廃都の魔術士

織田 寿一

第1話 相原雄介と結城愛

 カチャン、と鍵の開けられる音で目が覚める。「何だよ、もう……」とぼやきつつ見たベッド脇のデジタル時計は、午前七時半を表示している。


「……日曜日の朝に、何もこんな所に来なくても」


 偽りない己の感想を口に出し、気怠さから逃れるようにベッドから這い出る。カーテンの隙間から差し込む日差しは、今日が良い天気であることを告げていた。


「あ、起きてた」

「君のやって来た音で、目が覚めたんだよ」


 扉を開けて廊下から顔を出した訪問者に少々恨みがましく言ってみるも、彼女――結城愛ゆうき まなは「それは良い事をしたわ」と動じない。


「せっかくの休日を、君は遊んで過ごす友人もいないのかい?」


 大人げないな、と思いつつもそう告げると、彼女は「あら、そっくりそのままお返しするわ」と返してきた。……悔しくなんか、ない。




 相原雄介はフリーの魔術士だ。国際魔術士協会に魔術士登録こそしているが、団体としての所属先は無い。大抵はエリア毎の魔術士団体に所属するのだが、雄介はそうしなかった。団体から仕事の斡旋を受けられるメリットを捨ててでも、デメリットを嫌ったのであるが……それは、本人にとって他人に語るまでもない理由だった。

 フリーの魔術師士は下請けのようなことをして生活している。有名な魔術士であれば、仕事がバンバン飛び込んでくるものだが、残念ながら雄介の場合はそうではない。


「珈琲で良いよね?」

「ブラックでね」


 1Kの、(広さも家賃も)そこそこのマンションの四階角部屋。そのキッチンでは、女子高生――休日であるため、今は私服だが――が珈琲を淹れている。彼女がこの部屋に来るのは、もう何度目だろうか?


(気がつけば、合鍵まで手に入れてるし……)


 彼女はこのマンションのオーナーである母方の叔母の娘で、所謂従姉妹である。幼い頃から付き合いはあったが、二十六になろうというオジサンの部屋にこうしてちょくちょくやって来るのは、どうにも腑に落ちない。彼女自身は「若い女の子が来てくれるんだって、喜んだって良いのよ?」なんて言っているが……。


(昔から、よく分からない子だよなあ……)


 とはいえ、雄介は殆ど考えることは放棄していた。考えたところで、彼女が来たくないと思わないかぎり、またやって来るのだから。考えるだけ、無駄なのだ。


 熱々の珈琲をトレイに載せ、愛が部屋に入ってくる。出しておいた折りたたみテーブルの上にカップを置き、雄介とは反対側に座る。


「あれ? ブラックで飲むの?」

「ふふん、私だって、もう大人なんだから」


 そう言って口をつけるが、やっぱり苦そうにしている。彼女はどちらかと言えば、甘党だ。砂糖にミルク、双方欠かさない少女であったことを、小さい頃から知っている。


「外面を気にして好きなものも飲めないなんて、僕は嫌だけどね」


 そんなことを口にしつつ、雄介も珈琲を飲む。熱く、香ばしい珈琲が身体の隅々まで行き渡るイメージを脳内に描く。珈琲は、雄介にとって燃料のひとつだ。

 しかしながら、別に通ぶって「どこどこの豆が~、焙煎はこうで~」等とは言わない。珈琲であれば、それで良いのだ。実際、今淹れてもらった珈琲も、安めの豆だ。別にインスタントであっても構わない。不味くなければ、それで良いのだ。


「……で、今日はこんなに早くから、どうしたのさ?」


 本題……なのだろうか? とにかく、日曜日の朝にやって来た理由を尋ねる。彼女は無茶は言うが、無恥ではない。休日の朝に来訪することを当たり前だとは思っていない筈である。そんな彼女がこうしてやって来ているのだから、何かあると考えるのが自然だった。


「……雄ちゃんに、お願いがあるの」


 あらたまってそう言う愛の姿に、雄介は若干の緊張感に襲われる。彼女が神妙に『お願い』を告げてくる時、雄介にとって望ましくないことが起きるのが大抵のことであったからだ。


