々あったからな……忘れるもんか」


 苦笑する善美。愛弟子と言われるのは、少々くすぐったかった。


「で、ここに来たのは『帰ります』って言いに来たからって訳じゃ、ないんだろ?」


 まるで「わかっているんだぞ」と言いたげな善美に、今度は雄介が苦笑する。


「ええ。あの術式について、先生の意見を聞きたくて」

「そこは『お伺いしたくて』、だろ? ……まあ良い。あれは、空間に干渉して外部と内部に分け、カメレオンのようにカモフラージュする――最新術式体系で言えば『隠蔽』の術式と似たものだろう」


 善美の言葉に雄介は頷く。


「術式が冗長なのは、あれが『原初魔術』だからだろうな。もしもあれがただの『オリジナル』だとすれば、その魔術士は天才か、最新術式を知らない引きこもりのどちらかだろう」


 善美はそう言って苦笑する。


「もしも『原初魔術』として相応の効果を発揮できた場合、あの術式がもたらしたものは何だと思いますか?」

「完全なる遮断……光も、音も、臭いも遮断できるだろうな」


 善美の言葉に愛が「それじゃあ、あれは刺す瞬間を隠すために使われた、ということですか?」と質問する。それに善美は「そういう効果を期待したのは間違いないだろうな」と答えた。


「未遂に終わったのが目的通りなのかどうか、という問題はあるが、もしも殺すことが目的であったのであれば、『いつ刺したか』を隠すことの方が役割として大きいかもしれない。空間そのものを遮断する術式は、死亡推定時刻がズレる可能性を否定出来ない。死亡推定時刻をズラすことが出来れば、アリバイを作るのは簡単になるからな」

「アリバイ工作、ってところですか。……ただ、本当に殺すつもりで準備していたのであれば、そこまでしておいて死亡を確認しないというのは腑に落ちませんね」


 雄介の疑問に「そこがわからないんだよ」と善美は頷く。


「術式が発動した以上、そこには目的がある。だが、どうにもあの術式は……辻褄を合わせるために使われた、そんな代物のように感じられる。ただの勘、だがな」

「……明確な意思により発動したものではない、と?」

「あれが『原初魔術』であるという前提で考えれば、その後の顛末――刺された生徒が発見され、治療を受けるというのはお粗末すぎる結果だろう。だったら、そういったことを考えずに魔術が使用された、と考えるのが妥当だと思うがな」


 善美の言いたいことはわかる。魔術というのは求める結果に対して、そうなるように『擬似的に奇跡を起こす』ものだ。今回で言えば、犯人が被害者を刺す瞬間を隠すために魔術を使っていると考えられるが、そこに『確実に被害者を刺殺したい』という意思を感じられない気がするのだ。