「カップル限定キャンペーンに行きたいとかなら、他を当たってよ。僕には、あれは耐えられない」

「違うわよ……って、私に他の男と行けって言うの?!」


 話が脱線しそうだった。


「その話は、また今度ね。それで、何なんだい?」

「話を逸らしたのは雄ちゃんでしょ……」


 そう言って彼女は、苦そうに珈琲を飲んだ。


「友達を、助けてほしいの」

「助ける……? それは、何だか穏やかな話じゃないね」


 雄介ももう一口、珈琲に口をつける。「朝食は何にしようかな……?」という思考は、とりあえず保留にしておく。


「学校で殺人未遂事件があったの……知ってる?」

「放課後、部室棟の廊下にナイフで刺された女子生徒が倒れていた、っていうアレ?」


 その事件の事なら知っている。見知った名前の学校、刺されたのが一年生の女子生徒ということで、慌てて出先から叔母に確認したのは、彼女には内緒だ。


「その事件で私の友達、倉科陽子が疑われているの」

「それは辛いね……でも、僕は探偵でもなければ、刑事でもない。力になれるとは、思えないな」


 嘘偽り無しの本音だ。雄介は、伝手を頼って仕事を回してもらっているだけの、フリーの魔術士だ。一人で生きていく金は得られているが、それ以外の何かがある訳ではない。


「でも、昔の知り合いとかに、そういうのに強い人とか……」

「畑違いの人間に場を荒らされるのを嫌がるのは、どこも同じでね。仮に、僕にそういった方面に顔の効く知り合いがいたとしても、現場の人間――捜査関係者には、嫌な顔をされるだろうね」

「でも、あんな無能な奴らより頼りになるわ!」


 それはちょっと言い過ぎでしょ、と思ったものの、そう言いたくなるのも仕方ないのだろう。友人が疑われている、その時点で彼女の中では捜査関係者は無能な集団としてインプットされてしまっているのだ。


「専門家の集団だからね、僕よりはそういった方面の能力は優れている筈だよ。その彼らが君の友人を疑っているのだとしたら、そう思わせる『何か』があるってことだよ」


 そう雄介が言うと、愛はショックを受けたように表情を崩した。


「雄ちゃんも、陽子が犯人だって言うの……?」


 怒りと悲しみの込められた目に、雄介の胸がチクリと痛む。


「そうじゃないよ。……状況的に、彼女を容疑者とするだけの『何か』がある、その事実に注目すべきだってことさ」

「『何か』……?」


 頭の良い子なのだが……頭に血が上っているのか、反応は鈍かった。


「意図したものか、偶然の産物かは知らないけどね。その『何か』によって、犯人は今のところ安全な場所に居るかもしれないってことさ」


 そう告げると、愛は「それを見つけましょう!」と立ち上がった。


「危ないなあ……珈琲、こぼさなかった?」


 一応、テーブルと彼女の服を確認する。こぼして珈琲をひっかけてはいないようだ。


「グズグズしていられないわ! さあ、早く着替えて行きましょう!」

「行くって、何処に?」

「学校よ!」


 そうして、彼女に押し切られる形で、雄介の休日は予定外のスケジュールとなってしまった。


 朝食は、見事に食い損ねた。



☆ ★ ☆ ★ ☆



 とりあえず黒のスーツ(無難さを重視)に着替え、同じマンションの一階にある自宅に戻った愛を、エントランスで待つ。


「お待たせ」


 やって来た愛は、彼女の通う都立白瀬高校の制服に着替えていた。パッと見、派手でも地味でもないブレザーだ。


「そういえば、休日登校であろうと、制服必須だったね」

「懐かしい?」

「どうかな……」


 そう、彼女の通う白瀬高校は、雄介の母校でもある。

 彼女は都立白瀬高校魔導科の生徒で、雄介も同じ魔導科の卒業生なのだ。やたらと自分の出身校について質問された時は「まさか」と思ったものだが、結局予想通り、この春から愛は雄介の後輩となったのだ。


「そう言えば、羽生はぶ先生がたまには顔を出せ……って」

「うぇ……あの人、まだあそこにいるのかよ……」


 懐かしい名前に、驚きと共にため息が出る。

 未熟な少年時代を思い出し、居心地の悪さを覚える。出来れば思い出したくない、そんな日々をチラリと思い出し、沈んだ気持ちになる。


「さ、行きましょ」


 彼女に手を取られ、近くのバス停に向かう。

 残念なことに、休日であろうと、この地域にもバスは走っていた。




 バスに揺られ、二十数分。二人は『白瀬高校前』というバス停に降り立った。


「立地は良いとは思えなかったけど、今になってみれば、この『廃都』ではありがたい場所なのかもなあ……」


 正門に向かいながら、そんなことを呟く。『第二次東京ダウン』という災害以降、旧東京都は分割され、近隣他県に合併されている。首都は神奈川の一部と合併した『新東京』へと移り変わり、旧東京都地域は分割合併後も『廃都』と呼ばれる程度にはダメージを負っていた。

 二人の住む黒目市、そして隣の市である白瀬市も、元は東京都であったが今は埼玉県となっている。


「さすがに事務室には誰もいなさそうだし、職員室に顔を出そう。愛ちゃんは靴、履き替えてきて」

「うん。少し待ってて」


 正門前にある入口は職員用玄関と事務室だ。生徒用の玄関はもう少し校内に入った場所にあった。


 上履きに履き替えに行った愛を見送り、雄介はぼんやりと校舎を眺めた。当たり前ではあったが、それは記憶の中のものよりも、やや古ぼけて見えた。


(とはいえ、まだ八年くらいか……いや、もう八年というのが正しいのか?)


 なんて、どうでも良いことを考えていると、職員用玄関に愛が現れたので中に入る。事務室はやはり不在で、来客用のスリッパに履き替えて愛先導で二階にある職員室を目指す。


 大人になっても、職員室というところは何となく緊張する。ノックをし、「失礼します」と扉を開けた愛を見送って、ここで帰りたい心境だった。


「あ、羽生先生」


 嫌な名前が聞こえた気がする。


「結城じゃないか。どうした?」


 聞こえてきたのは、ハスキーな女性の声。懐かしくも恐ろしい、恩師の声だった。


「なんだ、懐かしい顔があるじゃないか」

「……ご無沙汰してます」


 ペコリ、と頭を下げると、その頭をワシャワシャと掻き回された。


「薄情な愛弟子が、やっと顔を見せに来たか!」

「先生、やめてくださいって! 子供ですか!」


 羽生善美はぶ よしみ――たぶん今年で三十五歳――は、初めて会った時と変わらぬ外見だった。わりと大柄で、出るとこは出ていて、引っ込むところは引っ込んでいる……それでいて、なんとなく獣のような雰囲気をまとった、そんな教員だ。セミロングの黒髪も変わっていない。

 美人だけど、お付き合いしたいとは思えない――そんな風に年上好きを自称する同級生が漏らしていたことを、ふと思い出す。


「まだいたんですね、この学校に」

「私は魔導科専属契約の特別教員だからな、異動は基本的に無いんだ」


 知らなかった事実を今更知る。いや、自分にそれを知る必要がなかっただけとも言えるのだが。魔術士として働いていても、そういったことには無頓着であった。


「それで、二人してどうしたんだ? わざわざ休日に……」


 善美の疑問はもっともだ。その点に関して、愛が事の次第を説明する。

 善美は、当然のことと言えるが、良い顔はしなかった。


「わざわざ顔を突っ込む問題じゃないな」

「でも、陽子が疑われているんですよ? 彼女は、犯人なんかじゃありません! 陽子に、人は殺せません!」

「それは、私だってそう信じているさ。……でもな結城、それとこれとは、話が別だ。事件は警察に任せておくんだ。倉科のことも、私に任せておけ」

「でも……!」


 納得出来ない、という愛を見て、善美は雄介に「どうにかしてくれ」と匙を投げるような視線を寄越す。……どうにか出来ていたら、ここには来ていないのだが。

 そもそも、教員として生徒を抑えるぐらいしてほしいものだ、とは思うのだが……それを口に出せば煩いだろうから、やめておく。君子危うきになんとやら、だ。


 出来れば喜美の言うとおりにしたいが、こういう時の愛のしつこさを知っている雄介としては、下手にごねられるよりも協力した方が楽だった。


「まあ、彼女も納得出来ないでしょうから、やれるだけのことはやってあげようと思います……なので、入校許可をお願いします」


 頭を下げると、「お前が簡単に頭を下げるとはね……」と、善美が苦笑した。


「……わかった、かつての『馬鹿弟子』に免じて、許可しよう。……ただし、私に確認と報告は怠らないこと。雄介は結城を何があっても守ること。――以上を守るのが、条件だ。……いいな?」

「わかりました。じゃあ、とりあえず連絡先を教えておきます」


 携帯電話の番号を交換し、「言ったことは守れよ、雄介」と念を押される。

 仕方ないとはいえ、彼女の中では雄介も未熟な教え子のままだ――あの頃と、変わらずに。


 善美の一筆と判の押された入校許可証を受け取り、見送られて部室棟へ向かう。

 静かな校舎が、どうにも落ち着かない気分にさせた。



☆ ★ ☆ ★ ☆



「ここが部室棟……って、言わなくてもわかるよね」

「運動部主体のこっちには、あまり来なかったけどね」


 校舎とは別の、ちょっとしたマンションのような五階建ての建物。それが白瀬高校の部室棟だった。

 基本は運動部の部室で、文化部は二つしか入っていなかった筈だ。もっとも、雄介のいた頃とは部活事情(?)も変わってはいるだろうが。


「三階の廊下に、刺された女の子――宮間翔子さんは倒れていたんだって」


 部室棟を見上げる。これから部活を始めるであろう運動部の部員が出入りしている。

 視線を幾つか感じるが、なるべく意識しないようにして部室棟を観察する。まさかとは思ったが、事件があったという三階付近に魔術の痕跡をみつける。


「魔導課の刑事さんは、ここには来たのかい?」


 雄介の問いに、愛は首を横に振った。


「やっぱり、私の勘違いじゃないんだね?」

「先生だって、気が付いていそうなもんだけどね……」


 ため息を吐き、雄介は何やら面倒事に足を突っ込んだことを自覚した。


「これは、魔術士絡みの事件だ」

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