「あれは、刺すということだけが優先され、それを隠すために用いられた、というのが答えのような気がする」

「殺すため、じゃないんですか?」


 愛の疑問に善美は頷く。


「死んでも死ななくても、良かったんだろう。だから、刺した相手をそのまま放置した。確実に殺したことを確認もしないで、な」

「殺すほどは恨んでいない、ということですか?」

「さあな。私は探偵でも、ましてや名探偵でもないからな、そこまでは知らんさ。ただ、そう考えないとお粗末過ぎる魔術行使に納得ができない、ってことだ」


 使っている魔術に対して、お粗末な犯行……その『犯人像』を思い浮かべ、雄介は自嘲した。


「どうした、急に」

「いえ、何でもありませんよ」


 自分は、今何をしようとしたのだろうか? そう考えると、雄介はおかしくなった。――探偵役なんて、ガラじゃない。



「ん? 結城じゃないか。どうした?」

「朝倉先生、おはようございます」


 職員室に入ってきた男性教員と思しき人物に、愛が挨拶する。

 三十代前半。細身長身の、女生徒には好かれそうな顔立ちの男だった。さり気なく着ているスーツが、どうにも高級っぽくて、雄介はあまり好きじゃないタイプに思えた。


「君か、生徒が話していた部外者というのは」


 どうやらこの教員は、どこかで生徒から雄介を見たことを聞いたのだろう。


「朝倉先生、こちらは相原雄介。当校のOBですよ。雄介、こちらは魔導科で魔導法学を担当されている朝倉良輔先生だ」

「はじめまして、相原です。結城愛の従兄弟でもあります」

「朝倉だ。そうか、結城の……まあ、OBとはいえ、今は事件で生徒も不安がっているんだ、怪しい行動は謹んでくれ」

「はあ……気をつけます」


 何となく釈然としないものを感じつつ、雄介は一応、気をつけると言っておく。何を気をつければ良いのか、よくわからないが。


「朝倉先生、今日は何もご予定無かったですよね?」


 善美がそう問うと、朝倉は「そうだったんですがね」と溜息をついた。


「教育委員会から色々言われていましてね、事件解決のために警察に全面協力せよ、と。今日も生徒から話を聞いて、資料作成ですよ」

「それはまた……お疲れ様です」


 善美が苦笑しながらそう言うと、「まあ、仕事ですから」とデスクからファイルの束を持って職員室を出て行く朝倉。


「……何です、アレ?」


 雄介がそう問うと、善美は「お前、『アレ』はないだろ、『アレ』は」と爆笑された。


「まあ、お前は嫌いなタイプだろうな。魔術士としての実力はそこそこ良い。お前の出た大学のOBでもある」

「へー……まあ、どうでも良い話ですね。いきなり不審者扱いされるのは、気に入らないですね」


 雄介の言葉に苦笑する善美と愛。


「まあ、事件があったからな……」

「内部の方がよっぽど怪しいだろっての……」


 雄介の愚痴に、愛は「やっぱり、学校の中に犯人はいるのかな……」と表情を曇らせた。


「わざわざ学校に忍び込んでリスクを抱えるより、登下校……どちらかと言えば下校時か、それを狙った方が楽だしね。『内部犯』であると考えるのが自然さ」

「それに、被害生徒を呼び出したメールもあるしな」


 さり気なく重要そうな話を漏らした善美にギョッとする。


「先生、それ本当ですか?!」

「それ、機密情報なんじゃ……」

「どうせすぐ辿り着くだろ? だったら、ここで私が漏らしておいた方が、面倒事は少なく済む」


 いたずらっぽく笑う善美。雄介が生徒だった頃と、まるで変わっていないように見えた。


「メールアドレスは倉科のものだった。倉科は当日、校内でスマートフォンを失くしたと主張している。警察が倉科を重要参考人にしている理由のひとつが、それだ」

「でも、それだったら犯人が陽子のスマートフォンを盗んで、メールを送ったってことじゃ……!」

「だろうな。でも、それを証明する手立てがない。それに、魔導課の刑事が来ないというのも気になるところだ。言ったんだがな、魔術の痕跡があると」


 善美の言葉に、雄介は考えこむ。魔導科の教員が「魔術の痕跡がある」と言えば、それは参考にすべき証言の筈だ。それなのに、魔術が絡んだ事件の担当である魔導課の刑事が来ない……。


「何か、考えていた以上に面倒臭い事件な気がする」


 愛の『お願い』でここまで来たが、どうにも嫌な予感がする。


「まあ、手に負えそうにないと思ったら、手を引くんだな。無理して火の中に飛び込む馬鹿じゃないだろ、お前は?」


 善美にそう言われ、返答に困る。


 ――火の中に飛び込んだ馬鹿だから、『今の雄介』がいるのであるが。


「もしもの時は、頼りにしていますよ『師匠』」

「こんな時にだけ弟子気取りか。現金なやつだ」


 そう言うが、善美はきっと力になってくれるだろう。出来れば巻き込みたくはないが。


 ただの生徒同士の傷害事件であれば、話はもっと簡単だったろう。だが、魔術――、『原初魔術』が絡んでおり、さらに警察の不審な動き……雄介達に見えていない『何か』は、思っている以上に厄介なものに思えてきた。


「度会とは連絡を取っているのか? アイツなら頼りになるだろう」

「あいつは今、イギリスですよ。恋人と仲良くやってるんじゃないですかね……」


 長い付き合いになる友人の名前が出て、雄介は微妙な面持ちになる。


「それに、アイツに色々任せると、やり過ぎて話がデカくなりそうですよ」

「それはそうだが……場合によっては、『特効薬』になるかもしれんだろ?」


 善美が何を言いたいのか、雄介にはわからない。ただ、今の雄介よりも事件については色々見えていそうではあった。


「……何を考えているんです、先生?」

「そうだな……お前がよく言っていた、『悪いこと』かな?」


 そう言って、善美は笑っていた。



☆ ★ ☆ ★ ☆



 学校から戻り、雄介の部屋で珈琲を飲む雄介と愛。

 愛は制服から私服に着替え、爽やかな淡青のワンピースを着て部屋を訪れている。


「結局、あまりわからなかったね」

「素人がちょっと事件現場を見て事件を解決できるなら、警察なんていらないんだよ」


 テーブルに出したチョコのひとつをつまみ、口に入れる――失敗した、ビターなやつじゃなかった。


「わかったことといえば、犯人は魔術士で、陽子のスマートフォンを使って被害者――宮間翔子さんを呼び出して、刺したということ」

「結構わかった方だと思うけどね、素人にしては」


 雄介としては、そう思う。雄介は探偵じゃないのだ。


「スマートフォンから犯人がわからないかな?」

「見つかったとして、指紋は拭き取ってるでしょ。手がかりになるとは思えないけどね」


 雄介にそう言われ、「うーん……」と唸っている愛。


 考えてみるも、どうにも手がかりになりそうなものが無かった。所詮は素人、ということだろう。


(見えない犯人の意図、見えない犯人への糸……)


 そんなことを考え、「ミステリー小説に影響され過ぎかな?」などと自嘲する。


「そういえば、被害者は何て言ってるんだろうな」

「犯人の顔は見ていないらしい、って話は聞いたけど……」


 まあ、そんなところだろう。顔を見ていて倉科陽子が犯人だ、と主張しているとしたら、別の線――馬鹿げた話だが、自分で自分を刺して、倉科陽子を有りもしない事件の容疑者に仕立てようとした、というのも考えられるのだが。


(さすがに、そこまで馬鹿な話はないか)


 自分の考えに苦笑し、今度こそビターチョコを口に入れて味わう。珈琲で口の中に広がっているその風味を入れ替え、ふと雄介は思った。


「あ、朝飯食べてないよ」


 そう思ったら、途端に空腹感が襲ってくる。


「もう、真剣な話をしているのに……」


 愛は、呆れたように大げさなため息を吐いた。

 朝食を食べそこねたのは、朝早くから誰かさんに学校まで連れて行かれたからなのだが。


 釈然としないものを感じつつ、雄介は事件から朝食――すでに昼食になろうとしているが――に思いを馳せることにした。

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廃都の魔術士 織田 寿一 @juichi_11

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